今週号の日経ビジネス「特集 富士通 お家騒動の真相」
富士通側からの取材がメインなのですが、要するに前社長が暴走したのを穏便に止めることができなかったということのようです。
2008年に野副が社長になった時、僕は1年間取締役として残るが、その後は引くと半ば公言した。にもかかわらず昨年残ったのはこの問題(注、野副社長の暴走)があったからです。
野副の首に鈴を付けるというのは外形的には人事に関与しているわけですが、正味はガバナンスの正常化です。院政などという度量の狭い話じゃない。今でもそう思っています。
(秋草直之相談役)
社長の重要な仕事が後継者選びだとするなら、僕は失格です。
自分なりに考えた対策の一つは社長の選任方法。・・・最高権力者を選ぶには、その交遊関係とか人間性とかもちゃんとチェックしなければならない。
もうほとつは社長を組織の機関と見ること。・・・会社って「社長が言ってるから」で動くことがあるでしょ。これをやめさせる。・・・社長の善意を証明するために、性悪説に立った監視システムが必要なのかもしれない。
(黒川博昭相談役-野副氏の前任の社長)
日本に限らずですが、社長・CEOに対するガバナンスをどうきかせるかというのは会社組織の永遠の課題かもしれません。
特に日本の会社は、社長が人事権を通じて取締役会に対してガバナンスを効かせているというのが実情なので、社長の暴走・専横を止めることは難しくなります。
上の秋草相談役のコメントにしても、ご自分は正しい、という前提での発言ですが、その「正しさ」をなんらかの形で担保する必要があるという意識がないように見えます。
この点について、野副氏側も取締役会の解任決議などを踏まずに辞任勧告をしたのは手続的に問題があったと言っているようです。
でも、それなら辞任なんてしなけりゃよかったのにと思うのですが、結局社長は自分を社長にしてくれた前任社長には頭が上がらない、という精神構造は共有していたわけですね。
最後に頼ったのは社長の暴走を可能にした組織のロジックだったというあたりは『ヴェニスの商人』みたいです。