「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

裁判員制度で 死刑選択への疑義

2010年10月26日 22時45分57秒 | 死刑制度と癒し
 
 裁判員制度が始まって初めて、 検察から被告に 死刑が求刑されました。

 裁判員にかかる 重圧の問題は 言うまでもないことですが、

 そもそも僕は、 裁判員制度で死刑が選択される 可能性のあり方そのものに、

 根本的な疑問を持っています。

 裁判では 永山基準などを総合的に判断して、

 どうしても死刑以外に考えられない という場合にのみ、

 死刑を選択することも 止むを得ないとするものです。

 死刑は究極の刑であり、 取り返しがつかないものですから、

 わずかでも判断に 疑問の余地があるときは、 それを避けるべきでしょう。

 しかし 裁判員制度では、 裁判員,裁判官の 意見が分かれたとき、

 多数決で決めることになっています。

 裁判員,裁判官9人のうち、 4人が反対したとしても、 死刑になってしまうのです。

(ただし、 被告にとって不利な量刑の方に、

 職業裁判官が一人以上 はいっていなければなりません。)

 裁判官裁判では 理念として、 例えば 100人の裁判官がいたら、

 100人全員が 死刑やむなしと考える場合にのみ、

 死刑を選択すべきだと 言われています。

(もっとも実際には、 3人の裁判官の 多数決で決められるのですが。)

 少なくとも裁判員制度では、 死刑判決だけは

 全員一致 (またはそれに近い形) に すべきではないでしょうか? 

(裁判官裁判でも、 死刑は全員一致に したほうがいいと思います。)

 今回の裁判の 被告の場合、 前科がなく、

 毎日 自責の念に駆られ、 謝罪, 反省しているといいます。

 また 被害者に突然 来店を断られて、 理由が分からず 被害感を生み、

 衝動的に犯行におよび、 犯行時はパニック状態で 善悪の判断ができなかった、

 と弁護側は主張しています。

 これだけでも、 死刑選択は 回避すべきだと僕は思います。

 少しでも 判断が分かれるときは、 死刑宣告をすべきではないでしょう。

 つまり、 死刑と無期懲役の 「 “境界例” には死刑なし」 と思うのです。
 
コメント (2)
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