「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

死刑存廃について (5) 誤判の可能性

2008年01月02日 23時18分07秒 | 死刑制度と癒し
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51947990.html からの続き)

(2)誤判の可能性

 冤罪,誤判があったら 死刑だと取り返しが付かない というのは、

 廃止論者にとって 非常に強力な論拠です。

 この一点だけでも 死刑は廃止すべきだとも言え、

 存置論者は明確な 反論ができていません。

 死刑以外でも 誤審の可能性はありますが、

 生きていれば 何らかの形での保証が まだできます。

 しかし 死刑が執行された後では、それが完全に 不可能だという点で、

 死刑は他の刑罰と 決定的に異なります。

 イギリスでは、1956年に 死刑廃止法案が出されましたが、

 内相が 近代裁判制度では 誤審はあり得ないと言って、廃案になりました。

 ところが その後に、1950年に死刑執行された事件の 真犯人が現れ、

 処刑された死刑囚が無実だった ということが判明したのです。

 そして 1965年の死刑廃止に、急速に 傾いて行ったということです。

 無実の人間が 死刑によって殺される おぞましさ、それに対する 痛みや怒りを

 リアルに想像できるかどうかは、その人の感性の 問題かも知れません。

 「取り返しが付かない」 というのは、冤罪だけはでなく、

 死刑執行後に 発覚した新事実で、極刑は重すぎたと 判明する場合もあります。

 裁判員制度でも、裁判員が 死刑の判断をした後になって、

 あれは違っていたのではないかと、後悔し 苦悩する場合もあり得ます。

 団藤氏の言う、死刑廃止なくして裁判員制度なし ということは、

 確かに言えるかもしれません。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/52002894.html
 
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