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素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)
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趙紫陽氏死去4:悩める胡錦涛?
シリーズ中国観察
/
2005-01-22 23:07:52
香港・台湾メディアと反政府系サイトは相変わらず故・趙紫陽氏に関する話題が多いです。日課の記事漁りは死去以来、毎日ふだんの倍近い時間を要しています(涙)。
でもその割に、事態はあまり動いていないような印象です。
――――
結局のところ、残された問題は趙紫陽氏の葬儀や追悼会をどうするか、生前の事蹟に対する評価をどうするか、というところでしょう。党中央は胡錦涛自らが長となる専門チームを設立、この問題を検討しているそうですが、中共の腰が据わったと感じさせる報道はありません。未だに色々な説が飛び交っていて、どうなるのか見定めがきかない状況です。
何というか、これまで胡錦涛が要所要所で見せてきた切れ味、それは「強権政治・準戦時態勢」を本質とする武断的な措置ですが、それがこの問題に関してはどうも鈍っています(※1)。胡錦涛自身に迷いがあるのか、党内の意見をまとめ切れないのかは不明です。
トウ小平時代のようにツルの一声で物事が決めることのできない集団指導体制ですから、簡単には事が運ばないのでしょうか。例えば田紀雲・元副首相、万里・元国家副主席をはじめとする第一線からすでに退いている老幹部あたりからは、元首相・総書記にふさわしい礼で趙紫陽氏を遇すべきだという声が出ているようです。20数名の連署による国葬要求という噂も、まだ噂のままですが消えてはいません。
――――
これも迷いの一表現なのかなと思うのですが、
17日 趙紫陽氏が死去し、遺族が自宅に霊堂を設けての弔問受付(関係者限定)開始。
18日 霊堂を一般人にも開放するや、朝から晩まで引きも切らずに弔問客が来訪。
19日 同上。この2日間で数千人が訪れたとの報道も。
20日 自宅付近の警備を強化し、一般客の弔問を禁ずる。
霊堂の一般開放は遺族からの要求を党中央が了承する形で実現したといいます。17日に反体制派知識人を一斉に軟禁あるいは拘束したのに比べれば態度が軟化した印象です。しかし一般開放したら予想以上に人が集まったため(※2)、影響が広範に及ぶのを恐れて慌てて再び規制を強化した、というところでしょうか。
――――
同時に、当ブログ
「趙紫陽氏死去3:胎動?」(2005/01/19)
でも紹介した農村から合法的陳情活動のため上京してきた「上訪人士」への拘束が再開されています。お金に余裕のない彼らはスラムのような「上訪村」で寝泊まりしていると書きましたが、そこへ警官が大挙踏み込んでの一斉拘束です。
日本でも報道されましたが、香港では昨日(21日)、趙紫陽氏の追悼集会が開かれました。参加人数は主催者の予想を遥かに上回る1万5000人。警察発表でも1万人ですから、成功裡に終わったイベントということになるでしょう。中共はこの集会の動員力に強い関心を持っていたようですが、好ましくない結果になってしまったようですね。
――――
葬儀や追悼會に関した問題で目立つのは、趙紫陽氏の遺族の発言です。国葬を求める連署が出たと伝えられる一方で、遺族はささやかな家族的雰囲気の葬儀を望んでいるという報道もあります。実はそんな形式よりも、趙紫陽氏の事蹟を中共がどう扱うかに遺族の関心はある、という記事もありました。
現実的に、現時点での趙紫陽氏の名誉回復は難しいでしょう。それを踏まえた上でなのか、子息の趙大軍氏からは、
「父は軟禁中に党中央に向けて少なからずの手紙を書いている。それを国内で公表したい」
という声が出ました。趙紫陽氏は生前、1989年の民主化運動は民主と法治を以て解決するべきだったとの自説を最後まで捨てなかったそうですし、トウ小平氏から「自己批判すれば政界復帰を許す」との誘いがあったのを3度にわたって断っています(※3)。
「国内で発表したい」というのがキモになる訳ですが、これはいよいよ実現する可能性が低いように思います。ただ指導部としてもこの問題の処理をいたずらに引き延ばす訳にもいかないでしょうから、来週中には決着がつくのだろうと思うのですが……。
それにしても遺族からこうした強気ともいえる要求が出て、それが海外にも報道されるというところが興味深いです。遺族は海外はもとより、国内でも孤立している訳ではなく、陰で支える政治勢力が少なからず存在する、ということを示すものではないでしょうか。あるいはそれが胡錦涛の動きを慎重にさせているのかも知れません。
――――
以下は余談です。
趙紫陽氏といえば1989年の民主化運動で学生に一定の理解を示し、武力鎮圧に反対したことで失脚した悲劇の政治家とされています。同年5月中旬、運動の真只中に訪中したソ連のゴルバチョフ書記長(当時)と会談した際、
「一党独裁で民主や腐敗の問題が解決できないならば、多党制の導入も考えなければならない」
という趣旨のことを発言した(※4)、とゴルバチョフ氏の回顧録にも出てくるなど、前にも書きましたが、趙紫陽氏は「中共」や「私利」だけでなく、「国家」をも真剣に考えた数少ない政治家の一人でした。
――――
ただ、そういう民主化とか政治制度改革といった面の他に、中央の舞台に躍り上がる以前は、地方指導者として農業改革で業績を上げていたことを忘れてはならないと思います。
趙紫陽氏は1965年に広東省党委員会第一書記に就任しています。当時は毛沢東が展開した大躍進政策の反動ともいうべき50年代末から60年代初めの食糧危機により、中国全土で餓死者が多数出た直後の時期でした。このため広東省では隣接する香港に密入境する農民が後を絶ちませんでした。
もちろん失敗して連れ戻され投獄される者も少なくなかったようですが、このとき広東省のトップである趙紫陽氏は「食わせられないのは我々の責任だから」と、彼らを全て無罪放免にしたそうです。同時に、食糧危機から立ち直るべく積極的な増産措置を講じました。農民の生産意欲を引き出すために「働けば働いた分だけ実入りが増える」という種の政策だった筈ですが、1967年に文化大革命で失脚するのはこれと関係があるでしょう。
――――
その後、復活して内蒙古自治区の党委書記(1971年)を経て同氏は再び広東省党委第一書記(1973年)に返り咲きます。当時同氏の下で働いた広東省の老幹部(すでに定年退職)たちはいまなおその業績を慕い、趙氏の死去を知ると内輪で追悼会を開いて故人を偲んだそうです。
その後1975年には四川省のトップに転じます。ここで当時としては大胆な(それだけ政治的リスクも伴う)農業改革を断行します。これで注目を集めて後に中央へと抜擢されるのですが、発音が似ていることをもじって、
「要吃糧,找紫陽」
……食料が欲しければ(趙)紫陽のところへ行け、という言葉が流行するほど成功した政策でした。農民に慕われた一面、というのも趙紫陽氏やその死去に際して見逃してはいけない点だと思います。
――――
事態が動かないので散漫な内容になってしまい申し訳ありません。(胡錦涛のせいにするな>>自分)
――――
【※1】私は、胡錦涛の武断的な措置を評価すると言っている訳ではありません。念のため。
【※2】趙紫陽氏の故郷である河南省からも農民がたくさん弔問に訪れたそうです。
【※3】トウ小平にしてみたら、江沢民や李鵬の無能さや改革に対する消極的態度に苛立っていたのでしょう。
【※4】この言葉が一党独裁制を大原則とする中国共産党の総書記(党のトップ)の口から出たということに、私たちは驚かなければならないと思います。
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