もう御存知の方も多いでしょうが、趙紫陽・元中国共産党総書記がきょう(17日)午前に死去しました。
天安門事件(六四)から今年でもう16年になります。「趙紫陽」と聞いてパッと色々なイメージを思い描けるのは30歳以上の世代でしょうか。
痛心疾首!
紫陽精神永垂不朽!!
――――
『朝日新聞夕刊』(2005/01/17)は家族に近い関係者の話として、17日午前7時1分(現地時間、以下同)に逝去したと報道しています。APECでの日中首脳会談もそうでしたが、こういう重大ニュースは第一報を国営通信社・新華社の原稿で統一するのが中国の習わしです。あのときは随分待たされましたが(※1)、今回は「新華網」に出たのがわずか2時間後の午前9時13分。重要人物の死去を伝えるニュースとしては異例の速さです。
もっとも、その内容は実に素っ気無いものです。以下に全訳しておきます。
――――
●趙紫陽同志逝去
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2005-01/17/content_2469579.htm
【新華網1月17日電】趙紫陽同志は長期間にわたり呼吸器系統と心臓血管系の各種疾病のため、何度も入院治療を繰り返していたが、最近病状が悪化。手当ての甲斐もなく、1月17日、北京において死去した。享年85歳。
――――
上の記事を主要なインターネットメディアが転載するのも早かったです。もちろん記事本文は新華社電の通り、一字一句とも動かせません。ただタイトルは多少違います。それが何を意味するかはともかく、更新時間とともに並べておきましょう。
新華網 09:13「趙紫陽同志逝去」
人民網 09:30「趙紫陽同志、1月17日北京にて逝去、享年85歳」
中新網 09:29「趙紫陽同志、病気により手当ての甲斐なく今日北京にて逝去、享年85歳」
中青在線 09:45「趙紫陽同志、1月17日北京にて逝去」
新浪網 09:13「趙紫陽同志逝去」
捜狐 09:13「趙紫陽同志、病状悪化により今日北京にて逝去、享年85歳」
tom 09:43「趙紫陽同志、病気により1月17日北京にて逝去、享年85歳」
――――
……ざっとこんな感じですが、日本各紙の報道を総合すると、今回のニュースについて、中国国内ではネットと新聞での報道はOK(たぶん上の新華社電以外はNG)で、テレビやラジオはNG、となっているようです。NGがいつ解禁されるかも未定とのこと。
この規制に一体どんな意味があるのか、理解に苦しみます。ネットに出ている以上口コミで瞬時に広まりますし、実際反日サイトの掲示板などにはいくつもスレが立っています。それにVOA(美国之音)やBBCの中国語放送を聴いている中国人もいるでしょう。明日の新聞にも出るでしょうし、きょうの夕刊(晩報)にもう出ているかも知れません。
NHKの国際放送が趙紫陽氏死去のニュースになったところで中断されたそうですが、そりゃ海外メディアの報道なら1989年の民主化運動で涙ながらに語る趙紫陽氏の映像なんかが流れますから(趙紫陽氏の隣に温家宝がいますね)、胡錦涛政権や趙紫陽氏の失脚で総書記になれた江沢民には都合が悪いでしょう。
でも中国国内のテレビ・ラジオ局なら上の新華社電を読み上げておしまい、で済ませられるのではないかと思うのですが、いまはそういう統制も効かない状況なのでしょうか?内政上の不安要因を排除するため「靖国」にも報道統制を敷いたりするほどですから、生放送でアドリブをやられるという万一を恐れているのでしょうか。
――――
冒頭に書いたように趙紫陽氏はすでに過去の人でしたし、思想教育で純粋培養され、物質的にも恵まれている若い世代に現状肯定派が多いことから、これによって1989年の民主化運動のようなものが起こる、ということはないように思います。ただ旧正月を前にした民族大移動ともいえる里帰りラッシュの真只中ですから、一発芸的な、組織的でない「意思表示」はあるかも知れません。
新華社電に「趙紫陽同志」とあるように、趙紫陽氏は「六四」によって総書記から中央委員に至るまで一切の役職を解任されましたが、党籍剥奪にはなりませんでした。ただ総書記まで務めた人物に「偉大な指導者」「偉大な革命家」といった称号を一切つけなかったのは異例です。それまでの功績は「六四」で全て帳消しになった、ということでしょうが、民主化運動の名誉回復がなされていない現状ではやむを得ないとはいえ、釈然としない国民は少なくないでしょう。
とりあえず、趙紫陽氏への評価が今回の報道のようにヒラ党員としての扱いにとどまるのか、そして葬儀は国あるいは党が執り行うのかどうか、というところに私は興味があります。扱いはヒラ党員のまま、国葬でも党葬でもない。……となれば、かつての劉少奇を想起する人もいるでしょうし、それなら俺たち民衆で送り出してあげようではないか、という動きも出るかも知れません。このあたり、胡錦涛政権がどう対応するか見守りたいところです(紋切り型)。
――――
私は当時の民主化運動を現地で経験しましたので、個人的に趙紫陽氏の死去には万感の思いがあります。が、それを脇において考えるとしても、結局中国は趙紫陽総書記の時代、より正確にいえば1987年の「十三大」(第13回党大会)での趙紫陽報告「社会主義初級段階論」(記憶モード)から半歩も前進していないように思います。
この趙紫陽報告に描き出された本来の改革・開放政策は、「経済制度改革」と「政治制度改革」をワンセットにしたものでした。ワンセットにしなければどうなるか、という問いへの回答が、現在の中国の姿です。汚職や貧富の格差など様々な矛盾を改善できないまま、いたずらに深刻の度を深めて、爆発寸前まで至らしめてしまっている。趙紫陽氏の当時のやり方が正解だったかどうかは疑問ですが、政治制度改革を置き去りにして15年以上走ってしまったツケを、中共はいま支払わなければならなくなっている、と言うことはできるでしょう。
――――
政治制度改革の中で「党政分離」構想まで温めていた趙紫陽氏は、中共の政治家が一般に「中共」のみ、ひいては私利のみを考えるだけなのに対し、「中国」にも考えをめぐらせた数少ない政治家の一人だったのではないかと私は思います。
最高実力者となってからのトウ小平は、結局「中共」しか眼中になかったでしょう。トウ小平死後の江沢民は「中共」よりむしろ「私利」に力を入れた醜悪な指導者でした。胡錦涛はあたかもトウ小平の衣鉢を継いだがごとく、徹頭徹尾「中共」のみの政治家です。
……ともあれ陳腐な言い方ではありますが、趙紫陽氏の死去は一つの時代の終焉を意味するものです。本来的な意義を失ってすっかり歪んでしまった中国の改革・開放は、いよいよ歪んだことによる反作用を受け止めねばならない段階に入った、と言えるのではないでしょうか。
それは、あるいは後世の史家によって「終わりの始まり」と表現されることになるかも知れません。
――――
【※1】当ブログ「中共お手製の首脳会談報道」(2004/11/23)
| Trackback ( 0 )
|
|
軍隊を掌握できる限りは大丈夫でしょうが、江沢民がまだ踏ん張っていますから、もし闘争がおこり、軍隊が二つに分かれたらおしまいでしょう。
問題はその軍部の動向がいまひとつ掴めないことです。
『解放軍報』で含みありげな評論の連載が始まりました。それを通して眺めれば何か見えてくると思います。
wowow_turkさんは現地にいらっしゃるんでしたよね。
いくら資料を集めてみても、現場の生活感覚にまさるものはありません。羨ましいです。
空気の変化などありましたら是非お知らせ下さい。
ちゃねらー曰く、斜め上な民族なのでこちらの動向も気になります…
半島といえば例の個人賠償権放棄の問題、中国メディアも敏感に反応しておりまして、ちょっと気になっています。
前に歴史問題のコンボを書いたときにふれましたけど、もし中国政府が個人賠償権を云々しだして、自称被害者が現地の日本企業を訴えたりすることができるようになれば、日本政府は「解決した問題」でスルーできるとしても、現地企業は面倒なことになるかも知れません。
詳しいことは私もわかりませんけど、「訴訟を中国で起こすのだ」なんて特集を組んでいた新華社系の雑誌(環球)もありましたし。
今回韓国で公開されたのは議事録ですよね?
賠償請求権の完全放棄は確か付帯条約の方に明記されていたと記憶してます。
条約自体は以前から公開されていたので、なぜ今騒がれているのか分かりません。
やはり、議事録公開で具体的に誰が交渉に関わっていたか、という政争絡みの話なのでしょうか?
中国では、日本は中国の恩情で賠償を免除したことになっていますね。
この手の話を中国人とすると最終的には「中国はサンフランシスコ平和条約を認めていない」、という話まで行き着きます。
そんなこと日本に言われてもなー、当時の他の連合国に言ってくれよ。
<ニュース分析>「韓日条約=手抜き・非道徳・不透明・不可避」
http://japanese.joins.com/html/2005/0118/20050118162921200.html
個人請求権が消滅したから、国が代わりに日本に追加で請求しろといっている。
日韓請求権並びに経済協力協定
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPKR/19650622.T9J.html
第2条3に「締約国及びその国民」とはっきり書いてある。
もしかして、今回公開されたのは議事録だけで、条約自体は逆に未だ非公開なのか?
韓国でさえこの有様ならば、中国は私の予想以上のことになっているのか?
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。