90歳になった叔父が病気になって半年。
父の兄弟が一人、また一人と亡くなり、
6人いた兄弟も2人きりになった後、どちらかが病気になるとそれはそれは心配になる。
父や叔父の育った地は、今や山に還り叢となり、
叢の中に、その地を切り開いた初代が積んだ石垣と記念に植えた桜と石碑。
人が通る事もない山の中で人が住んだ気配だけを残している。
それでも・・・だ!
この地は立派に6人の子供を育んだ。
父や叔父の記憶が記録に残せるうちに聞いておかなくては・・。
書いておかなくちゃ!!
山を耕し、山の上に家を建て、
村中で一番早く日の出が見えるからって朝日屋という屋号を付けた。
家の前の小さな沼には蓮根畑、急斜面に蒟蒻を植えて、
お蚕様の桑と梅の木、
梅の木の横には大豆や小豆やもろこしや、
牛舎には数頭の乳牛がいて、時々、子牛の誕生を祝った。
大事な馬は家族同様で、家の中に厩があり、
水神様の奉ってある井戸の中には、家主の様にイモリが泳いでいた。
年の離れた小さな妹は、いつも4人の兄達を追いかけていたが、
そんな時代は長くは続かず、戦争が兄弟をバラバラにした。
大切な馬もお国の為に泣き泣き差し出し、
4人の兄弟は皆戦地へ・・・。
話がそこまで行くと父も叔父も言葉がなくなり
「楽しい思い出なんてなんにもない」と黙る。
こんな穏やかな時代は僅か数年だけど、
父が言った。
「確かにこんな時代もあった・・・」