青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

「エーゲ海のほとりで~老人と美女」-1 (8月2日)

2019-09-12 13:49:26 | 雑記 報告


日記 2019.7.30-8.29 



「悪夢の初韓国18時間」(「ブログ:社会の窓から」参照)のあと、「悪夢の初ヨーロッパ31日」を終え、ちょうど一カ月ぶりに、香港/中国に脱出です(今、アテネからシンガポール経由で香港に向かう飛行機の中で書いています*)。

*「香港デモ」の記事掲載に時間を取られていたので、アップが遅れてしまいました。

モニカ(僕の弟子)が借りてくれている中国広州郊外のボロアパートは、ひと月間住んでいたギリシャ・アテネ郊外(エーゲ海沿い)の瀟洒で美しいアパート(美女付き)に比べれば「月とスッポン」(もちろん、こっちがスッポン)の酷さですが、それもまた良し。なぜかホッとしています。

ギリシャでは、結局何にもしないでひと月過ごしました。

僕のギリシャ行きの条件は、
①バイト(安ホテルの便所掃除とか食堂の皿洗いとか)を斡旋してくれること。
②こんがり焼いたトーストと、ふっくら炊いたゴハンを食べさせてくれること。
だったのですが、
両方とも見事に反故にされちゃいました。

僕の終生の夢は、「南国のビーチで美女を傍らに終日ハンモックに揺られて過ごすこと」だったはずです。71歳にして、ほぼ同じシチュエーション「エーゲ海のほとりで美女を傍らに終日素敵なベランダに座って過ごすこと」に遭遇したのですが、いざ実現してみれば、これが、実につまんない、ということが判明しました。

でも読者の皆さん、羨ましいでしょう?
毎日、美女と一緒の生活ですよ(たまに野獣が一匹出てきますが)。

え~と、美女が作っているのブログの方は
「社会の窓から Trough the Wind of Society」
【アテネから香港へ(日記2019.8.29)/中東の上空で「香港デモの正義の根源」についての想いに耽る】
を見てください。
でも、そっちには美女自身は登場しません。

「青山先生、写真選んでください!」
というので、選りすぐりのポートレイトを探し出しました。

「え~?私こんなにブ○じゃあないですよ!」

なんたる神をも恐れぬ言葉!!

そんなわけで、美女の写真は、こっちのブログで紹介します。

今後とも、両ブログで並行して話題を提供していくので、ご笑読のほどを宜しくお願いします。支離滅裂な内容であることは、どっちも同じですが。

美女の名前は「コンデンスミルクⅢ世」で、「青山先生の秘書(助手)」ということになっています。
コンデンスミルクの「Ⅰ世」は僕です。2世代ほど下、ということで「Ⅲ世」です。

え~と、僕が(もう50年以上)私的に使っているペン・ネームの一つが、ジュンA.コンデンスミルク。基になったのは、 ジョンD.ラウダーミルク(1934~2016)さんですね。僕が最も尊敬するアーティストの一人です(ちなみに、スポーツ界ではダルヴィッシュ有を尊敬していて、昨日ツイッターを始めたばかりの僕にとって、目標でライバルでもあります)。

ラウダーミルクは、歌手でもあるのですが、作詞作曲家としての方が有名ですね。「この曲も彼の作品だったのか」というのが、沢山あります。 

一応、何曲か紹介しておきます。最初の一曲は、本人歌唱としては最もヒットした曲です(画像が素晴らしい!)。

「Language of Love」 John D. Loudermilk 1961 Billboard 32位


「Norman」 Sue Thompson 1962 Billboard 3位


「Abilene」 George Hamilton Ⅳ 1963 Billboard 15位


「Talk Back Trembling Lips」 Johnny Tillotson 1964 Billboard 7位


「This Little Bard」 Marianne Faithfull 1965 Billboard 32位


ラウダーミルクの作品を数多く歌っている歌手の一人が、ジョージ・ハミルトンⅣ世(1937~2014)。「バラとベイビールース」とか「アビレーン」とか、知ってる人は良く知ってる曲です。ユーチュブで、数年前に最晩年の二人が語り合ってる動画なども見ることが出来ます。

彼らの話を始めるとメチャ長くなるので、それは別の機会にすることにして、ここでは、美女(「コンデンスミルクⅢ世」の名は「ラウダーミルク」と「ハミルトンⅣ世」の合体)とギリシャについての話題を提供していきましょう。

コンデンスミルクⅢ世嬢(以下略して「三世」)の取柄は、セクシーなことぐらいで、人間性その他は最低であるような気もするのですが、もう一つ取柄らしきものを見出しました。それは、クリエイティブな才能がありそうなところ。

そのことは、彼女が主催する「ギリシャツアーガイド」を見ても、知ることが出来ます。写真がなんとも素晴らしいですね。僕は一応職業カメラマンなのですが、写真の上手さでは負けているような気がします。



ともかく、丸30日間、ほとんど屋外に出ずに、昼はベランダの白いチェアに座って、夜は室内のソファの上に寝転んで、ひたすらパソコンに向かっていました。

遠出したのは2回だけ。到着数日後に、ペロポネソス半島の付け根までドライブ、そのまた数日後にアテネ市内の散策、ほかは2~3回、近くの港町に食事に行っただけです。

結局仕事はないし、金もないし、終盤は「三世」共々、乾パンと豆とキャベツだけの食生活で引き籠りという、悲惨なヨーロッパ初体験になってしまいました。

時系列で、「悲惨な(優雅な?)ギリシャ生活」を紹介していきます。






↑(上)2019.8.2。朝食は乾パン。最初のうちは乾パンも美味しかったけれど、さすがに毎日だと飽きてきます。
↑(下)2019.8.2。夕食。一か月間、ゲゲゲゼミが午前8時45分に鳴き始め、午後8時45分に鳴き終えるまで、ずっとここに座ってパソコンと格闘していました。変化は、、、、だんだん食料が尽きてきて、最後は豆と胡瓜とキャベツだけになってしまったこと。僕がギリシャを離れて二週間が経つけれど、三世は餓死してないでしょうか?心配です。


こちらの記事もごらんください。


イランとアメリカ コンデンスミルク三世&一世








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