太平洋を渡る! 遭難して米国船に拾われ海を渡った人はいても、日本人としては、まだ誰も太平洋を渡ったものはいない...そんな時代に、幕府から派遣された使節団と共に海を渡り、観るもの、聴くもの、すべてが物珍しい! 米国本土のみならず、船の補修工事のために立ち寄ったハワイ、復路のインド洋回りで立ち寄ったセントビンセント島(ポルトガル領)バタビア(ジャワ・オランダ領)、香港等、当時の植民地の人々が搾取されている姿などについても、紀行文を書いた男が主人公です。
ペリー来航...幕末。主人公は仙台の下級武士に生まれ、江戸で学問を積むために、自ら武家出身でありながら、下男として武家に奉公するという奇策にでた(?)玉虫左太夫(たまむし さだゆう) 新参なので、主人に直接会うこともなく、はて?どうしたものか。 庭を掃きながら、北宋(ほくそう)時代の詩人、蘇軾(そしょく)の詩が口から洩れて...
「国破れて山河在り」
これは、中学校?小学校?いずれかで私も習ったので知っている詩です。まだまだ続きがありますが~
著書には漢文で書いてありますけど。主人、林復斎に声を掛けられ、その後、あれよ、あれよという間に 新味豊前守(しんみぶぜんのかみ)の従者として、米国へ向けた使節団と共にポーハタン号でサンフランシスコへ。 勝海舟は自分の船、威臨丸で米国へ~ ただし、米国の水夫さんから教えを請いながら~最初は不服だったそうですが、日本人は皆、船酔いで、特に嵐に合えば使い物にならない状態...実際、命拾いしたそうです。
米国に到着した一行は、米国から(一般人も)物珍しさから大歓迎され、取り囲まれては写真を一緒に撮って欲しいとせがまれ...ってこの時代、一般人が大掛かりなカメラ一式を持っていたというのが驚きですが...。 筆で紙に書く、ってことも珍しく、記念に何かくれ!とせがまれ続けたそうな。千代紙、扇子、うちわは喜ばれたな~と自分の留学時代30年近く前を振り返ってみたりする。幕末はもっともっと日本人が珍しかったでしょうから。
明治になると、西洋に習い、鹿鳴館を作った日本も、この時代は何も分からず。ハワイ国王アレクサンダー・リホリホ・カメハメハ四世の妻、エマ王妃のイブニングドレスが両肩をあらわにし、胸の谷間まで見せていたことに対する感想が笑える!
「妓(ぎ)でさえ、あのような恥じらいのないまねはせぬ。」(122ページ4行目~7行目抜粋)
「やはり亜米利加は、文明は進んでおりますが、文化としては野蛮としか言えませぬな」
新見豊前守と左太夫の意見は一致した。
「さっさと帰りたいわ」
まぁ、これは今の世であれば、どっちがどっちとも... ハワイは暑いでしょうからね。その後、文化も西洋のまねごとを必死にやるようになるとは、この時点では左太夫も想像出来なかったでしょうね。
笑い話の引用はこのくらいにして…
最も印象的なシーンは、カレッジに通う米国人女性が、初めて会う日本人から話を聴きたい‼と、ホテルの部屋をいきなり訪ねてくること! 彼女が言うには、女性も男性と同じ教育を受け、大学へも通うことができる! いつか日本へ行きたい!と夢を語るシーン。 おなごも学問??? 男子と同じように??? 米国の国力が2倍になる、という考え方が、すでにこの時代、(南部はまだ...)東部の米国にはあったことに、左太夫でなくとも、私も驚いた! ほんと? 日本は今でさえ、平気で女性蔑視発言をする男が国のかじ取りを...と思うと情けなくなってしまった... こども省... いらない。 今より費用がかさむだけ。この著で、勝海舟も愚痴ってる。
「西の浪人が異人を襲って幕府が賠償金の支払いを求められる。そんな金があったら、軍艦を買った方が余程、日本の為になる。」
使節団が米国周遊している間に、安政の大獄、桜田門外の変が... 幕府も遂に朝廷に答えを求め、公家たちと薩摩、長州も結びつき... 国の一大事というときに、それぞれの思惑が入り交じり、益々混沌としてくるんですね...。
何はともあれ、米国の軍艦、大砲、蒸気機関車、それらの数、規模、何もかもが、ひと言でいえば、「おったまげ~」
未開の地であったはずの米国と日本の国力は、日本が鎖国をしていた間にグーンと差をつけられ、もはや米国相手に戦をしても勝ち目はないと悟ったこと。清国の状況は明日の我が身であること。イギリス、オランダ、ポルトガル等の いわゆる植民地領で暮らす人々がいかに虐げられ、搾取されているか。米国はイギリスからかつては虐げられた分、ハワイにおける”搾取”は、いくらかまし。表向きは、王国を維持させる形をとっていたので... しかし現地の人々の暮らしは楽ではないと、左太夫達も分かったのですね...。
それより何より、日本とさほど国土の大きさは変わらぬイギリスが海を隔てた島々をイギリス領としていることに驚きを隠 せず! これまでは蒸気船という手段がなかったから、叶わなかった 海を隔てた領土を植民地領にする、ということが可能となったこと...すなわち日本も下手すれば植民地領に...
今の私は、徳川幕府が終わろうとしている時代よりずっと後の時代を生きているから、冷静に眺めていられるものの。 初めて見る日本の外の世界を実際に 太平洋やインド洋を横断した当時の左太夫の驚きといったら! 西洋列強の脅威を肌で感じ、帰国後、紀行文を書く訳ですけど、その ”後” はどう動くのか、動かないのか。
実はまだ、上巻しか読み終えておりませぬ。 明日以降、下巻のページを開くことと致しまする!
頂いたタケノコとインゲン ご馳走様でした!
仕事帰りに、個人経営の((* ´艸`)クスクス ケーキ屋さんへ。
モンブランは私と母。🍓ショートは父へのお土産。