青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

青山潤三日記 2020.7.27 ① 「植松被告とオウム事件」

2020-07-27 20:25:10 | 香港デモ、新型ウイルス、日記



昨日と今日(病院の日)は、スタバからの発信です。どうやら往復電車賃340円に一日の食事代を含めたトータルで考えれば、ジョナサン、イオン、スタバ、さほど出費は変わりません(携帯Wi-Fiの購入は不可能なので、他に選択の余地がない)。居心地が良いのは、スタバの窓際テーブルコンセント席、ここが最も落ち着きます。ドアを開放しているので、外から風も入ってくるし。

仕事(収入が見込めるもの)、したいですね。市役所、ハローワーク、シルバーセンター、マクドナルド、病院、などいろんなところとの交渉や相談をしてるのだけれど、一般の仕事以外を受けるためには、体調、保証人、クレジットカード、携帯電話、がネックになります。これをクリアするのが、ほぼ不可能と言えるほど難しい(姫路、岡山の住所でギリシャ在住の三世と、中国在住外国人のモニカが、ともに保証人を引き受けてくれることになっていますが、事務手続き的にはアウトのようです)。

8月5日から一文無し生活が始まるので、ネットを使っての(様々な方向に関する)仕事の待機は諦めて、部屋に籠って「何もしない」(でも、たぶん餓死はしない)生活に切り替えることが一番なのかも知れません。ネット見なければヤフーからの執拗な広告送信(大体、僕は「広告」という存在自体が嫌いです)も見なくて済むので、ストレス(いちいち広告をゴミ箱に捨てる作業)もその分減るでしょう。

仕事(原稿執筆から便所掃除まですべてひっくるめて)へ意欲を見せれば見せるほど、窮地に陥る。だったら、仕事をすること自体を諦めたほうが、マシなような気もします。なんか、「卵が先か鶏が先か」という話ですね。最終的にHDDさえ取り戻すことが出来れば、他に望むことはないし。

*三世へ、「クラウドファンディング」ほか、僕との連絡は当分取れなくなってしまうかもわからないので、ケンさんへの対応よろしくお願いしますよ(「インターネットTV電話」は現実的に不可能、三世の顔は昔写した写真で見れるし、それで十分、僕の写真もどっかにあるでしょ)。

今日は、朝いちばんにモニカから、昨晩送信した「東京は毎日雨」への返信が来ました。「広州は毎日快晴」。快晴なら、どっかに撮影に行け、と言いたいところだけれど、また日射病にかかると困るし、自主性に任せた方が結果が出そうに思うので、言うのは止めました。毎日雨空の東京、僕としては「撮影に出かけないという最悪感」を免れるので、助かります。

天気予報ですが、、、旧いのがごっちゃに入り混じっていて、どれが今日のか分かんない。何週間も前から「明後日は晴れ」「来週には梅雨明け」のコピペ状態。

でも(多くの方々のコメントとは違って)僕は、天気予報士を責める気持ちはありません。7月は梅雨。8月は酷暑。9月は台風。昔から、それで当たり前です。

それにしても、ちょっと雨続き過ぎるようには思いますが(笑)。

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ボーア復活弾。中谷、初打点。ほっとしました。あとは江越(でも今日は2得点)と高山、頑張ってね。大山、近本、やればできるじゃん。

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以下、本題に移ります。

前々回あたりに再掲載した去年の夏の報告に、こんな話題がありました。

「新しいブログを作って応募しましょう、上手くいけば広告料が入ります」と三世。三世が提案する「ウマい話」は、ハナから信じていないのですが、まあ、とりあえず言うこと聞いて、新しいブログ「社会の窓から」をスタートしたのです。

それとは別に、仕事を探さねば、と(アテネのインド人経営レストランの皿洗いは反故にされてしまったので)、何人かの(会ったことのない)日本のメディア関係の人たちに、プロフィールや、これまでのブログ(「あや子版」)の記事などを纏めて、プレゼンテーション送信することにしました。

その一つが、いつもネットコラムで読んで、非常に感銘を受けている、「創」編集長の篠田博之氏。年齢は僕の方が上だけれど、凄い方だと尊敬しているのです。

で、上記の「応募」の締切日直前、三世に「篠田さんにも僕のプロフィールなどを送信しておいてください」と伝えたら、「審査員の方が、その篠田氏みたいですよ!」という、まさかの事態に。

それはちょっとヤバい。当選可能性ほぼ0%のプレゼンテーションを、本人宛に送る前に重複して晒すわけには行かない。

そこで、急遽応募を取り消すように三世に指示し、急いで篠田氏本人に、「応募」とは全く無関係である旨を明記して、プレゼンテーション資料(「香港デモ」や「青葉容疑者」や「植松被告」などに関しての 僕の文章)を送信してもらったのです(僕自身からの送信の仕方はわからない)。

篠田氏の身になれば、忙しい時に、訳の分からない(頭のおかしな?笑)読者からの売り込みメールなど、さぞや迷惑だろうと思うのです。でも同じプレゼンテーション内容でも一応目を通さねばならんでしょう「公式応募」と違って、プライベートのメールなら、無視することもできます。当然、何の返事もありません(三世がきちんとメール送信したかどうかも怪しい、笑)。それは織り込み済みです。

その後も篠田氏は、「津久井やまゆり園」(植松被告、19人の入所障碍者殺害)事件に関して、記事を発表し続けています。

『「最後の晩餐」に同席した大学後輩女性の証言』
相模原事件・植松聖死刑囚が犯行前に「最後の晩餐」をした女性と ...
という記事が、特に強く印象に残りました。刮目して読ませて頂きました。

いろいろと思うところがありました。それに関連する僕の想いについて書いて行きます。

その前に、僕の中では、「京都アニメ事件」の青葉容疑者と、「津久井やまゆり園事件」の植松被告は、
セットで捉えているんですね。

昨日のブログにも記したように、青葉容疑者は、「共感」の空気の外側に置かれた代表的存在、「植松 被告」は、人々の「共感」の空気を、煎じ詰めた行きつくところとしての存在。

僕自身の心は、青葉容疑者に近い、と思っています。もちろん彼自身に対する想いではなく、36人の命へ慎祷と、「青葉容疑者」を作り出した、のうのうと生きている「善良な人々」に対する怨念。その闇の部分をどう解釈して良いのか、青葉容疑者は自分にもよく分からないだろうし、僕も分からない。もちろん、大衆は全く分かっていない。

「植松被告」は、ある意味よく分かるのですよ。(僕の価値観とは対極にある存在なので)客観視出来すぎて、どう対応して良いのか分からない。上手く言い表せないけれど、彼は余りに純粋なのですね。自分は当然のことをした、と思いながら、刑に処するのでしょうし、大衆も、根源的な部分では、彼は「間違ってはいない」と思っているはずです。

「創」篠田氏の素晴らしいところは、植松容疑者(ら“猟奇的犯罪者”)の持つ、「ごくごく当たり前の心」に、世間とは違った角度から、ズバッと切り込んでいることです。“猟奇的犯罪”のもつ問題は、“猟奇的”な部分ではなく、“ごく当たり前の部分”にあるのです(「津山30人殺し」などは、その最たる例)。当たり前のところから引き起こされているから、難しい。

植松被告が「自分は、当然のことをした、間違ってはいない、と思いながら、刑に処する」。そこまでは、オウムの死刑囚の人たちと同じだと思います。「社会」の反応が、正反対ではあるとしても、、、。

青葉容疑者は個人の怨念。特定の一人か二人を目標としていたのでしょう。おそらく、思ったよりも大量の被害者が出て、後悔しているものと思われます。

植松被告は、正義感。ある意味自分を犠牲にしてまで、確たる意思を持って正義を遂行した。

オウム教団も、正義感に基づいての行動であることは、植松被告の場合と共通します。しかし、植松 被告が、社会(大衆)の代弁者立場にあるのに対し、オウム真理教は、社会への反発(攪乱再構成)という思想に基づく行動です。その点では、青葉容疑者との共通部分があります。

上に挙げた「やまゆり園事件、大学後輩女性の証言」記事を読んで、すぐ感じたのは、「デジャブ」。僕のある体験と、構図がそっくりなのです(男女逆の立場ですが)。

僕のほうは、オウム事件に関する話です。

もっとも、オウム事件に関しては、すでに資料も検証も出尽くしているし、(容疑者側が)植松被告一人で完結した「やまゆり園事件」と違って、関わった人間が桁外れに多く存在します。

また、江川紹子氏を筆頭に、真相に迫ろうと、非常に多くの人々が、様々な資料を掘り起こし、検証を行って来ている。今さら僕のちっぽけな情報など、何の役にも立たないでしょうし、創の「友人女性の証言」とは、重要さの程度が、まるっきり違うということは、当然です。それは承知の上で、という前提で、記していきます。

僕は、「オウム事件」の周辺の、そのまた周辺の、事件とは全く無関係といってよい存在です。遥かに離れたところから、ほんの少し「接点」があるだけです。逆に考えれば、これだけ多くの人々(被疑者側/被害者側双方)が濃厚に関わりながら、本質的な部分では、なんら解決が為されていないように思われるこの事件に対して、案外、遠くから「うっすら」眺めてみることが、今後の示唆になるのではないか、という想いもあります。

思い出して、つらつら書いていくことにします。

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書こうとして気が付いたのは、余りに記憶が漠然として、定かではないこと。

まだ4半世紀しか経っていません。そして、その友人とは、結構頻繁に会っていたはずです。なのに、正確な時期がいつだったかも、当人の名前さえも、全く想いだせない。

幾つかの場面場面(ことに、最初の出会いと、最期の電話、それに、その間に交わされた、様々な、本当にありきたりな、日常的会話の断片)だけが切り取られて、つい昨日のように鮮明に浮かびあがるのに、、、。

1年間だったか、2年間だったか、3年間だったか、あるいはそれ以上の期間だったか、、、それさえもはっきりしません。その頃は、毎日のように友子さんと会っていたはずです。でも、3人で会った記憶がない。多分会っていない。それも不思議だと思います。まあ、友子さんは、彼女に限らず、僕の知人友人と会うことを、18年間、極度に嫌がっていた(直接会ったことがあるのは朝日新聞のK記者ぐらい)、それを考えれば不思議なことではないのかも知れませんが、、、。

改めて記憶を辿ってみました。いろんな状況を照らし合わせてみると、中国に通いだしてからしばらく経った1990年代の中頃の数年間であったことは、間違いなさそうです。地下鉄サリンが1995年3月。その前だったのか、後だったのか、あるいは時期を跨いでいたのか、、、それがはっきりしません。

僕は、今でこそ、天安門事件とか、香港デモとか、コロナ騒動とか、人種問題とか、、、執筆の方向が人文的な分野に傾いていますが、本来は人間社会のことは全く無知で、興味もないのです。でも、その割には(以前から)週刊誌フリークだったわけですね(最近は全く読んでいない)。と言っても、お目当ては、小さなコラムや、サブカルチャー的な記事とか、スポーツとか、意外に芸能ニュースとかで、その時々の事件の記事などは、あまり読んではいませんでした。オウム事件に関しても、さほど関心はなかったのです。

概要は(週刊誌を読んでいるので)多くの人より良く知っていたと思います。でも、専門の記者や論客たちに比べれば、知識は皆無に等しい、と言ってよいでしょう。

メディア通して、あるいは彼女を通して知った、オウム信者たちの考え方(むろん両者は正反対の結論を導いているわけですが)には、非常に「共感」していました。「共感」という言葉が嫌いな僕が、この言葉を選ぶほどに。

ここでは、そのこと(「共感の具体的内容」)自体を述べるつもりはありません。彼女からも、オウム教団の(思想はともかく)活動に関することは、ほぼ全く聞いていません。

彼女が話すのは、将来の世界のあり方に対する自分自身の想いや、日常的な出来事の断片。僕は、中国での活動の報告など。

ちなみに、勧誘を思わせる言動も、最期まで一切なかったです。教団外部の「一個人同士」としての関係を、貫き通したと思います。

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彼女(本当に名前を覚えていない、不思議としか思えません)に出会ったのは、渋谷駅東口から歩いて10分ほどの、港区との境の辺りにある、コダクロームの現像所、、、ではなく、富士フィルムの現像所です。確か、使用フィルムを、コダクロームからフジクロームに切り替えのが、1992年頃だったように記憶しているので、それよりも以降だと思います。

今調べたら、教団事務所の渋谷撤退が1996年3月、となっていました。その間のどこか、ということになります。いずれにしろ、「オウム騒動」の真っ最中です。

その現像所には、日本帰国時に、鎌倉から頻繁に通っていました。現像申し込みや受け取りの為の待ち時間が結構長く、そこでしょっちゅう顔合わせたのが彼女でした。

ある時、会話をしました。

「私、オウムのスタッフ、すぐ近くに事務所があって、広報をしているので現像所に通っている」(自分のアパートは東長崎と江古田の間の付近)。
「僕は、中国奥地で野生生物の調査や撮影をしている、それで帰国時は、写真を現像するため、鎌倉から渋谷に通っている」。

彼女は、僕の活動に、非常に興味を持ってくれました。それから、度々会って話すようになりました。

男女関係は一切なし、思い浮かべたことすらありません(いや、今振り返れば実に勿体ないことしたものと、笑)。

三世と僕の関係と似たようなもの、と思ってもらえればいいですね。

ちなみに、僕は当時40歳代の後半、彼女は20歳代の前半だったはず。

非常な美人で、可愛らしく、スレンダーかつ健康的で、聡明で、真面目、、、。何人かの高位のオウム女
性信者に共通する印象だと思います。

あるとき、興味深い話を聞きました。何の脈絡もなく、突如話し出したのです。

「自分は性欲が強すぎる」と。それを抑えることに、非常な努力をしている。性欲は凄い力(パワーの素)になりうる。それを外に出さずに、内にためておく。人類にとって何かが必要になった時、自分の体内に貯めたそれが、巨大なエネルギーとなって、自分も救済に関与することが出来る。

ただ、こんな事も付け加えました。

尊師(麻原正晃)には、何度か(パワーの素ようなもの?)の注入儀式を受けた。それは性行為とは別のものだと思っている。

余り詮索するのも悪いと思って、ヘぇ~、そうなんだ、、、ぐらいで、その時は聞き流していました。今思えば、もう少し詳しく聞いておくべきだったかも知れません。

尊師は個人的には嫌いだけれど、考え方には心酔している、とも言っていました。ちなみに、上祐氏は大嫌いとのこと。

鎌倉の僕の部屋にも、何度か訪ねてきたことがあります。僕にヨガを教えてあげる、と。ことに、体の中をきれいにする方法。単に水を飲むだけなのですが、その飲み方の習得が、意外に難しいのです。

別の目的の一つは、当時、僕が毎週いくつもの週刊誌を買ってたので、その(以前の号の)記事を読んで、「オウム真理教」が世間がどのように思われているかを、知りたい、ということ。この機会にそれをきちんと把握しておこうと、僕の部屋に来るたびに、一心不乱に何冊も本を読んでいました。

最初の頃から何度も繰り返し話した彼女との会話。

彼女の意見:日本の社会の在り方は間違っている。地球の進もうとしている方向は間違っている。私たちはそれを阻止しなくてはならない。

僕の意見:僕は、あなたたちの考えが分かるし、実行しようと努力していることに、凄い敬意を表する。
ただひとつ、注文。殺人だけはしてはいけない。理由は僕にはわからない。無理矢理こじつければ、何らかの答えらしきものは出せるだろうけれど。例えば生物学的な視点から、同種同士の殺し合いは、種にとって(幾つかの例外を除いて)プラスの結果は齎さない。でも、そんな簡単な話じゃない。僕には、「分からない」としか言えない。そして、理由は分からないけれど、確信持って言える。人を殺してはいけない。

彼女:青山さんはそういうけれど、、、。権力者たちは、(様々な意味の)戦争を通じて、沢山の人を殺しているじゃない。私たち庶民も、自分たちの暮らしを豊かに保つため、間接的に世界の多くの人を不幸にしている(殺している)のかも知れない。それに、人はやがて死ぬ。生きているということだけが全てに勝るものではないと思う。

この話題は、最初の頃度々したのだけれど、結局平行線を辿るだけになってしまうので、やがて話題に上らなくなってきました。

一度、面白い出来事がありました。都心の喫茶店でのことです。
>あそこのテーブルにいる男、公安だよ。ずっと私を付けまわしている。

喫茶店を出て、品川駅から鎌倉(大船)に向かう東海道線の車内。結構込んでいてドアーの横に立っていました。彼女が言いました。
>隣の車両に別の公安がいるよ。ちょっとからかってみよう。一度一緒に降りてね。彼も降りるよ。そして発車直前に飛び乗りましょう。

本当に言ったとおりになりました。見事に巻いたわけです。さすが鎌倉の僕の部屋までは(更に別の公安が)尾行してこないとは思うけれど。

そんな事情もあってか、僕が中国と日本行ったり来たりしている間に、住所を度々変えていたようです。名古屋に移っていた。

それで僕は、西日本に向かうときは、名古屋で途中下車し、駅前のホテル一泊することにしていました。彼女は、そこに訪ねて来る。僕は、彼女のために、わざわざ何冊もの週刊誌をリュックに詰めて持っていくのです。

珍しく、教団の話題を話したことがあります。本人が言うに(初めて会った頃はともかく、今は)、自分はかなり地位が上、であるとのこと。ホリーネームとかも教えてくれた(もちろん、忘れちゃった)。部下が何人もいて、とても忙しい。青山さんのことはみんな知ってる。内部では結構有名人。だから、忙しくても、青山さんと会う時だけは、いくらでも時間を使わせてくれる。

僕も日本滞在中は、かなりの頻度で西日本と東京行き来していたので、名古屋でも何度か会うことができました。市内の事務所とやらの近く(同じビル?)の喫茶店で話をしたこともあります。でも、本人以外とは、一人も会っていない。それも、不思議と言えば不思議です。

最期の会話は、鮮明に覚えています。何度かの中国行きの後、日本に戻ってきて久しぶりに会うことになりました(繰り返し言うように、それが「地下鉄サリン事件」の前だったか、後だったかが、思いだせない)。

浜松町の駅で待ち合わせたのですが、大失態。時間を一時間間違えてしまった。彼女の姿はありません。焦りました(なんか、ついこの間のように焦った記憶が蘇ります、ちなみに友子さんとの待ち合わせでは、日常的に一時間遅刻を繰り返していたので特に罪悪感もないのですが、、、それもどうかと思うけれど、笑)。

慌てて、公衆電話を探して、電話を掛けました。

「ごめん、時間を間違えた。」

「私、行かなかったの、青山さんに会わないことを決めた、、、、/一つだけ言っておくね、考えに考え抜いた答えなのよ、、、/やっぱり、殺人が絶対悪だとは思わない、、、地球の将来のために(場合によってはその人のためにも)殺さなければならないことがある、と思うの。」

その後2度ほど、江古田の(緊急連絡時用に教えておいてくれた?)電話番号に問い合わせたことがあります。

ぼそっとした(いかにも貧相な聞き取るのがやっとな掠れた)声の、年配らしい男性が応答に出てきました。「知らない」。「連絡もとれない」(「岐阜にいるかも知れない」と言ってたような気もします)。

なんか、凄く寂しいというか、暗い気持ちになって、その後は、全く連絡を試みていません。今思えば、そのこと(あっさり連絡を断念したこと)自体、何か不思議な気がします。

そして、たまにオウムの話題が出る度に、彼女のことを想いだします。



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