青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

2022.2.3 どうやら世界は「正義の洗脳」と「悪の陰謀論」の戦いなのかな?

2022-02-04 08:05:18 | コロナ 差別問題と民主化運動 日記




読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。
*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

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次のような注目すべきネットニュースがありました。

【重症者がいないのに、死者が出る現象は何故起こるのか。厚生労働省が定める死者の集計方法のルールに、その原因があるとみられる。】

【厚生省の担当者は、現在の死者数の集計について、こう見解を述べた。現在、コロナの死者数の数え方は「感染者が療養中・入院中に亡くなった場合」が基準だ。かつては「死者」の定義が曖昧で、「明らかに死因がコロナで無い人」を死者として計上するかどうか、自治体ごとに対応が異なっていた。】

【対策として厚労省は、2020年6月18日付けで現在の集計方法に統一した。仮に死因が老衰や他の病気だったとしても、事前の検査で感染が明らかになっていた場合は「コロナの死者」として数えることになった。】

【死者数の統計の意味合いを更に分かり難くしているのが、厚生省が「亡くなった後の検査で陽性が判明した人」も死者に数えるように推奨している点だ。「全国的な感染状況を把握するため」というのが理由だが、医療機関では全ての死者を検査することは人員的にも難しい。】

なんだかよくわからんのですが、結局この記事は「直接の死因がコロナで無い人もコロナに感染していればコロナによる死者とカウントすべし」という意見に賛同しているようですね。

僕が言い続けている「コロナ以前のウイルス感染者(死者を含む)との比較カウントを何故行わないのか?」という疑問も、「人員的に難しい」の一言で、シレッとスルーされちゃっています。

2年前のちょうど今日、僕は香港経由で中国から日本に戻ってきました。

その時から、「怖いのはパンディミックではなくパニック」と言い続けています。

それによる「正義の空気の形成」。異端の排除の加速。

関東大震災の時、朝鮮人の虐殺があったでしょう? その頃から、ひとつも進歩していない。

何が怖いって、それらのことが、「空気」と同化して、「日常」と化していること。「ブレーメンの笛吹」とか、「王様は裸」とか、皆は寓話として捉えているんでしょうけれど、実は自分たちが、そのように形成された世界の中に存在しているのだ、ということを、ちっとも自覚していない。「自分たちが正義」であり「日常は正しい」、そうでない意見は「陰謀論」として 排除していく。
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北アルプスの鹿島槍ヶ岳で、20歳代の若者3人が遭難、無事救助された、というニュース。

↓これが主流意見です。
ama*****さん
いまコロナ禍ですよね。他人に迷惑を掛ける人は、救出しないで下さい。

↓こういう意見の方もいるので、ホッとします。
pon*****さん
遭難という言葉に反応して何でもかんでも非難する人たちが可哀想。。。どんな経験を持っていて、どんな知識が蓄えられていて、どこまで準備しているかも分からない中で、遭難という言葉だけに反応している。普段は、「成功に失敗は付き物。」だと言っていながら、いざ失敗すれば叩きまくり。山での遭難、技術開発、チャレンジ・・・失敗を許さない日本人が怖い。

↓で、僕も毎度同じ意見を、、、。
milk*****
コロナとは何の関係があるのですか? 僕はコロナ発生時の2年前のちょうど今日、中国奥地から日本に戻ってきました。いわゆるコロナ。一番怖いのは「パンデミック」ではなく「パニック」。マスクで逃げてワクチンでやっつける、そんな問題ではない。科学を過信していると、とんでもない目に遭う。人類は自然との共生を、本気で考える時期に来ている。と言い続けて来ました。 ちなみに、僕はこの20年間に、中国奥地で3度「新型ウイルス」に感染しています。医者曰く“未知のウイルスなので対処のしようがない、十分休養をとり、栄養をつけておくことだね”と。 コメ主の様な自分さえ逃れれば良いという人が、人類をダメにしていく。それはともかく、僕は、救出された経験が1度(屋久島)、捜索隊に加わって救出した経験が3度(北ア北鎌尾根、南ア北岳、沖縄ヤンバル)あります。“お互いさま”“助け合い”なのではないのでしょうか?

*珍しく全員賛同、一番上のコメ主の投稿は消えていました。

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昨日のつづき。

僕は、思想的には、明らかに「左」だと思っています。ヤフコメ民(無意識な部分を露わにした大衆)の忌み嫌う“アカ”ですね(笑)。

まあ、「右」の思想も人物も、基本大嫌いなんですが、でも何故か大嫌いなはずの(いや、どう考えても大嫌いには違いないですが、笑)、例えば胡散臭い小説家のジジイにしろ、美容整形とか人道に悖るようなことで金儲けてる院長にしろ、元キャスターのヨシコ婆さんにしろ、デビ夫人にしろ、、、、顔見るのも嫌なほどなんだけれど、なにか憎めない、というか、、、。

昔、朝日新聞の社長室で、右翼の野村秋介氏が割腹自殺しましたね。彼の主催する政党“風の会”を、山藤章二氏の時評一コマ漫画で“虱の会”と揶揄されて、謝罪を求めたけれど、「報道の自由」を盾に謝罪は為されなかった。それに対しての捨て身の抗議だったようです。

それ以前、(普段TVを見ない僕が、どこかのホテルに泊まった際)たまたま見た「朝から生テレビ」という番組で、彼が自分の意見を述べていました。僕と彼の理念や価値観は、全く逆の方向にあります。でも彼が述べている意見は、それはそれで一つの考えではあるのです。僕は興味深く耳を傾けていました。

ところが、彼が話し出してしばらくした時、司会の田原総一郎氏が彼の発言を遮って、別の論客(反対の思想、すなわち僕の考えにより近い人)に回した。僕としては、自分と“異なる”意見を聞きたかったのですが、その後ずっと野村氏に発言の機会は与えられなかった。

その司会者を「醜い人だ」と心底感じたことを、ふと思い出しました。

以前にも書いたと思うのですが、、、、僕の人生で、思想的に近い(と思われる)、いわゆる「左」というか、「既成権力への抵抗」を旗印にしている人たち(特にエリ-ト)からは、優しく接して貰ったことがないような気がします。それどころか、何度も殺されかかった(これは冗談ではないですよ、本当のリンチです、本人たちは頭の隅っこにも覚えていないことでしょうが)。

何故か、僕の嫌いな「右」的思想を持つ人たちが、優しく接してきてくれたように感じています。不思議です。

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石原慎太郎(右)の逝去に際して、論客の山口二朗氏(左)が、ストレートな批判(弱者ヘイトを行い続けてきた人間を美化してはいけない)を行っています。

ヤフコメ民は、山口氏の言動こそ「ヘイト」である、と。亡くなった際に誹謗するのは民主主義としてルール違反。僕は、ヤフコメ民の意見もそれなりに分かります。といって、ここで「空気」に乗ってしまいナーナーで済ましてしまう事も、良いことだとは思わない。批判することがあれば、その場の「空気」とは関わりなく行うべきです。

ただ問題は、その「批判」が本当に正しいのか? 否、よしんばそれが正しい(僕もそう思っている)としても、それが唯一の「正解・正義」なのか、、、。真逆の「正しい」が複数存在しても、良いのではないか、と思うのです。

アメリカの人気司会者、オブラ・ウインフリーさんによる、「ナチス、ヒットラーのホロコーストは、“人種問題”ではない、彼らは同じ白人同志、人種問題というのは、白人と黒人の間の現象」という発言。

僕には、その考え方こそ、人種問題の根源なように思えるのですが(ハーフの人はどうなるんだろう?)。

僕の嫌いな(毎度の注:ザ・ローリング・ストーンズは大好きです)ローリング・ストーン誌的思考概念そのものではないでしょうか。

ローリング・ストーンズ誌の選ぶ、偉大な歌手ベスト100。トップはアレサ・フランクリン。コニー・フランシスは100位にも入っていません。僕個人的には、別にアレサを嫌いなわけでも、コニーが特に好きなわけでもない、、、、でも、どう考えたって、おかしくはないですか?

黒人こそ正義、、、その空気の形成によって、多くの黒人たちが、かえって辛い立場に追い込まれてしまい兼ねないと、僕は危惧を懐いています。

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以下は、ありきたりの(たぶん多くの人が同じように思っているだろう)意見ですが、、、。

野球。
選抜予選準優勝校が落選した件。
高野連の偉い人曰く。
「負けたチームのほうが個人の力量が勝(まさ)っていたので選んだ」
え???
野球は団体競技じゃなかったんだっけ?
何の為に試合してるんだろう、、、。

相撲。
御嶽海(優勝&大関昇進おめでとうございます)、
オミクロン株感染。
感染判明直前まで、いろんなところで“取り組み”を行っていた由。
相撲協会の偉いさん曰く。
「以前から言っているように、(感染者と)相撲を取っただけでは濃厚接触者にはならないですから」
えええ????

まあ、いろんな意見が有っても良いのですが、、、、、。
僕個人的には、「選抜」大会なので、選ぶ側の主観があっても当然なのかも知れない、
あるいは、コロナの実態を考えれば別に感染者が相撲とっても問題ないのかも知れない、
とは思うけれど、
そして、スポーツは実は「実力の世界」ではなく、TVのバラエティ番組とかお笑いとかと同レベルで成り立っている、のだとは理解しているけれど、、、、。
この人たちは「スポーツ」を、「戦いである」という前提で見ているんでしょう?
コロナの感染は「問題である」と、認識してるんでしょう?
だったら変だよね。

とにかく、空気にさえ乗れば、結果オーライで、どうにでもなるんだ、ってことなんでしょうが、、、。

もしや、一億(余)総日本国民(or人類全員)、バカになってるんじゃないだろうか?
と思う、今日この頃です。




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