蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

「感情(emotion)の為せる業」ということについてーコメントへのお返事ー

2006-07-30 15:47:10 | 日常雑感
 7月30日(晴)猛暑。

 破壊王子、 kazu、 ぱんちょ、岡目八目、さと、百々征夫 様
 
 みな様ご多忙のなか、ご丁寧なコメントをいただき真にありがとうございました。

 昨日は、所用で東京へ早朝よりでかけて、昨夜遅く帰ってきて、PCを覗いて見ましたら、私のブログにしては、1件でこんなにも多くの方からコメントが届いているので、びっくり、かつ感激いたしました。篤く御礼申します。
 本来ならば、個々にご返事すべきかと思いますが、画面がごちゃごちゃしそうなので、ここでご一緒にお返事させていただきます。

 さて、今回の私のテーマは、自分でも予期せぬ「感情の暴発」ということについて、そのメカニズム(?)人間生活における意味合いを、私なりに考えてみたつもりなのであり、愛国心云々は、その導入のつもりだったのですが、今回、いただきましたコメントを拝見いたしましたところ、皆様の関心はこちらの方が、強いように感じました。
 まあ、これが、連歌を巻くがごとき、このブログのコメントの面白さであろうかと思います。
 そして、発句者の私といたしましては、皆様から戴いたお知恵により、思いもかけない見解に達するということです。
 
 しかし、何はともあれ、一番単純明快なことは、いい歳をして、今更、勝手にお酒をいただいたうえでの喧嘩口論で「感情の暴発」云々をいうほどのことかどうか、要は、私が岡目八目様のおっしゃるように酒の飲み方のマナーも知らなかった愚か者ということに、つきそうです。
 
 私とて、己の酒量ぐらい心得ておくべし、酒の席で政治がらみの話は禁物、火事場で火薬を弄ぶようなもの(まして初対面ではなおさらのこと)であることぐらいは、百も承知のうえだったのですが、この様(ザマ)です。私とて、かっては山口瞳氏の「酒の呑み方」でしたか、酒席での心得を書いた名エッセーを読んだこともあるのです。

 しかし、「感情の暴発」装置が外れてしまえば、そんな心得や知識など、たちどころにしてふっとんでしまうのです。ということは、それだけ私と言う人間の出来具合が、底が浅いということに尽きるのかとも思います。

 まあ、そうは言いましても私にも自己憐憫の情が、自己保存の本能に基づいてかありまして、そこで思うのは、一個人だって、国家という集合体だって、相手様との関係で、何かをきっかけにして、どちらかの感情の暴発装置の撃鉄が外れれば、それまでの理性や知性など敢え無く雨散霧消してしまうのではないかいうことです。ここに怖さを感じるのです。(※本文と繰り返しなってくどいようで申し訳ありません。)

 そこで、こうした破滅の危機を救ってくれるのが、時の氏神様としての仲裁者です。仲裁者が公平無私な立場で、仲裁に入ってくれれれば、それこそ神様ですが、そうではなくてどちらかに味方したり、かたよれば、火に油です。一層の破局です。

 こういう意味において、今こそ、人類は(世界)は、真に強く公正な仲介者を必要としているのではないかということです。どうも今の国連では誰が見ても、真の仲介者として心もとない現状にあるのです。

 そして、中小、弱小国はその実現を心待ちにしてはいても、一握りの大国においては、現状のほうが、自国の思うようになり、何の掣肘も受けずにすむ、現状のままが望ましいと思っているところに、最大の要因があるのではないかと思います。

 そこで、我が日本こそは、今こそ、中小弱小国を糾合して、真に頼りになる仲介者の実現(現状では、さしあたって国連改革)を目指すべきであろうと考えるわけです。

 このように考えております、私は、愛国心それが自国を愛すると同時に、他国民もその国を同じように愛していることを尊重しているのであれば、それは人間として極めて大切なことだと思います。そのためには、謙虚に可能な限り事実に基づいた歴史認識(しかし、これも言うは安く行うは難し、ではないでしょうか)に基づく相互の歴史認識が肝要かと思います。

 その一環として、百々征夫様のご推奨の書物も有意義かと存じます。その過程でkazu様ご指摘の、私の思い込みだったような、創氏改名についても、正しい事実を知ることができるのでしょう。

 しかし、現状において、愛国心を声高におっしゃる方の大方は、自国愛にのみ偏した主張のように見受けられます。そのような愛国心の高揚は、まさに、さと様が<今度の愛国行進曲も妙な方に進まねばいいがと思っています。>と、おっしゃるように、私も同様の危惧をもちます。

 ところで、破壊王子様、今回の“ブラッシングボール”について、私、野球のこまかな用語には不案内なもので、ちょいと調べてみましたら、「打者の内角を抉る癖球」と、いうことの意でしょうか?随分と怖い球ですね。(笑) 

 その一球が、<その列強の一つであるアメリカもまた多くの移民達が民族的アイデンティティは保ちつつも、「アメリカ人」として暮らしてます。確かに未だ人種差別等、多くの問題を抱えてますが、何故ここに注目されないのでしょうか?>と、これでしょうか。

 いや、私も、このこと、前回のコメントにお返事書いた後、昨日の東京行き電車の中でふと思ったのです。しかし、時は遅しで、慧眼の王子様にはたちまち懐深くを抉られました。
 本当に、(またまた、これも愚老の見当違いでご憐笑のことかもしれませんが?)アメリカ・USAでは、その通りで、いち早く民族、人種、文化を超越した世界モデルを実現しているのですね。早い話が、世界各国が全部合衆国第何州になってしまえばいいのです。
 今、ご指摘されて気がついたのですが、アメリカの世界政策・外交政策の一見の強引さ、そしてそれを押し通そうとする自信の源は、そんな「アメリカ人」に支持されているんだ、ということにあるのかもしれませんね。

 もう一球は、<ところでご隠居を怒らせたその若い衆、和服は一人で着られますかね?アタシは日本の伝統がどうこういうくせに民族衣装一つ自分で着付けられない、角帯も締められない人間は信用しません。>と、いうことでしょうか?

 これについては、初対面なので、どうだか知りません。アルピニストとか優れたクライマーと紹介されましたので、和服の方はどうでしょうか?
 しかし、何とか理事とかおやりになっていて、相当の自信家(自分の考えに疑問を抱かない、他人の言うことにも一応聞いて考えてみようとしない、自分の考えに合わない他人は一蹴してこころみないお人柄と見立てました。もっともこれほど己を信じなければ、ザイル一本に己が命を託すことはできないかも知れないことは理解できます。また、反面、己の力量を過信して、天候、気象条件を無視して、予定行程を強行突破しようとして、遭難される方々もよく聞きます。これが会社経営者だと倒産に至り、国家指導者だと国を滅ぼし国民を塗炭の淵に落とします。故に世に自信家ほど怖い他人にとって傍迷惑な存在はありません。)であり、こういうタイプの方とは、私は、思えば、そのはなへし折ってやりたい敵愾心がむらむらと湧いてきて、遭遇するたびに性懲りもなく衝突をくりかえしてきた前科もちです。

 今後は、かかるお人柄と見受けたら、とっとと中座を金科玉条といたしましょう。

 なお、私も、この歳になって浴衣一枚箪笥の肥やしになってますが、ほとんど袖をとおしたことがありません。どうか、ご憐憫をもって信用できない日本人の一人から外すことだけはご勘弁願えないでしょうか?(笑)

 さて、最後になってしまいましたが、ぱんちょ様。先ずは、期末試験お疲れ様でした。 このところ、ぱんちょ様のブログ覗いてみても、11日以来、更新がないので、そんなところかなと、お察しはしていたのですが、大変ですね。もっともそれがぱんちょ様の目下のご本業ですから、よい結果をお祈りします。
 
 < この焦点に対して私の意見は「どちらも悪い」です。昔日本が他国にしてきたこと、それと北朝鮮が日本で拉致などを実行したこと。程度の差もありますが、どちらかの行動が美化されるべきでもないはずです。両者の行いにより実際に苦しんでいる人がいるわけですから。>とのこと、両者の苦しみに視点を置かれたところに、ぱんちょ様のお人柄の優しさを感じます。

 それから、<最近は感情がもたらす「負」の側面ばかりが目立っていますが「正」の側面にも私たちは注目すべきだと思います。>とのこと。
 これも大切な視点だと思います。
 私も今回は、ことの経緯から「負」の側面にのみ捉われた書き方になってしまいましたが、まさにおっしゃるとおり、「感情がもつ正の側面」、そのおかげで一目惚れして今の家内と結婚できて山家の隠居なんてかっこつけてられるわけでありますし、絵もかけるわけであります。まさに感情こそは人類存続の根源動因ですよね。芸術、文学も然りです。

 ぱんちょ様ありがとうございました。そのような平衡感覚をお持ちのぱんちょ様、卒業されましたらきっと良いお仕事をされるようになること、山家の爺は疑いません。

 ということで、長々のコメントへのお返事となりました。お蔭様でたいへん勉強させていただきました。ブログとは、こうした弁証法的(大げさでしょうか)な発展がたまらない魅力であると改めて感じ入ったしだいです。皆様ありがとうございました。またよろしくお願いいたします。

ー追 記ー

 昨日、上京の電車の往復の際に読もうと「ウェヴ進化論」-本当の大衆化はこれから始まる 梅田望夫著:ちくま新書2006年3月刊を、バックに入れていった。
 その中に、『ブログという舞台の上で知的成長の過程を公開することで、その人を取り巻く個と個の信頼関係が築かれていくのである。』との、文言を見つけた。
 
 今回の、私のブログヘのコメントへのご返事をこのようにアップするのは、はじめてでありますが、まさに梅田氏の指摘にピッタリの好例かとも思い、ここにアップしてみました。
 なお、この著書、とても参考になりましたたので、読後感や私なりの触発されて考えたことについては、改めて書いてみたく思っております。

 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?



 

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3 コメント

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田舎暮らし (さと)
2006-07-31 12:27:30
先日は初めての投稿にもかかわらず、独りよがりな、それこそ感情の向くままのコメント

お許しください。

とても面白いグログでお気に入りになりました。

しかも、私と同じ田舎暮らしをなさっていらしゃるようで、

私も、蛾遊さんと同じ田舎暮らしを月の内半分ぐらいしております。

週末犬や、夫と楽しく過ごし、自然を楽しみ、温泉に入り、日ごろのストレス解消のつもりでしたが

昨年、母が認知症、骨折と入院、私も仕事を辞め、母をこちらの療養型病院へ入院、それに伴いオールシーズン住めるように家を改築したり、介護でこちらへ来ることが多くなりました。

いざ、長期の生活をしてみると不便、寂しさ

を感じています。

住まいは別荘団地でご近所にはあまり定住者もいない、地元の人たちとのお付き合いもほとんどなく、田舎暮らしを満喫すると言うより、都会の便利さに心が動きますが、母のためと思い通っています。

田舎暮らしのよさ、地元の人たちとの交流などまた拝見に訪れたいと思います。
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バランス (さくら)
2006-07-31 23:10:35
「感情の成せる業」・・・皆さんのコメントを興味深く読ませていただきました。



いろいろな考え方があり、勉強になりました。



万華鏡を覗いているような、そんな気がしました。



プラス思考とマイナス思考、攻撃と防御、理想と現実、愛と憎しみ、躁とうつ・・・相反すると思われるものも、本当はすぐ隣同士?かも知れないと思いました。



ぼんやり浮かんだのは「やじろべー」です。
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さと様、さくら様コメントありがとうございました。 (蛾遊庵徒然草)
2006-07-31 23:51:28
 さと様、

 月の半ばは田舎暮らしとか。

 ところで、母上様のこといろいろと、大変ですね。私の母も同じでした。80歳の時胃がんの手術をし、その麻酔でおかしくなり、85歳で亡くなりましたが、その間私のことも判別できなくなりました。



 やはり、東京から連れてきてこちらの施設のお世話になりましたが、東京にいたときに比べて、環境はもちろん、介護してくださる方々がはるかに親切で優しかったのが救いでした。



 こちらでの、お住まいが別荘団地内とのこと、そうするとどうしても、地域との繋がりが難しくなりますね。



 しかし、こちらにも陶芸家や画家など地域とはとくに密接せず、暮らしていられる方も多いので、そういう方々のアトリエなどを訪ねられて、徐々に親しい方の輪をひろげていかれてはと思います。



 また、よろしくお願いいたします。



 さくら様、



 <ぼんやり浮かんだのは「やじろべー」です。>面白いご感想ですね。

 ブログの楽しみ、良さの一因は、この「やじろべー」感覚にあるのかもしれませんね。



 
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