monologue
夜明けに向けて
 



★然り龍の子は姿を変え、大いなる亀の文様は読み取られる…

さぁ、大いなる亀の文様は読み取れるか。挑んでみよう。

まず「龍の子」の「龍」を特定する。このままではなにもわからないので「竜」にしてみる。すると「亀」の下部に隠れていることに気づいた。「亀」の形の宇宙構造の下の方にいらっしゃる方なのだ。なにやらみえてきた。
ならば「子」はこれまでの流れではホルス(フル)あるいはニギハヤヒ。
読みは「コかシ」で数にすれば五あるいは九か四。「姿」は「次(ツギあるいはナミ)の女(おミナ)。
姿一字で月(ツキ)神、ナミ(七三)、ミナ(三七)のイシス、イザナミの裏表不離の関係を示している。
「変」は亦に夂(すいにょう)「ゆっくりついてゆく意」。
「大いなる」の「大」は人が手を拡げて十の形を作っている図。
そして七(な)と回転マーク「る」。「三四三」構造の上下の七が回転している。そんな亀の文様の「文」は線が交わっている形を表す。
「様」は木に羊水(四三ヨミ)。そして「読み取られる」はやはり「ヨミとられる」で四三を強く示唆。

ここまでを一旦まとめると、龍の子、ホルス(ニギハヤヒ)は五と四で九になっている姿を変えまたついてゆく。
「亀」の中で交わっている形は上下の田の中の十字。大いなる亀の文様は「三四三」を足した十を重ねた文様。
イシス(三七)、イザナミは(七三)で互いに十の数で亀の上下の文様を形作る。フル(ニギハヤヒ)もついて九から十に姿を変える。

亀甲の文字は、旧いものの上に新しい文字を書き連ね改められた

「亀甲」はこうしてみなおすとほとんど「田」ばかりでできている。
「旧(フル)」は「田」になりそこねたような字である。「新」は「あらた」と読んで
「改められた」の「改」もまた「あらた」である。これはやはり「新田(あらた)」を強く示唆しているよう。
「旧いもの」は日の脇に縦棒が立ち「九キュウ」であった。今度は日に正しく棒をきちんと書き連ねて四角の中を十にして「田」に改められたということ。この「田」はまともに回転して上下の田が重なりつながって玄亀の力をふたたび発する。亀は「日目」カメでありヒメでもある。「おかめ」と呼ばれて親しまれたり全国の神社にヒメ神として祀られたりイザナミは忙しく働いている。これまで見せなかったわれらが母のさまざまな素顔をさらけ出し(石神(イシス)として再臨するのである。
fumio


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