面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち」

2016年05月16日 | 映画
1960年、ナチス親衛隊将校のアドルフ・アイヒマン(バイドタス・マルティナイティス)が、イスラエル諜報機関に身柄を拘束された。
終戦から15年、ヒトラー政権下のナチスによる残虐行為が明らかになっていくにつれ、世界中から注目されていた男である。
イスラエルに移送されたアイヒマンは、エルサレムの法廷で裁かれることになった。

1961年、敏腕テレビプロデューサーのミルトン・フルックマン(マーティン・フリーマン)は、アイヒマンの裁判を世界中にテレビ中継しようと奔走していた。
「ナチスがユダヤ人に何をしたのか、世界に見せよう。そのためにテレビを使おう。」
フルックマンは、テレビというメディアに携わる者として使命感に燃えていた。
そしてこの世紀の裁判を最高のスタッフで撮影したいと考えたフルックマンは、監督としてレオ・フルヴィッツ(アンソニー・ラパリア)を迎える。
フルヴィッツは、反共産主義に基づくマッカーシズムの煽りを受けて、10年以上に渡って満足な仕事ができずにいたが、ドキュメンタリー監督として高く評価されている人物だ。

裁判の開廷が刻一刻と迫る中、いまだナチスを信望する者たちの脅迫や妨害、カメラが法廷に入ることに難色を示す判事など、フルックマンは様々な困難に直面する。
しかしそれらを乗り越えて遂に実現にこぎつけた制作チームは、いよいよ世紀の中継に挑んでいく…


フルヴィッツは、ホロコーストを引き起こしたのは決して特殊な人間などではなく、ごく普通の人間が狂気を暴走させた結果であり、誰もがアイヒマンになる可能性があるとして、アイヒマンの“人間らしさ”を映像に収めようと執着する。
しかし意に反してアイヒマンは冷静沈着で表情を変えない。
112人に及ぶ証人が生々しくホロコーストの凄惨な様子を証言しても、また証拠として流される収容所における残酷極まりない記録映像を見ても、アイヒマンは表情一つ変えず目を背けることもない。
冷ややかに証人や映像を見つめているだけで、懺悔はもちろんのこと何ら悔恨の情を見せることもなく淡々と罪状を否定する。
あまりのポーカーフェイスぶりにフルヴィッツは苛立ちを募らせていくのだった。

一方フルックマンは、“テレビマン”として歴史的な放送に使命感を持っている。
4カ月に渡った裁判において、視聴者や取材陣から飽きられる場面もあった。
世間の耳目を集中させ続けたいフルックマンは、ひたすらアイヒマンの表情を追うフルヴィッツと演出に関してぶつかることもあるが、人類史上最悪の惨事を世に知らしめたいという思いは同じ。
ひたすら裁判を追い続ける彼らの執念は、ある“決定的瞬間”を迎えることになる。


フルックマンの使命感と情熱は、昨今「マスゴミ」などと揶揄される日本のジャーナリズムは、忘れ去っていると言われるのではなかろうか。
真摯にただ真実だけを追い求め、責任を持ってそれを世の中に報じることが、ジャーナリズムのそもそもの本分なのではないのかと、ジャーナリストでもなんでもない自分が言うのはおこがましいが、フルックマンの姿には、マスメディアの何たるかが映し出されているとは思う。

それにしても、この裁判が世界に配信されるまで、ホロコーストを生き残ったユダヤ人たちの体験談が、その内容があまりにも悲惨過ぎるがために事実として認識されていなかったことに驚いた。
そして人類史上最も凄惨な事実を世に知らしめることができ、アドルフ・アイヒマンの決定的瞬間を映し出して正に「歴史を映した」フルックマンとそのチームは、その存在自体がマスメディアの歴史の1ページだった。

ナチスによるホロコーストを知っているつもりでも、改めてその残虐行為を映し出す記録映像に愕然とする。
世紀のテレビ中継を疑似体験させてくれる佳作。


アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち
2015年/イギリス  監督:ポール・アンドリュー・ウィリアムズ
出演:マーティン・フリーマン、アンソニー・ラパリア、レベッカ・フロント


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