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青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

日記 2021.4.13

2021-04-15 09:11:58 | コロナ 差別問題と民主化運動 日記


★4月12日の記事に、いいね!その他ありがとうございました。


読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*毎回(リンドウの項目奇数回)のブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けることにします。
(↑手違いで前回の日記の冒頭には抜けていました)

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僕は、民主主義とは、“取得権保有主張”主義だと思っています。個人愛と人類愛は、対極の存在です(ジョン・レノンは安易にそこをごっちゃにしている)。

大事なことは、あらゆる状況を「直視する」ということであって、答えをどう導くかは別問題です。

僕は、文明や科学を否定しているわけですが、それは“現状に置ける”という但し書き付きで、本質的な部分で否定しているわけではありません。

「ロジカル(理論的)」という言葉の、そのベーシックな部分(「ロジカル」が成り立つ背景)への追求を(おそらく無意識的に)避けているのが、今の人類(殊に日本人、そしてその多くは、いわゆるエリート)です。

次元を異にすれば、「ロジカル」と信じている基盤自体が無くなってしまう。科学絶対、文明絶対の人たちにとってはそれは困るので、「スピリチュアル」とか名付けて排除・無視している(踏み込まない)のですね。

文明とは、人類に欠けている部分を(他の生物たちと異なる過程・手法で)補なって行くこと。それだけです。

科学とは、(宇宙?に)無数に存在する“可能性”のごく一部分をチョイスして、体系と方法論に基づいて構築すること。それだけです。

ある一面から見れば“凄い事”ではあるのですが、別の立脚点からすれば“それだけのこと”でもあるのです。肯定(自信)と否定(謙虚)が一体になって、全ての物事は成就する。

今の人類には、その謙虚さの部分が決定的に欠けているように思えます(殊に日本人は“奥ゆかしい”ことと“謙虚であること”を本質的な部分で勘違いしている)。

一度立ち止まって、あるいは一歩戻って、出直すべきだと思います。

「現代ビジネス」U氏とは、去年の夏、僕が「コロナとマスク」についての見解を掲載した日から、一切連絡が取れなくなっています。

U氏は僕にこう問いました。
>青山さんは、“科学”を否定するのですか? “原始に戻るべき”というのですか?

僕の返事。
>否定はしません。しかし肯定も出来ない。原始に戻れとは言わない、でも、かなりの時点まで遡ってやり直さねばならぬことは確かです。

U氏
>そのような考えは、受け入れることは出来ません。

僕が、「熱中症」に関して「人類の未来を考えれば今すぐにでも冷房を止めるべき」、「コロナ」に関して「マスク着用強要(無意識的な同調空気の形成)は将来の人類を滅ぼす犯罪行為」、と主張し続けていることが、U氏(や編集部や一部の高名な論客)の逆鱗に触れているわけですが、、、。

天安門事件、香港デモ、ミャンマー政変、アメリカの人種差別、熱中症、コロナウイルス、、、、、前を見るだけでは解決できない(そもそも“解決”という問題ではない)。振り返り、改めて周囲を俯瞰的に見渡さねばならない。

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三世から届いたメールがなかなか良いので、ほぼそのままの内容を以下に紹介しておきます。

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>地球が丸いと、みんな見たことがないのに信じてますね。

>私は信じてもいないですが、否定もしないです。

>みんな自分で見ていないことを、偉いと言われる人達や報道を疑問も抱かず信じすぎですね。

>“地球は飛行機で一周できるので丸いんじゃないか”と思っていましたが、ジョージの話では“地球は筒みたいな形、または金魚鉢みたいな形をしていると言っている人がいる”ということなので、それなら一周できるし、無下に否定するわけにもいかないと思いました。

>マスクについて、今日ジョージが言っていましたが、“今の社会を継続したい人達”がマスクをしていて、“社会の変化に対応できる人達”はマスクをしていないと。

>ギリシャでは、職や土地や家とか持ってる人ほどマスクをしています。

>日本でもコロナは避けられない状況で、子供もマスクしないと学校行けないので仕方ないと、うちのお母さんは言います(姫路でお母さんに講義してください)。

>風が強すぎて昨日の夜からジョージの実家に帰って来ました。土曜日まで強風です。歩けないレベルです。異常気象が続いている気がします。

>ジョージのお母さんの土地、羊が食い尽くして、砂漠に生える草と棘のある草しか生えてないです。隣の土地で羊飼ってるお母さんの弟の土地もめちゃくちゃ広いですが、砂漠に生える草すらなく砂漠です。木もほとんどなく、井戸も川も枯れ果ててます。森がないので余計強風です。

>あまりにも環境破壊すごすぎて、ジョージと二人ではちからが及びません。車にガソリン使って、木を育てるために更に環境破壊しているようで、、、答えが見つかりません。

>たまにそのことや自然や社会ついてユーチューブやオンラインツアーで人に伝えたいと思ったりしますが、この世にそれを理解できる人がいる気もしなかったりします。

>ジョージのお姉ちゃんもわかってるような顔しますが、話すと全然通じません。陰謀論派の人みたいな。コロナについては信じてなくて、ヨガとかスピリチュアルとか好きですが、大学に通っていることに誇りを持っていて、大学で学んだことが全て正しいと思っています。

>よくいる「いつも体調悪い」、エセ・スピリチュアルです。

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「よくいる“いつも体調悪い”エセ・スピリチュアリスト」、、、いい表現です。「健康マニア」「リスク排除主義者」。

三世は、ジョージの故郷のエーゲ海の小島で、山の上にテントを張ったり穴を掘ったりして、そこで暮らしているそうです。インターネットでの下界との交流は、原則ほとんど辞めてしまっているみたいです。特に“スピリチュアリスト”とか、“環境保護論者”か“菜食主義”とかではありません。僕と同じで、単なる変わり者です。

働いてないので(働いてもすぐうまく行かなくなるのだと思う)お金もありません。ちなみに僕は、今日(別の)スタバで面接の日だったのですが、(日時約束していたのに)門前払いでした(面接自体受けられなかった)。面接のために、シャツとジャケットとズボンと靴を買って、履歴書用の写真も撮って、有り金全部使い果たしてしまったのです。

いや、店長さんは親切に対応してくださったのですよ。でも、「老齢」「一人暮らし」「結婚歴なし」「学歴なし」「職歴なし」「所属なし」「家族なし」「友人なし」「携帯電話なし」「車なし」「クレジットカードなし」「お金なし」、、、、まあ、結果として社会に背を向けているわけで、日本の社会では「健全な人間」として見做されていないのですね。

そのあと(履歴書と写真が余っていることだし)「餃子の満州」で面接を受けました。やはり店長さんの対応は親切だったのですが「考えとく」ということで。現場だけでは判断できないでしょうから。

三世からのメールに対する注記。

エーゲ海の小島が、索漠とした環境になってしまっていることについて。

バルカン半島から中東にかけての地域は、文明の発祥地です。行きつくところは、ここ(現状)ですね。真っ先に繁栄して、真っ先に衰退する(その先に行ってるのがアフリカ諸国、続くのが中国3000年の歴史、そのあとにイギリスとかヨーロッパ、そして日本、末尾がアメリカ。

最初の2つ3つは、既に崩壊済み、このあと日本、アメリカが崩壊していきます。ぐるっと一周して、アフリカの時代が来るかもしれない。ギリシャにも次の再挑戦の機会を期待しましょう。中国はどん底、これから上昇(の可能性もちょっとは残されている)ですかね。日本とアメリカは、テッペンからどん底に向かってまっしぐらに墜落中。

もっとも、「荒漠とした環境のエーゲ海の小島」について客観的に考えれば、次のような側面も存在します。

地球は東から西に向かって回転している。

従って(過程の説明は省略)、必然的に「地球の屋根(広義のチベット高地)」の東側は湿潤地帯に、西側は乾燥地帯になる。

エーゲ海を含む西アジア~東ヨーロッパの植生は、もともと、そのような条件の上に成り立っています。それを、日本を含む東アジアの植生環境と比べて“貧弱”である、ということは出来ません。

見かけとは関係なく、それぞれの地域に根付いた自然の豊かさ、とかもあるわけです。

荒漠とした岩山にも、砂漠にも、そこに基づく自然が息づいている。

だから「日本と比べて」という見方はするべきじゃない*。

そのような立脚点だけで対象を見ていると、本質を見失ってしまいます。

それはともかくとして、現在のエーゲ海の島々は、(そのような前提をもってはしても)悲惨な環境条件下に置かれていることは、確かな様ですね。

一方、日本の場合は、もともと、いわゆる(ある一面から見ての)「豊かな自然」に覆われている。

(湿潤地帯の場合は)少々破壊が進んだところで、(乾燥地帯ほど)目立たない。しかし、確実に蝕まれていることは同じです。

*僕がギリシャに行った時、真っ先にジョージが案内してくれたのが、オリーブの古木でしたね。僕はあんまり興味を示さなかった。オリーブは、謂わば「硬葉樹」(ネットでこの漢字が出てこないことに腹が立つ、「コウヨウ」に相当する漢字は85個も出てくるのにもかかわらず)の代表選手です。東の広葉樹(落葉樹・照葉樹を含む)にだけ親しんでいる僕にとっては、ついスルーしてしまう対象なわけです。でも、その姿勢は良くないですね。ギリシャに行ったからには、きちんとギリシャのアイデンティティに対峙しなくてはいけない。反省しています。

次回は、(裏山のマルバアオダモを主人公に)オリーブを含む、モクセイ科植物の話題を書こうと思っています。



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