“狭間のシンガー”24人衆の紹介 ⑦ 『ブライアン・ハイランドとジョニー・ティロットソン』
Brian Hyland 263位
1943.11.12 New York出身
ビキニスタイルのお嬢さん/涙のくちづけ
Johnny Tillotson 148位
1939.4.20 Florida出身
ポエトリーインモーション/涙ながらに
【対照的なヒット曲のパターンを持つ、メジャーになった“ティーン・アイドル”】
いや、困ったことになってしまいました。ベトナムに来たとたん、中国では開くことの出来なかったYou-tubeその他の動画や音楽を、見たり聴いたりことが出来るようになってしまった。今回は真打ちの、ブライアン・ハイランドとジョニー・ティロットソンです。書く材料は山ほどあるのです。その中から適当に話題をチョイスして行けばいいと考えていたのに、なにもこのタイミングで、You-tubeが開けるようになっても、、、当惑するばかりです。どうしても、ついチェックをしたくなってきますし、何だか新しい情報も次々と入っているみたいなので、(また、よせばいいのに、それらをチェックしようとするものだから)収集が付かなくなってきます。
それでなくても、風邪をこじらせて、うんうん唸っている最中。集中して文章を書ける状態ではありません。ということで、極力新しい情報は無視して、意識的にどうでもいい話を書き連ねて行くことにします。
以前、ネットサーフをしていたら、何かのブログで、「ブライアン・ハイランドとジョニー・ティロットソン、どっちがどっちのヒット曲だか区別がつかなくなってしまうことがある」という記述に出会いました。歌唱スタイルとか声の質とかは、さほど、似てはいない、というよりも、相当に異なります。でも、トータルに見渡すと、どこか共通点があるのですね。
ボヴィー・ヴィントンとジョニー・ティロットソンも、一般には似ている、と取られることがあるようで、以前「混同して、うっかりと“ボビー・ティロットソン”と書いてしまった」、という某氏の記述がありました。ボビー・ヴィントンは、実力・実績とも、遥かに上ですから、恐れ多いことこの上ないのだけれど、1962年からの2年ほどは実績も拮抗していて、その間に限っては、ライバル的な存在であったと言えます。
そのBobby VintonとBrian Hylandもカブリます。なぜか選曲の傾向が似ているのです。おおむね年少のハイランドが先行し、年長(8歳余)のヴィントンが再カヴァーして行くといった傾向があるように思います。上記3人に、Ricky NelsonやEverly BrothersやRoy Orbison、さらにConnie FrancisやBrenda Leeといったところが、ひと括りにして捉えられることが多いのは、「カントリー・フレヴァー」という括りでしょう。
一方、Bobby RydelやBobby Vee、Frankie AvalonらとJohnnyは、違った角度からの共通点が、感じとれます。歌のティスト(中身)というより、外枠のような観点(存在感の“程度”のようなものと言っていいでしょうか)に、類似性が見てとれるのです。
Brian HylandとJohnny Tillotsonの一番の共通点は、その活躍時代が一致することです。60年の「ビキニスタイルのお嬢さん」と「ポエトリー・イン・モーション」、62年の「涙のくちづけ」と「涙ながらに」。代表的ヒット曲も、見事に応呼しています。ただし、もう少し詳細に見れば、そのヒット曲の出現パターンが対照的なのです。
いずれ深く検証してみたいと考えているのですが、一言で言うと、ジョニーはコンスタント・ヒットメイカー、ブライアンは爆発型、ということが出来るでしょう。
58年秋のデビュー以来、65年末までに発売された23枚のシングル(26曲)を、一つ欠かさずビルボードHot100に連続チャートイン、それもその大半が、Tpp40内ヒットか、ACやC&Wチャートで上位にランクされた曲、でもそれが途切れてからは、(C&Wチャートを別として)ポップチャートには一度も再登場していない、というのがジョニー。一方ブライアンは、連続ヒットが途切れるも何も、ヒットが何曲も続いたこと自体が無い(トップ40入りが3曲続いたのは、62年の一度のみ)。ACやC&Wチャートには、一曲も登場していない。ビートルズ登場後の、64~65年のチャートイン曲はゼロ。でも“ポップス黄金期”におけるハズレが多い分、ジョニーよりも後まで、ヒットが続き、66年に20位台の2曲、69年に50位台1曲、71年にBest 3と50位台の各1曲などを、突発的にチャートインさせています(ジョニーは66年以降のPopヒットは皆無、67-68年に2曲、77年と84年に各1曲のC&W小ヒットあり)。
Brian、Johnnyとも、B面(ことに本国ノンヒット)曲に、素晴らしい曲があり、その幾つかは、日本限定のヒット
となっていることも、共通の特徴でしょう。本来、ブライアンは影のある哀愁的な雰囲気の曲を特徴とし、ジョニーはむろん、カントリー色の強い曲が得意なわけですが、本国ノンヒットの日本限定ヒットの曲は、両者とも、C&W色の少ない、明るく綺麗なメロディーの曲が多いのです。
Brian Hyland
60.07.04(Billboard Hot100初登場日付け)-71.04.03(●ヒット曲が断続するため、最終チャートまで通算して集計)
Hot100ランク曲数:22曲(●)
同Top40ランク曲数:08曲(●)
同Best10ランク曲数: 03曲(●)
通算Hot100ランク曲+C&W・R&B・AC 各単独チャートイン曲の総数:22曲
4チャートのBest10ランク曲総数:03曲
Johnny Tillotson
58.10.06(Billboard Hot100初登場日付け)-65.12.25(一年間以内の連続ヒット最終日付け)
連続ヒット内のHot100ランク曲数:26曲
同Top40ランク曲数:14曲
同Best10ランク曲数:04曲
通算Hot100ランク曲+C&W・R&B・AC 各単独チャートイン曲の総数:30曲
4チャートのBest10ランク曲総数:10曲
旅行中持ち歩いているCDの中に、Brian Hyland&Johnny Tillotson(Vol.1/Vol.2)というダビング編集した2枚があります。我ながら選曲がなかなか良いので、移動の列車やバスの中で、いつも聴いているのです。これを紹介して行くことにしましょう。●がブライアン、○がジョニーです。
●Don’t Dilly Dally Sally(ごめんねサリー)【60年B面ノンヒット】
○A Very Good Year For Girls(素敵なガールハント)【63年B面ノンヒット】
◎私見では“ポップス黄金時代”の2大名曲ではないかと。「ごめんねサリー」は、「ビキニスタイルのお嬢さん」のB面ですが、録音はそれに先んじて行われたようです。「ビキニ~」に勝るとも劣らない出来。ただしヒットに結びつくためには、タイトルにインパクトのある「ビキニ~」でなくてはならなかったのでしょうけれど。
◎「素敵なガールハント」は、“テイク7”を聴くこと。CadenceからMGMに移ったあと、63年秋、旧譜「Funny How Time Slips Away」(Pop 50位、AC 16位)のB面としてリリースされましたが、録音は62年初頭。「涙ながらに」と同日?の可能性もあり、だとすれば、これまで通りPops路線で行こうと、この曲で勝負する予定を、録音後、急遽C&W路線に変えた、ということでしょうか?
●Cleo【60年Album-cut】
○Judy, Judy, Judy【63年B面ノンヒット】
◎両者の、明るさ(軽快さ、楽しさ、、、良い意味での軽さ、能天気さ)が良く表れている曲です。「クレオ」は、ブライアンがメジャーデビューする以前に、マイナーレーベルのLeaderで録音された曲の一つ。
◎ジョニーのアジアでの最大のヒット(ただしなぜか日本ではヒットしなかった)「ジュディー、ジュディー、ジュディー」(A面は「You Can Never Stop Me Loving You」63年Pop 18位、AC 4位)については、語りたいことが山ほどある(「東南アジアで人気のラインダンス“Johnny’s Girl”」「ジュディー・ガーランドの動画」etc.)ので、後ほど機会を改めて。
●Rosemary【60年ノンヒット】
○Never Let Me Go【60年B面ノンヒット】
◎「ローズ・マリー」は、ブライアンのデビュー曲。素晴らしい曲なのですが、全くヒットしなかった。もし、次に「ビキニ~」というインパクトの強い曲でブレイクすることが無ければ、地方の一天才歌唱少年、として終わっていたのかも知れません。成功するには、実力だけでなく、“運”“コネ”“タイミング”そして“企画・宣伝力”が必要なのだ、とつくづく思うのです。ところが不思議なことに、日本では「ビキニ~」に先行して発売され、そこそこのヒットを記録しているようなのです。ジャケットの番号も確かに先だし、証言もあるのですが、ちょっと信じられない。本当だとしたら、日本の業界&リスナーも大したものです。もっとも、このブライアンとジョニーに関しては、本国とは全く異なる形跡で日本独自のヒットを生み出して行ったという事実があり、意外と本当なのかも知れません。
◎ジョニーの「Never Let Me Go」は、60年初頭のヒット「こんなに愛して」のB面曲。「Judy~」や次の「Cutie Pie」同様、彼の自作曲(前者はco-writ)です。“能天気さ”極まる、単調で綺麗なメロディーの明るく楽しい曲。こちらは、日本では、シングルはむろん、アルバムやベスト集でも、とうとう発売されることがありませんでした。一般のリスナーが聴けるようになったのは、21世紀に入ってから。
●Baby Face(夕方胡瓜捨てる)【61年B面ノンヒット】
○Cutie Pie(胡瓜パイ)【61年B面ノンヒット】
◎日本でのBrian Hyland、Johnny Tillotsonと言えば、この2曲に尽きるでしょう。共に“胡瓜”がらみです(笑)。「べビー・フェイス」は、日本限定大ヒットのリアルタイムでのインパクトもさることながら、若い世代には、「タモリ倶楽部・空耳アワー」のオープニング(エンディング?)曲として知られているはずです。僕も今、この曲(“リアルタイム”でも凄く懐かしい思い出があるのですが、その話は2つ後の項で)に嵌まっていて、何度も繰り返して「夕方胡瓜捨てる」のフレーズ(冒頭に本人、後半に女性コーラスと、2度唄われる)を聴き、一人悦に行っています。
◎「キューティ・パイ」は、言わずと知れた、ジョニー起死回生の、日本でのデビューヒット。もしこのとき、日本キングレコード企画部某氏の機転が無かったら、ジョニーは永久に“日本では全くヒット曲が出なかった伝説の米ポップ歌手”、と位置付けられていたことでしょうし、僕の人生も違っていたかも知れません。最初にラジオから聞こえてきた時のことは、はっきりと覚えています。自宅の2階の居間から、1階の応接間にトランジスタラジオを聴きながら降り、応接間のドアを開けた時にこの曲が流れてきた。そして、ラジオのアナウンサーがこう言ったのを覚えています。「誰にでも癖はあるものです。今日紹介する、この歌手の癖は“キューティ”を“キューリ”と発音すること」。さっき数えてみました、「Cutie」は、20回出て来ます。うち17回は確かに「キューリー」と発音しています。でもなぜか、「Cutie little messenger from paradise」のフレーズの、Cutie(計3回)だけは「キューティ(キューピー?)」と聴こえる。言語学(発声学?)的な問題に関わってくるのでしょうか? もうひとつ蛇足。村上春樹の「村上朝日堂はいかにして作られたか」に出てくるキューティ・パイの印象。“ピンクの豚と銀色の猿が、月夜の下で追っかけっこをしている”(かなりうろ覚えで正確ではありませんが、おおむねこんな要旨だったと思います)。相当に茶化されていますが、案外当たってもいそうなので、怒るわけにもいかない。ジョニーのソングライティングの力量が発揮された、良い曲だと思います。
●Itsy Bitsy Teenie Weenie Yellow Polka-Dot Bikini(ビキニスタイルのお嬢さん)【60年Pop 1位、R&B 10位】
○Poetry in Motion(ポエトリー)【60年Pop 2位、R&B 24位】
◎明日追加。
●Lop-Sided Over Loaded(オンボロカーでぶっ飛ばせ)【61年ノンヒット】
○Why Do I Love You So(こんなに愛して)【60年Pop 42位】
◎「ベビー・フェイス」のところで書いた思い出とは、、、、。とあるレコード屋さんのアルバイト店員の女の子に、Brian Hylandの「ベビー・フェイス」を持ってないので探している、と言ったら、次に訪れたとき、自分の持っていたのを僕にくれたのです。僕の知らなかった「オンボロカーでぶっ飛ばせ」も付け加えて、、、。嬉しかったなぁー。でも、その時っきりで、彼女にはその後会ったことも話したこともありません。名前も何も知らない。ジリオラ・チンクエッティに似た、とても可愛い娘だったのです。つくづく惜しいことをしたと、未だ独身の小生は、甘酸っぱい思いで、いっぱいなのです。
◎「こんなに愛して」は、ジョニーのアジア(除日本)でのもうひとつの大ヒット曲。フィリッピンの女性シンガー「パット」(?)のカヴァーが素敵です。オールディズのベストソングともされる曲です。以下、タイムリミットなので一言コメント。
●Sixteen Cubes Of Sugar(16個の角砂糖)【61年ノンヒット】
○Without You(ウイズアウト・ユー)【61年Pop 7位】
◎ベビー・フェイスのA面曲と、キューティ・パイのA面曲。「16~」は米ノンヒットで日本のみの限定ヒット、一方、米大ヒットの「Without You」(B面ともどもジョニーの自作)の日本版シングルは発売されず。
●Monday Morning Go To School Blues(月曜の朝の鐘が鳴る)【61年ノンヒット】
○Princes, Princes(プリンセス・プリンセス)【60年B面ノンヒット】
◎共に日本限定ヒット。「プリンセス~」は本国では「ポエトリー」のB面。
●The Joker Went Wild【66年Pop 21位】
○Talk back trembling Lips【64年 Pop 7位、AC 6位】
◎ブライアンの3年ぶりの大ヒット曲と、ジョニーのMGM移籍後の初ヒット。共にコミカルな明るく力強い曲で、聴けば聴くほど味が出て来ます。
●Lavender Blue【66年Album Cut】
○You’re the Reason【68年C&W 48位】
◎「ラヴェンダー・ブルー」は、ボビー・ヴィントンのスロー・ヴァージョンも素敵。「ユアー・ザ・リーゾン」は、マイFavoriteソング。これぞJohnny Tillotsonと言っていい曲。
●Sealed with a Kiss(涙のくちづけ)【62年Pop 3位】
○It Keeps Right on a Hurting(涙ながらに)【62年Pop 3位、C&W 4位、R&B 6位】
◎実質、両者の最大のヒット曲。解説省略。
●Ginny Come Lately(愛しのジニー)【62年Pop 21位】
○Send Me the Pillow You Dream On(夢の枕を)【62年Pop 17位、C&W 11位、AC 5位】
◎「涙のくちづけ」の一つ前と、「涙ながらに」の一つ後。
●If Mary's There(マリーがここにいたなら)【63年Pop 88位】
○I’m So Lonesome I Could Cry(泣きたい程の淋しさだ)【62年B面Pop 89位】
◎「泣きたい~」はB面だから仕方ないとしても、「マリー~」のポジションは低すぎる、素晴らしい曲なのです。ブライアンは、「マリーが~」と同じ日と翌日(63年1月2日と3日)に、ジョニーの「涙ながらに」、ブレンダ・リーの「淋しくって」、エヴァリー・ブラザースやロイ・オービソンで知られる「ラブハーツ」などをカバー録音していますが、お蔵入りになっています。ちなみに、ジョニーの66年のアルバムの中に「マリーが僕のものならIf You Were Mine, Mary」(入手困難)という素晴らしい曲があり、それと同時期に録音された、ノンリリースの「Adios Al Sufria(“涙くんさよなら”スペイン語ヴァージョン)」「Wooden Soldiers and Teddy Bears」などともども、いつか聴くことが出来たなら、と願っているのです。
●Angel in My Heart(わが心の天使)【61年Album Cut】
○That’s When It Heart’s The Most(傷ついた心)【64年Album Cut】
◎明日追加記述。
●Warmed Over Kisses(想い出のキッス)【62年Pop 25位】
○Out Of My Mind(涙でいっぱい)【63年Pop 24位、AC 11位】
◎「想い出のキッス」は「涙のくちづけ」の次ぎのヒット曲。「愛しのジニー」から、唯一の3曲連続top40ランキングです。「涙でいっぱい」はジョニーの自作曲。ジョニー・シンバルのカバーあり。B面は日本独自のヒット「Empty Feeling(うつろなハート)」。
●Dreamy Eyes(夢見る瞳)【69年ノンヒット】
○Strange Things Happen(不思議なことが起こった)【67年ノンヒット】
◎「夢見る瞳」は、ジョニー自作のデビューヒットを、ブライアンがカヴァー。チャートインしなかったのが不思議(完全没落時のこの時期に、こんなストレートな曲がヒットするはずがないというのは当然だけれども)なくらい良い出来です(ジョニー盤を遥かに上回る)。「不思議なこと~」も同様のことが言えるでしょう。
●To Know You is To Love You(逢ったとたんに一目ぼれ)【64年Album cut】
○Four Walls(4枚の壁)【62年Album cut】
◎僕の選んだ、2人のベスト・バラード。
●Just Out of Reach【66年Album cut】
○Wind Me Up Let Me Go【66年Album cut】
◎ブライアンがC&Wを意識して唄うと(ただしこの曲の原曲はR&B)いかにもC&Wという感じになります。ジョニーは、普通に唄ってもC&Wなのですが、いかにも、という感じはありません。
●Sometimes They Do Sometimes They Don't【66年Album cut】
○Your Memory Comes Along(君の面影)【65年B面ノンヒット】
◎アップ・テンポの曲も同様。「君の面影」は、「ハートエイクス・バイ・ザ・ナンバー」のB面。ポール・タンネンとの共作。
●Lonely Weekends【61年Album cut】
○This Ole House【64年Album cut】
◎明日追加記述。
●Jamaica Farewell(さらばジャマイカ)【64年Album cut】
○Yellow Bird(イエロー・バード)【64年Album cut】
◎「さらばジャマイカ」は、ブライアンのMy Best Favorite Song。ジョニーの「イエロー・バード」は、You-tubeのバックの画像が素晴らしい。
●Raspberries Strawberries【64年Album cut】
○Heartaches By The Number【65年Pop 35位、AC 4位】
◎「ラズベリー~」は、もうひとつの淡い恋の思い出が、、、。「ハートエイクス~」は、ジョニーの、My Best Favorite Song。