熨斗(のし)

のし(熨斗)について、趣味について、色々なことを綴っていきます

御岳登山ー父と 3

2011-09-14 23:32:28 | 

あれほど天気が良かったのに、山頂付近は霧が立ち込めていました。

山の天気は変わり安く、特に午後は霧を伴って急激に冷えて来る事もあります。

目の前に目標の白い建物が見えて来ましたが、大きな岩石が多くなり、

疲れた足で岩を上るのが大変になって来ました。

   

 父は歩みを止めては立ち上がり

「また、10m歩くかなぁ」・・と、力なく何回言ったか。

 

この辺り・・・田の原の登山口から御嶽山を見上げると、

大滝頂上から少し右側に岩がむき出しになった大きな崩落跡があるのが分かります。

昭和59年、9月14日、大滝村で内陸直下型の大地震がありました。

震源はこの御嶽山の南麓直下で、震源の深さは僅か2kmだったそうです。

マグニチュード6.8(震度6)の地震は御嶽山の山腹をえぐり取り、岩層なだれとなって崩れ落ち

大勢の尊い命も犠牲になりました。

計らずも27年前の今日の事でした。

飯田でも震度4で、しばらく木曽に行く道が閉ざされた様な記憶があります。

長い歳月をかけて今も復旧工事や植林が行われ、緑の山を復活しようという取り組みがなされています。

 

父はこの大崩落の現場が上から見える所まで辿りついていました。

 同行した私達が感じた事は、確かに歩みは遅くとも、一歩一歩歩いていれば確実に目標に近づくという事でした。

  

最後の数段を上り・・

      

大滝山頂に到着したのは、予定より約45分遅れて12時45分頃でした。

父の体力と山の天侯から考えて、私の決めていたタイムリミットの15分前でした。

  

父は大滝の頂上に祭ってあった神様に深々と頭を下げ、

「御岳の神様の歴史はどこの神様よりも古いんだぞ」・・と言いました。

父の言う通り、平安・鎌倉・室町の中世時代から民間信仰が結びつき、

御岳独自の山岳信仰が生まれ、

厳しい修行を重ねた道者と称する人々が集団的に登拝する風習が行われるようになったと言われています。

御嶽山には幾つもの山頂があります。

大滝頂上からは、御嶽山の最高峰、剣が峰が目の前に見えました。

這松も草も高山植物もない、茶色の山肌に目の前から登山道が繋がっていました。

硫黄の匂いが立ち込めています。

 

 父は、お参りを終えると、何も食べず、1滴の水も飲まず下山を始めました。

下山の足は驚く程早く、若者よりも身軽な感じがします。

振り返って山頂を見ると、次第に山頂は霧に包まれ、静かに幕を閉じて行きます。

  

つづく