面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~」

2009年10月13日 | 映画
戦後の混乱期の東京。
ある夜、作家の大谷(浅野忠信)は、息を切らせて家に駆け戻ってきた。
「晩ご飯は召し上がりましたか?戸棚におにぎりがありますけれど…」
玄関の物音に目を覚ました妻の佐知(松たか子)は、真夜中に突然帰宅した夫を責めるでもなく、淡々と、しかし温かく声をかける。
しばらくすると、玄関で大谷を呼ぶ女の声がする。
応対に出た大谷が女(室井滋)とモメはじめ、佐知が慌てて間に割って入ると、女の後ろから初老の男(伊武雅刀)が現れた。
すると大谷は、突然ナイフを振り回して二人を威嚇しながら表へと飛び出し、どこへともなく逃げ去ってしまう。

佐知が夫の非礼を詫びながら二人を家に迎え入れて事情を聞いたところ、大谷は二人が切り盛りしている居酒屋「椿屋」の常連客だが、かつて一度だけ百円札で勘定を支払った後は全てツケで飲み続け、挙句の果てにその夜、突然店の金五千円を掴んで逃げたのだという。
あまりに理不尽な夫の行動に、笑ってしまう佐知。
しかし夫の不始末は自分が片付けるとして、警察沙汰だけにはしないで一日待ってほしいと訴えて、一旦二人を店に返す。

翌日、佐知は子供をおぶって「椿屋」へとやってきた。
金の算段は整っており、今日中に工面できるのだが、その支払いが済むまでは自分が“人質”となると言いながら、店の手伝いを始める。
美人で気立てのいい佐知は瞬く間に店の常連達を虜にしてしまい、佐知の気を引こうとする酔客が押し寄せて店は大繁盛。

新しい世界に触れた佐知は、「椿屋」で生き生きと働き、輝いていくのだが、そんな妻に対して大谷は、相変わらず飲んだくれた挙句に、
「いつかcocu(コキュ=妻に寝取られる男)になるんだろうな」
と呟き、佐知を責める…

大谷は、せっかく得た収入も家に入れることもなく散財して使い切り、佐知が稼いだ金でさえも使い込んでしまうばかりか、バーのママ・秋子(広末涼子)と心中未遂事件まで起こしてしまう。
それでも、夫の作った借財を償うべく働き続け、心中未遂の結果、殺人未遂の容疑者として警察に収監された大谷を助けるべく奔走する佐知。
そんな佐知は、真面目で優しい「椿屋」の常連客の岡田(妻夫木聡)から慕われた末に結婚を申し込まれ、またかつて自分が好意を抱いていた弁護士の辻(堤真一)からも思いを寄せられるが、決して大谷と別れようとはしない。

大谷と佐知の夫婦を見れば、“世間一般の人々”はこう言うのが普通だろう。
「なんでこんな男と別れないのか!?」
「こんな男とは、さっさと別れてしまえ!」
しかし佐知は、決して大谷と別れることは無い。
佐知の大谷に対する愛は、夫婦を外から見ている第三者がとやかく言うべきものでもなく、また第三者が頭で考える理屈や理性で推し量れるような単純で“薄っぺらい”ものでも無いのだから。
大谷の持つ、人間としてのどうしようもない弱さの全てを包み込み、愛おしく慈しむ佐知の、懐の深い愛情が胸を打つ。

「ヴィヨンの妻」をベースに、「思い出」「燈籠」「姥捨」「きりぎりす」「桜桃」「二十世紀旗手」といった太宰作品のエッセンスを取り込み、オリジナリティーを加えて描かれた田中陽造の脚本は、「原作・太宰治」というよりは「参照・太宰治」とでも謳う方がしっくりくるのではないだろうか。
モントリオール世界映画祭の創設者兼ディレクターであるセルジュ・ロジークが、「男女の普遍的な愛を描いた」と絶賛した本作。
日本人が言うところのいわゆる“外人”にも理解できる作品に仕上がったのは、根岸吉太郎監督の手腕はもちろんのこと、練り上げられた田中陽造の脚本と、「女という生物」が持つしなやかな強さを見事に表現した松たか子の演技に因るところも大きい。

本作を観終わって、ふと気付いた。
登場人物が皆、基本的に善人なのだ。
「懐深い愛情」は、ひとり佐知だけでなく、「椿屋」の主人と女将、岡田、辻、「椿屋」の客と、中身の違いこそあれ、みんなが等しく持っていて、それが物語全体を程よくウェットなものにしている。
なんだか懐かしい臭いがするのは、それが古き良き日本の風景であり、かつての日本人が持っていた情緒だからではないか。

この、日本人の多くが持っていた、自分も貧しくて苦しくても弱者を包み込んで共生していく懐の深さは、弱肉強食を旨とするアメリカにとっては理解不能の驚異であったのではないか。
戦後、日本を弱体化して自分達に歯向かわないようにするためには、日本人が古来より育んできた“共生力”を失わせることが重要であると考え、そう仕込んできたとしたら…と、劇場を後にしながら妄想してみた。

男の弱さをまざまざと見せつけられると同時に、女性の強さに改めて畏敬の念を覚え、少々心が痛む…
深くて豊潤な男女の機微を描き、心の琴線に触れる逸品。


ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~
2009年/日本  監督:根岸吉太郎
出演:松たか子、浅野忠信、室井滋、伊武雅刀、光石研、山本未來、鈴木卓爾、小林麻子、信太昌之、新井浩文、広末涼子、妻夫木聡、堤真一


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