香港・台湾メディアと反政府系サイトは相変わらず故・趙紫陽氏に関する話題が多いです。日課の記事漁りは死去以来、毎日ふだんの倍近い時間を要しています(涙)。
でもその割に、事態はあまり動いていないような印象です。
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結局のところ、残された問題は趙紫陽氏の葬儀や追悼会をどうするか、生前の事蹟に対する評価をどうするか、というところでしょう。党中央は胡錦涛自らが長となる専門チームを設立、この問題を検討しているそうですが、中共の腰が据わったと感じさせる報道はありません。未だに色々な説が飛び交っていて、どうなるのか見定めがきかない状況です。
何というか、これまで胡錦涛が要所要所で見せてきた切れ味、それは「強権政治・準戦時態勢」を本質とする武断的な措置ですが、それがこの問題に関してはどうも鈍っています(※1)。胡錦涛自身に迷いがあるのか、党内の意見をまとめ切れないのかは不明です。
トウ小平時代のようにツルの一声で物事が決めることのできない集団指導体制ですから、簡単には事が運ばないのでしょうか。例えば田紀雲・元副首相、万里・元国家副主席をはじめとする第一線からすでに退いている老幹部あたりからは、元首相・総書記にふさわしい礼で趙紫陽氏を遇すべきだという声が出ているようです。20数名の連署による国葬要求という噂も、まだ噂のままですが消えてはいません。
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これも迷いの一表現なのかなと思うのですが、
17日 趙紫陽氏が死去し、遺族が自宅に霊堂を設けての弔問受付(関係者限定)開始。
18日 霊堂を一般人にも開放するや、朝から晩まで引きも切らずに弔問客が来訪。
19日 同上。この2日間で数千人が訪れたとの報道も。
20日 自宅付近の警備を強化し、一般客の弔問を禁ずる。
霊堂の一般開放は遺族からの要求を党中央が了承する形で実現したといいます。17日に反体制派知識人を一斉に軟禁あるいは拘束したのに比べれば態度が軟化した印象です。しかし一般開放したら予想以上に人が集まったため(※2)、影響が広範に及ぶのを恐れて慌てて再び規制を強化した、というところでしょうか。
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同時に、当ブログ「趙紫陽氏死去3:胎動?」(2005/01/19)でも紹介した農村から合法的陳情活動のため上京してきた「上訪人士」への拘束が再開されています。お金に余裕のない彼らはスラムのような「上訪村」で寝泊まりしていると書きましたが、そこへ警官が大挙踏み込んでの一斉拘束です。
日本でも報道されましたが、香港では昨日(21日)、趙紫陽氏の追悼集会が開かれました。参加人数は主催者の予想を遥かに上回る1万5000人。警察発表でも1万人ですから、成功裡に終わったイベントということになるでしょう。中共はこの集会の動員力に強い関心を持っていたようですが、好ましくない結果になってしまったようですね。
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葬儀や追悼會に関した問題で目立つのは、趙紫陽氏の遺族の発言です。国葬を求める連署が出たと伝えられる一方で、遺族はささやかな家族的雰囲気の葬儀を望んでいるという報道もあります。実はそんな形式よりも、趙紫陽氏の事蹟を中共がどう扱うかに遺族の関心はある、という記事もありました。
現実的に、現時点での趙紫陽氏の名誉回復は難しいでしょう。それを踏まえた上でなのか、子息の趙大軍氏からは、
「父は軟禁中に党中央に向けて少なからずの手紙を書いている。それを国内で公表したい」
という声が出ました。趙紫陽氏は生前、1989年の民主化運動は民主と法治を以て解決するべきだったとの自説を最後まで捨てなかったそうですし、トウ小平氏から「自己批判すれば政界復帰を許す」との誘いがあったのを3度にわたって断っています(※3)。
「国内で発表したい」というのがキモになる訳ですが、これはいよいよ実現する可能性が低いように思います。ただ指導部としてもこの問題の処理をいたずらに引き延ばす訳にもいかないでしょうから、来週中には決着がつくのだろうと思うのですが……。
それにしても遺族からこうした強気ともいえる要求が出て、それが海外にも報道されるというところが興味深いです。遺族は海外はもとより、国内でも孤立している訳ではなく、陰で支える政治勢力が少なからず存在する、ということを示すものではないでしょうか。あるいはそれが胡錦涛の動きを慎重にさせているのかも知れません。
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以下は余談です。
趙紫陽氏といえば1989年の民主化運動で学生に一定の理解を示し、武力鎮圧に反対したことで失脚した悲劇の政治家とされています。同年5月中旬、運動の真只中に訪中したソ連のゴルバチョフ書記長(当時)と会談した際、
「一党独裁で民主や腐敗の問題が解決できないならば、多党制の導入も考えなければならない」
という趣旨のことを発言した(※4)、とゴルバチョフ氏の回顧録にも出てくるなど、前にも書きましたが、趙紫陽氏は「中共」や「私利」だけでなく、「国家」をも真剣に考えた数少ない政治家の一人でした。
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ただ、そういう民主化とか政治制度改革といった面の他に、中央の舞台に躍り上がる以前は、地方指導者として農業改革で業績を上げていたことを忘れてはならないと思います。
趙紫陽氏は1965年に広東省党委員会第一書記に就任しています。当時は毛沢東が展開した大躍進政策の反動ともいうべき50年代末から60年代初めの食糧危機により、中国全土で餓死者が多数出た直後の時期でした。このため広東省では隣接する香港に密入境する農民が後を絶ちませんでした。
もちろん失敗して連れ戻され投獄される者も少なくなかったようですが、このとき広東省のトップである趙紫陽氏は「食わせられないのは我々の責任だから」と、彼らを全て無罪放免にしたそうです。同時に、食糧危機から立ち直るべく積極的な増産措置を講じました。農民の生産意欲を引き出すために「働けば働いた分だけ実入りが増える」という種の政策だった筈ですが、1967年に文化大革命で失脚するのはこれと関係があるでしょう。
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その後、復活して内蒙古自治区の党委書記(1971年)を経て同氏は再び広東省党委第一書記(1973年)に返り咲きます。当時同氏の下で働いた広東省の老幹部(すでに定年退職)たちはいまなおその業績を慕い、趙氏の死去を知ると内輪で追悼会を開いて故人を偲んだそうです。
その後1975年には四川省のトップに転じます。ここで当時としては大胆な(それだけ政治的リスクも伴う)農業改革を断行します。これで注目を集めて後に中央へと抜擢されるのですが、発音が似ていることをもじって、
「要吃糧,找紫陽」
……食料が欲しければ(趙)紫陽のところへ行け、という言葉が流行するほど成功した政策でした。農民に慕われた一面、というのも趙紫陽氏やその死去に際して見逃してはいけない点だと思います。
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事態が動かないので散漫な内容になってしまい申し訳ありません。(胡錦涛のせいにするな>>自分)
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【※1】私は、胡錦涛の武断的な措置を評価すると言っている訳ではありません。念のため。
【※2】趙紫陽氏の故郷である河南省からも農民がたくさん弔問に訪れたそうです。
【※3】トウ小平にしてみたら、江沢民や李鵬の無能さや改革に対する消極的態度に苛立っていたのでしょう。
【※4】この言葉が一党独裁制を大原則とする中国共産党の総書記(党のトップ)の口から出たということに、私たちは驚かなければならないと思います。
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こんな時に出張とは少々残念ですが、米国でもヲチしようかと思います。
親類縁者、党により弾圧された多くの人々、そして淡々と流れる追悼のニュース。党はじっと耳を凝らして事態の成り行きを分析しているという感じなのでしょうか。
私は中国の民衆の中に根付く風習・文化というものが今の体制にたいし、何らかの表現をしだすのではと夢想したりします。大丈夫さんが記述していた銀河英雄伝説が道端で売っているということを読み、そんな夢想をもったのです。
死者の霊魂を慰めるため、各地では追悼がささやかに行われ、そして得体の知れない噂が跋扈しだすのでは。中国の近代途上において、風習・迷信が時には政府を恐怖へと駆り立てたことも事実です。時代が違うとはいえ、今も多くの人達は貧困にあり、共産党の治世にどのように不満の声を上げるのかと考えたとき、風習や宗教は忘れられない存在かなと思ったりします。
近代はまだまだ遠く、そして民衆を支配するのはかつての皇帝の時代と変わらない体制であることを考えれば、そんな現象が不満の表現としてもっと出てくるのではとふと思ったりします。
法輪講が民衆の中に現れたとき、党は弾圧をしていますが、民衆の不満はこんな意外なところに集約していくのかと思います。
趙紫陽の霊は地に帰ることができず、いまだに地上に存在しているのですから、迷信が一人歩きする状態かなと思いました。それが今の中国の民度なのかもしれないと勝手に思っているだけですけど。
それしても、事態は意外な展開をみせてきましたね。「胡錦涛政権 vs 党長老グループ」という図式での意見対立が、香港各紙の努力によって明らかになってしまいました(笑)。明らかになるということ自体が異例です。
日本風にいえば、党長老連は趙紫陽氏を「英霊」として扱え、と胡錦涛政権に求めている訳ですね。市民の間での反応はまだまだ鈍いですが、党上層部が小田原評定に入るようだと、どうなるかはわかりません。
一方で、かくも団結して「英霊」を掲げる党長老の本当の狙いは、江沢民潰しなのかなと邪推してみたくもなります。本当に目が離せなくなってきました。
ところで、「銀河英雄伝説」って私は読んだことがないのですが、どんな内容なのでしょう?いやこれは大丈夫?さんに聞くべきでしたか。とにかく私にはチンプンカンプンでして。
まずは無事の御帰国を祈念しております。
報告書をメールで送り、一息ついております。
銀河英雄伝説なのですが、ごめんなさい読んだことはありません。ただ調べてみて、宇宙を舞台にした壮大なヒーロー物ということで、救世主を待ち焦がれるお話です。すごいはしょった説明ですみません。救世主が現れ事態を収拾していくそうです。
ネタばれを含むので気になる方は気をつけて下さい。
銀英伝は未来の宇宙を舞台にした軍事戦略小説です。コンセプトは、民主主義・資本主義・共和制の自由惑星同盟と絶対王政・貴族性・中央集権型の銀河帝国をガチンコ勝負させたらどっちが強い? です。 外交要素として商売人国家の第三勢力が出ます。なぜ未来の宇宙が舞台のSFかというと、星の配置や科学技術、それに伴う兵器を全て作者のお手盛りで好きに出来るからです。
自由惑星同盟側主人公は軍事の天才ですがあくまで一士官に過ぎないので組織の壁に阻まれたり、民主主義の悪弊である分かり易い(今に思えば)デマゴーグに翻弄されます(それでも着々と昇進します)。
片や銀河帝国側の主人公は、美貌と明晰な頭脳を持った若き皇帝。こっちは絶対王政(皇政?)の皇帝なのでバッサバッサと好きなようにやります。
これに政治論や文明論を交えた軍事絵巻物です。中高生のハートはがっちりキャッチです。 私も中学の頃に読んで嵌りましたね。二十歳を過ぎた人が読むと内容の青臭さに赤面したり、中で語られる政治論文明論軍事戦略とあらゆる所に突っ込みを入れたくなりますが、それは野暮というものでしょう。
それで中国ですが、銀英伝は糞青への影響大、と思います。日本と同じで古典を読むなんてほんの一部の人間だけで、大部分の中高生(特に男子)は銀英伝やロードス島戦記、ドラゴンランス戦記やハリポタの翻訳物を読みます。何処の本屋でもこの4つのシリーズは必ず置いてます。金庸を置いてない本屋でもです。銀英伝以外のシリーズはどれもファンタジーで、簡単に言うと正義と友情の物語です。しかし銀英伝は政治思想がメインテーマみたいな小説です。反日掲示板でも灌水区のなかで小説の話題になるとよく銀英伝は出てきます。しかし、削除されたりしません、それはなぜか?
最終的に銀河帝国が勝利し、自由同盟は帝国の自治領に成り下がるからです。また同盟側主人公の名前は、ヤン・ウェンリーと明らかに漢族系ですが人気無いです。銀河帝国側の主人公ラインハルト・フォン・ローエングラムと大層な名前(皇帝ですが)の方が圧倒的な人気です。
銀河帝国も中国が開放してやれや、と思うのですが圧倒的な権力に惹かれるようです。
銀英伝とはこんな小説です。
恥ずかしいことをしてしまい、赤面です。
この作品は熱烈なファン、と同じくらい熱烈なアンチがたくさんいるので関係するサイトも玉石混合です。
数年前、本屋で「岳飛伝」という新書を見つけ、「おおっ!」と思わず喜んだが、作者が田中芳樹(銀英伝の作者)と知ってしまい未だに読んでいない。
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