日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 中国について多少の知識をお持ちの方なら『文匯報』という新聞の名前は聞いたことがあるでしょう。ただ今回は上海のそれではなく、香港の文匯報の話です。便宜上『香港文匯報』と呼ぶことにします。

 香港における親中紙の筆頭格であるこの『香港文匯報』は、例えば一昨年(2003年)7月1日に地元香港で行われた歴史的な50万人デモ(七一大遊行)を全く報じなかったという力技(笑)で知られています。

 先日の趙紫陽・元総書記の葬儀(厳密には遺体告別式)でも中国国内で統一して使われた新華社電をメイン記事に持ってくるなど、とにかく「中共の走狗」として日々頑張っております。同紙をマジメに読むのは一部の奇特な香港人、それに私のようにチナヲチを趣味とする人ぐらいでしょう。あ、あとプロのチャイナ・ウォッチャーを忘れてはいけませんね。

 とはいえこの『香港文匯報』、昔から「左報」(左派紙)と呼ばれてはいましたが、ある時期まではもう少しマトモな新聞だったのです。少なくとも「走狗」呼ばわりされるほど堕ちてはいませんでした。

 ……ここまで読んで「あ、こいつまた六四ネタに逃げるな」と思った方、申し訳ありません図星であります。

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 今年の1月18日といえば、趙紫陽氏の死去が伝えられた翌日で、中国国内メディアが揃って沈黙したのに対し、香港・台湾マスコミや反体制系ニュースサイトはもうお祭り状態。あれやこれやの消息筋情報が乱れ飛んでいました(※1)。

 何とも騒がしかったこの日は、実は金堯如氏の一周忌でもありました。往年の『香港文匯報』編集長です。

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 今でこそ経済改革の推進が至極当然の事として語られる中国ですが、胡耀邦氏や趙紫陽氏が第一線で活躍していた80年代の政治状況は現在とは全く違っていて、改革に手をつけること自体が冒険であり、政治的リスクを伴うものでした。当時はマルクス・レーニン主義に忠実で、改革を「資本主義的」と非難する「保守派」が現役バリバリで力を持っていた時代です。

 最高実力者であるトウ小平が改革・開放を支持していたので改革基調の路線が辛うじて守られてはいましたが、保守派も機を捉えては反撃したりしていたので(現に当時の胡耀邦総書記がこれで失脚しています)、当時は改革路線を維持することで精一杯だった、と言ってもいいかも知れません。

 これが「改革当然」となるのは、前にも書きましたが1992年のトウ小平氏による南方視察(南巡講話の発表)からです。1989年の天安門事件(六四)で武力弾圧を決断して血しぶきを浴びたトウ小平が、すでに高齢であり人生最後の勝負に出たともいえるその凄みには、さすがの保守派も沈黙し、これ以降は鳴りを潜めてしまいます。趙紫陽・胡耀邦の両氏に比べると、江沢民や胡錦涛は実にやりやすい仕事環境を与えられたものだと思います。

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 さて、往年の『香港文匯報』とは、保守派という政治勢力がまだ力を持っていた時代のことです。確かに香港マスコミにおける地位は「左報」ではありましたが、同紙は基本的に改革派に与するスタンスを維持していました。その時代の最後の編集長が金堯如氏です。

 1989年の大学生・知識人による民主化運動に際し、北京の党中央は4月末には早々と「動乱」認定を下しました(※2)が、金堯如氏率いる当時の『香港文匯報』はまずこれに抵抗します。このころ香港でも各所で大規模なデモが行われ、香港人も民主化運動を支持・支援(カンパなど)する姿勢を明確にしていました。

 浙江省の政協(政治協商会議)常務委員でもあった金堯如氏はこのとき帰国して関連会議に出席し、北京にならって学生運動を「動乱」と位置づけた浙江省政協の決議に異を唱え、

「浙江省に動乱は起きているか?学生はデモが終わればちゃんと大学に戻っていくではないか。動乱などどこにもない!」

 と強く主張、ついに決議文から「動乱」の部分を削除させることに成功しています。

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 しかし、北京における事態は進んで、5月半ばに趙紫陽氏が事実上の失脚。ハンスト学生を見舞って「申し訳ない。私は来るのが遅すぎた」と語りかける有名なシーンはこのときのものです。そして当局は5月19日深夜、北京市に対する戒厳令実施を宣言。軍隊による武力弾圧への道がここに開かれました。

 これを受けて香港市民が憤激したことは言うまでもありません。それは金堯如氏をはじめ『香港文匯報』の編集スタッフも同じでした。そして、編集長・金堯如氏のゴーサインにより、伝説として語り継がれている社説が翌日の紙面を飾ることになります(※3)。

 80行は入るであろう大きな縦長の囲み記事。普段は社説によって埋められるそのスペースが真っ白のまま残され、中央に大きく「痛心疾首」(※4)の四文字。「左報」と香港人に揶揄されていた同紙が、このたった四文字の社説を以て北京に対し叛旗を翻したのです。

 この「社説」が当時の香港に巻き起こした反響の大きさは例えようがありません。そのニュースは北京にも伝わり、李鵬を激怒させたといわれています。そして6月4日の血の弾圧事件後、事態が鎮静化してから金堯如編集長が解任されたのをはじめ、『香港文匯報』の編集部がほぼ総入れ替えになります。

 その後、同紙は次第に「中共の走狗」としての色彩を強め、50万人デモを「なかったこと」(報道せず)にしてしまったり、趙紫陽氏の葬儀に関する報道の親記事に新華社電をそのまま使うような、機関紙同然の情けないスタイルにまで堕ちるに至っています。

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 以前にもちょっと書きましたが、1989年の民主化運動の時期、私は某大都市に留学生として滞在していました。

 友誼商店に中国人が入れなかった時代です。もちろんネットも携帯もない時代ですから、OCS(海外新聞普及株式会社)を通じて日本の新聞や雑誌を定期購読していなければ、留学生にとっての日常の「情報」は短波ラジオで聴くNHK、それにVOAとBBCの中国語放送が頼りでした。

 あとは、外国人の宿泊する一部ホテルへ行って半日遅れで届く香港の新聞か、1日遅れの日本紙を買うぐらいです。香港の新聞は「左報」の『香港文匯報』か『大公報』で、値段はFEC(外貨兌換券)で2元でしたか。民主化運動が本格化してからは、北京でちょっとした動きがあるたびに、郊外にあった大学から自転車で市内中心部のホテルに行って(あるいはデモをかけた帰りに立ち寄って)、香港紙を買うのが習慣になりました。

 あれは、北京に戒厳令が敷かれた直後のことでした。デモのリーダーの一人でもあった親しい中国人学生が私のところへ来て、香港紙を貸してくれないかと言うのです。

「運動に同調してくれている新聞社に持っていって、たくさんコピーしてもらう。それを街のあちこちに貼りまくるんだ」

 そいつはいいアイデアだ、ということで応援してやりました。もちろん私だけでなく、他の留学生や他大学でも似たようなことが行われていたと思います。翌日には市内の目抜き通りなどにこのコピーされた香港紙が一斉に貼り出されました。

 今回試しに使ってみた画像は、そのとき記念に撮影したものです。見開きの形で貼り出された『香港文匯報』、その左頁の左上の一角が前述した「四文字社説」なのですが、ちょっと見えにくいかも知れません。

 ちなみに、「六四」の惨劇もこの方法で市民に伝えられました。香港の新聞は死体写真OKです。親中紙であろうと人民解放軍に虐殺された学生や北京市民の写真が容赦なく掲載されましたから、市民はみな怒りに震えて、私のいた街もその後一週間近くは無政府状態同然となりました。

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 「六四ネタに逃げた」割には長々と書いてしまっていますが(笑)、今回の趙紫陽氏をめぐる一件でふと上のことを思い出したのです。あれから15年以上になりますが、情報統制の厳しさは基本的に何も変わっていないのではないでしょうか。

 ネットや携帯メールといった小道具は増えましたが、事実を伝えようとする思いを持った有志にとって最も効果的な手段は、情報量と伝播する階層の広範さからみて、やはり海外の華字紙を街中に貼り出すということになるのかも知れません。それをできる条件があれば、ですけどね。

 以下は追記として。

 ●「六四」を簡単に振り返られる動画(※5)
 http://www.rebuildhk.com/upload/64glory_ppc.mpg

 ●上の動画を収録したHP。他にも資料がたくさんあります。
 http://64memo.com/index.asp


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 【※1】当ブログ「乱れ飛ぶ消息筋情報」(2005/01/18)

 【※2】「動乱」認定を下したのはトウ小平ですが、これは当時の李鵬首相(保守派)の幾分か誇張された報告をもとに決断されたとされています。総書記だった趙紫陽氏は一貫して「事を荒立てるべきではない」という立場でしたが、このとき北朝鮮訪問中で不在だったことが悔やまれます。

 【※3】当時香港における中国政府の出先機関だった香港新華社の許家屯社長(当時)の回顧録によると、「四文字社説」は同氏にも事前に知らされ、その裁可を受けて掲載が決定されたとのことです。いわば香港における「中国当局」が自ら学生支持・趙紫陽支持に回ったようなものです。「六四事件」後、同氏は米国に亡命しています。

 【※4】『中日大辞典』増訂第二版(大修館書店)によると、「痛心疾首」は「ひどく悲しみ恨む」という意味だそうです。

 【※5】バックに流れるは「六四」のために作られた故アニタ・ムイ(梅艶芳)の「血染的風采」です。そういえばこの人も一周忌を終えたばかりでした。


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コメント
 
 
 
写真が… (wowow)
2005-02-01 00:01:23
大きすぎてレイアウト乱れまくりです。すごく読みづらいので、小さめにしていただけるとありがたいです。
 
 
 
Re:写真が… (御家人)
2005-02-01 00:15:43
wowowさん、御指摘有難うございます。



私の方では大丈夫だったので気付きませんでした。コメントを読める画面にすると物凄いことになっていたんですね。



申し訳ありません。取急ぎ急ぎ修正しました。不都合などあればまた御指摘下さい。
 
 
 
QQ (アメマスヲチ)
2005-02-01 12:05:50
どうもいつも中国の政界情報重宝しております。

最近中国のポータルサイトの掲示板に行くと

メールと共に必ずといって良いほど中国版ICQのQQメッセンジャーのIDも書いてありますね。国産のメッセンジャーを愛用しようと言う動きもあるそうですが昨年の暴動が携帯のショートメッセージからと言うことを考えるとある意味キラーアプリになるかもしれませんね。

あと今日飛び込んできたニュースですが

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/sudan/?1107223689

スーダンに自衛隊派遣検討が始まりました。以前から中国人民解放軍がスーダンに深く関与してきましたがいよいよ日米と中国の代理紛争となるかもしれませんね
 
 
 
Re:QQ (御家人)
2005-02-01 16:17:36
アメマスヲチさん、コメント有り難うございます。



そうですか、QQって国産メッセンジャーなんですか。知りませんでした。私はてっきりICQと互換性があるものだとばかり思っていました。



ICQは結構よく使います。仕事しながら香港や台湾の友人とダベったりします。でもあれを始めると仕事が確実に止まりますね(笑)



スーダンの件は要注目ですね。確かにこれまで中国はスーダンに随分入れ込んでいました。私はいつも深夜に記事漁りをするのですが、「新華網」あたりでどんな反応が出て来るか楽しみです。

 
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