monologue
夜明けに向けて
 



アジア太平洋の広大なエリアには実に多くの音楽が繁栄している。中国といっても大陸、本土、台湾、上海、香港、等々それぞれの代表曲の醸す雰囲気肌合いがそれぞれ違って千差万別の趣を感じた。すべての出場国のパフォーマンスが終わってしばらくのパーテイのあと祭りの後の寂しさを感じる余裕もなくぐっすり眠りについた。

翌日、各国の人々が打ち解けるようにバスに乗っての市内巡りがあった。みんなギターなどの楽器を提げているので名所から名所へ巡る間バスの中は演奏会のようだった。音楽祭での
出場曲も世界的有名ヒット曲も次から次に演奏していた。わたしたち一行が香港チームと一緒のバスになった時だれかがビートルズのミッシェルのイントロをギターで弾き出した。それに他のメンバーが合わせ次々に音が重なってゆく。こんなところで耳にするといいな、いつもみんなで練習しているのだろうな、なかなかうまいなと心の中で思っているとだれか歌えという。演奏はかっこいいのだけど歌は歌えないらしかった。途中フランス語があるのでむづかしいのかも。それでギタリストがだれもが弾きたがる有名なイントロのクリシェのあと、わたしは思いを込めて歌い出した。演奏している人たちは日本人が英語とフランス語の混じった歌を歌うと思っていなかったようで意外そうだった。それでもわたしにはビートルズは基本なのでまともに歌い切った。それでわたしが英語の歌を歌えると知るとかれらは他の曲もセッションしようとするのでわたしはみんなが知っていて弾けそうなそうな有名曲「グリーングリーングラスオブホーム」をリクエストした。かれらのギターのバック伴奏や間奏とともに色々歌った。楽しいセッションだった。次の名所でバスを乗り換える時同じ停車場でバスを降りたマレーシアチームがわたしを見つけて寄ってきてみんなで日本代表曲「わかり合える日まで」のメロデイをコーラスで歌ってくれた。わたしはビックリした。どうして歌えるのだろうと不思議に思った。とにかくマレーシアは対日感情がいいということだけはわかった。どこの人々もみんなフレンドリーで楽しかった。しかしながら唯一韓国代表だけはわたしたちを避けているようだった。日本統治時代の記憶が完全に癒えるにはしばらくかかりそうだった。「時」という名前の薬や様々なアクテイビテイで意識が変化してゆく。国によって違う対日感情をアジア太平洋の現場で実際に肌で感じて学ぶことができたのだった。この旅でそんないい経験をさせてもらったのである。
fumio

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