青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第74回)

2011-08-11 08:28:51 | サパ ベトナム 



サパ 25.Jul.2011(中)

1~2 滝壷への戻り道、蝶の集まる渓流の岩陰に寄ってみました。ガキの姿さえなければ、これから集まって来そうな期待が持てます。






3~14 カラスアゲハ(クジャクアゲハ)、クロアゲハ、モンキアゲハ、チロンタイマイ、アオスジアゲハ、イシガケチョウ、そしてカルミモンシロチョウといった面子です。





























15 撮影している間に、コンパクトフラッシュメモリがフルになってしまった。日傘をさしてパソコンの中に取り込みます。




16~24 撮影再開。いつの間にかカルミモンシロチョウの数が増えてきたような気がします。





















25~26 川向うの岩の上に移って行ったみたいです。






27 そこには悪魔のごときガキどもが!




28~31 カルミモンシロチョウの集団に至近距離から石を投げつけるガキどももガキどもですが、潰されても潰されても同じ所に集まろうとしているカルミモンシロチョウも、どういう神経(?)をしているのか。








32 もう一つの岩陰に移動します。でもここにもガキ達がやって来ていました。今日はこれで終了、引き上げることにします。


33 なつかしや、イチモンジセセリ。






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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第73回)

2011-08-10 14:53:17 | サパ ベトナム 

サパ 25.Jul.2011(上3)

シジミとシジミタテハの攻防

シジミタテハ科は日本にいない蝶のため、マイナーな一群の様な印象を持ちますが、世界的には結構繁栄しているグループです。名前のごとく、シジミとタテハの中間的な特徴を持っています。近年はシジミチョウ科の一群として扱われることが多かったのですが、DNA解析の結果はむしろタテハチョウ科に近いという答えも示されています。シロチョウ科やアゲハチョウ科を併せ、「チョウとは何か?」という命題解明のキーポイントを担っているとも言えそうです。

●1~36 渓流の流れの中の岩上で。シジミタテハの群れ(Dodona属の種、脚は4本)と、一人ぼっちのシジミチョウ(カラスシジミ亜科のtajuriaまたはその近縁属、脚は6本)。動き(ことにシジミタテハの向き)を追って見て下さい。明らかに仕掛けているのはシジミタテハのほうです。


撮影日&時間 
1~3 2011/07/25 11:51







4~5  2011/07/25 11:52






6~11 2011/07/25 11:53














12 2011/07/25 11:55




13 2011/07/25 11:56




14 2011/07/25 11:57




15~21 2011/07/25 12:00
















22~33 2011/07/25 12:01



























34~36 2011/07/25 12:02








37 脚の数を数えてみて下さい。シジミタテハはタテハと同じ4本。実は、前のほうの脚の後ろに見える淡い色の髭のようなのが、退化した前足なのです。










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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第72回)

2011-08-10 14:09:14 | サパ ベトナム 


サパ 25.Jul.2011(上2)

1~2 渡渉地点にて。同じイチモンジチョウ亜科主体でも、昨日・一昨日とは違ったメンバーが。大きなチョウは、ムラサキイチモンジの♂とチャイロタテハの仲間(ヒョウモンチョウ亜科)。イシガケチョウの左の翅の横に見えるゴミのようなのは、キマダラヒカゲの仲間。右の翅の下には、後で紹介するシジミチョウが隠れています。





3 キマダラヒカゲの一種。




4~6 ムラサキイチモンジ♂。








7~8 ヤエヤマイチモンジの♂。昨日一昨日は、タイワンイチモンジ♂とヤエヤマイチモンジ♀の組み合わせでしたが、今日になってやっとお相手の登場です。






9~11 ナカグロミスジ(大型のイチモンジチョウ属の種)。








12~15 アオスジタテハも加わります。










16 奥に見えるシジミチョウはヒメシジミ亜科ルリシジミ属。




17 シジミタテハ(Dodona sp.)が翅を開いているところは余りみません。




18~19 カラスシジミ亜科のフタヲシジミの仲間。






20 手前のセセリチョウはホシチャバネセセリ属。思えば僕が蝶の分類(生殖器の構造比較による)に興味を持ったのは、もう60年以上前に川副昭人氏のベトナムのホシチャバネ属の報文を目にしてからです。




21 山から木を切り出してきた男たちや、村から来た子供たちが泳ぎだしました。もうここでの撮影は断念。




22 というわけで、ナップサックにやってきたチョウたちを相手に、遊んでみることに。




23~37 指を差し伸べると、次から次へチョウたちが移り止まります。2種づつが写っている最後のほうの写真には、実は腕の後方や肩にもさらに数頭のチョウが止まっているのです。広角レンズがないのが恨めしい。































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夜と朝のはざまで~My Sentimental Journey(補遺)

2011-08-09 10:42:09 | サパ ベトナム 


謎の巨大都市“鳩街”(下)

あやこ版の読者の方に勘違いしてほしくないのは、僕は好き好んでベトナム・サパで、蝶や子供たちの写真などを撮影しているのではない、ということです。

本来なら、今(というより6月から7月にかけての時期に)やらなければならないのは、各地でのヒグラシの声の録音に、野生アジサイの調査・撮影、それに中国西南部(四川省西部~雲南省北部)での蝶や高山植物の撮影です。

しかし、そのための資金が捻出出来ない。資金を作るために最も手っ取り早いのは、単行本の刊行です。今、僕が纏められるのは、「野生アジサイの話」「セミの鳴き声についての話」「中国の高山植物のガイドブック」「(屋久島産固有植物の“姉妹種”を各地に訊ね歩く)屋久島はどこにある?」などです。しかし、いずれも重要な部分の確認や取材や撮影が抜け落ちている。

東京の家賃の支払いが無ければ、もっと気楽に、コツコツと仕事をすればいいのですが、そうも行きません。有る程度の纏まった稼ぎが必要です。新聞や週刊誌の連載が貰えればそれに越したことはないのだけれど、そのためにはある程度の準備が必要で、今の僕には難しい。となれば、(印税がきちんと貰える)本を出版するしかないのです。

そんなわけで、今年のシーズン(6月~7月)こそ、何としてでもそれらの企画の完遂に向けて取り組もうと、満を持して中国に来ているのですが、結局は取材資金を捻出することが叶わず、となれば収入の道も目処が立たなくなります。当面お金を使わずに済み、ビザの更新が楽に成され、なおかつ問題だらけ(通常は使えるはずのワイアレス機能がほとんどの場所で利用出来ない)の僕のパソコンでのインターネット通信がスムーズに行える、中越国境のベトナム側に位置するサパに、仕方なく滞在している、という破目に相なっているのです。

そのようにして、次の年金支給日の8月15日に繋ぐしかありません。この大切な時期に、ひたすら無駄な時間を浪費し続けるわけで、情けないったら有りやしない。何もしないで、連日室内に籠っていればいいのでしょうが、少しでも仕事に結びつけることが出来ればと、藁をもつかむ気持ちで、毎日標高差360mの坂道と石段を上り下りし、全身ずぶ濡れになって川を泳いで渡り、(本来なら余り乗り気でない)熱帯に広域分布する蝶や子供たちの撮影を続けているのです。

「毎日楽しそうで良いですね」と言われると、心底腹が立ちます。

でもって、可能性が残されているのなら、ほんの少しでも本来の目的に取り組みたい、という思いでサパを脱出し、6月~7月に赴く予定だった雲南省の北部山地に、遅まきながら(本当に時期が遅すぎるのです、もっとも去年は、やっと9月末になって訪れることが叶ったわけですから、それを思えば、まだましという気もします)チャレンジすることにしました。

資金は、複数の知人から借り集めた、2万円余。ベトナム最高峰のファンシーファン山から、雲南省の南北を縦断して、チベット国境に聳える雲南省最高峰の梅里雪山を目指すには、交通費・宿泊費の予算として、キチキチの額です。

7月28日夕刻、ファンシーファン中腹でのいつもの撮影を終え、中国国境の麓の町・ラオカイに。ここで(中国側に入れば出来なくなってしまう)日本へのメール送信を、ボーダー閉鎖時間のギリギリまで行い、中国側の町・河口に渡ります。

この時、予想外の事態が起こってしまった。口座に残っていた1万円弱の予算を、ATMで引き出そうとしたところ、唯一国際キャッシュカードが使える「中国銀行」が潰れてしまっていた(正確にはおそらく建て替え中だと思うのですが、目にしたのは廃墟のような姿)。地域によっては他の銀行のATMでも利用可なのだけれど、ここでは中国銀行のみでしか利用できない、そしてその中国銀行が、街に(廃墟のごとき状況の)一つしかない、別の町の中国銀行に行くには、タクシーで数時間数万円がかかるというのです。

最初の時点では、中国銀行以外の銀行でも下ろせるだろうとタカをくくっていました。で、とりあえずタクシーに乗り、幾つかの銀行のATMをはしごしてチェックします。でもどの銀行のATMも国際キャッシュカードは使用不可。タクシーの運ちゃんに頼って使えるATMを探すのは諦めねばなりません。狭い町だから、実際にタクシーに乗っていたのは100mあるかないか、数分間のことです。運賃は80円ほど。でもその80円の手持ち金がありません。ベトナム紙幣ならちょうどそれぐらいの額が残っていたのですが、運ちゃんはそれでの受け取りは拒否します。中国ではベトナムドルを中国元に替えることは出来ないのです(闇で換金すると三分の二程に目減りしてしまう)。そして、しつこく支払いを要求します。時間が経てば経つほど、料金は嵩んで行くのだ、と。

成す術がないので、町の公安本部に助けを求めに向かいました。結論を言えば、公安(正確には中国軍の軍人)氏は実に親切で、もしもの時のために町のホテルを確保してくれ、タクシーの運ちゃんを追いっ払ってくれ、町中の銀行のATMをチェックして、やっと一か所だけ国際キャッシュカードを使えるATMを見つけ出してくれたのです。時にすでに夜明け前。

しかし、翌朝早くのバスに乗るのがきつかったこともあり、公安指定のホテルから、半額(約800円)の安宿に替え、もう一泊することに。実は出発を遅らせたのは、一つの目論みが有りました。更に2泊遅らせ、8月1日の朝まで滞在してボーダーを往復すれば、8月15日まで中国国内滞在が可能となります。そうすれば、いざという時には、15日に入手した年金を使って航空便での期限内国外移動も可能になる。そのこともチラリと頭をかすめてはいたのです。でもそうなると、余分な滞在費が嵩み、香格里拉の(チェックアウト時支払いが可能な)宿舎に15日まで閉じ込められて過ごすことは可能だとしても、肝心のフィールドに出るための資金は尽きてしまう。痛し痒しです。ここはやっぱり明朝出発し、ぎりぎりの資金で梅里雪山を目指そう、と決心しました。

その夜のことです。ATMから引き出した虎の子の100元札(約1250円)を手に、バスターミナル前の屋台で、5元のラーメンを注文、支払おうとしたら、「このお札は使えません」だと。銀行のATMから出てきたお札です。それが使えないとは呆れてものが言えない(もっとも同じような出来事は、これまでにも度々あったので、今更驚くことでもないのだけれど)。結局そのお札はどさくさまぎれにどこかに消えてしまい、理不尽極まりない損失と相なってしまいました。まだ先があります。この時、理不尽極まりない思いをして持ち帰ったラーメンですが、部屋に戻って食べようとしたら、何とお椀の底が抜けてしまって、机の上中が、唐辛子と油でギトギトのラーメンの汁びたしに。運悪く、パソコンのマウスとカメラに諸に被ったものですから、マウスは使えなくなり、カメラはオートフォーカスの機能に支障をきたしてしまうという破目になりました。踏んだり蹴ったりです。

そんなこともあって、ここは無理をせずに、一度サパに戻ることにしたのです。

【7月25日~27日、および8月3日~4日のサパの蝶については、この後も続けて紹介して行きます】

再度サパに4日滞在の後、改め3万円を無理矢理(この“無理矢理”というのは、ここで詳らかには出来ないのですが、借用した方に多大な迷惑をかけるなど、相当にリスクを伴う危ない橋を渡って成されたものです)捻出。ただし、中国側銀行でATMから引き出せない可能性も考えて、いざという時には中国元に(半額近くに目減りしようとも)換金できるよう、ベトナムドルでも出金したりしていたこともあって、引き出せた額は実質2万2000円ほど。結局のところ、やはりキチキチの梅里雪山行きとなってしまいました。

8月6日朝7時45分、河口発、例の“全線高速道走行”と明記された、昼行長距離バスです。全線のうち、5分の2程の距離に位置する、蒙自の町までの所要時間は2時間半。

謎の巨大都市“鳩街”(上)にも記したように、去年までのバス道は、少数民族の町“〇〇”を経由し、5~6時間をかけて、蒙自と河口を結んでいました。紅河の渓谷と台地上の2000m近い標高差を、無数とも言えるS字カーブを繰り返し、上り下りする様は、中国バス旅行のハイライトといって良いほどのダイナミックさ。

開通した高速道は、2000m近い標高差を、さしたるカーブ無しで、ほぼ直線的にダイレクトに突き進みます。これはまた、別の意味でダイナミックと言えます。河口から蒙自の場合は、河底から原生林に覆われた山腹を突き登り、登りつめた所に、まっ平らな平野と蒙自の町が出現します。

雲南の広大な高原平野の南西端には、4つの地方中心都市が点在しています。北の開遠、南の個旧、東の蒙自、西の建水、16年前最初に訪れた時には、それぞれ味わいのある地方都市として印象に残っています。それが、数年後に付近を通った時には、それぞれの都市自体はさほど変化がないように思えたのですが、都市の中核部から外れた辺り(4つの都市を結んだ線の内側一帯)に、何やら場違いとも言えそうな、やたら近代的な街並みが、雨後のタケノコのように林立しているのです。

そして、東西に続く、幅広い高速道。その周囲は整地され、ところどころに巨大なビル群が出現します。大部分は、更地とも畑地とも荒地とも区別のつかないだだっ広い空間。その昔、新宿西口に、高層ビル街が形成される直前の、区画整理された空き地、といった趣(もっと大雑把で中途半端ではありますが)が延々と続くのです。

道路の標識は、西の建水側から向かっても、東の蒙自側から向かっても、延々と繰り返し「→鳩街」の表示が続きます。
“鳩街”とは一体どこなのかと、いつも注意してチェック態勢に入っているのですが、何10回と表示が続いたあと、気が付かないうちに表示が消えてしまっている。実は消えた辺り(開遠・個旧とのジャンクション地点)が“鳩街”であるらしく、気が付かぬほどの小さな町なのです。

それはともかく、4つの地方中心都市の間に形成されつつある、すけすけの巨大都市の前身。都市として完成した暁には、北京や上海を凌ぐ、世界一の大都市になるのかも知れません、、、、そんな妄想を抱かせるに充分なスケールです。妄想、とばかり侮るなかれ、10数年前、「妄想」として(冗談半分に)何かのコラムで紹介し、まさか実現するなどとは考えてもいなかった、成都~都江堰間の高速鉄道も、実際に出来てしまったのです。

なぜこんな地に、“巨大都市”を作る必要があるのか。インドシナ半島諸国との接点、という事が、大きな意味を持っているのでしょう。中国政府に、何らかの目論みがあるのだと思います。

その場違いな近代都市前身を東西に走る高速道路や、国境の町に向かい2000m近い断崖の山腹を一気に貫く高速道路に対して、平らな地(せいぜい丘陵地)の続く北の省都・昆明までは、16年前と変わらない曲がりくねった悪路が、今なおメインとなっているのです。なぜ、事実上一番大事だと思われる、「幻の将来の巨大都市」-「省都昆明」間にだけ、新たな高速道が引かれていないのか、不思議でなりません。「半島諸国と省都昆明」間のアクセスが便利になりすぎないように開発を“わざわざ”遅らせているといった、中国政府の理解不能な思惑を感じてしまいます。もっとも、間抜けな中国のこと、何の思惑もなく、気が付いたらうっかり忘れていた、というだけなのだとも考えられますが(途中、バスの窓から建設中の高速道路が見えました)。

今回のバス紀行では収穫が一つありました。途中の昼食タイムで寄った路傍の小食堂で食べた「雲南米線」の美味しかったこと。「雲南米線」は「桂林米粉」と共に中国庶民の食べ物としては美味しい部類と以前から思っているのですが、ここの「米線」は独特で、麺も汁も、日本の「うどん」と「ラーメン」を足して2で割ったような味、関西人の僕の味覚にフィットする大当たりの食事でした(でも高速道路が出来ると消滅する運命に)。

結局、断崖絶壁を貫くハイウエイの二倍以上の時間を要し、平坦な高原上の曲がりくねった悪路を渋滞しつつ進んで、午後5時、昆明東部バスターミナルに到着。大理方面に向かうバスは、大都市昆明の市街地を挟んだ西部バスターミナルから発車します。5時間近くを要する大理行き昼行高速バスの最終便は、おそらく6時前。一刻の時間的猶予もありません。東京23区を挟んで、船橋辺りから、立川辺りまで、高速道をタクシーで突っ走るようなもので、運賃が勿体ない事この上もないのですけれど、そうは言っていられない、ボラれなければ良しとしましょう。タクシー代は正規のメーター料金で60元(800円余)、5時30分西部バスターミナル着。

5時45分発大理行きに間に会って、10時30分大理。といっても、古城「大理」ではなくて大理市の経済的中心地の「下関(シャーグワン)」です。鎌倉と大船の様な関係(もっと離れています)。タクシー50元で、夜中の11時大理古城着。夜11時というのに、物凄い人出と賑わいです。常宿「ユース四季」を含めて、宿泊施設はどこも満杯。苦労して12時過ぎに宿舎を確保、なにか食事を、と思い、屋台の串焼き屋に立ち寄ったら、屋台の下に捨ててあった無数の串のひとつが、ブスリと足の親指(爪の付け根)に突き刺さってしまった。深く突き刺さったので血だらけです。屋台の夫婦は、一言も謝りません。顔をゆがめて苦しむ血だらけの僕を見て、ただ笑っているだけ。中国とは、つくづくと大変な国だと、改めて思い知らされてしまった次第です。

付記

「串焼き」の話が出たついでに、「串焼き」に関わる話題を追加しておきます。

サパの滝壷の「串焼き」が、まことに美味しかった、という話は、サパ編で繰り返ししています。シンプルな味付けで、肉や野菜の味が丸ごと生かされ、なんとも美味しいのです。ボリュームもたっぷりで、値段も安い。

そこへいくと、中国の街角で無数に見かける「串焼き」は、少なくとも僕個人の感覚では、まるで美味しくない。でも他に食べ物屋が見当たらない真夜中などでは、これを食べるしかありません。サパの麓、中越国境のラオカイからボーダーを渡って中国側の町・河口でも、夜中に「串焼き」を食べざるを得ない羽目になりました。ズラリと並ぶ「串焼き」の屋台の中から、比較的感じが良さそうなおばあちゃんの店を選んで、肉と野菜とジャガイモを注文、宿へ持ち帰って食べることにしました。

ところがこれがなかなか焼き上がらない。焼き上がらない、というよりも、焼き上がってから後の時間がかかるのです。どういうことかと言うと、「串焼き」の表面に何種類もの調味料を塗り付け、それをまた焼いてはまた塗り付け、何度も何度も繰り返します。手伝いの女の子が、持ち帰り用の紙皿を用意してお婆ちゃんの前に差し出しているのですが、お婆ちゃんは一度入れかけるそぶりは見せたものの、しばし考えた後、思い直したように再び調味料をぬり、火で炙り直します。お婆ちゃんは真剣なのです。お客さんに、少しでも美味しい物を食べて貰いたいというプロの心遣いが伝わってくるので、“早くしろ!”と急かすことも出来ません。そうして出来あがった“こだわりの”「串焼き」は、、、、これがまた限りなく不味いのです。

もちろん、“不味い”と思っているのは、この(国境線からこっちの)空間中では僕だけでしょう。“これでもか!”と塗りたくった様々な調味料の味が、三つの素材に染み込んで、素材の味の区別が全く付かない。そして、調味料の味だけが、口中に猛烈に広がります。油がたっぷりで、唐辛子や山椒で気絶するほど辛い他の料理も同じ。個性が全く有りません。そして、どうしようもないゴテゴテ感。日本の成金の金ピカ趣味みたく、とにかく派手で、手が込んでいれば有難いわけです。

「シンプル・イズ・ベスト」という言葉は、中国人には全く無縁なのだと思います。



写真キャプション

1 “鳩街”の表示が延々と続きます。



2 まだスケスケの将来の巨大都市。



3 向こうに見えるのが、おそらく“鳩街”でしょう。手前は建設中の新幹線?




4 うどんとラーメンの中間の味。




a
雲南省中南部。左上から右下にかけて紅河(中国名は“元江”)が流れていて、流域は標高100m前後、その上部は標高1500m前後の雲南高原です。昆明は図上辺のずっと北、下辺は大半がベトナム(右下に“沙巴=サパ”の表記が見えます)、左端がラオス。


b
4つの町の中央付近に、確かに“鳩街”があります。






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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第71回)

2011-08-08 13:30:44 | サパ ベトナム 



サパ 25.Jul.2011(上1)

1 24日は雨天、終日部屋の中に停滞することに。窓の向かいのホテル。




2 窓の下。今回の部屋はいつもの最上階ではなく2階です。




3 テラスで写真の整理をします。




4 これがもう美味しいんですよ(一個20円)。中国では絶対に食べられない(味が全然違う!)。




5 食事はオーナー(左)の家族や従業員と一緒に。




6 さて25日。初めて朝から晴れました。早朝7時半出発。こいつらも“出勤”ということでしょう。




7 坂の途中で、下の村で作ったフランスパンを運んで登ってくる青年に遭遇。一つ買ってくれと笑顔で言われると、断るわけにはいきません。




8 坂の前半は車道。トンガリ帽子の建物が、その上部三分の一辺りの目印。




9 丸い形の建物が、下部三分の一辺りの目印。




10 石段の道が始まる中間地点付近から、滝壷のある谷底を俯瞰します。谷底まで下って、右側に見える谷筋を、右上方向に登っていくのが毎日の日課です(写真右上の先辺りに渓流渡渉地点があります)。




11 ここから石段の道が始まります。




12 たぶん小学校。




13~14 いろんな(シンプルな)遊びを考え付くのですね。少しづつガキ達一人ひとりの識別が出来るようになってきたような気がします。






15 僕の仲良しの、お母さんと女の子の店は、今回最後まで閉ざされたままでした(坂の上のお父さんの店も)。ポジティブな理由で村を離れたのなら良いのですけれど、、、、。そう願わずにはいられません。




16 一ドル!ヤだよ!




17~20 女の子と男の子の比率は、7:3あるいは8:2ぐらい。その理由の考察は、改めゆっくり考えます。











21 こちらの道からはチケットなしで入ることが可能です(ずっと以前、ブタとかアヒルとか紹介したことがあります)。




22 滝壷のお店も開いたばかり。これから串焼きなどを作る用意です。




23 観光客向けの演劇場(少数民族の踊りを披露します)も準備中。




24~27 渡渉地点に向けて渓流沿いの道を登って行きます。すでにガキ達がやって来ています。










28 朝のうちは、活動している蝶の種類も午後とは異なるようです。午後にはあまり見ないツマベニチョウ。




29~31 午後にシロヘリスミナガシを見かける辺りに、本物のスミナガシがいました。食草はスミナガシがアワブキ科、シロヘリスミナガシがイラクサ科(ヤナギイチゴなど)。微妙にテリトリーが異なるのです。ちなみに同じ地点で、やはりアワブキ科を食草とするアオバセセリにも出会っています。








32 シロヘリスミナガシは一日中見ることが出来ます。スミナガシ共々、鮮紅の口吻が特徴的です。







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翅の青紋が美しいカラスアゲハについて

2011-08-07 13:17:28 | チョウ




コメント欄にカラスアゲハに関する質問がありましたが、文章が長くなるので、こちらでお答えします。

「ジャコウアゲハのいない島のカラスアゲハは美しくなる」と言うのが、柏原精一氏の説です(詳しくはずっと昔の「月刊むし」に発表された氏の報文をお読みください)。「ハチジョウカラスアゲハ」然り、「トカラカラスアゲハ」然り、「コウトウルリオビアゲハ(和名が間違っているかも知れません)」然り、、、。

一方、ジャコウアゲハのいる、より大きな島、例えば、屋久島や奄美大島や沖縄本島や西表島の集団は、あまり美しいとは言えません。もっとも、上記の島のうち、種としての真のカラスアゲハに属するのは、石垣島・西表島の「ヤエヤマカラスアゲハ」だけで、沖縄本島(および周辺諸島)産はより古い時代に島嶼に隔離され別種段階にまで特化したと思われる独立種「オキナワカラスアゲハ」、奄美大島・徳之島産は、どの地域の集団とも繋がりを持たない(極めて原始的と言って良い形質を持つ)謎の集団「アマミカラスアゲハ」、屋久島・種子島には何故かカラスアゲハがいず、ミヤマカラスアゲハが低地の海岸部まで分布、という図式になります。

ただし大陸部では、この法則は当て嵌まりません。日本海北岸地域から中国大陸の北部にかけての集団は、基本的に日本のカラスアゲハと同じPapilio bianorに所属しますが、西に向かうにつれて翅色(殊に後翅表面の青班)が鮮やかになり、ヒマラヤ周辺地域では、全く別の種として疑問を差し挟む余地のないほど大きく青紋が発達したクジャクアゲハPapilio polyctorとなります。

しかし、中国大陸の西部(四川・雲南など)やインドシナ半島北部(含ベトナム)では、明瞭に鮮やかな青紋が現れる典型クジャクアゲハ的個体から、日本本土のカラスアゲハと左程変わりのない個体まで、変異に富んでいます。もっとも裏面の班紋などの形質から判断すれば、(外観が日本のカラスアゲハに似ていても)系統的にはクジャクアゲハに繋がるようなのです。

とはいっても、♂交尾器の形状には両者間に有意差はないものですから、両者を同一の種に含めるというのが、最近の見解の主流となっています。なお、命名の手続き上からは、日本のカラスアゲハは、クジャクアゲハの一亜種(Papilio polyctor dehanii?)となるものと思われます。

上記したように、中国大陸西部やインドシナ半島北部のクジャクアゲハは、別種のルリモンアゲハやオオクジャクアゲハと見まがうほどに鮮やかな青紋が発達した個体から、ほとんどカラスアゲハと変わらない個体までが混在していて、ここで紹介するサパの集団もそれに準じますが、最も平均的な個体は、ちょうどハチジョウカラスやトカラカラスと同程度の青紋の発達段階にあると言って良さそうです。

むろん、各個体群は、種としては同じカラスアゲハ(クジャクアゲハと言うべきか)に含まれるのですが、それぞれの集団の特徴は並行的に進化(変化)したものであり、直接の血縁的な繋がりはないと、ほぼ断定して差し支えないでしょう。

ちなみにカラスアゲハとミヤマカラスアゲハは、日本産に関しては容易に区別が付きますが、中国大陸産やインドシナ半島産は酷似していて、全体の微妙なプロポーションの差でかろうじて判別が付く程度です。もちろん、交尾器を検鏡すれば、その違いは一目瞭然ですが。

カラスアゲハは、Papilio属を細分すれば、Achillides(亜)属に含まれます。この一群は東アジア~東南アジアに繁栄し、北米やアフリカにも外観上類似した一群が分布しますが、それぞれ直接の系統上の繋がりは有りません。東南アジアに数種が分布するオビクジャクアゲハPapilio palinurusの一群も、通常はAchillidesの一員とされますが、交尾器の構造に共有の特徴は全く見られず、系統上無関係な存在と思われます。ただし、ニューギニア周辺地域に分布するオオルリアゲハPapilio ulysses(及び近縁数種)については、真正Achillidesと何らかの関係を持つものと考えています。

真正のAchillidesは、カラスアゲハの一群とミヤマカラスアゲハの一群に大別することが出来ます(詳細は、小生が1981年に提唱した「旧大陸産アゲハチョウ亜科の外部生殖器構造比較による分類再検討」を参照)。

カラスアゲハの一群には、カラスアゲハ&クジャクアゲハPapilio polyctors、オキナワカラスアゲハP.okinawensis、ルソンカラスアゲハP.chikae(ミンドロカラスアゲハを含む)、カルナルリモンアゲハP.karna、ルリモンアゲハP.paris(数種に分割する見解あり)、および、見かけともかく系統的には上記各種とはかなり離れた位置付けにあると推定されるアマミカラスアゲハP.amamiana(綴りなど自信なし)、それに(別亜群を設置しても良いかとも思われるほど)アマミカラスアゲハ以上に特異な♂交尾器形状を示すタイワンカラスアゲハP.dialisが含まれます。

ミヤマカラスアゲハの一群には、ミヤマカラスアゲハ&シロモンカラスアゲハ(通常「シナカラスアゲハ」と呼ばれますが、僕は和名に“シナ”の名を冠しないというポリシーなので、この名を使用)Papilio maackii(=P. syfanius)、ホッポアゲハP.hoppo、オオクジャクアゲハP.arcturus、タカネクジャクアゲハP.krishinaが所属します。

カラスアゲハの一群とミヤマカラスアゲハの一群には、♂交尾器(外部生殖器)の構造に顕著な相違点があります。なかでも、「ユクスタJuxta」という、Penisを支える板状部分に明確な構造差が認められます。目に見える輪郭部分ではなく、板(ほぼ透明で目視は困難)の中央の盛り上がり状況の差であり図示が難しいため、僕以外の研究者からの指摘は全く成されていませんが、極めて安定した形質で、両群の分類に当たって重要な指標形質となり得るのです。

近年成されたDNA解析によるAchillidesの分類体系が、30年まえに小生が著した♂交尾器の構造比較による分類体系と、ほとんど同じ結果が示されているのは、胸がすく思いでいます。

なお、ミャンマーからアッサム地方に稀産するオナシカラスアゲハP.elephenorについては、♂交尾器の検鏡を行っていないため、所属は不明です。

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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第70回)

2011-08-06 21:40:30 | サパ ベトナム 



サパ 23.Jul.2011

1 今日(朝のうち雨)は停滞の予定だったので、のんびり昼食。でも結局出掛けることに。午後2時近くになっての出発です。



2~3 ショウガ科の花が多いのがサパの特徴。もう少し経てば、白い花の種が咲き競います。







4 今日もまた石段を下ります。





5~6 将棋やチェスの原型?






7 飛んでいるのはアカボシゴマダラ。




8 この2人組には散々な目に会っています(一度ブチ切れて激怒した!)。




9 滝壷前の店は5軒あって、左端が若い女の子、2軒目が以前からいるオバちゃん、3軒目と4軒目は土産物屋、右端がお婆ちゃんの店です。公平に対したいので、竹筒飯や串焼きや焼き芋は、それぞれの店から均等に購入しているのです。何たる気遣い!我ながら感心します(この気遣いをもっと他の場面で生かすことが出来たらと思います)。




10 その左隣の土産物屋の御主人。女の子の御主人なのかも知れませんね。



11 これがメニューです。鳥の丸焼はパス。トウモロコシは時々タダで分けてくれる。




12 今日はこんな天気。




13 渡渉地点河原の今日のメンバー。シジミタテハが珍しく翅を開いています。




14 雨のため昨日の鳥糞は無かったけれど、集まっている面子はほぼ同じ。いずれもイチモンジチョウ亜科の種で、左2頭と右下はイチモンジチョウ属、右上はミスジチョウ属。



15 ミスジチョウ属のオオキイロミスジの仲間。




16 ミスジチョウ属のコミスジかリュウキュウミスジ(またはその近縁種)。




17 イチモンジチョウ属のヤエヤマイチモンジ♀。




18 イチモンジチョウ属のタイワンイチモンジ♂。




19 イチモンジチョウ属のアオスジタテハ(仮称)。




20~22 手を差し出すと乗っかって来て指先の汗を吸汁します。これでは(情が移って)採集など出来ません。








23 シロヘリスミナガシ。少し離れた暗所に多いのですが、河原にもよくやって来ます。




24~25 ヒカゲチョウの仲間(たぶんLethe verma)。いつものごとくストロボと自然光で。






26 カラスアゲハの仲間のルリモンアゲハ。遠くからなのでちょっと苦しい画像です。それに静止時には後翅の鮮やかな青紋が隠れてしまうので絵になりません。




27~28 昨日の“貼り付け”の一歩前の状態? 触っても逃げないのでこのまま“貼り付け”になってしまうのかと思ったのですが、強くつついたら、元気よく飛び去ってしまいました。






29 鳥糞そっくりな(たぶん)シャクガの一種。こちらも触っても動きません。やはり強くつついたら、飛んで行きました。



30 昨日カルミモンシロチョウが大集団を形成していた岩の穴ぼこには、今日は一頭もいません。




31~33 今日はこれで切り上げて、石段を上って帰ります。






34~35 縄跳びは人気の遊びのようです。






36 この犬は僕の友達。昨日滝壺近くから石段の上まで一緒に歩いて来てくれました。今日は石段の上でお出迎え。




37 ペインティングがチャーミングですね。




38 午後6時過ぎ、サパの町に帰還。




39 このレストランでも時々食事をします。




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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第69回)

2011-08-05 11:31:22 | サパ ベトナム 



鳥糞砦の戦い~Limenitinae spp. サパ 22.Jul.2011(下)

1 ファンシーファン山の中腹を登って行きます。


2 ヘゴ(の一種)。


3~12 ジョウザン(野生アジサイの一種)発見。














13 これもジョウザンなのでしょうか? ヤクシマコンテリギの葉裏の色調にそっくりです。



14~15 一昨年キンイロフチベニシジミを撮影、昨年は谷底に落っこちた小渓流にリベンジ。でも蝶がいなかったので、すぐに引き返します。






16 前々回、黄色い花が咲いていた、ショウガ科の一種の実。




17 前々回、白い包炎花が咲いていた、テンナンショウの一種と同じ場所、たぶんその果実だと思います。




18 面白い!






19~20 渡渉地点の岩の上に生えている小さな花。タヌキモ科?






21 渓流の水溜りに溺れていたカブトムシの一種。




22 こちらも溺れかけていました。




23 トンボのことは良く知らない。一見ヤンマやサナエトンボに見えますが、トンボ亜科の種だと思います。





24 夕刻はヒグラシ(複数種)の大合唱となります。新しく買った録音機材の操作方法が分からないので、指をくわえて聞き流すだけ。今回の紀行で得たヒグラシの情報については後で纏めて紹介します。



25 蛾のことも良く知らない。よく他の蝶と一緒に吸水しています。




26~33 渡渉地点に戻ってきたのは、午後4時頃。しばらく休憩していると、どこからか、谷底から噴き上がる白い霧のように波打ちながら、次から次へとカルミモンシロチョウが湧きあがって来ました。そして気が付けば、一瞬の間に、あちこちに大吸水集団を形成しているのです。まるで魔法です。



























滝壺に戻る道の河原にも、吸水集団が見られるはずです。昨日沢山いた岩の周辺には、地元の若者がたむろしていたので、ひとつ隣の岩を覗いてみました。ここにも大吸水集団が。

吸水集団は、多数の蝶の集まりというよりも、それ自体が一個の“不定形生物”であるがごとく、一つに凝縮して固まったり、飛び散って大きく広がったり、幾つもの集団に分かれ、またくっついて、何かの舞台を眺めているかの様な、ムーブメントを演出し続けます。

不思議なのは、一集団100頭を超そうかという全ての個体が、カルミモンシロチョウの♂ばかりということ。アゲハチョウ科やシロチョウ科の吸水集団を形成するのは比較的新鮮な♂だけ、ということは良く知られているので、驚きはしないのですが、サパには沢山いるはずの、タイワンモンシロチョウやエゾスジグロチョウが一頭も混じっていないのです。それどころか、今回は、タイワンモンシロチョウも、エゾスジグロチョウも、モンシロチョウも、一頭も出会っていません。まるで、カルミモンシロチョウのために、出現を控えているような、不可解な現象なのでした。

34 滝壷に戻って来ました。オバちゃんの店と女の子の店は隣あっているので、竹筒飯や串焼きは、双方から均等に買うことにしています。結構気を使っているのです。



35 どうしてみっともなくヤニ下がってしまうのでしょうか(汗)。


36 蝶のバイアーの御主人と。



37 サパ帰着は6時半。





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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第68回)

2011-08-04 14:35:53 | サパ ベトナム 


鳥糞砦の戦い~Limenitinae spp. サパ 22.Jul.2011(中)

01 渡渉地点に到着。でも、昨日あれほどの大集団を成していたカルミモンシロチョウの姿は、僅かしか見ることが出来ません。時間はまだお昼前。昨日カルミモンシロチョウの集団に出会ったのは、2時半を過ぎてからです。一度通り雨があり、その後雨が上がった5時近くになってから多数の吸水大集団に出会ったのです。


02~04 昨日とは、面子が異なります。時間や天候やその他もろもろの条件が、それぞれの種の吸水集団の形成に左右しているのかも知れません。








05~12 同じ白い蝶でも、主役はタテハチョウ科のイシガケチョウ。翅の形と模様が、河原の砂石に溶け込んで、近くにいてもなかなか気付きません。



















13 もう一種、数が多かったのは、シジミタテハの仲間。




14~15 シジミタテハは2種いて、こちらのほうはごく稀にしか見ることが出来ません。






16~17 白い蝶は、シジミチョウ科カラスシジミ亜科(Tajuriaまたはその近縁属)の種。







18~20 シジミタテハ2種のそろい踏み。こうやって2種揃って撮影出来るチャンスは、なかなか難しいのです。









21 セセリチョウ科。おそらくコチャバネセセリに近い仲間。




22 ナップサックを下ろして日傘で覆ったら、いろんなチョウが日陰にやって来ました。マダラチョウの仲間は、路傍の帰化雑草のアゲラツムでよく吸蜜しているのですが、あんまり写真を写していないので、ここで紹介しておきます。




23 日本と同じ種のルリタテハ(上から2つ目の班紋が日本産とは違って青色)。




24~25 シロスソビキアゲハ。数頭が一か所に固っていると、近づいて飛び散るまで、なかなか気が付きません。







26 タテハチョウ科イチモンジチョウ亜科(または広義のイチモンジチョウ族)の種は、同じ種が集団を形成するのではなく、多くの異なった種が、河原を飛び交っています。




27~33 イチモンジチョウ属の4種と、ミスジチョウ属のオオキイロミスジの仲間。ともに広義のイチモンジチョウ族(イチモンジチョウ亜科)の種です。どうやら、河原の石に付着した白い鳥糞を競って吸汁しているようです。

















34 左はタイワンイチモンジの♂、右はリュウキュウイチモンジの♀。



35 左は「アオスジタテハ」(または「アオスジイチモンジ」)。




36~37 ということで、今日はここでのカルミモンシロチョウの撮影は諦め、去年の秋、谷底に落っこちた上流に向かいます。







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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第67回)

2011-08-03 13:30:12 | サパ ベトナム 



鳥糞砦の戦い~Limenitinae spp. サパ 22.Jul.2011(上)

サパ2日目(7月22日)は、早めに出発することにしました。天気も昨日より良く、期待が出来ます。

01 昨日撮影した写真を整理しながらの朝食です(普段はバケット=フランスパンとオムレツとコーヒーだけれど、今日は気分転換にベトナム麺のフォー)。



02~04 食堂のテラスに昨日のクマゼミがいた(たぶん別個体)。







05 左の三角形の山の裏側辺りまで行く予定。




06何十回と上り下りした石段を、今日も下ります。




07 道脇に立て続けに出現。最初に来た数年前は、この坂道にはほとんど無かったはず。




08 滝壷の売店の女の子。サパのネイティブは小柄です。右の欧米人女性と比べれば一目了然。




09 今日は、トラの毛皮? 女ターザンみたいでカッコいい!




10~12 焼き上がるまでの間、右の河原をチェック。昨日は一頭だったカルミモンシロチョウが集団で吸水しています。マダラシロチョウも。








13 豚肉と野菜の串焼き(一個食べたので一串4個)。鳥肉、茸バージョンもあります。一串1ドル(80円強)と高めだけれど、文句なく美味しい!




14 竹筒飯。これも大好物。台湾でも少数民族のポピュラーな食品です。日本ではなぜ普及しないのだろう?40円。



15 焼き芋。40円。




16 渓流沿いに渡渉地点に向かいます。




17~20 途中、カラスアゲハ(クジャクアゲハ)が出現。もしかするとミヤマカラスアゲハかも知れません。後でKさんに聞かなければ。











21 ベニモンアゲハ。花は帰化雑草のアゲラツム(オオカッコウアザミ)です。







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朝と夜のはざまで~My Sentimental Journey(番外編/2011.8.2)

2011-08-02 15:06:55 | サパ ベトナム 




朝飯(フランスパン・オムレツ・コーヒー、値段は不明、タダかも知れない)を、常宿「クイーンズホテル」フロント横のバーで食べたら(いつもはオーナーが経営する別棟の「スカイビューレストラン」で食べる)、本棚に「地球の歩き方」が置いてありました。10日間で僕以外の日本人宿泊客はゼロ。町中でも見かけません。無用の長物と化しているようです。

元はと言えば「ロンリー・プランネット」を手本に作られた、バックパッカー(≒貧乏旅行者)向けのシリーズだったのです。今では我彼の違いは歴然、金持ちツアー旅行者専用のガイドブックになり果てています。ラオカイのバスターミナルでは、毎回料金をぼったくられる(欧米人はUS5ドル、日本人はUS10ドルを請求される、通常価格は地元民US1.5ドル、外国人US2ドル、、、断ればバスから放り出されることもしばしば、ベトナムは素敵な国だけれど、こと乗り物の運ちゃんの悪辣さだけは、どうにも我慢がなりません)。この間はフランス人が、バスの運ちゃんに向かって「お前はロンリー・プランネットを読んだことがあるか?適正運賃US2ドル、それ以上要求されたら断れ、と書いてあるぞ!」叫んでいました。かように「ロンプラ」は貧乏旅行者の味方なのです。それに反して「地球の歩き方」と来たら、、、、。

ベトナムでの一日の予算例(移動費用は除く)、というコラムがありました。
●制約の多い貧乏旅行。US26ドル(出来ればもう5ドルは余分に)。
●贅沢はしないが一応快適に旅行する。US98ドル。
●自由気ままに旅行する。US245ドル。

僕なんか、自由気ままに快適に旅行して、US10~15ドル(宿泊費・食事込み)ですよ!
「地方に行けば、US100ドルも出せば、リゾート気分のホテルに宿泊出来ます」
US5~10ドルで充分リゾート気分のホテルに宿泊可能だと思うのだけれど、、、、。
日本人の金銭感覚は、一体どうなっているのでしょうか?
これじゃあ、日本人と言うだけで何倍ものバス運賃を要求されても、仕方がありません。
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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第66回)

2011-08-02 15:00:15 | サパ ベトナム 


7番目のモンシロチョウ サパ 21.Jul.2011(下)

01~17 滝壷から30分ほど進んだ渡渉地点にて。雨が上がり、日が差して逆光線になると、集団の存在が光の中に溶け込んでしまいます(PM4:51~4:55)。




































18~20 AM5:33~5:37。午後5時を過ぎると、さすがに蝶の数も少なくなります。シロヘリスミナガシ。スミナガシ類に特有の赤い口吻が鮮やかです(触角先端が赤いのもこの写真で初めて気が付いた)。








21 谷の入り口近くに戻って来ました。サパの町のホテルには、ここから標高差350mを登らねばなりません。



22 滝壷脇にて。網を洗っているところ。



23 ここでは豚と犬は同類です。




24~25 坂の途中にて。






26 日没とともに晴れ上がって、ファンシーファン山の稜線が、くっきりと浮かびあがりました。これ、屋久島の主稜線と、そっくりだと思いませんか? 宮之浦岳を中心に、右に永田岳、左に翁岳(東峰と西峰)&安房岳、、、。宮之浦岳の標高1935mは、滝壷からファンシーファン山頂までの標高差とピッタリ同じです。




27 サパ帰還、PM7:07。




28 食堂に紛れ込んできたクマゼミの一種。たまに真夜中にも(街路樹の光に反応して)大音響で鳴き出します。






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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第65回)

2011-08-01 15:18:57 | サパ ベトナム 



7番目のモンシロチョウ/サパ 21.Jul.2011(中)


01~03 雨が上がったので、左側の深い渓谷に分け入ることにします。観光客はほとんどやって来ず、現地人が木材の切り出しや狩猟や水浴びにやって来ます。今日は一日雨模様だったので、出会ったのは鳥を捕まえに来た現地人の一行だけ。








04~13 カルミモンシロチョウの吸水集団があちこちに(以下、PM2:39~2:46に撮影)。






















以前、サパで見たモンシロチョウの仲間を羅列したことがあります。圧倒的に多いのが、アジア(日本を除く)の再普通種のひとつ、タイワンモンシロチョウPieris(Artogeia)canidiaで、次いでエゾスジグロチョウPieris(Artogeia)napi[=広義]とモンシロチョウPieris(Artogeia)rapae、そしてこれも世界的普通種のオオモンシロチョウPieris(Pieris)brassicaeです。広義にグループの枠をとれば、Pontia属のチョウセンシロチョウPontia fabricius、Appias属のタイワンシロチョウAppias lyncidaなども含まれます。

このとき、そうだ、もう一種いるはずだ、との思いが過ぎりました。ヒマラヤ地方から、中国の南西部を経て、台湾の山地に分布する、1(亜)属1種のカルミモンシロチョウPieris(Talbotia)naganumです。僕はこれまで、台湾でも中国でもこの蝶に出会ったことがありません。分布地域内では、それほど珍しいと言うほどではないのでしょうが、と言ってどこにでも見られる普通種というわけでもなさそうです。

今回サパに来て、最初に出会ったのがこの蝶です。初めての種ですから、背景としては余り好ましくない、ドロドロの土にまみれた水溜りにやってきたこの蝶を、とりあえずは一生懸命に撮影、ちょっと見は、タイワンモンシロチョウと何ら変わらない(先入知識が無ければ区別が付かないで見過ごしてしまうような)ありふれた姿です。

しかし、そのすぐあとで、驚愕の姿に遭遇することになるのです。観光客のたむろす滝壺から、渓流に沿っていつもの山道を進んで行きました。川面に突き出している岩上の水溜りに、カラスアゲハやジャコウアゲハの仲間が数頭、吸水にやって来ているのが見えます。もちろん撮影に向かいます。岩上に足を踏み入れた途端、紙吹雪のように(陳腐な表現だけれどもそうとしか表しようがない)無数の白いチョウが舞い上がりました。先ほど一頭だけ見つけ、必死で撮影したところの、カルミモンシロチョウです。

渓流沿いの道を進むにつれ、岩陰から次から次へ紙吹雪が舞い上がります。僕にとっては初撮影の大珍品なのですが、これだけ数が多いと、そして見た目にはただのモンシロチョウと変わらないものですから、実感が湧いて来ません。カラフルな蝶たちの集団吸水の撮影は比較的易しいのだけれど、真っ白な蝶の集団は、表現が難しい。とりあえず、いつもの川の渡渉地点まで行き、あちこちで集団を写しておくことにしました。帰ってから写り具合を確認し、明日また再チャレンジです。

14~15 カルミモンシロチョウの集団に混じって、黒い大きなチョウもいます(以下、PM2:55~3:10に撮影)。






16 アゲハチョウ類が数種、吸水に来ているようです。



17 ひとつはジャコウアゲハの仲間のオオベニモンアゲハ。



18~23 もう一種はクロアゲハ?














24 クロアゲハに間違いないですね(台湾産や大陸産は日本産と違って尾状突起がない)。




25 でも、こちらはクロアゲハに良く似ているけれど別の種?




26 カラスアゲハの仲間のタイワンカラスアゲハです(ベトナム産は台湾産と違って尾状突起がない)。




27 カラスアゲハ(クジャクアゲハ)もいます。




28~30 白い蝶はカルミモンシロチョウの単独集団ですが、黒い蝶はオオベニモンアゲハ、クロアゲハ(この写真には写っていない)、タイワンカラスアゲハ、カラスアゲハ(クジャクアゲハ)の混生集団。他にモンキアゲハも見ました。








31~33 タイワンカラスアゲハとカラスアゲハ(クジャクアゲハ)。タイワンカラスアゲハは地味だけれど、どこか魅力的な蝶です。








34~37 タイワンカラスアゲハとカラスアゲハ(クジャクアゲハ)。カラスアゲハの仲間は、他にルリモンアゲハ、オオクジャクアゲハ、ミヤマカラスアゲハもいます(同じ渓谷での明日以降に撮影した写真を紹介予定)。














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