monologue
夜明けに向けて
 



青い外套の女に 人魚の涙を渡す時
    亀甲の数字を手にするであろう


「青い外套の女」というコードネームを使うイシスに「人魚の涙」というコードネームのイザナミを渡す時
亀甲の数字を手にするであろう、ということまではわかった。
「亀甲の数字」を推測してゆくとこれまでわたしたちがこのシリーズで読み解いてきたことを敷衍して「亀」という字は黄金太陽宇宙構造の形象だからその「甲の数字」とは「泉黄泉」のそれぞれに与えられる数字のことだろう。「泉黄泉」は「三四三」であれば彼岸此岸が互いに七でバランスがとれているのだが前にも述べたようにそれが現在は「三四五」になっていて彼岸七、此岸九でバランスがとれていない。「亀甲の数字」とは拮抗の数字ということで彼岸此岸がバランスのとれる数字。
「青い外套の女の「女」は「お三七」、「人魚の涙」の「涙は「七三だ」で互いに三と七が逆になっている。
上下反対の世界ということだろうか。
イシスは数にすると「一四ス」でそれに「三七」イザナミは「一三」に「七三」。
「亀」の上の田に下の田からエレベーターで昇ってこの数字を渡すということなのだろう。
イシスのもっている数「一四」「三七」にイザナミが自分の数「一三」「七三」を渡すと、一と三七はすでにイシスももっているのでかの女が手にする亀甲の数字はイザナミ独自の数「三」と自分独自の「四」ということになる。この数字を「手」にするということは黄金太陽宇宙構造を示した文字「手」にあてはめてゆくということ。「手」の文字に示されている上と下のピラミッドの三角部に三を当てはめ、中央の底辺部の四角に四をはめて「三四三」の拮抗したバランスのとれた宇宙に戻すのだ。イシスはそのために再臨しようとしている。
fumio



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 青い外套の女に 人魚の涙を渡す時
    亀甲の数字を手にするであろう


まず「青い外套の女」を読み解くためにタロットカードを見なければならない。
その一枚に「女教皇あるいは女司祭長」というカードがある。
三日月を足元に置き、中央に球がある角の生えた王冠をかぶっている。胸には太陽を表す十字架を提げている。 この雌牛の角と月を象徴する球のある王冠を頭に載せた姿がハトホル神と習合した月の神であり水を司る女神としてのイシスと見られている。
手には「Tora(トーラ)」(旧約聖書の5書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)の巻物を持っている。しかし秘儀はかの女の外套(mantle)に隠されていて奥義を授かった者だけにヴェールを上げて見せるが、それを見た者は決して口外してはならない。カバラでは、この外套はアイン・ソフ(Ein-Sof)の神秘の形象化とされる。
「青」は解字すれば月の主で外套は秘儀を隠したイシスの外套(mantle)ということで
「青い外套の女」とはイシス。
それでは「人魚の涙」という詩的なことばはなにを示すのだろう。
「人魚」で思い出す話やさまざまな可能性を思考してもなかなかそれらしいものにぶつからない。
これには困った。時間ばかりかかってもひらめきが得られない。寝ている間もこのことばがぐるぐるまわっていたが数字にするとどうなるかと人(ひと)なら一で魚(さかな)は三そして涙は「七三だ」ということにした。そして読み直すと一三七三で「イサナミ」が出現した。
イザナミさんは封印が解けたらしく積極的にどんどん出かけてくる。
「人魚の涙」とは「イザナミだ」と断定的な口調で言い切ったことばであった。
これは意外だった。もっと詩的で意味の深い広がりのあることばのように思っていた。
やはり、イシス、イザナミが動き始めている。
fumio



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