一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

モーターサイクル・ダイアリーズ または旅の意味 +α

2005-06-18 | キネマ
モーターサイクル・ダイアリーズを観ました。







チェ・ゲバラの若き日の南米大陸を巡る旅を題材にした映画です。

アルゼンチンのブエノスアイレスの裕福(多分)な家庭に育った医学生であるチェ・ゲバラが、友人と南米大陸をオートバイで一周しようと企て、その旅の中で、貧富の格差や差別(ハンセン病が専攻で、療養所で働いたりもした)に目覚めていく、と言っちゃうと陳腐なんですが、いい映画でした。

映画の出来栄えにくわえ、旅へのあこがれや、昔の旅のこと、そして、もはやこういう旅をしなくなった(できなくなった)自分へといろいろ思いが巡るせいでもあるんだと思います。

さて、旅といえば日本では、沢木耕太郎の「深夜特急」だし、外国ではブルース・チャトウィンの「パタゴニア」







特に後者は、場所もパタゴニア(南米大陸の南部)であり、映画での風景は本を追体験することができました。

ただ、旅に対するスタンスはそれぞれ異なり、沢木は自分と向き合うために旅をしていて、チャトウィンはその土地や歴史を自分に取り込むために旅をしているように思います。

一方、チェ・ゲバラの旅は、南米大陸や自分の専攻であるハンセン病という自分がいる世界を再認識するための旅です。
言葉は同じスペイン語(ブラジル以外は)で、どこの国も人も文化も混血という南米特有の一体感が旅のおおおらかさや、出会った人々(国々)の状況への共感を生み出しているのではないでしょうか。
※同じロード・ムービーでも、同じ国の中での世代や地域や文化の断絶がテーマのEasy Riderとは英反対ですね。

じゃあ、僕はどんな旅をしてきて、これからどういう旅をするのだろう、と考えさせられました。


次に考えたのが、日本の高度成長のことです。
ゲバラが旅に出たのは1952年、日本は朝鮮特需でやっと戦後復興と高度成長の足がかりを得たところです。
時代考証が正しければ、1952年当時のアルゼンチンは、欧米からの文化の移転や、戦争に巻き込まれなかったこともあって、日本より数段豊かだったようです。
ただそのせいで、貧富の格差は放置され、拡大の一途をたどっていたようです。

一方、日本は貧富の格差はあまりなく(皆貧乏だった)、とにかく経済発展をして豊かになることが国民共通の目標になっていたので、社会問題は比較的後回しにされていた(経済成長が一定の解決策になっていた)ように思います。
なので、ハンセン病患者問題の解決などはずっと(21世紀まで)先送りになってしまったんでしょう。

低成長(=お金も仕事も溢れている、というわけにはいかない)時代になって、あらためて社会問題がクローズアップされるようになるわけですね。


さらに、映画でチリの「アタカマ砂漠」を歩くシーンがあります。
実は知人がこのアタカマ砂漠(それ自体標高約2500m)のさらに高地で日米欧共同で電波望遠鏡を設置しようというALMA計画に携わっているので、このシーンはストーリーに関係なく、ちょっと感動してしまいました。


実際の設置予定場所は標高5000m(!)のこんなところだそうです。



現地の動画は必見です!


と、また例によってとりとめがなくなってしまいましたが、いろんな意味で楽しめた映画でした。
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