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一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

塩竈市他(石巻以南)

2011-08-19 | 東日本大震災
石巻から塩竃に向かいます。

海沿いの道を行こうとしたのですが、石巻の工業地帯から航空自衛隊松島基地を通る県道251号線は定川大橋(Googleマップ参照)が落橋していて通行できません。仮橋は9月末に完成予定とのこと。

私は迂回したのですが、被災地 石巻からに写真がありますのでご覧ください。


国道45号線をくだり、東松島市に入り鳴瀬川を越えて県道60号線で松島に向かいますが、宮戸島に向かう奥松島パークライン(Googleマップ参照)は道路流出のため未だに通行止めの箇所があり寸断されていました。
工事車両が頻繁に行き来しているので先までは行かずに県道27号線を松島に向かいます。

道沿いの東松島市の野蒜(のびる)地区(Googleマップ参照)は、石巻湾に面しており津波の被害が甚大だったところです。(松の枝・自宅の庭…遺体続々 宮城・東松島市野蒜地区(asahi.com)参照)
未だに解体を待つ家屋や未整理の瓦礫が見られました。



ところが松島湾に入ると、被害の痕がほとんど残っていないことに驚きます。
観光客も見られ、旅館も普通に営業を行なっているようです。

おそらく、景勝松島の島々が天然の防波堤になって、津波の被害を大きく減殺したのでしょう。
その代わり、島々では大きな被害があったと思われます。



同じ松島湾の中にある塩竃も、津波の被害は比較的軽微なようでした。
Googleマップ参照

塩竃漁港。
電柱が傾いていたり、船が乗り上げていたり、また全体的に地盤沈下もあるようですが、漁船は数多く停泊していました。





岸壁に近い建物も普通に建っています。





魚市場も営業しています。





対岸のマリンゲート塩釜から港をのぞむ。
どこも日常に近いの光景のように見えました。





しかし、松島湾の外海に面した七ヶ浜地区では、津波の被害は大きかったようです。



海岸にコンテナが打ち上げられています。
仙台塩釜港から流れてきたのでしょうか。



平地が続いている部分は内陸部まで被害が広がっています。





今回の震災は地震の揺れよりも、津波がどれだけ遡上したか、外海に面していたか、平地だったか、地形が津波の遡上を加速する形だったかで明暗が大きく分かれたことを象徴しています。



仙台港(仙台塩釜港)では多くの施設は復旧して営業を再開していましたが、ここも外海に面していて平地が広がっていたため津波の被害は大きかったようです。

南三陸町へのボラツアの添乗員氏によると、被災3日後に本社からの支援物資を受け取りに仙台港に行ったところ、流された車は折り重なり、キリンビールの工場から流れ出てきた飲食店用の生ビールのタンクが辺り一面に散乱していたそうです。
もっとも数日後には生ビールのタンクはきれいに片付いていたそうで、うわさではキリンビール以外の誰かが持っていったのではないかということです。
自動車も高級車のタイヤだけはずされていたとか。

悪い奴も一定数いるということです。



仙台から南は、日曜に山元町に行く途中に駆け足で見てきました。

仙台東部有料道路で仙台空港へ
定期便も7月から運行を再開していますが、また復旧途中のところもあります。

"SENDAI AIRPORT"の看板は曲がったまま。





エアカーゴターミナルはまだ復旧工事中でした。



窓ガラスを見ると、2階レベルまで津波が来ていたようです。



仙台東部有料道路から常盤自動車道が走る若林区、名取市、岩沼市、亘理町のあたりは田んぼが広がる平坦地で、津波がかなり内陸部まで遡上しました。
道路が土盛りされていたところはそれが防潮堤の役割を果たしたそうです。

地盤沈下もかなりあるようで、特に岩沼市や亘理市にはいると、路面が荒れているところや橋の継ぎ目での段差などが目立ちました。

平地を内陸部に遡上した場合、波高が急に高まることはありませんが、人命や家屋への被害は広範囲にわたります。
また、実際に被災家屋を見ると、1階だけ被災した家屋は火災保険上は「半壊」「一部損壊」という評価なのでしょうが、実際は家財道具のうちの経済的価値の高いものは大半が1階に集中している(テレビ、パソコン、ソファ、リビングボード、冷蔵庫、洗濯機など)ので、経済的、心理的ななダメージは「半壊」以上だということがわかりました。


山元町からさらに南下すると福島県相馬市・南相馬市になりますが、平地が広がっている部分は同様の被害があったものと思われます。


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結局3週間遅れで被災地の写真とコメントをアップしたのですが、物理的な写真の整理(400枚くらい)以上に自分の中でどのように整理して書くかに1週間ほどかかった感じです。

それくらい、現地の被害の大きさと復旧の困難さは印象的でした。



※ 関連エントリはこちらから被災地に行ってきました。

コメント
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