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日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

マチネの終わりに 著:平野啓一郎

2021-04-17 23:54:10 | 読書

いわゆるプロローグが印象的です。実話なのかな?と思わせる!

ギターリスト蒔野を福山雅治氏が演じたことは、本を読む前に知っていたため、本を読んでいても、蒔野=福山雅治さんの顔が浮かぶことに...

ただ、洋子を石田ゆり子さんが演じていたことは、先ほどYoutubeの予告編で見て、初めて知りました。故に女性の顔は特定の人が浮かばず、自由に読めて良かったかな。

作者は愛知県出身、北九州市で育ったというから驚き!しかも京都大学法学部卒!? うちの親戚が住んでいる愛知県と京都市、そして自分が住んでいる北九州市。こんな偶然もあるなんて...

映画『マチネの終わりに』予告【11月1日(金)公開】

湾岸戦争といった世界情勢は自分が大学生だった頃を思い出させ、また主人公達と今の自分が同年代...といいかけて、いや、彼らの方が10年若いっ! (実際の福山雅治氏とは同い年ですが...)

洋子が、「出産を考えたら41歳という年齢的には今...」かと。大恋愛をしたわけではないけれど、大学時代から知っているというか、気心が知れているというか。そんな相手と婚約した、というのも頷ける。

結婚は結局、タイミング。

自分がそろそろ結婚してもいい、女性であれば、出産を考えるとギリギリ今...と思う心情も分かる。20代の頃までとは違い、「わが子の父親になる人、と考えた時、最もふさわしいと思う相手」を選びたいと思うのも、30代後半から、ちょうど洋子と同じ年齢、41歳だったんだよなぁ。ここを過ぎたら、もういいな、結婚は。となった。自分が還暦になった時、わが子がまだ二十歳にもならないって、どうよ? 相手も若い人を選んだ方が幸せだろうし。自分が還暦過ぎた頃、「若い人と再婚してください」と別れる未来が見えてしまうなぁ。それはキツイなぁ... というのが正直なところ。

 

小説の中の二人は...

二人が出会った時点で、蒔野は独身。洋子は婚約者がいる、けれどまた結婚はしていない。

いわゆる不倫ではないため、良心が咎められることなく、(少なくとも中盤までは!)違和感なく読めた。湾岸戦争時、ジャーナリストとして現地取材中だった洋子が置かれた緊迫した状況も、帰国の途に着いた後も長くフラッシュバックに苦しむ様子も、蒔野のギター演奏(CD)を繰り返し聴くことで、慰められ、生き長らえたことも...それ故、彼自身にも惹かれたであろうことも...

分かる気がする。

これまでは、中年の恋愛を含んだ小説は、フランス人作家、サガンの『悲しみよ こんにちは』以外、感想を書いた記憶がない。たとえ読んだとしても、だ。

やはり、「福山雅治、シンガーソングライターで、ギターを演奏する」という事実があり、彼の結婚も中年になってからだった! という点に影響されている気が...!

映画は観ていないのに!

何方か実際に、映画をご覧になられた方…

感想があれば聞かせて下さいませ。(^^; 興味があるのは演奏会シーン🎶🎸です。

 

追記~

偶然、見つけたのですが、小説の中で語られる映画があります。『幸福の硬貨』

優しく切ないギター演奏で、素敵なのでリンクしますね。

"幸福の硬貨" to "The Future Changes The Past" - 林 祥太郎 『マチネの終わりに』菅野祐悟 ギター 作品

Comments (9)
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なんで、こうなるの!? 竜は動かず(下巻)...読み終えました

2021-04-17 00:28:23 | 読書

 ショックです...

時代小説とはいえ、基本、実話です。主人公が いつ、どのように、最期を迎えたか... ここは、どのような描かれ方をしようと、客観的に書こうが、感情的に書こうが、『亡くなり方』或は『死に方』『逝き方』は 

納得出来ずとも、実話は実話。

 

幕末も現代も変わらないのですね。 いや、いつの時代も似たり寄ったりかもしれません。人間は所詮、感情で動く生き物ですから。嫉妬は人を盲目にします。なぜ、素直に認めないのか!貴重な人材を生かさないのか! 明日の日本のために! 怒!

詳しくは書けませんが、(だって、これから読もうという人がガッカリするから)

唖然とするしかありません!

ラスト数ページを読み、タイトルの意味を理解しました。

そういえば、「あしながおじさん」のJudyも言っていましたね。「自分を生かさないのは、この国にとって大損だ!」と。

 

あの時代、亜米利加を実際に見た人はごくわずか。貴重な人材をなぜ、生かそうと...

あ、これ以上書いては、まずいな。

私も似たようなものです。 帰国後の就職活動で~ 私の履歴書をみて、「語学留学でしょ?」といった面接官の顔。相手の言葉遣いからして、失礼でした。しかも数回目の同じ質問! すでに面倒だったので、「はい」と嘘を言ったら、満足そうに頷いた顔。勿論、こんな所で働くかい!と思ったので、その場で丁重にお断りしました。

また、別の大学病院で、「日本で大学へ行ったのに、またオーストラリアで大学へ行ったんですか?」と馬鹿にしたように言った面接官。「日本では学部。海外では大学院の修士課程です」 「それで、卒業できたんですか?」 「はい」(日本語が読めないのだろうか...修士課程修了と書いてあるのに...心の声) すっかり忘れていたのに また思い出してしまった(泣) 出る釘は打たれるため、日本のやり方に順応しようと途中から(正確には、『さくら』を辞めた直後から)謙虚に、目立たず、控えめに、自分の意見は求められて初めて口にし、持っているほんの少しの能力ですら、ひた隠して生きてはきましたが... 本当は そうあるべきではないんですけどね。ちなみに今現在は、留学経験も修士号もないことにしています。(履歴書は)

 

玉虫左太夫(たまむし さだゆう)が最期の最期に思い出した人は、誰だったのか...? ここが見どころ、いや、読みどころ? なんて言い方、しないでしょうけど。 

無念...だったでしょうね。

 

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