青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(16)

2010-10-03 13:22:28 | アメリカン・ポップスearly60’s

“狭間のシンガー”24人衆の紹介 ⑨『ボビー・ヴィントンとトミー・ロー』




Bobby Vinton40位 
1935.4.16 Pennsylvania出身
涙の紅バラ/ブルーベルベット



Tommy Roe 182位 
1942.5.9 Atlanta出身
可愛いシェイラ/スィートピー



【デビューは一足遅れても、息長く活躍し続けた、62年初ヒット組】

僕は、自他共に認める、ジョニー・ティッロトソンのファンで、今でも一日中、彼の歌ばかりを聴いて過ごしているのですが、といって、彼の歌がそんなに良いと思っているわけでもないのです。それどころか、冷静に考えれば、相当に下手くそ、、、語弊があるかも知れないので少し言い変えて表現すると、ほとんど素人の歌と変わらないのではないのか、間違えて表舞台に立ってしまっただけではないのかと、思うことがあります。

これではファン失格。まあ、(若い頃ファンだった)成り行きでファンを続けているようなものなのです。今では、ほとんど自分の分身ですね(ジョニー本人に対しては随分失礼な言い方だけれど)。拙いは拙いなりに、唯一無二の愛着があるのです。

では、本当に評価している歌手とは誰なのか、と言えば、今回紹介する、ボビー・ヴィントンとトミー・ロー、となるでしょう。ラブ・バラードのボビー、アップテンポの曲ならトミー。胸を張って、素晴らしい歌を歌う、大好きな歌手、と誰にも勧めることが出来ます。2人とも、ジョニーと共通する点が多々あります。違うところは、本物の、グレートな歌手であるということ(ごめんね!ジョニー)。

共に62年初ヒット組、ジョニーより少し後れてブレイクしました。「狭間の歌手」の中では、前期が、リッキー・ネルソンとエヴァリー・ブラザース、後期が、ボビー・ヴィントンとトミー・ロー。この4人(組)が僕の文句なしの推奨です。

彼らの現在の(ことに日本における)評価には、不満が一杯です。リッキーやエヴァリーはまだしも、ヴィントンやトミー・ローに対する評価は悲惨です(彼らのネガティブな評価があるということではなく、話題にのぼる機会が余りにも少なすぎるということ)。

ボビー・ヴィントンは、圧倒的に凄い歌手です。20世紀ランクでは、40位。リッキー(22位)やポール・アンカ(29位)の後塵を拝していますが、ポイントの集計上、前2者のブレイクした50年代末よりも、ボビーの活躍した60年代中期のほうが不利なこと、及び大量のAC上位チャートが集計されていないことを加味すれば、実質上のNo.1シンガーではないかと思うのです。

60年代~70年代を通して第一線で活躍した歌手は、ヴィントン唯一人(付け加えればエルヴィス)だと思います。それも、デビュー以来スタイルを変えることなく、ずっと同じ曲調で一貫して、、、。凄いと思う。それと、「Mr.ロンリー」や「愛のメロディー」で示されている、ソング・ライティングの才能。

トミー・ローも、実は凄いビッグなのです。彼が、20世紀ランクで、ジョニーより下(180位)に位置付けられているのが信じられない(前回述べたジーン・ピットニー以上に不可解)。ナンバーワンヒット2曲、トップ10ヒット6曲、ゴールドディスク4枚ですよ!全てに勝る実績を有する歌手は、何人いるのでしょうか?

彼もヴィントン同様、60年代を通じてヒット曲を放ち続けて来ました。ヴィントンとは対照的に、大半がアップテンポの曲。バラード調の曲にも良い曲がありますが、本領を発揮しているのは、“ニュー・ロック”とも言うべき、軽快で切れ味のいい、アップ・テンポ・ナンバーです。

ヴィントンも、ローも、80年代に入ってC&Wチャートに移行し、そこそこの実績を残しています。



Bobby Vinton
62.06.09(Billboard Hot100初登場日付け)-80.01.26(■途中僅かな断続帰還があるが、トータルでは連続するため、最終チャートまで通算して集計)
Hot100ランク曲数:47曲(■)
同Top40ランク曲数:30曲(■)
同Best10ランク曲数: 09曲(■)
通算Hot100ランク曲+C&W・R&B・AC 各単独チャートイン曲の総数:61曲
4チャートのBest10ランク曲総数:25曲


Tommy Roe
62.07.28(Billboard Hot100初登場日付け)-73.05.26(●ヒット曲が断続するため、最終チャートまで通算して集計)
連続ヒット内のHot100ランク曲数:22曲(●)
同Top40ランク曲数:11曲(●)
同Best10ランク曲数:06曲(●)
通算Hot100ランク曲+C&W・R&B・AC 各単独チャートイン曲の総数:29曲
4チャートのBest10ランク曲総数:06曲



今回、(ボビー・ヴィントンに関しては)ちょっと変則的に、曲を選んでいきます。

彼は「Mr.ブルー」「Mr.ロンリー」などとも称されていますが、僕に言わせれば(それらも含めて)「Mr.柳の下」。あちこちの柳の下に、ドジョウが何匹もいるのです。

●Roses are Red My Love(涙の紅バラ)
1962年Pop 1位、AC 1位、R&B 5位。
●Rain, Rain Go Away(涙の太陽)
1962年Pop 12位、AC 4位。
●Petticoat White (Summer Sky Blue)
1966年Pop 81位。
◎この3曲、全く同じ趣向と言ってもいい歌詞内容です。

■Blue on Blue
1963年Pop 3位、AC 2位。
■Blue Velvet
1963年Pop 1位、AC 1位。
◎言わずと知れたブルー・シリーズ。全曲ブルーで揃えたアルバム「Blue on Blue」もベストセラーに。

○There I’ve Said It Again
1964年 Pop1位、 AC 1位。
○My Heart Belong to Only You
1964年Pop 9位、AC 2位。
○Tell Me Why
1964年Pop 13位、AC 3位。
◎ジャズ・ヴォーカル風バラード・シリーズ。「ゼアー~」は、ビートルズ米来襲初No.1「抱きしめたい」の直前の1位。以下、このスタイルのヒット曲は、たびたび現れます。

□Mr. Lonely
1965年Pop 1位、AC 3位。
□Long lonely Night
1965年Pop 17位、AC 5位。
□L-O-N-E-L-Y
1965年Pop 22位、AC 7位。
□Lonely Girl(Theme from 'Harlow')
1965年Pop 61位、AC 16位。
◎「Mr.ロンリー」は、デビー・アルバム「涙の紅バラ」からのカッティング。「ロンリー」は、My Favorite Songです。

△Mr. Lonely
1965年Pop 1位、AC 3位。
△Bitter Teardrops
1966年Album-cut
△Coming Home Soldier
1967年Pop 11位。
◎もうひとつ「MR.ロンリー」がらみ。泣きぐみつつの絶唱=「ビター・ティアードロップス」。“徴兵物語”の続編=「カミングホーム・ソルジャー」。

そして極め付けは、同世代(ただし全て年下=カッコ内が生年)歌手のPopsヒット曲のカヴァー。ほとんど意地になって、これでもか、とカヴァーし続けます。その特徴は、オリジナル歌手が、それぞれ個性たっぷりな編曲・歌唱で唄っているのに対し、全くオーソドックスな編曲・歌唱に焼き直して唄っていること(普通は逆だと思うのだけれど)。ボビーの自信の現われと見るべきなのでしょうか?

▲Dum-De-Da(恋する2人)=She Understands Me
1966年Pop 40位、AC 24位。
◎ジョニー・ティロットソン(1939)1964年Pop 31位、AC 4位。

▲Take Good Care of My Baby(さよならベイビー)
1968年Pop 33位、AC 14位。
◎ボビー・ヴィー(1943)1961年Pop 1位。

▲Halfway to Paradise(虹のパラダイス)
1968年Pop 23位、AC 8位。
◎トニー・オーランド(1944)1961年Pop 39位。

▲To Know You Is to Love You(逢ったとたんに一目ぼれ)
1969年Pop 34位、AC 8位。
◎ザ・テディー・ベアーズ(フィル・スぺクター1941)1958年Pop 1位。

▲My Elusive Dreams(2人の青い鳥)
1970年Pop 46位、AC 7位、C&W 27位。
◎デヴィット・ヒューストン(1937)&タミー・ワイネット(1941)1966年Pop 49位、C&W 1位。

▲Sealed With a Kiss(涙のくちづけ)
1972年Pop 19位、AC 2位。
◎ブライアン・ハイランド(1943)1962年Pop 3位。

▲Hurt(涙の想い出)
1973年Pop 106位、AC 40位。
◎ティミー・ユーロー(1941)1961年Pop 4位。

▲Wooden Heart(さらば故郷[ふるさと])
1975年AC 23位。
◎ジョー・ダゥウエル(1940)1961年Pop 1位。
[参考]◎エルヴィス・プレスリー1960年Album/1965年Pop 101位。

▲Only Love Can Break a Heart(愛の痛手)
1977年Pop 99位、AC 44位。
◎ジーン・ピットニー(1940)1962年Pop 2位、AC 1位。
ピットニーのヒット曲は、この後も、「It’s Heart to be in Love」をカヴァーしているようですが、チャートには入っていません。

▲Hold Me, Thrill Me, Kiss Me
1977年AC 43位。
◎メル・カーター(1943)1965年Pop 10位。

一応ヒットはしているのですが、大半の曲は、オリジナルのチャート・ポジションに及んでいません。しかし、
▼Please Love Me Forever(いつまでも愛して)
1967年Pop 6位、AC 39位。
◎Cathy Jean and the Roommates 1961年Pop 12位。
▼I Love How You Love Me(こんなに愛しているのに)
1968 年Pop 9位、AC 2位。
◎The Paris Sisters 1961年Pop 5位。
といった、余り知られていない女性歌手&コーラス・グループのカヴァー曲は、ボビー盤も負けずと大ヒットしています。

大ヒット曲は、より古い時代のヒット曲のリメイク(1951年の「Blue Velvet」、1945の「There I’ve Said it Again」)、あるいは「Mr. Lonely」(1964年Pop 1位、AD 3位)や「My Melody of Love(愛のメロディー)」(1974年Pop 3位、AC 1位)のようなボビーの自作(Co-write)曲に多い傾向が見られます。なぜに好んで、(いわば格下のライバル歌手たちの)いわゆる“オールデイズ・ポップス”の名曲をカバーし続けたのか、、、、単に本人が、そのような曲を好きだったということだけなのかも知れませんが。

最後に、「薔薇」がらみ。

★Roses are Red(涙の紅バラ)
1962年Pop 1位、AC 1位、R&B 5位。
★Bed of Roses
1984年C&W 91位。
★The Last Rose(最後のバラ)
1989年C&W 63位
★Roses are Red(涙の紅バラ)[再発]
1990年[英メロディー・メイカー誌] 71位。

と、キッチリと締めくくっているところが、見事というほかありません。

その他の僕の好きな曲
☆Over the Mountain
1963年Pop 21位、AC 8位。
☆Just As Much As Ever
1968年Pop 24位、AC 10位。
☆Little Miss Blue
1963年のベストセラーアルバム「Blue on Blue」収録。“ブルー”の付く名曲を集めた中での唯一の自作曲。
☆All the King's Horses(and All the King’s Man)
「Petticoat White (Summer Sky Blue)」(1966年Pop 81位)。A面も大好きなのですが、62年録音の自作のこの曲も大好き。
☆タイトル不明【「Love is~」】*ネットで一時間ぐらい探したけれど出てこないのでギブアップ。
「What Caller is a Man」(1965年Pop 38位)のB面曲です。珍しくビートの利いたロック調の曲。


ボビー・ヴィントンの曲の紹介が長くなってしまったです。トミー・ローは今回は簡単に。ヒット曲を順番に並べただけです(ただし大ヒットが2曲抜けているので、その分僕の嗜好が入っています)。
【トミー・ロー/マイ・ベスト10】

●Sheila(可愛いいシェイラ)
1962年Pop 1位。バディ・ホリーの「Peggy Sue」を思わせる(というかほとんどそっくりの)ご機嫌なロック。「ペギー・スー」の圧倒的な迫力を“雷神のような”と評した文をどこかで見た覚えがあるが、この曲にもピッタリ当て嵌まる。
トミーの自作。

●Susie Darlin
1962年Pop 35位。第2弾は一転してスローバラード。Robin Luke1958年の大ヒット(Pop 5位)のリメイクで、そこそこのヒットを記録した。B面の「Piddle De Pat」は軽快なロックチェーン(歌詞の中にTOKIOが出てくる!)で、こちらもPop 101位にランクされている。

●Everybody
1963年Pop 3位。62年末から1年間はチャートから姿を消してしまいますが、63年末になって突如再ブレイク。トミーの自作で、彼の真価がフルに発揮された最高にカッコいい曲。

●The Folk Singer
1964年Pop 84位。続くバラード調のこの曲(「She Understands Me/Dam Di Da」の作者の一人で女性C&WシンガーのMerle Kilgore作)は下位ポジション。この後の「Carol」(Pop 61位)や「Come On」(Pop 36位)といったロック・ナンバーのほうが、彼にはあっているように思うのですが、イギリスでは4 位を記録しています。

"●Party Girl
1964年Pop 85位。この曲を最後に、再び2年近くチャートから姿を消してしまいます。「シェイラ」でブレイクする以前に録音された可能性があり、荒削りな仕上がりですが、いかにも“ティーン・ポップ”といったイメージの、心地よいメロディーで、僕がリアルタイムでとても好きだった曲の一つです。

●Sweet Pea
1966年Pop 8位。3度目の大ブレイクです。続く「Hooray for Hazel(ヘイゼル万歳)」(Pop 6位)と“植物名シリーズ”で、2曲連続のベスト10入り。共にトミーの自作曲。

●It's Now Winters Day
1967年Pop 23位。トミーのバラード・ナンバーとしては最大のヒットです。この曲の構成は、こり過ぎているとの批判もありますが、僕は大好き、真冬の室内と屋外の佇まいが、とても良く現わされています。トミーの自作。このあと、90位台の小ヒットを2曲放って、三たび2年近く沈黙します。

●Jam Up and Jelly Tight
1970年Pop 8位。4度目の大ブレイクは69年、2曲目のNo.1ヒットの「Dizzy」。「Heather Honey」(Pop 29位)、「Jack and Jill」(Pop 53位)と続いたあと、ラストTop10ヒットが、69年暮れから70年初頭にかけてのこの曲(いずれもトミーの自作)。僕の中では、“ポップス黄金期”最初期のベストが、リッキー・ネルソンの「Never Be Any One Else But You」、最後期のベストが「Jam Up and Jelly Tight」、と位置付けられているのです。

●We Can Make Music
1970年Pop 49位。70年に入っても、「Pearl」(Pop 50位)、「Stir It Up and Serve It」(Pop 50位)、この曲と踏ん張ります。パンチがあって、明るく楽しい、大好きな曲です。

●Stagger Lee
最後のメジャーヒットは、R&Bの名曲。迫力満点の傑作です。この後、73年にかけ、90位台の小ヒットを2曲放って、Popチャートから撤退、80年代にC&W界に活動の場を移します。

《おまけ①》●曲名不明
1980年代中期、C&W 50位前後にランクされたバラード・ナンバーです。大好きな曲なのだけれど、曲名を思い出せません。タイムリミットなのでとりあえず。
《おまけ②》●We Can Make It(with Jonny Tillotson & Brian Hyland)
1999年のビデオ・ムービー「Rudolph the Red Nosed Reindeer」の挿入曲。この仲良し3人組、声の質がとても似ているので、誰がどのパーツを唄っているのか判別が難しい(トミーがリードを取っていると思うのですが)。
You-tubeその他に多数アップされているので、一度聴いて見て下さい。パンチの利いた、若かりし頃の彼らに勝る、かっこいいロック・ナンバーです。
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中国旅行情報(11)

2010-10-03 13:15:54 | 自然、中国、花、蝶、
翁水村&貢千山(四川・雲南省境付近)③

①峠から、省境の稜線を辿って、“不思議な山”の本体のほうに向かいます。トレールに敷き詰められた石は、ピカピカ光る、薄っぺらな、この辺りに独特の石です。



②~⑥下から見えていた、森の中に着きだした白い“鋸”稜線の末端のピークに辿りつきました。山全体も、小さな石と同様に、平べったいのです。











⑦⑧末端のピークのそのまた上にも、小さなピークが付きだしています。そこには、平べったい石が縦に突き刺すように立ち並んでいます。昨日紹介した“赤いシータテハ”の写真の一部は、ここで撮影したものです。






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My Sentimental Journey(40)

2010-10-03 13:09:59 |  東拉紀行 塔公
東拉紀行 2010.8.9 ⑬

クロアゲハ&カラスアゲハ。



花はフジウツギ属(ブッドレア)。



10数分置きに回り廻って来ます。



カラスアゲハ。





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生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(17)

2010-10-02 12:35:30 | チョウ
「 カンパのお願い」 ご協力よろしくお願いします。

【月・水・金】中国の花/中国野生植物図鑑
【火・木・土】中国の蝶/中国蝶類生態図鑑
【月・木】日本列島および近隣地域の野生アジサイ
【水】中国大陸(&台湾・南西諸島)のセミ
【火・金(・日)】ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代
【随時(当面は土曜または日曜を予定)】中国旅行情報
【随時(当分は毎日)】My Sentimental Journey
【一時休載】屋久島はどこにある?(東シナ海周縁紀行)
【一時休載】屋久島はどこにある?(長江流域遡行紀行)

  青山潤三・花岡文子
メールアドレスjaoyama10@yahoo.co.jp

★今日は下記の④シリーズです。
「日本列島および近隣地域の野生アジサイ」及び「中国大陸(&台湾・南西諸島)のセミ」はしばらくお休みします。




生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(17)
ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(15)
中国旅行情報(10)
My Sentimental Journey(38)


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生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(17)

No.009四川・雲南省境の山で見た不思議なシータテハNympharis(Polygonia)c-album ssp.
タテハチョウ科Nymphridae/ヒオドシチョウ亜科Nympharinae/ヒオドシチョウ族Nympharini/ヒオドシチョウ属Nympharis
雲南・四川省境Border of Yunnan・Sichuan/標高alt.4600m/2010年9月21日

さて、前回のツバメシジミ同様、種としては旧大陸(ごく近縁な種が北米にも)温帯域に広く分布する種の一つに、シータテハがあります。そして雲南産の“ウスズミツバメシジミ”の場合同様、この雲南・四川省境山地のシータテハも、シータテハでありながら、シータテハらしからぬイメージのチョウなのです。仮に和名を付けるとしたら“ニセコヒオドシ”あるいは“ヒメエルタテハ”。

高山帯(撮影地は標高4500mを超えています、全山石灰岩の山、正確には両省の省境から、10~100mほど雲南省寄り)の瓦礫地に咲くキリンソウの一種の花に多数の個体が吸蜜に訪れるのですが、何度見ても、コヒオドシと錯覚してしまう。翅型や斑紋は間違いなくシータテハなのだけれど、印象はコヒオドシ、あるいはエルタテハなのです。雲南や四川の山(というよりも麓の集落付近)ではコヒオドシが極めて多いので、ここでも本物のコヒオドシも混じっているものと思い、注意してチェックしていたのですが、なぜか一頭も確認することが出来なかった。翌日、標高にして1000mほど下った集落近くの路傍で、やっとコヒオドシを発見、遠くから一回シャッターを押しただけで逃げて行ったのだけれど、一応撮影をしておいたので、本物と偽物を比較して見よう、とその写真を拡大して見たら、なんとこれもシータテハ。それほど(実際に見た時の印象は)コヒオドシによく似ているのです。

何故、こんなにも普通のシータテハとイメージが異なるのか、検証してみました。

①翅型は、全体に四角っぽく、前翅外縁の抉れが少ない。そのため面積が広く感じる。秋型よりも夏型的(ただし季節からして秋型でしょう、年1化の可能性も強いですが)。



②翅表の地色が極めて濃く、コヒオドシ、ヒオドシチョウ、エルタテハなどと同様の、橙朱色に近い(普通のシータテハは明るい黄褐色)。



③前翅表前縁の上部の2つの黒班と、それ以外の黒班の大きさの差が顕著(普通のシータテハは、黒班の大きさが全体に揃っている)。



④前翅表前縁の上部の2つの黒班の間の淡色部が目立つ。



⑤キタテハとシータテハの区別点にも使われる、前翅表内縁寄り(第2室)中央の黒班の上(第3室)に黒班が現れることは無い(キタテハと同じ。普通のシータテハでは、通常ここにも黒班が出現)。



⑥後翅表の黒班はさらに小さめで、橙朱色部分が広く目立つ。



⑦後翅裏面の白銀色の“C”字は、小型で不明瞭。



これらの特徴を総合すると、この雲南・四川省境個体群は、むしろシータテハよりも、N.(P.)commaをはじめとした、アメリカ産の近縁各種に似ているのです。シータテハはヒオドシチョウ属を細分した場合、シータテハ属(または亜属)に含められるのですが、北米産は10数種の多数の種に分けられているのに対し、旧大陸産は、広域分布のシータテハと、地中海沿岸~中央アジア産(中国西北部にも分布?)のミナミシータテハN.(P.)egena、中国西南部に稀産する、オオエルタテハ(オオシータテハ、クロキタテハ)N.(P.)giganthea(「中国のチョウ」に詳しい解説あり)、及び東アジア各地に繁栄するキタテハN.(P.)c-aureumの4種となっています。

このうち、キタテハは外観はシータテハに似るのですが、♂外部生殖器の構造をはじめ、基本構造に他のシータテハ類と顕著な相違があるため、僕は別グループに移すべきと考えています。もしこの種をキタテハ属に含めるのなら、色彩斑紋が著しく異なるも、基本形態が共通するルリタテハN.(Kaniska)canaceも、シータテハ属(亜属)に含めるべきでしょう。

僕が、「中国のチョウ~海の向こうの兄弟たち」を執筆した際、中国のシータテハに対する扱いをどうするかで、随分悩んだのです。シータテハを定義する重要な特徴は、♂外部生殖器の幾つかの部分の特化にあります。実は、中国産のシータテハの中には、それらの部位の特殊化が見られない個体(おおむね北米産の数種と共通)が混じっている。充分な資料が無かったため、追試が必要と思い、「中国産は複数種から成る可能性が強い」と示唆するに留めて置きましたが、一種ではなさそうなことは、確かなようなのです。

杭州の市街地や、成都の都心部(共に緯度は種子島~屋久島に相当)の様な平坦な低標高地にも見られる一方、この四川・雲南省境山地の様な、標高5000m近い地にも出現します。それ自体、かなり不思議なことだと思います。

“ウスズミツバメシジミ”の例もあるように、例え外観の印象は著しく違っていても、外部生殖器の構造は寸分同じ、従って種としては同一種に含めるべき、ということになる可能性もあるでしょう。それとも、未知の複数種のうちの一つなのか。同様の印象を持つ集団が、どの程度の範囲まで分布しているのか、の検証をはじめ、課題は沢山残されています。











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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(14)の追加・(15)

2010-10-02 11:29:44 | アメリカン・ポップスearly60’s
ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(14)の追加記事

“狭間のシンガー”24人衆の紹介 ⑦ 『ブライアン・ハイランドとジョニー・ティロットソン』(追加)


●Itsy Bitsy Teenie Weenie Yellow Polka-Dot Bikini(ビキニスタイルのお嬢さん)【60年Pop 1位、R&B 10位】
○Poetry in Motion(ポエトリー)【60年Pop 2位、R&B 24位】

◎デビュー曲「ローズマリー」が不発も、次のキャッチーなコピーの“ノベルティーソング”が大当りして一気にメジャーの世界に躍り出たわけですが、素直に喜んでいいのか、、、Braianの心境は、いかなるものだったのでしょう。日本では続く「ベビー・フェイス」も大ヒットを記録しますが、本国では「ビキニ~」と同傾向の曲を何曲か続けてリリースするも、いずれも不発、あっという間にチャート上から姿を消してしまいます。うかうかしていると“ノヴェルティソングの一発屋”で終わりかねません。でも彼は実力者です。1年後には、「ビキニ~」とは正反対のイメージの、限りなく暗くスローな「Let Me Belong to You」でチャート上位にカムバック、2年後には、「Ginny Come Lately」「涙のくちづけ」といったビッグヒットを連発し、正当派歌手であることの証明が成されます。しかし、その前に行っておかねばならぬことが。「ビキニスタイルのお嬢さん」は、実は“ノヴェルティ・ソング”などではありません。素晴らしいメロディーの、素晴らしい歌詞の名曲です。じっくりと聴いて貰えれば分かるはず、これほど美しい曲は、そうそうありません。作詞者ポール・ヴァンスの、2歳か3歳のお嬢さんがモデルなのだそうです(作曲は、リー・ポックリス)。僕は、「アララギ派」の短歌(島木赤彦、斎藤茂吉etc.)が好きなのですが、正岡子規の流れをくむ“写生派”、情念を強く前面に押し出した、与謝野晶子・鉄幹率いる「明星」一派とは対照的に、主観的表現を極力押さえて、より客観的な視点から対象の本質を探ろうとしているのです。ある意味、ビートルズやディラン以降の“主観”が前面に強く押し出された“新時代の音楽”と、それ以前の“オールデイズ”の違いは、その辺りにあるのかも知れません。この曲のラスト1フレーズの美しさは、もう涙が出るほど。彼女の動きと周囲の光景が、目に見えてくるようです。ちなみに“Itsy”以下の4語は“とても小さい”こと示す英俗語を並べたもの、“Yellow Polka-Dot”は“黄色い水玉模様”由。
◎「ポエトリー・イン・モーション」は、「ビキニスタイルのお嬢さん」最後のチャート週に初登場(ちょうど50年前の10月10日です)、ジョニーとして7曲目のヒット、それまでの6曲はいずれもミドルヒットだったのですが、この曲で一気に大ブレイクすることになります。チャート的には、廻り合わせが悪く(1位には、エルヴィスの「今宵は一人かい?」と、レイ・チャールスの「わが心のジョージア」が居座っていた)2位止まりですが、永く上位にい続けたことから、11月の月間1位を獲得しています。こちらも写生に徹した歌です。「幼女版・ビキニ~」の「少女版」というところでしょうか。ジョニーの曲の傾向は、2年後の「涙ながらに」からC&Wに傾斜して行く、ということになっていますが、実は、この「ポエトリー~」、録音スタジオもナッシュビルだし、ピアノのフロイド・クレーマー、サックスのブーツ・ランドルフ以下、ナッシュビルのセッションミュージシャンが、オールスターでバックアップしているのですね。ある意味、“C&W界が作出した純粋のPops”ということが出来るのかも知れません(ちなみに、フロイド・クレイマーは、相前後して自身の「ラスト・デート」でも2位を獲得していて、もしかすると1位エルヴィスの曲にも参加しているかも知れないので、となれば、ベスト3独占ということになります)。それにしても完璧な出来です。ポール・カウフマンとマーク・アンソニーによる曲と詩、ジョニーの声、バックのコーラス(アニタ・カー?ジョーダーネース?)、アーチ・ブレイアーの企画と編曲、、、、全てが見事にマッチした、奇跡の作品。オールデイズの全てを、この一曲で語ることが出来る、名曲中の名曲でしょう。



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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(15)




“狭間のシンガー”24人衆の紹介 ⑧『デル・シャンノンとジーン・ピットニー』



Del Shannon 308位 
1934.12.30 Michigan出身
悲しき街角/太陽を探せ




Gene Pitney 153位 
1941.2.17 Connecticut出身
リバティーバランスを撃った男/愛の痛手に



【アメリカ進出前の、ビートルズとストーンズの楽曲を、いち早く紹介】

デル・シャノンが、自ら命を絶ってから、20年が経ちます。僕は、リアルタイムでは、その情報を知らなかったのです。

という書き出しで、僕のPops音楽遍歴から始めて、オールデイズを聴くということはどういうことなのか、アーティスト達にとっての“時間”と、リスナーにとっての“時間”の交わり。時間は、どれほどまでに均等なのか、といったようなことを書き進めていたら、収集が付かなくなってしまいました。風邪は直らないどころか、ますますひどくなり、こちらの薬局で購入した薬を適当に服用したら、今度は猛烈に気分が悪くなってきた。目眩がして、混沌とする中で、先にボビー・ヴィントン&トミー・ローを書いたのですけれど、一体何を書いたのかもさえ覚えてない始末です。

改めてデル&ジーンに取り掛かります。書きたかった話は、またの機会に、ということにして、スパッと全部削除。でも、何も載せないわけにはいかないので、適当に、どうでもいいことを書き連ねて行くことにします。

デルの自決の2年前、ジョニー・ティロットソンとレスリー・ゴーアと3人で、日本公演がありました。今なら、何を置いても駆け付けるところですが、当時はその情報さえ知らなかった。でもYou-tubeで幾つかの画像を見ることが出来ます。デルは凄いなぁ~!現役バリバリですよ。2人より(ビルボード20世紀)ランクは下なのだけれど、実際の力量は遥かに上。5才下のジョニー、12才下のレスリーが、どこかのしょぼくれたオッチャンとオバチャンにしか見えない。「おめでとう!抽選に当たりましたので、一緒にステージで唄って下さい」、と観客席から上がってきたファンみたいです。天下のジョニー・ティロットソンとレスリー・ゴーアを、唯のオッチャンオバチャンにしてしまうほど、デル・シャノンは、溌剌としていて、存在感に溢れています。

ここで、一言弁護の機会を下さい。あるブログに、この公演のジョニーに対して、“まるでチープな結婚詐欺師、レコードとステージの格差があり過ぎる”といった要旨の酷評がありました。その通り、と頷きもしたいのですが、それを言っちゃあいかんです、とういう気持ちもあります。ジョニーの魅力は、また別のところにあるのです。評価の基準の角度を変えて見れば、それなりの魅力を発見出来るはず(年を取ってからのジョニーには、ポップス~オールデイズは唄えない、C&W路線で行くしかないのです)。もとより、デル・シャノンという存在が、他の“元ティーン・アイドル”とは違うのですね。

没後明らかにされた本当の生誕日は、御大エルヴィスより、一週間前。ジョニーやブライアンやピットニーといった、5~10歳下の“ティーン・アイドル”たちと競って行かねばならないジレンマ。年を取ってしまえば、5歳や10歳の差はあってないようなものですが、若い頃は、周囲との1才の差でも相当に大きく感じてしまいます。僕自身、(不登校による)落第や様々な回り道を繰り返し、いつも周囲の人々より年上、という立場だったものですから、そのプレッシャー、焦りたるや、いかに大変であるかということは、身を持って分かります。今思うとおかしなほど重くのしかかっていたのです。

それはともかく、(僕の目には)デル・シャノンは、とても真面目な、物事に真剣に取り組む、かつデリケートな精神を持つ人のように見えます。何度か例に挙げている、80年代中期の12人の「元祖ティーン・アイドル(の今)」のオムニバス・ビデオでは、デルはトミー・ローに続いて2人目に登場、途中自らのギター独奏を交え、「ハンディー・マン」を真剣に唄います。4人目に登場し「涙のくちづけ」を熱唱するブライアン・ハイランドと、どこか共通点を感じるのです。一言で表すと“影”の共有。2人が組んで「ジプシー・ウーマン」を製作したのも、むべなるかな、という気がします。

デルは、ビートルズがアメリカに進出し、初ヒットの「抱きしめたい」を放つ数ヶ月前に、すでに本国イギリスでヒットしていた「フロム・ミー・トゥー・ユー」をカヴァーし、Hot100チャートに送り込みます(11月にPop77位、ビートルズ盤はパブリシング・アンダーにランクされるもHot100圏内には届かず)。これが、アメリカでのビートルズ関連(レノン-マッカトニー作品)の初ヒットとなるわけで、ビートルズの面々もデルに感謝の気持ちを持ち、アメリカ初上陸に際して、いの一番にデルを敬意訪問したと言われています。彼らはその後も、デルには一目を置いていたようで、デル自決直前の、(ロイ・オービソン急悴による後釜としての)「Traveling Wilburys」メンバー招聘の打診にも繋がっているわけです。

デル・シャノンがビートルズならば、ジーン・ピットニーはR・ストーンズ。64年初頭、ストーンズの米初ヒットに先駆けて、ジャガー-リチャード作品の「ザ・ガール・ビロングス・イエスタディ」をHot100チャートにランクイン(2月に49位)。その後もストーンズとは交流を持ち続け、互いに作品を提供しあったり、セッションに参加しあったりします。そのことは、後年のピットニーのイギリスでの人気や、活動にも結びついているはずです。

2006年の春、ピットニーの急悴は、リアルタイムで情報を得ました。ちょうど日本に滞在時、You-tubeでイギリス公演の大量のビデオを見た後で、彼がオールデイズ仲間のうちでは一番元気に溌剌と活動していると、感心していたものですから、ショックも大きかったのです。雲南・ミャンマー国境付近をうろついている時で、しばらくは彼の唄ばかり偲んで聴いていました。訃報は、飛びぬけて充実しているボビー・ヴィーのH.P.のニュースコラムで、ほとんどリアルタイムで知ったのです(ピットニーは、ヴィーの大ヒット曲「ラバーボール」の作者でもあります)。

改めて、ジョニー・ティロットソンのH.Pも見てみましたが、(ボビー・ヴィーのH.P.に比べれば情報量がずっと少ない)彼のH.P.には、一言も触れられていません。でも良く見ると、さりげなく新しい写真が一枚(訃報には触れることなく)加わっていました。ジーンを中央に、左右にジョニーとブライアン・ハイランド。写真のキャプション(今は別のキャプションに変わっている)は、うろ覚えなのですが、“Yang-mans, Good looking & talented”。ハンサムで才能のある若者たち、、、、。“才能”、、、彼ジーン・ピットニーにピッタリの言葉ではないでしょうか。

白い背広をピシッと着込んだジョニー、ギターを抱えたカジュアルな服装のブライアン、彼らはある意味両極端のステレオタイプで分かり易いのですが、二人に肩越しに手をまわしたジーンのいでたちは、表現が難しい、、、、。今で言う、ちょい悪のイタリアン、とでも言えば良いのでしょうか、一言では現わし難い、多様な才能の萌芽が滲み出ているのです。

2000年刊行のビルボード1955~1999年総合ランキング(ここでは仮に「20世紀ランキング」と呼んでいます)では、ジョニー148位、ジーン153位。ジーンがジョニーより下、というのは、どう考えてもおかしいのです。客観的に考えれば、ジーンのほうがずっと上位のはず(得点の集計上、中位のヒット曲が多くある歌手に有利?)。実績的に2人が近い位置にあることは確かなのですが。

アメリカのヒットチャートで事実上の撤退(と言っても他の多くの“狭間の歌手”たちよりは後まで頑張ったのですが)した後も、イギリスでの人気は長く続きます。そのことに於いてもジョニーは遠く敵いません。もっとも、ジョニーの場合は日本でのヒットが多数あったわけで、それを加味することが出来れば、互角ということも出来るのでしょうけれども。

ソング・ライティングの実力は、飛びぬけて凄いですね。もっともっと評価されるべきだと思います。クリスタルズの「ヒーズ・ア・レヴェル」、リッキー・ネルソンの「ハロー・メリールー」、、、、。歴史に残るヒット曲を、多数作っているのです。キャパシティーの広い、マルチな才能は、ポール・アンカやニール・セダカを上回るのではないでしょうか?

才能、そして魅力的、という形容が、まことにふさわしい、ジーン・ピットニーなのです。


Del Shannon
61.03.06(Billboard Hot100初登場日付け)-66.05.14(一年間以内の連続ヒット最終日付け)
連続ヒット内のHot100ランク曲数:16曲
同Top40ランク曲数: 08曲
同Best10ランク曲数: 03曲
通算Hot100ランク曲+C&W・R&B・AC 各単独チャートイン曲の総数:18曲
4チャートのBest10ランク曲総数:03曲


Gene Pitney
61.01.30(Billboard Hot100初登場日付け)-67.01.28(一年間以内の連続ヒット最終日付け)
連続ヒット内のHot100ランク曲数:21曲
同Top40ランク曲数:15曲
同Best10ランク曲数:04曲
通算Hot100ランク曲+C&W・R&B・AC 各単独チャートイン曲の総数:28曲
4チャートのBest10ランク曲総数:08曲




【デル・シャノン/マイ・ベスト10】

●Runaway(悲しき街角)
1961年Pop 1位。説明の必要はないでしょう。67年Pop 112位のニュー・(スロー)ヴァージョンも、オリジナルに劣らないほど素敵です。以下の多くの曲と共に、彼の自作。

●Hats Off to Larry(花咲く街角)
1961年Pop 5位。原題は、街角とは全く関係なし。この後、「So Long Baby」(61年28位)、「Hey! Little Girl」(61年38位)とヒットが続く(日本盤のタイトルには「街角」が付いているはず)も、やがてHot 100ランクから姿を消してしまいます。

●The Swiss Maid(スイスの娘)
1962年Pop 64位、AC 19位。一年ぶりのチャートイン。(後年の“シー・オブ・ラブ”を別とすれば)唯一ACチャートイン曲でもあります。後のC&Wスター歌手、ロジャー・ミラーの作品(co-write)。軽快でコミカルな楽しい曲。ジョニーの大傑作You-tube「ジュディ・ガーランド編:Judy, Judy, Judy」とセットで見ることが出来ます(こちらも素敵です)。

●Little Town Flirt
1962年Pop 12位。この曲で、完全カンバック。日本盤タイトルには、やはり「街角」が付いていたはず。落ち着いたミディアムテンポの、しかし迫力満点の、風格に満ちた曲です。

●From Me to You
1963年Pop 77位。本文参照。

●Handy Man
1964年Pop 22位。黒人Popsシンガー、ジミー・ジョーンズの、2大ヒットの一つ(59年Pop 3位、もう一曲は同年Pop 2位の「素敵なタイミング」)のカヴァー。

●Do You Want To Dance(踊どろよベイビー)
1964年 Pop 43位。翌65年初頭、ビーチ・ボーイズ(珍しくデニス・ウイルソンのリード・ヴォーカル、、、デルとデニスは、どことなくキャラクターがカブルように思うのですが)で再ヒット(Pop 12位)。オリジナルは、後に「スイム」や「カモン・アンド・スイム」のヒットを持つ、黒人ロックシンガー、ボビー・フリーマン(59年Pop 5位)で、彼の自作曲。

●Keep Searchin'(太陽を探せ)
1964年 Pop 9位。「悲しき街角」をリアル・タイムで聴いてはいない僕個人的には、デル・シャノンと言えば「太陽を探せ」。日本でも「悲しき街角」に負けず劣らず、大ヒットしました。デルの自作。

●Move It On Over
1965年Pop 129位。「太陽を探せ」に引き続いて65年初頭「Stranger in Town」をPop 30位に送り込みますが、その後は65年と66年に90位台の小ヒットを各一曲放っただけで、Hot 100から姿を消してしまいます。しかし、作品のグレードはむしろ高まっていて、この年には、ハンク・ウイリアムス作品を集めた、C&Wアルバムも発表、ハンクの魂が乗り移ったような熱唱を見せる、デルの本質がよく表れた意欲作です。アルバムとは別個に、上記の曲がシングルとして発売されています。

●Under My Thumb
1966年 128位。R・ストーンズ・ナンバーのカヴァー。前曲を含め、69年までに計5曲のバブリシング・アンダー・ヒットがあります。

《おまけ》●In My Arms Again
1985年C&W 56位。81年に「Sea of Love」(Pop 33位AC 34位)の一発ヒットを放ったあと、最後にC&Wチャートにも登場します。


【ジーン・ピットニー/マイ・ベスト10】

○Louisiana Mama(ルイジアナ・ママ)
デビューは1959年、Jamie & Jane (Ginny Arnell)とのデュエット。名でのデュエット。その後ソロとなり、7曲目の自作曲「(I Wanna) Love My Life Away」が初ヒット(61年Pop 39位)。次のヒット「Every Breath I Take」(フィル・スぺクターのプロデュース、Pop 42位)との間に、不発曲が一曲あり、それが日本限定の特大ヒットとなった、おなじみのこの曲(ピットニーの自作)です。

○(The Man Who Shot) Liberty Valance(リバティ・バランスを撃った男)
1962年Pop 4位。61年暮になって「Town Without Pity」(Pop 13位)で本国でも大ブレイク。そしてこの曲に続きます(映画とは無関係である由)。

○If I Didn't Have a Dime (To Play the Jukebox)(恋のジュークボックス)
1962年Pop 58位。ピットニー最大のヒット曲「Only Love Can Break a Heart(愛の痛手)」(62年Pop 2位、AC 1位、バート・バカラック&ハル・デビット作)のB面で、ピットニー唯一の両面ヒット曲。僕は、この曲が、彼の最高傑作だと思っています(自作)。

○Half Heaven - Half Heartache(恋の1/2)
1962年Pop 12位、AC 5位。イスラムorヒスパニック的イメージの、バカラック&デビット作品を数多く取り上げヒットさせているピットニーですが、「恋のジュークボック」や「恋の1/2」のような、素直な曲調の作品も、交互に取り上げてヒットさせています。僕の好みから言えば、こちらのスタイルのほうに、より魅力を感じます。

○Mecca(メッカ)
1963年Pop 12位、AC 5位。イスラム的イメージの一風変わった曲。日本でも前作「恋の1/2」と共に、結構ヒットしていたように思います。

○Twenty Four Hours from Tulsa(タルサからの24時間)
1963年Pop17位、AC 5位。「True Love Never Runs Smooth」(Pop 21位、AC 6位)、この曲と、メランコリックな曲調のヒットが続きます。タルサはアメリカ南部の都市。僕の大好きな曲の一つです。

○That Girl Belongs to Yesterday
1964年Pop 49位。ブリティッシュ勢来襲直前のリリース。本文でも述べた、ローリング・ストーンズ、ジャガー&リチャードの、登場作品、ピットニーとの相性はピッタシです。他の多くの“狭間のシンガー”は、この時期の発表曲にチャート高ポジションを記録するも、その後は没落傾向に向かうのですが、ピットニーはちょっと傾向が異なり、ここで中弛みになった(次の「Yesterday's Hero」はPop 64位)後、再び盛り返します。

○It Hurts to Be In Love
1964年Pop 7位。
○I'm Gonna Be Strong(淋しさを忘れよう)
1964年Pop 9位。ビートルズ襲来直前の64年の初頭には“狭間の歌手”たちの大ヒット曲が集中しますが、春以降は急激に減って、主導権が入れ替わってしまいます。その中で、ロイ・オービソンの2曲、デル・シャノンの「太陽を探せ」、それにジーン・ピットニーのこの2曲が、トップ10入りと健闘。

○Princess In Rags(僕のプリンセス)
1965年Pop 37位。65~66年にかけ、「I Must Be Seeing Things」(Pop 31位)、「Last Chance to Turn Around」(Pop 13位)、「Looking Through the Eyes of Love」(Pop 26位)、「Backstage」(Pop 25位)、と、Top 40ヒットが続きます。中でも好きなのが、イギリスでは2位を記録したこの曲。イギリスにおける人気が、この頃から一段と高くなっていきます。

○She Lets Her Hair Down(朝焼けの中で)
1969年Pop 89位。68年に「She's a Heartbreaker」(Pop 16位)の大ヒットを放ったあと、米ラストヒットは、化粧品メイカーとのタイアップ曲。けれんみのない素直な歌声の、とても好感の持てる曲です。

《おまけ》○Mocking-bird Hill
1965年以降、カントリー界のスター歌手、メルバ・モンゴメリーやジョージ・ジョーンズとのデユエットによる、C&Wチャートでのヒット曲が、5曲加わります。シングル・カットはされていないのですが、僕が大好きなのが、You-tubeで聴くことの出来るGeorge&Geneのこの曲。2人の息がぴったりで、楽しさがストレートに伝わって来ます。


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中国旅行情報(10)

2010-10-02 11:22:00 | 自然、中国、花、蝶、
翁水村&貢千山(四川・雲南省境付近)③

①峠への登りにかかる辺りから道は未舗装になって、砂煙りを上げつつ進みます。



②~⑩それにしても、不思議極まりない地形の山です。殊に⑦⑧の森林中ににょっきりと突き出した、鋸の歯の様な稜線?は異様です。






















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My Sentimental Journey(39)

2010-10-02 11:17:59 |  東拉紀行 塔公
東拉紀行 2010.8.9 ⑫

部屋に持ち帰ってヒグラシと2ショット。



帰る前にもう一回カラスアゲハの谷に出掛けます。



サファイアフチベニシジミ(Heliophorus sapir)がいた!



渓谷入口に到着。






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生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(16)

2010-10-01 13:43:37 | チョウ
★昨日「 カンパのお願い」を載せました。よろしくお願いします。

【月・水・金】中国の花/中国野生植物図鑑
【火・木・土】中国の蝶/中国蝶類生態図鑑
【月・木】日本列島および近隣地域の野生アジサイ
【水】中国大陸(&台湾・南西諸島)のセミ
【火・金(・日)】ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代
【随時(当面は土曜または日曜を予定)】中国旅行情報
【随時(当分は毎日)】My Sentimental Journey
【一時休載】屋久島はどこにある?(東シナ海周縁紀行)
【一時休載】屋久島はどこにある?(長江流域遡行紀行)

  青山潤三・花岡文子
メールアドレスjaoyama10@yahoo.co.jp

★今日は下記の⑤シリーズです。
「日本列島および近隣地域の野生アジサイ」及び「中国大陸(&台湾・南西諸島)のセミ」はしばらくお休みします。




生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(16)
図鑑【未完成】:中国(および周辺地域)の野生植物(18)
ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(14)
中国旅行情報(9)
My Sentimental Journey(37)


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生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(16)

No.008梅里雪山のBlues【5】ウスズミツバメシジミCupid(Everes)argiades ssp./ウンモンクロツバメシジミCupid(Tongeia)ion

シジミチョウ科Lygaenidae/ヒメシジミ亜科Polyommatinae/ヒメシジミ族Polyommatini/ツバメシジミ類Cupid Sect.
雲南省Yunnan/梅里雪山Mt.Mei-Li-Xue明永氷河Ming-Yong/標高alt.2500m/2010年9月10日 【⑥⑦を除く】










ツバメシジミ(写真①~③)は、雲南のチョウの中でも、僕の特に好きなチョウです。印象が著しく日本のツバメシジミと異なる(「中国のチョウ」で使用した仮称は“ウスズミツバメシジミ”)。種としてはヨーロッパから極東、さらに北米(通常2つの別種に扱われる)にかけて広域分布しますが、その中でも極めて特異です(何となく北米産に似ている?)。翅裏の地色が黒ずんでいて、黒班が明瞭(ちょうど、スギタニルリシジミの本州産と中国西部産の関係の反対)。後翅裏面後角のオレンジ紋も、翅表の地色も異なります。それでいて、♂外部生殖器の形状は、寸分違わず普通のツバメシジミと同じなのです。大きさの個体による変異が激しく、一般のツバメシジミと同じぐらいのサイズの個体のほか、著しく小型の個体も比較的普通に見かけます。ホリイコシジミやマエルリシジミ類などと並び、世界最小のチョウのひとつと思われます。







ウンモンクロツバメシジミ(写真④⑤)は、一見かなりの稀産種っぽい外観をしていますが、四川西部から雲南北部にかけて、比較的普通に見られる種です。ツバメシジミ類の中では、クロツバメシジミに近い一群で、その中でも、クロツバメシジミやムシャクロツバメシジミよりも、どちらかと言えばタイワンクロツバメシジミにより近縁と思われます(写真⑤の右は、ヒメシジミの仲間)。







参考:写真⑥は、Cupid(Everes?)potantini 2010.8.5四川省宝興、以前、広西壮族自治区桂林北郊でも撮影しています。写真⑦は、クロツバメシジミに極めて近縁の、ムシャクロツバメシジミ(産卵中の♀)、2009.5.3湖北省恩施市近郊。






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図鑑【未完成】:中国(および周辺地域)の野生植物(17)

2010-10-01 13:35:51 | その他の植物
No.003シオガマギク属の各種Pedicularis spp.【11】

ゴマノハグサ科Scrophulariaceae(またはハマウツボ科Orobanchaceae)/シオガマギク連(仮称)/シオガマギク属Pedicularis
中国各地(主に四川・雲南)West Chaina/1989~2010

シオガマギクの仲間は、半寄生植物と言って良いと思います。茎が花と同じ鮮やかな色の、腐生植物の一歩手前、と言ったイメージの種もあります。写真66はナンバンギセルへの移行途上のような花の形で、両属が近縁の関係にあることが納得出来ます。写真67は、やはりシオガマギク属に近縁のハマウツボ属の一種。

62 2010.6.07 四川省Sichuan高尓寺山Mt.Gao-Er-Si Alt.3700m



63 2010.6.07 四川省Sichuan高尓寺山Mt.Gao-Er-Si Alt.3700m



64 1995.8.06 四川省Sichuan雪宝頂唖口Mt.Xue-Bao Alt.4200m



65 2005.9.29 雲南省Yunnan白芒雪山Mt.Bai-Ma-Xue Alt.4200m



66 2005.6.19 雲南省Yunnan 碧塔海Bi-Ta-Hai Alt.3600m



67 1995.7.24 雲南省Yunnan 玉龍雪山東麓Mt.Yui-Long-Xue Alt.3100m



68 2005.9.29 雲南省Yunnan白芒雪山Mt.Bai-Ma-Xue Alt.3000m





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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(14)

2010-10-01 13:19:09 | アメリカン・ポップスearly60’s

“狭間のシンガー”24人衆の紹介 ⑦ 『ブライアン・ハイランドとジョニー・ティロットソン』



Brian Hyland 263位 
1943.11.12 New York出身
ビキニスタイルのお嬢さん/涙のくちづけ




Johnny Tillotson 148位 
1939.4.20 Florida出身
ポエトリーインモーション/涙ながらに




【対照的なヒット曲のパターンを持つ、メジャーになった“ティーン・アイドル”】

いや、困ったことになってしまいました。ベトナムに来たとたん、中国では開くことの出来なかったYou-tubeその他の動画や音楽を、見たり聴いたりことが出来るようになってしまった。今回は真打ちの、ブライアン・ハイランドとジョニー・ティロットソンです。書く材料は山ほどあるのです。その中から適当に話題をチョイスして行けばいいと考えていたのに、なにもこのタイミングで、You-tubeが開けるようになっても、、、当惑するばかりです。どうしても、ついチェックをしたくなってきますし、何だか新しい情報も次々と入っているみたいなので、(また、よせばいいのに、それらをチェックしようとするものだから)収集が付かなくなってきます。

それでなくても、風邪をこじらせて、うんうん唸っている最中。集中して文章を書ける状態ではありません。ということで、極力新しい情報は無視して、意識的にどうでもいい話を書き連ねて行くことにします。

以前、ネットサーフをしていたら、何かのブログで、「ブライアン・ハイランドとジョニー・ティロットソン、どっちがどっちのヒット曲だか区別がつかなくなってしまうことがある」という記述に出会いました。歌唱スタイルとか声の質とかは、さほど、似てはいない、というよりも、相当に異なります。でも、トータルに見渡すと、どこか共通点があるのですね。

ボヴィー・ヴィントンとジョニー・ティロットソンも、一般には似ている、と取られることがあるようで、以前「混同して、うっかりと“ボビー・ティロットソン”と書いてしまった」、という某氏の記述がありました。ボビー・ヴィントンは、実力・実績とも、遥かに上ですから、恐れ多いことこの上ないのだけれど、1962年からの2年ほどは実績も拮抗していて、その間に限っては、ライバル的な存在であったと言えます。

そのBobby VintonとBrian Hylandもカブリます。なぜか選曲の傾向が似ているのです。おおむね年少のハイランドが先行し、年長(8歳余)のヴィントンが再カヴァーして行くといった傾向があるように思います。上記3人に、Ricky NelsonやEverly BrothersやRoy Orbison、さらにConnie FrancisやBrenda Leeといったところが、ひと括りにして捉えられることが多いのは、「カントリー・フレヴァー」という括りでしょう。

一方、Bobby RydelやBobby Vee、Frankie AvalonらとJohnnyは、違った角度からの共通点が、感じとれます。歌のティスト(中身)というより、外枠のような観点(存在感の“程度”のようなものと言っていいでしょうか)に、類似性が見てとれるのです。

Brian HylandとJohnny Tillotsonの一番の共通点は、その活躍時代が一致することです。60年の「ビキニスタイルのお嬢さん」と「ポエトリー・イン・モーション」、62年の「涙のくちづけ」と「涙ながらに」。代表的ヒット曲も、見事に応呼しています。ただし、もう少し詳細に見れば、そのヒット曲の出現パターンが対照的なのです。

いずれ深く検証してみたいと考えているのですが、一言で言うと、ジョニーはコンスタント・ヒットメイカー、ブライアンは爆発型、ということが出来るでしょう。

58年秋のデビュー以来、65年末までに発売された23枚のシングル(26曲)を、一つ欠かさずビルボードHot100に連続チャートイン、それもその大半が、Tpp40内ヒットか、ACやC&Wチャートで上位にランクされた曲、でもそれが途切れてからは、(C&Wチャートを別として)ポップチャートには一度も再登場していない、というのがジョニー。一方ブライアンは、連続ヒットが途切れるも何も、ヒットが何曲も続いたこと自体が無い(トップ40入りが3曲続いたのは、62年の一度のみ)。ACやC&Wチャートには、一曲も登場していない。ビートルズ登場後の、64~65年のチャートイン曲はゼロ。でも“ポップス黄金期”におけるハズレが多い分、ジョニーよりも後まで、ヒットが続き、66年に20位台の2曲、69年に50位台1曲、71年にBest 3と50位台の各1曲などを、突発的にチャートインさせています(ジョニーは66年以降のPopヒットは皆無、67-68年に2曲、77年と84年に各1曲のC&W小ヒットあり)。

Brian、Johnnyとも、B面(ことに本国ノンヒット)曲に、素晴らしい曲があり、その幾つかは、日本限定のヒット
となっていることも、共通の特徴でしょう。本来、ブライアンは影のある哀愁的な雰囲気の曲を特徴とし、ジョニーはむろん、カントリー色の強い曲が得意なわけですが、本国ノンヒットの日本限定ヒットの曲は、両者とも、C&W色の少ない、明るく綺麗なメロディーの曲が多いのです。


Brian Hyland
60.07.04(Billboard Hot100初登場日付け)-71.04.03(●ヒット曲が断続するため、最終チャートまで通算して集計)
Hot100ランク曲数:22曲(●)
同Top40ランク曲数:08曲(●)
同Best10ランク曲数: 03曲(●)
通算Hot100ランク曲+C&W・R&B・AC 各単独チャートイン曲の総数:22曲
4チャートのBest10ランク曲総数:03曲


Johnny Tillotson
58.10.06(Billboard Hot100初登場日付け)-65.12.25(一年間以内の連続ヒット最終日付け)
連続ヒット内のHot100ランク曲数:26曲
同Top40ランク曲数:14曲
同Best10ランク曲数:04曲
通算Hot100ランク曲+C&W・R&B・AC 各単独チャートイン曲の総数:30曲
4チャートのBest10ランク曲総数:10曲




旅行中持ち歩いているCDの中に、Brian Hyland&Johnny Tillotson(Vol.1/Vol.2)というダビング編集した2枚があります。我ながら選曲がなかなか良いので、移動の列車やバスの中で、いつも聴いているのです。これを紹介して行くことにしましょう。●がブライアン、○がジョニーです。

●Don’t Dilly Dally Sally(ごめんねサリー)【60年B面ノンヒット】
○A Very Good Year For Girls(素敵なガールハント)【63年B面ノンヒット】
◎私見では“ポップス黄金時代”の2大名曲ではないかと。「ごめんねサリー」は、「ビキニスタイルのお嬢さん」のB面ですが、録音はそれに先んじて行われたようです。「ビキニ~」に勝るとも劣らない出来。ただしヒットに結びつくためには、タイトルにインパクトのある「ビキニ~」でなくてはならなかったのでしょうけれど。
◎「素敵なガールハント」は、“テイク7”を聴くこと。CadenceからMGMに移ったあと、63年秋、旧譜「Funny How Time Slips Away」(Pop 50位、AC 16位)のB面としてリリースされましたが、録音は62年初頭。「涙ながらに」と同日?の可能性もあり、だとすれば、これまで通りPops路線で行こうと、この曲で勝負する予定を、録音後、急遽C&W路線に変えた、ということでしょうか?

●Cleo【60年Album-cut】
○Judy, Judy, Judy【63年B面ノンヒット】
◎両者の、明るさ(軽快さ、楽しさ、、、良い意味での軽さ、能天気さ)が良く表れている曲です。「クレオ」は、ブライアンがメジャーデビューする以前に、マイナーレーベルのLeaderで録音された曲の一つ。
◎ジョニーのアジアでの最大のヒット(ただしなぜか日本ではヒットしなかった)「ジュディー、ジュディー、ジュディー」(A面は「You Can Never Stop Me Loving You」63年Pop 18位、AC 4位)については、語りたいことが山ほどある(「東南アジアで人気のラインダンス“Johnny’s Girl”」「ジュディー・ガーランドの動画」etc.)ので、後ほど機会を改めて。

●Rosemary【60年ノンヒット】
○Never Let Me Go【60年B面ノンヒット】
◎「ローズ・マリー」は、ブライアンのデビュー曲。素晴らしい曲なのですが、全くヒットしなかった。もし、次に「ビキニ~」というインパクトの強い曲でブレイクすることが無ければ、地方の一天才歌唱少年、として終わっていたのかも知れません。成功するには、実力だけでなく、“運”“コネ”“タイミング”そして“企画・宣伝力”が必要なのだ、とつくづく思うのです。ところが不思議なことに、日本では「ビキニ~」に先行して発売され、そこそこのヒットを記録しているようなのです。ジャケットの番号も確かに先だし、証言もあるのですが、ちょっと信じられない。本当だとしたら、日本の業界&リスナーも大したものです。もっとも、このブライアンとジョニーに関しては、本国とは全く異なる形跡で日本独自のヒットを生み出して行ったという事実があり、意外と本当なのかも知れません。
◎ジョニーの「Never Let Me Go」は、60年初頭のヒット「こんなに愛して」のB面曲。「Judy~」や次の「Cutie Pie」同様、彼の自作曲(前者はco-writ)です。“能天気さ”極まる、単調で綺麗なメロディーの明るく楽しい曲。こちらは、日本では、シングルはむろん、アルバムやベスト集でも、とうとう発売されることがありませんでした。一般のリスナーが聴けるようになったのは、21世紀に入ってから。

●Baby Face(夕方胡瓜捨てる)【61年B面ノンヒット】
○Cutie Pie(胡瓜パイ)【61年B面ノンヒット】
◎日本でのBrian Hyland、Johnny Tillotsonと言えば、この2曲に尽きるでしょう。共に“胡瓜”がらみです(笑)。「べビー・フェイス」は、日本限定大ヒットのリアルタイムでのインパクトもさることながら、若い世代には、「タモリ倶楽部・空耳アワー」のオープニング(エンディング?)曲として知られているはずです。僕も今、この曲(“リアルタイム”でも凄く懐かしい思い出があるのですが、その話は2つ後の項で)に嵌まっていて、何度も繰り返して「夕方胡瓜捨てる」のフレーズ(冒頭に本人、後半に女性コーラスと、2度唄われる)を聴き、一人悦に行っています。
◎「キューティ・パイ」は、言わずと知れた、ジョニー起死回生の、日本でのデビューヒット。もしこのとき、日本キングレコード企画部某氏の機転が無かったら、ジョニーは永久に“日本では全くヒット曲が出なかった伝説の米ポップ歌手”、と位置付けられていたことでしょうし、僕の人生も違っていたかも知れません。最初にラジオから聞こえてきた時のことは、はっきりと覚えています。自宅の2階の居間から、1階の応接間にトランジスタラジオを聴きながら降り、応接間のドアを開けた時にこの曲が流れてきた。そして、ラジオのアナウンサーがこう言ったのを覚えています。「誰にでも癖はあるものです。今日紹介する、この歌手の癖は“キューティ”を“キューリ”と発音すること」。さっき数えてみました、「Cutie」は、20回出て来ます。うち17回は確かに「キューリー」と発音しています。でもなぜか、「Cutie little messenger from paradise」のフレーズの、Cutie(計3回)だけは「キューティ(キューピー?)」と聴こえる。言語学(発声学?)的な問題に関わってくるのでしょうか? もうひとつ蛇足。村上春樹の「村上朝日堂はいかにして作られたか」に出てくるキューティ・パイの印象。“ピンクの豚と銀色の猿が、月夜の下で追っかけっこをしている”(かなりうろ覚えで正確ではありませんが、おおむねこんな要旨だったと思います)。相当に茶化されていますが、案外当たってもいそうなので、怒るわけにもいかない。ジョニーのソングライティングの力量が発揮された、良い曲だと思います。

●Itsy Bitsy Teenie Weenie Yellow Polka-Dot Bikini(ビキニスタイルのお嬢さん)【60年Pop 1位、R&B 10位】
○Poetry in Motion(ポエトリー)【60年Pop 2位、R&B 24位】
◎明日追加。

●Lop-Sided Over Loaded(オンボロカーでぶっ飛ばせ)【61年ノンヒット】
○Why Do I Love You So(こんなに愛して)【60年Pop 42位】
◎「ベビー・フェイス」のところで書いた思い出とは、、、、。とあるレコード屋さんのアルバイト店員の女の子に、Brian Hylandの「ベビー・フェイス」を持ってないので探している、と言ったら、次に訪れたとき、自分の持っていたのを僕にくれたのです。僕の知らなかった「オンボロカーでぶっ飛ばせ」も付け加えて、、、。嬉しかったなぁー。でも、その時っきりで、彼女にはその後会ったことも話したこともありません。名前も何も知らない。ジリオラ・チンクエッティに似た、とても可愛い娘だったのです。つくづく惜しいことをしたと、未だ独身の小生は、甘酸っぱい思いで、いっぱいなのです。
◎「こんなに愛して」は、ジョニーのアジア(除日本)でのもうひとつの大ヒット曲。フィリッピンの女性シンガー「パット」(?)のカヴァーが素敵です。オールディズのベストソングともされる曲です。以下、タイムリミットなので一言コメント。

●Sixteen Cubes Of Sugar(16個の角砂糖)【61年ノンヒット】
○Without You(ウイズアウト・ユー)【61年Pop 7位】
◎ベビー・フェイスのA面曲と、キューティ・パイのA面曲。「16~」は米ノンヒットで日本のみの限定ヒット、一方、米大ヒットの「Without You」(B面ともどもジョニーの自作)の日本版シングルは発売されず。

●Monday Morning Go To School Blues(月曜の朝の鐘が鳴る)【61年ノンヒット】
○Princes, Princes(プリンセス・プリンセス)【60年B面ノンヒット】
◎共に日本限定ヒット。「プリンセス~」は本国では「ポエトリー」のB面。

●The Joker Went Wild【66年Pop 21位】
○Talk back trembling Lips【64年 Pop 7位、AC 6位】
◎ブライアンの3年ぶりの大ヒット曲と、ジョニーのMGM移籍後の初ヒット。共にコミカルな明るく力強い曲で、聴けば聴くほど味が出て来ます。

●Lavender Blue【66年Album Cut】
○You’re the Reason【68年C&W 48位】
◎「ラヴェンダー・ブルー」は、ボビー・ヴィントンのスロー・ヴァージョンも素敵。「ユアー・ザ・リーゾン」は、マイFavoriteソング。これぞJohnny Tillotsonと言っていい曲。

●Sealed with a Kiss(涙のくちづけ)【62年Pop 3位】
○It Keeps Right on a Hurting(涙ながらに)【62年Pop 3位、C&W 4位、R&B 6位】
◎実質、両者の最大のヒット曲。解説省略。

●Ginny Come Lately(愛しのジニー)【62年Pop 21位】
○Send Me the Pillow You Dream On(夢の枕を)【62年Pop 17位、C&W 11位、AC 5位】
◎「涙のくちづけ」の一つ前と、「涙ながらに」の一つ後。

●If Mary's There(マリーがここにいたなら)【63年Pop 88位】
○I’m So Lonesome I Could Cry(泣きたい程の淋しさだ)【62年B面Pop 89位】
◎「泣きたい~」はB面だから仕方ないとしても、「マリー~」のポジションは低すぎる、素晴らしい曲なのです。ブライアンは、「マリーが~」と同じ日と翌日(63年1月2日と3日)に、ジョニーの「涙ながらに」、ブレンダ・リーの「淋しくって」、エヴァリー・ブラザースやロイ・オービソンで知られる「ラブハーツ」などをカバー録音していますが、お蔵入りになっています。ちなみに、ジョニーの66年のアルバムの中に「マリーが僕のものならIf You Were Mine, Mary」(入手困難)という素晴らしい曲があり、それと同時期に録音された、ノンリリースの「Adios Al Sufria(“涙くんさよなら”スペイン語ヴァージョン)」「Wooden Soldiers and Teddy Bears」などともども、いつか聴くことが出来たなら、と願っているのです。

●Angel in My Heart(わが心の天使)【61年Album Cut】
○That’s When It Heart’s The Most(傷ついた心)【64年Album Cut】
◎明日追加記述。

●Warmed Over Kisses(想い出のキッス)【62年Pop 25位】
○Out Of My Mind(涙でいっぱい)【63年Pop 24位、AC 11位】
◎「想い出のキッス」は「涙のくちづけ」の次ぎのヒット曲。「愛しのジニー」から、唯一の3曲連続top40ランキングです。「涙でいっぱい」はジョニーの自作曲。ジョニー・シンバルのカバーあり。B面は日本独自のヒット「Empty Feeling(うつろなハート)」。

●Dreamy Eyes(夢見る瞳)【69年ノンヒット】
○Strange Things Happen(不思議なことが起こった)【67年ノンヒット】
◎「夢見る瞳」は、ジョニー自作のデビューヒットを、ブライアンがカヴァー。チャートインしなかったのが不思議(完全没落時のこの時期に、こんなストレートな曲がヒットするはずがないというのは当然だけれども)なくらい良い出来です(ジョニー盤を遥かに上回る)。「不思議なこと~」も同様のことが言えるでしょう。

●To Know You is To Love You(逢ったとたんに一目ぼれ)【64年Album cut】
○Four Walls(4枚の壁)【62年Album cut】
◎僕の選んだ、2人のベスト・バラード。

●Just Out of Reach【66年Album cut】
○Wind Me Up Let Me Go【66年Album cut】
◎ブライアンがC&Wを意識して唄うと(ただしこの曲の原曲はR&B)いかにもC&Wという感じになります。ジョニーは、普通に唄ってもC&Wなのですが、いかにも、という感じはありません。

●Sometimes They Do Sometimes They Don't【66年Album cut】
○Your Memory Comes Along(君の面影)【65年B面ノンヒット】
◎アップ・テンポの曲も同様。「君の面影」は、「ハートエイクス・バイ・ザ・ナンバー」のB面。ポール・タンネンとの共作。

●Lonely Weekends【61年Album cut】
○This Ole House【64年Album cut】
◎明日追加記述。

●Jamaica Farewell(さらばジャマイカ)【64年Album cut】
○Yellow Bird(イエロー・バード)【64年Album cut】
◎「さらばジャマイカ」は、ブライアンのMy Best Favorite Song。ジョニーの「イエロー・バード」は、You-tubeのバックの画像が素晴らしい。

●Raspberries Strawberries【64年Album cut】
○Heartaches By The Number【65年Pop 35位、AC 4位】
◎「ラズベリー~」は、もうひとつの淡い恋の思い出が、、、。「ハートエイクス~」は、ジョニーの、My Best Favorite Song。



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中国旅行情報(9)

2010-10-01 13:11:35 | 自然、中国、花、蝶、
翁水村&貢千山(四川・雲南省境付近)②

①僕の常宿は、村の中間地点辺りの道沿いにあります。個室1泊10元(140円弱)。その代り、食事代も一食10元ほどします。



②宿舎の向かいは畑、その向こうに、岩山が連なって見えます。



③石灰岩を剥き出しにした岩山に向かう小さな渓流に沿って、小道が続いています(中国蝶類生態図鑑10月3日の項参照)。



④⑤⑥谷の奥の岩山。







⑦正面の岩山の左には、山塊の主体部が連なっています。白く見えるのは、雪ではありません。山全体を覆った石灰岩が、陽の光に照らされて、白く煌めいているのです。



⑧⑨山なみを左手に望みながら、峠に向かってひたすら歩きます。






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My Sentimental Journey(38)

2010-10-01 13:04:43 |  東拉紀行 塔公
東拉紀行 2010.8.9 ⑪

誰かがセミを見つけてきた。木に止まらせて撮影。



見たことのない変わったセミです。



またいたよ~(これはナメクジ!)



こっちも綺麗だから写して~!




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