青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(18)

2010-10-03 13:29:08 | チョウ


★ 「 カンパのお願い」 ご協力よろしくお願いします。

【月・水・金】中国の花/中国野生植物図鑑
【火・木・土】中国の蝶/中国蝶類生態図鑑
【月・木】日本列島および近隣地域の野生アジサイ
【水】中国大陸(&台湾・南西諸島)のセミ
【火・金(・日)】ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代
【随時(当面は土曜または日曜を予定)】中国旅行情報
【随時(当分は毎日)】My Sentimental Journey
【一時休載】屋久島はどこにある?(東シナ海周縁紀行)
【一時休載】屋久島はどこにある?(長江流域遡行紀行)

  青山潤三・花岡文子
メールアドレスjaoyama10@yahoo.co.jp

★今日は下記の④シリーズです。
「日本列島および近隣地域の野生アジサイ」及び「中国大陸(&台湾・南西諸島)のセミ」はしばらくお休みします。




生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(18)
ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(16)
中国旅行情報(11)
My Sentimental Journey(39)


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生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(18)

No.009スジボソヤマキチョウとヤマキチョウ【1】

シロチョウ科Pieridae/キチョウ亜科Coliaenae/キチョウ族Eumaeini/ヤマキチョウ属Gonepteryx
雲南省Yunnan/翁水村Won‐Shui /標高alt.3600m/2010年9月21日=スジボソヤマキチョウ:四川省Sichuan/二朗山Mt.Erlang中腹/標高alt.2700m/2010年8月10日=ヤマキチョウ

以前にも何度か記述しましたが、ヤマキチョウの仲間は、大きく2つのグループに分かれます。ヤマキチョウ群とスジボソヤマキチョウ群で、共にユーラシア大陸の冷温帯域(日本、台湾高地を含む)に広く分布しています。両者は、一見極めて似ていて、区別が難しいようにも感じますが、現物を比較すると、随分違うのです(殊に翅の質感が異なります)。共に年1化で成蝶で越冬しますが、その経過にも大きな違いが見られます。日本では、低山帯を含むやや広い地域に比較的普通に見られるスジボソヤマキチョウに対し、ヤマキチョウはより分布域・棲息環境が限られているのですが、中国大陸では、どちらかというと、ヤマキチョウのほうが低地帯を含むより広い範囲に見られるのに対し、スジボソヤマキチョウは、かなりの山地帯にのみ見られるという傾向があります。

ここでヤマキチョウと言っている対象は、種としてはタイワンヤマキチョウG.aminthaに含められることになっています。しかし(拙書「中国のチョウ」にも指摘したように)ヤマキチョウ種群の種の帰属については再検討を行う必要があり、暫定的に種群全体を“ヤマキチョウ=G.rhamni”に帰属しておこう、というのが僕の見解です。スジボソヤマキチョウ種群のほうも、同様に全体を纏めて“スジボソヤマキチョウ=G.aspasia”としておきます。

今日から、4回に亘って、ヤマキチョウとスジボソヤマキチョウの写真を羅列して行きます。見比べながら、違いを認識して見て下さい。

写真①~⑤スジボソヤマキチョウ、⑥~⑫ヤマキチョウ。①は翁水村の棲息環境(左奥に石灰岩の山が、右下に追飛翔中のフィールドベニモンキチョウとスジボソヤマキチョウが見えます)。⑥は二朗山の棲息環境。②~④と⑨~⑪は、逆光での撮影、静止時には絶対翅を開かないこの仲間の蝶ですが、逆光線で見ることにより、翅表の色調が分かります。⑤と⑫は、逆光から順光へ移り変わる途上、この辺りの光線の時は、周囲に完全に溶け込んでしまいます。








































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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(16)

2010-10-03 13:22:28 | アメリカン・ポップスearly60’s

“狭間のシンガー”24人衆の紹介 ⑨『ボビー・ヴィントンとトミー・ロー』




Bobby Vinton40位 
1935.4.16 Pennsylvania出身
涙の紅バラ/ブルーベルベット



Tommy Roe 182位 
1942.5.9 Atlanta出身
可愛いシェイラ/スィートピー



【デビューは一足遅れても、息長く活躍し続けた、62年初ヒット組】

僕は、自他共に認める、ジョニー・ティッロトソンのファンで、今でも一日中、彼の歌ばかりを聴いて過ごしているのですが、といって、彼の歌がそんなに良いと思っているわけでもないのです。それどころか、冷静に考えれば、相当に下手くそ、、、語弊があるかも知れないので少し言い変えて表現すると、ほとんど素人の歌と変わらないのではないのか、間違えて表舞台に立ってしまっただけではないのかと、思うことがあります。

これではファン失格。まあ、(若い頃ファンだった)成り行きでファンを続けているようなものなのです。今では、ほとんど自分の分身ですね(ジョニー本人に対しては随分失礼な言い方だけれど)。拙いは拙いなりに、唯一無二の愛着があるのです。

では、本当に評価している歌手とは誰なのか、と言えば、今回紹介する、ボビー・ヴィントンとトミー・ロー、となるでしょう。ラブ・バラードのボビー、アップテンポの曲ならトミー。胸を張って、素晴らしい歌を歌う、大好きな歌手、と誰にも勧めることが出来ます。2人とも、ジョニーと共通する点が多々あります。違うところは、本物の、グレートな歌手であるということ(ごめんね!ジョニー)。

共に62年初ヒット組、ジョニーより少し後れてブレイクしました。「狭間の歌手」の中では、前期が、リッキー・ネルソンとエヴァリー・ブラザース、後期が、ボビー・ヴィントンとトミー・ロー。この4人(組)が僕の文句なしの推奨です。

彼らの現在の(ことに日本における)評価には、不満が一杯です。リッキーやエヴァリーはまだしも、ヴィントンやトミー・ローに対する評価は悲惨です(彼らのネガティブな評価があるということではなく、話題にのぼる機会が余りにも少なすぎるということ)。

ボビー・ヴィントンは、圧倒的に凄い歌手です。20世紀ランクでは、40位。リッキー(22位)やポール・アンカ(29位)の後塵を拝していますが、ポイントの集計上、前2者のブレイクした50年代末よりも、ボビーの活躍した60年代中期のほうが不利なこと、及び大量のAC上位チャートが集計されていないことを加味すれば、実質上のNo.1シンガーではないかと思うのです。

60年代~70年代を通して第一線で活躍した歌手は、ヴィントン唯一人(付け加えればエルヴィス)だと思います。それも、デビュー以来スタイルを変えることなく、ずっと同じ曲調で一貫して、、、。凄いと思う。それと、「Mr.ロンリー」や「愛のメロディー」で示されている、ソング・ライティングの才能。

トミー・ローも、実は凄いビッグなのです。彼が、20世紀ランクで、ジョニーより下(180位)に位置付けられているのが信じられない(前回述べたジーン・ピットニー以上に不可解)。ナンバーワンヒット2曲、トップ10ヒット6曲、ゴールドディスク4枚ですよ!全てに勝る実績を有する歌手は、何人いるのでしょうか?

彼もヴィントン同様、60年代を通じてヒット曲を放ち続けて来ました。ヴィントンとは対照的に、大半がアップテンポの曲。バラード調の曲にも良い曲がありますが、本領を発揮しているのは、“ニュー・ロック”とも言うべき、軽快で切れ味のいい、アップ・テンポ・ナンバーです。

ヴィントンも、ローも、80年代に入ってC&Wチャートに移行し、そこそこの実績を残しています。



Bobby Vinton
62.06.09(Billboard Hot100初登場日付け)-80.01.26(■途中僅かな断続帰還があるが、トータルでは連続するため、最終チャートまで通算して集計)
Hot100ランク曲数:47曲(■)
同Top40ランク曲数:30曲(■)
同Best10ランク曲数: 09曲(■)
通算Hot100ランク曲+C&W・R&B・AC 各単独チャートイン曲の総数:61曲
4チャートのBest10ランク曲総数:25曲


Tommy Roe
62.07.28(Billboard Hot100初登場日付け)-73.05.26(●ヒット曲が断続するため、最終チャートまで通算して集計)
連続ヒット内のHot100ランク曲数:22曲(●)
同Top40ランク曲数:11曲(●)
同Best10ランク曲数:06曲(●)
通算Hot100ランク曲+C&W・R&B・AC 各単独チャートイン曲の総数:29曲
4チャートのBest10ランク曲総数:06曲



今回、(ボビー・ヴィントンに関しては)ちょっと変則的に、曲を選んでいきます。

彼は「Mr.ブルー」「Mr.ロンリー」などとも称されていますが、僕に言わせれば(それらも含めて)「Mr.柳の下」。あちこちの柳の下に、ドジョウが何匹もいるのです。

●Roses are Red My Love(涙の紅バラ)
1962年Pop 1位、AC 1位、R&B 5位。
●Rain, Rain Go Away(涙の太陽)
1962年Pop 12位、AC 4位。
●Petticoat White (Summer Sky Blue)
1966年Pop 81位。
◎この3曲、全く同じ趣向と言ってもいい歌詞内容です。

■Blue on Blue
1963年Pop 3位、AC 2位。
■Blue Velvet
1963年Pop 1位、AC 1位。
◎言わずと知れたブルー・シリーズ。全曲ブルーで揃えたアルバム「Blue on Blue」もベストセラーに。

○There I’ve Said It Again
1964年 Pop1位、 AC 1位。
○My Heart Belong to Only You
1964年Pop 9位、AC 2位。
○Tell Me Why
1964年Pop 13位、AC 3位。
◎ジャズ・ヴォーカル風バラード・シリーズ。「ゼアー~」は、ビートルズ米来襲初No.1「抱きしめたい」の直前の1位。以下、このスタイルのヒット曲は、たびたび現れます。

□Mr. Lonely
1965年Pop 1位、AC 3位。
□Long lonely Night
1965年Pop 17位、AC 5位。
□L-O-N-E-L-Y
1965年Pop 22位、AC 7位。
□Lonely Girl(Theme from 'Harlow')
1965年Pop 61位、AC 16位。
◎「Mr.ロンリー」は、デビー・アルバム「涙の紅バラ」からのカッティング。「ロンリー」は、My Favorite Songです。

△Mr. Lonely
1965年Pop 1位、AC 3位。
△Bitter Teardrops
1966年Album-cut
△Coming Home Soldier
1967年Pop 11位。
◎もうひとつ「MR.ロンリー」がらみ。泣きぐみつつの絶唱=「ビター・ティアードロップス」。“徴兵物語”の続編=「カミングホーム・ソルジャー」。

そして極め付けは、同世代(ただし全て年下=カッコ内が生年)歌手のPopsヒット曲のカヴァー。ほとんど意地になって、これでもか、とカヴァーし続けます。その特徴は、オリジナル歌手が、それぞれ個性たっぷりな編曲・歌唱で唄っているのに対し、全くオーソドックスな編曲・歌唱に焼き直して唄っていること(普通は逆だと思うのだけれど)。ボビーの自信の現われと見るべきなのでしょうか?

▲Dum-De-Da(恋する2人)=She Understands Me
1966年Pop 40位、AC 24位。
◎ジョニー・ティロットソン(1939)1964年Pop 31位、AC 4位。

▲Take Good Care of My Baby(さよならベイビー)
1968年Pop 33位、AC 14位。
◎ボビー・ヴィー(1943)1961年Pop 1位。

▲Halfway to Paradise(虹のパラダイス)
1968年Pop 23位、AC 8位。
◎トニー・オーランド(1944)1961年Pop 39位。

▲To Know You Is to Love You(逢ったとたんに一目ぼれ)
1969年Pop 34位、AC 8位。
◎ザ・テディー・ベアーズ(フィル・スぺクター1941)1958年Pop 1位。

▲My Elusive Dreams(2人の青い鳥)
1970年Pop 46位、AC 7位、C&W 27位。
◎デヴィット・ヒューストン(1937)&タミー・ワイネット(1941)1966年Pop 49位、C&W 1位。

▲Sealed With a Kiss(涙のくちづけ)
1972年Pop 19位、AC 2位。
◎ブライアン・ハイランド(1943)1962年Pop 3位。

▲Hurt(涙の想い出)
1973年Pop 106位、AC 40位。
◎ティミー・ユーロー(1941)1961年Pop 4位。

▲Wooden Heart(さらば故郷[ふるさと])
1975年AC 23位。
◎ジョー・ダゥウエル(1940)1961年Pop 1位。
[参考]◎エルヴィス・プレスリー1960年Album/1965年Pop 101位。

▲Only Love Can Break a Heart(愛の痛手)
1977年Pop 99位、AC 44位。
◎ジーン・ピットニー(1940)1962年Pop 2位、AC 1位。
ピットニーのヒット曲は、この後も、「It’s Heart to be in Love」をカヴァーしているようですが、チャートには入っていません。

▲Hold Me, Thrill Me, Kiss Me
1977年AC 43位。
◎メル・カーター(1943)1965年Pop 10位。

一応ヒットはしているのですが、大半の曲は、オリジナルのチャート・ポジションに及んでいません。しかし、
▼Please Love Me Forever(いつまでも愛して)
1967年Pop 6位、AC 39位。
◎Cathy Jean and the Roommates 1961年Pop 12位。
▼I Love How You Love Me(こんなに愛しているのに)
1968 年Pop 9位、AC 2位。
◎The Paris Sisters 1961年Pop 5位。
といった、余り知られていない女性歌手&コーラス・グループのカヴァー曲は、ボビー盤も負けずと大ヒットしています。

大ヒット曲は、より古い時代のヒット曲のリメイク(1951年の「Blue Velvet」、1945の「There I’ve Said it Again」)、あるいは「Mr. Lonely」(1964年Pop 1位、AD 3位)や「My Melody of Love(愛のメロディー)」(1974年Pop 3位、AC 1位)のようなボビーの自作(Co-write)曲に多い傾向が見られます。なぜに好んで、(いわば格下のライバル歌手たちの)いわゆる“オールデイズ・ポップス”の名曲をカバーし続けたのか、、、、単に本人が、そのような曲を好きだったということだけなのかも知れませんが。

最後に、「薔薇」がらみ。

★Roses are Red(涙の紅バラ)
1962年Pop 1位、AC 1位、R&B 5位。
★Bed of Roses
1984年C&W 91位。
★The Last Rose(最後のバラ)
1989年C&W 63位
★Roses are Red(涙の紅バラ)[再発]
1990年[英メロディー・メイカー誌] 71位。

と、キッチリと締めくくっているところが、見事というほかありません。

その他の僕の好きな曲
☆Over the Mountain
1963年Pop 21位、AC 8位。
☆Just As Much As Ever
1968年Pop 24位、AC 10位。
☆Little Miss Blue
1963年のベストセラーアルバム「Blue on Blue」収録。“ブルー”の付く名曲を集めた中での唯一の自作曲。
☆All the King's Horses(and All the King’s Man)
「Petticoat White (Summer Sky Blue)」(1966年Pop 81位)。A面も大好きなのですが、62年録音の自作のこの曲も大好き。
☆タイトル不明【「Love is~」】*ネットで一時間ぐらい探したけれど出てこないのでギブアップ。
「What Caller is a Man」(1965年Pop 38位)のB面曲です。珍しくビートの利いたロック調の曲。


ボビー・ヴィントンの曲の紹介が長くなってしまったです。トミー・ローは今回は簡単に。ヒット曲を順番に並べただけです(ただし大ヒットが2曲抜けているので、その分僕の嗜好が入っています)。
【トミー・ロー/マイ・ベスト10】

●Sheila(可愛いいシェイラ)
1962年Pop 1位。バディ・ホリーの「Peggy Sue」を思わせる(というかほとんどそっくりの)ご機嫌なロック。「ペギー・スー」の圧倒的な迫力を“雷神のような”と評した文をどこかで見た覚えがあるが、この曲にもピッタリ当て嵌まる。
トミーの自作。

●Susie Darlin
1962年Pop 35位。第2弾は一転してスローバラード。Robin Luke1958年の大ヒット(Pop 5位)のリメイクで、そこそこのヒットを記録した。B面の「Piddle De Pat」は軽快なロックチェーン(歌詞の中にTOKIOが出てくる!)で、こちらもPop 101位にランクされている。

●Everybody
1963年Pop 3位。62年末から1年間はチャートから姿を消してしまいますが、63年末になって突如再ブレイク。トミーの自作で、彼の真価がフルに発揮された最高にカッコいい曲。

●The Folk Singer
1964年Pop 84位。続くバラード調のこの曲(「She Understands Me/Dam Di Da」の作者の一人で女性C&WシンガーのMerle Kilgore作)は下位ポジション。この後の「Carol」(Pop 61位)や「Come On」(Pop 36位)といったロック・ナンバーのほうが、彼にはあっているように思うのですが、イギリスでは4 位を記録しています。

"●Party Girl
1964年Pop 85位。この曲を最後に、再び2年近くチャートから姿を消してしまいます。「シェイラ」でブレイクする以前に録音された可能性があり、荒削りな仕上がりですが、いかにも“ティーン・ポップ”といったイメージの、心地よいメロディーで、僕がリアルタイムでとても好きだった曲の一つです。

●Sweet Pea
1966年Pop 8位。3度目の大ブレイクです。続く「Hooray for Hazel(ヘイゼル万歳)」(Pop 6位)と“植物名シリーズ”で、2曲連続のベスト10入り。共にトミーの自作曲。

●It's Now Winters Day
1967年Pop 23位。トミーのバラード・ナンバーとしては最大のヒットです。この曲の構成は、こり過ぎているとの批判もありますが、僕は大好き、真冬の室内と屋外の佇まいが、とても良く現わされています。トミーの自作。このあと、90位台の小ヒットを2曲放って、三たび2年近く沈黙します。

●Jam Up and Jelly Tight
1970年Pop 8位。4度目の大ブレイクは69年、2曲目のNo.1ヒットの「Dizzy」。「Heather Honey」(Pop 29位)、「Jack and Jill」(Pop 53位)と続いたあと、ラストTop10ヒットが、69年暮れから70年初頭にかけてのこの曲(いずれもトミーの自作)。僕の中では、“ポップス黄金期”最初期のベストが、リッキー・ネルソンの「Never Be Any One Else But You」、最後期のベストが「Jam Up and Jelly Tight」、と位置付けられているのです。

●We Can Make Music
1970年Pop 49位。70年に入っても、「Pearl」(Pop 50位)、「Stir It Up and Serve It」(Pop 50位)、この曲と踏ん張ります。パンチがあって、明るく楽しい、大好きな曲です。

●Stagger Lee
最後のメジャーヒットは、R&Bの名曲。迫力満点の傑作です。この後、73年にかけ、90位台の小ヒットを2曲放って、Popチャートから撤退、80年代にC&W界に活動の場を移します。

《おまけ①》●曲名不明
1980年代中期、C&W 50位前後にランクされたバラード・ナンバーです。大好きな曲なのだけれど、曲名を思い出せません。タイムリミットなのでとりあえず。
《おまけ②》●We Can Make It(with Jonny Tillotson & Brian Hyland)
1999年のビデオ・ムービー「Rudolph the Red Nosed Reindeer」の挿入曲。この仲良し3人組、声の質がとても似ているので、誰がどのパーツを唄っているのか判別が難しい(トミーがリードを取っていると思うのですが)。
You-tubeその他に多数アップされているので、一度聴いて見て下さい。パンチの利いた、若かりし頃の彼らに勝る、かっこいいロック・ナンバーです。
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中国旅行情報(11)

2010-10-03 13:15:54 | 自然、中国、花、蝶、
翁水村&貢千山(四川・雲南省境付近)③

①峠から、省境の稜線を辿って、“不思議な山”の本体のほうに向かいます。トレールに敷き詰められた石は、ピカピカ光る、薄っぺらな、この辺りに独特の石です。



②~⑥下から見えていた、森の中に着きだした白い“鋸”稜線の末端のピークに辿りつきました。山全体も、小さな石と同様に、平べったいのです。











⑦⑧末端のピークのそのまた上にも、小さなピークが付きだしています。そこには、平べったい石が縦に突き刺すように立ち並んでいます。昨日紹介した“赤いシータテハ”の写真の一部は、ここで撮影したものです。






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My Sentimental Journey(40)

2010-10-03 13:09:59 |  東拉紀行 塔公
東拉紀行 2010.8.9 ⑬

クロアゲハ&カラスアゲハ。



花はフジウツギ属(ブッドレア)。



10数分置きに回り廻って来ます。



カラスアゲハ。





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