6月22日(土)に開催された「てつがくカフェ」について
世話人から報告させていただきます。
会場とオンライン(Zoom)の同時開催となりましたが、
会場には16名、オンラインでは5名の計21名の方にご参加いただきました。
会場の発言の一部をご紹介致します。
・それでは今日は「私の子育て」というテーマで、まあ、これもあの1月にノンテーマでやった時に皆様から出していただいたテーマの内の一つになっております。どういうテーマにしようかと考えたんですけど、問いの形にしないで、かつもう「子育て」だから。まあ、皆さんの話を聞ければいいかなという事で、さっき言ったように「どう子どもを育てるべきか?」みたいな、そういう「あるべき論」にはしないで、「私の子育て」という形でお互いの経験とかを共有しようかなというふうに思っております。最初に言わせていただくと、まだ自分の子供がいなかった頃に、もう大分前なんですけども、ジブリ映画で「思ひ出ぽろぽろ」という作品があって。あれが現在の女性と、それから小学生時代の女性を行ったり来たりしながらという小学校時代の彼女の経験が普通に色んなエピソードで語られるんだけども。初めてその映画を見た時に、物凄く「えっ‼」て思って。何ていうかその主人公があまりに可哀想で。親の言動とかお姉ちゃんの言動とか、あまりにも可哀想でそれをブログに書いた事があるんですね。昭和の話だから昔の話なんだけども、今の常識から考えて、あまりにも酷く可哀想だったみたいなふうなことを書いたら、物凄い炎上しましてそのブログ記事が。皆さんから色んなふうに「何言ってるんだ」みたいな。「これでいいんだ」みたいなジブリファンの方々から、物凄くお叱りを受けるみたいな、炎上した事があって。その記憶もあって、この哲学カフェでもう一度その映画「思ひ出ぽろぽろ」を題材に話した事もありました。それも皆さんだったらどう思うかというのも伺いたいなと思っておりますが。とにかく皆様の「子育て」について、ご自分の経験であれ、考え方であれ、なんでも自由に発言していただければというふうに思います。
・私三人子供居るんですけど、育てあげてずっと葛藤してる事があって。「子育て」は愛情と教育の葛藤みたいな。常に迷いながら、その愛情と教育のバランスをその都度その都度考えていたんですけど。これってもう本当に人それぞれ千差万別、色んな家庭だったり、ご両親だったり、まあ、あの母親だったりのその人独自のレシピみたいなものだと思うんですよね。そのブレンドの仕方というのは。常にもう迷って迷って、もう今だに何か「これは!」という確信が持てない、とても難しい事だと思うんですよね。私実はワインが好きでして、ワインのブドウを育てる時に、あんまり良い土地、肥えた土地にブドウを植えても良い物が育たない。実が沢山なりすぎちゃったり、薄い味の水ぶくれしたようなブドウになったり、あんまりおいしいブドウが出来ないんです。それはなんでかというと、根っこがですね栄養をすぐ取れる様な状態にしておくと、表面の栄養しか取らなくて、中に根が伸びないんですよね。それってその土地の特徴とか、固有の養分とかを自分から取りに行かないんですね。あんまり栄養を与えないと、その根っこはずっとずっと地下の奥深くにこう潜って、そこからその土地にしかない養分を自分から吸い取るんですよ。だからボルドーとかだともう表面砂利だらけで痩せた土地ですよね。そういう所に良いブドウが育って、本当のその土地を表現する味わいを持つブドウになるんですね。だからそれを考えると、ブドウは天地人のそのバランスでなせる技なんですけれども。「子育て」というのも、その家に伝わる歴史とか親から教えてもらったものとか、そういう縦の軸もかなり影響する訳ですよね。平面的にその時代、時代の社会も勿論影響するし、環境も影響する。だから、とてもそのバランスというのは難しいなといまだに答えが出ない。ずっと多分答えが出ないし、どんどん変わっていくものじゃないかなと思います。
・今の話を聞いて、最近の話と重なるなと思ったんですけども。やっぱり偉い人が子どもをダメにするのはすぐ手に入るようにしちゃってるんではダメにしちゃうんだって。やっぱりある程度忍耐とかそういうのも覚えさせなきゃなんないと、本当に子どもの為にはすぐ与えちゃう事だって。手に入れるものは全てすぐ与えちゃう事がそれが一番子どもを駄目にするんだって。今のもブドウの話も全部すべて整ってる良い土地には出ないっていうので、それと共通するなと思ってね。今の話を聞いてて感じました。
・今日のテーマは「私の子育て」となってるんですが、私は「子育て」一応は終わってるというふうに思いますけど。思い出して振り返ってみると、私の場合は現役の時は仕事、仕事、仕事。女房は専業主婦という事で任せっきりだったというふうに思います。だからなのか、子供達がなんか母親の方にくっついてて、私とあまり親しく無い感じを思ってて。未だに私に対して反抗期を脱していないというか、反抗的な所があると。という事からすると、今になって反省しきりというのが実態です。それと息子はいわきで家庭を持ってるんですが、子供が生まれて孫ですね。この7月に二歳になるんですが、特に目立つのは「スマホ」ね。子供はまだ二歳なのに、もうそれポコポコ打って凄い訳ですけど。そうすると将来「どうなっちゃうのかなと。スマホ依存症になっちゃうんじゃないかなというような気もして気掛かりな所です。
・私の場合はですね、今にしてというか大分前から思ってたんですけど、大分愚かな母親だったなと自分で思うんですけども。子供は親の作品だと言う考えがあって、それで私は長女が生まれた時に「この子を天才にしよう」と。子供を天才にする本とかを買ってそれを実践したりして。そうするとですね、結構案の定賢い子になっていって、「この子天才かな?」と2~3歳ぐらいまで思ったりして。でも、どの子も2~3歳ぐらいまで天才なんですね。そういう事から私は子どもを自分でコントロール出来るもんだと思ったフシがあって。無意識に子供に色んな事をやらせたり、あとこれがいいんだと思えばそれを与えたり教育的に良い事を与えるという事をずっとしてきたんですけれども、後々考えたんですけども、子供は親にそんな事を求めてはいない。ある人が言ったんですけど「子供は愛で育つ。与えるのは愛だけでいい」と。それは大分子供がもう成人した後に聞いた話でもう時既に遅しなんですね。そうこうしている内に三人子供がいて、上二人が娘で、十歳離れて男の子だったんですけど、その子が小学校四年生から不登校になりまして、もう本当にもうアンコントロール。私のコントロール下にはいなくなってしまって。それから色んな葛藤があったんですけれども、私の「子育て」がもうこのままじゃダメだという事を感じまして、色んな教育機関に行きますと「コントロールはもう止めてください。子供との信頼関係が結べてません」と言われてしまって。こんなに一生懸命教えたのになんて事言うんだと思ったんですけど。結局子供が望んでる事を、私は子供にしていないという事だと思いまして。紆余曲折あって、今はもう成人して自立して働いてますけれども、そこに至るまでは凄い大変な思いをしました。それで先ほどちょっと気になったのが、子供に忍耐させることが重要だという話なんですけれども、それはちょっと私的にはどうかなという部分がありまして。「背負わされた荷物は重い、背負った荷物は軽い」という言葉があるんです。自分から自ら進んでやる事には、どんな忍耐でも耐えられる。だけど、与えられた忍耐は耐えられない。誰でもそうだと思うんですけど、だから不登校になった息子を育てる時に気づいたのは、子どもは自分で決めた事はどんなに辛くてもやり遂げるという事。だから今の子供は駄目だというのは、不登校なんかもダメだと言うのはちょっと違うかなっていう感じがします。
・私は三人の子供を育てたんですが、二年ぐらいで転勤を転々としながら三人を生み育てたので。振り返ると、それぞれの子供にかける時間がどうだったのかなという所が反省にあって。それを真ん中の娘についこの前話しましたら、「一人ひとりにかけるエネルギーや時間が少なくて、子供が三人だったっていう事もあって、申し訳なかった」みたいな事を言いましたら、娘が「それでよかったんじゃないの」と言うんですね。「私一人にお母さんのエネルギーがドッとかかってきたら、それはそれで負担だったかもしれないし、嫌だったかもしれないし、三人兄弟がいてちょうどいいバランスだったかもしれないよ」と言われて。ある意味ホッとしたような、そういう事かという気付きを得られたという事がありました。なので、何が正解かというのは全く子育ては無いと思えますので、それぞれの子育て、それぞれの家庭の状況やらがそれはそれで良いのかなというふうにも思えた瞬間でした。
・私も今子供が男の子三人いまして。私が気をつけている事は、浪人してた時に、一緒に浪人してた友達がいて、ソイツの言葉を覚えているんですけども。先生に「お兄ちゃんは出来が良くて、お前は出来が悪いな」と言うことを結構言われてショックというか、偶々同じ母親から生まれてきただけであって、その兄貴と比較されるのは本当腹立たしいという事で。その人はずっと言ってたので、その事を私も出来るだけ三人男なんですけど、三者三様で全くやっぱ違うんですね。生まれる順番も違うんだなという事を感じていて、そこをやっぱり比較をなるべくしないように、でもやっぱり出来が良かったり、きちっとしてたり、真ん中はバランスが良くて。私も二番目なんですけど、そんな所に行ってるなと感じつつ、なるべく比較しないように意識しています。あと、「子育て」なのか、やっぱり親である前に一人の人間なので、自分の人生を楽しむ。うちの連れはあんまり楽しめてない気がするんですけど、やっぱり自分をきちんとしっかり生きているお父さんは「今日、友達と自転車に行くから」「遊びに行くから今日は遊べないよ」
とか。「今日は予定が無いから行けるよ」という事で。私の意識してるのはちゃんと自分の時間を持つ、いずれ子供も離れていくと思うのできちんと自分の楽しみとか、やりたい事をやらないといけないのかなと思って。まだ奥さんの方もあんまり言わないんでしょうね。「私ばっかり我慢して」と言って、私とは全然タイプが違うので「貴方は何が楽しくて生きてるのかな?」と思う感じもするんですね。子供をそんなに好きでもないような感じで、いつも怒ってばっかりで。それを聞いて、私はもう本当苦痛でしかないと。ここで愚痴を言ってもしょうがないんですが、そんな所で私は比較をしないという事と、自分の人生をきちんと生きる事が、子供もそれを見て、どんな風に育つか分かりませんが、そんなふうな所を意識しています。
・今の話を聞いて奥様が子供を怒ってばかりいるみたいな状況の時もあると言うような事でしたけど。それは私の経験からするとね、仕方がない事もあるなと思います。とにかく「子育て」は大変なんです、大変でした。結婚する前は「子育て」がこんなに大変かというふうにも思わなかったし。している最中はもう毎日一日を終わらす事で精一杯だったので。とにかく自分に時間を取れなくて当たり前だったので。三番目下の子が小学校一年生になって帰りの学校帰りが二時頃になった時に、「あー、私の時間が来た」とやっと思えたんですね。その時に「じゃあ、私何やろうかな」と思った時に、あれやりたいな、これやりたいなって言うのが偶々あったので、そこからの勝手に自分のドアが開いたなんて勝手に思ってるんですけど。それまでは、とにかくもう三人でしたので、自分の事は二の次、三の次、四の次、五の次ぐらいしか出来なかったんですね。近所に頼れる親とか知り合いとか兄弟がいれば別だったと思うんですけれども、先ほども話したように二、三年で転勤しながらの子育てだったので、中々そういう状況になれなかったので。自分の時間が取れる人が、取れるという事も人それぞれ違うんだなという事も思いますし。時期とかタイミングとか時間とかも皆違うでしょうし、それはそれぞれの人生の中の学びの一つなのかなとも思うし。この前、偶々子どもの番組を子育ての番組を見ていたらば、専門家の方がお母さん方、お父さんも含めてですけど「子育ては大変なんだから30%出来てれば上等と思う。それぐらいでいいんですよ」というのを聞いて、もう過去の自分を振り返って、なんか肩の荷が下りたというか、楽になったという事がありました。
・「子育て」はやっぱり親は自分の事はもう二の次、三の次って今聞いてその通りと私もそう思ってたからね。もう自分は二の次、その通りだなと思ってね。あたしも三人子供いますけども、三人とも性格違うからね。この子はこのようにやり方が通用したけど、次の子は通用しないし。頭を回転させていかないと。私は羨ましいなと思ったのは、祖母がいる人はね。結構孫の御守だなんだってしてくれるでしょ。私はあれ見てて何程羨ましかったか分からない。私は全部自分でやったから。だからもうね、目の前の事必死になってやってるから、もう子育ての理想がどうのよりも、がむしゃらがむしゃら。自分は一日一日それでも必死になって。その一生懸命さがね、やっぱり「親の背中を見て子供は育つ」と言うけどね。その通りだなと思ってね。「子育て」でこうやってとか、そんな事も考えても、目の前の事で。祖母がいる人は本当に、たっぷり自分の時間を取りたければ取れるしね。だから、どれ位羨ましかったが分かりません。でも、背中を見て育って、三人ともまともに育ってね。「子育て」は全然何の本を読む訳でもなんでもないけども、その必死さその一生懸命さを見てそうだったのかななんて思いました。
・先ほどこちらの方ですけれども、あの「自分の子育て」についてお話しされた時に、自分の人生も楽しいも、それから子供を一緒にしない。そういう事を仰ったんですけれども、とっても良い考えだなと思いました。しかも男の子三人ですよね。やっぱりお父さんがモデルになるので、お父さんが人生を楽しく過ごしてるのを見ると、自分の将来はこうも明るいものと、大人になってからなんか楽しいんだなと大人になるって楽しいんだなというものを感じる事が出来ると思うんですよね。だから、凄く良い子育てをしていらっしゃると思いました。私もそうやって子供を育てる事をもっと楽しめば良かったなと思うんですけれども、ただお母さんの場合は、どうしても「この子を幸せしなくちゃ」とか「きちんと躾をしなくちゃ」とか、「良い子にしなくちゃ」とか、そういうのに結構縛られてて。何が大変って、その躾けとか、そういうものに気持ちを取られがちだった。私の場合はだったと思うんです。お陰様で皆さんから子供はとても良い評価を得られる事になったんですけれども。そうすると本当にその子は自分の生きたいように生きてるのかなという、そういう心配も無きにしも非ずなんですね。だから、別にいい子に育てる必要はなくて、先ほど仰ったように、自分の生きたいように自分の人生を生きるという。親は見守るという、そういうサポートする立場でいれば、そんなに苦しくもないし、大変でもないような気がするんですよね。よく見ると子供は色んな事に興味もって、色んな事をしたりして、凄く親を楽しませてくれる存在なのに、「あれしちゃ駄目」とか「あれは駄目」とか言ってなんか余計な事で忙しい気持ちになって、子供にも良くなかったかなと思う所です。自分の人生を頼んで楽しんで、しっかり生きている姿を見せるっていうのは素晴らしいなと思いました。もう一つ、奥様がキリキリしてるという所は、やっぱりご主人の思いやりが必要なのかなと思うんですね。何かにつけて感謝の気持ちを表したり、「大変だね」とかちょっとした言葉かけとか、そういうものでも大分穏やかになるんじゃないかなと老婆心ながら思いました。
・今のピリピリで思い出したんですけれど、日本はとても日本の社会全体がとても働きすぎだという風な考えがありまして。確かにそうだなというふうには前から思ってたんですけど。ちょっと前に本の紹介でオランダ辺りだったと思うんですけども、労働時間が日本よりは短いんですね。かつ日本だと正社員の様々な社会保障が付きますけれども、その国では日本で言うパートのような短い時間で働いても、ちゃんとそうしたの保障は同じように付くので。給料体系も同じなのでそれぞれが休暇を取りやすいので、「子育て」も「じゃあ、今日私が休み午後から取るから、お父さん明日午後休暇取ってね」というような事も出来るらしいというような事が紹介されていたので。それであればお互いにキリキリする度合いも減るなというふうに思いました。働く時間にゆとりがあるので、どこかに行こうかとか、キャンプに行こうかという事も計画もできるし、心にゆとりができるというそういう社会であってほしいなというふうに、その本の紹介を読んで思いました。
・日本はいつからなんでしょうかね。明治からか戦後からなのか分かりませんが、とても長く働く、働いて当たり前みたいな。最近は変わってきましたけれども、男性が働いて女性が子育てをみたいな時間が結構長い期間ありましたので、それを引きずっている部分もあるし。日本の社会構造的な事も、日本の「子育て」の難しさ、やりづらさみたいな所や、辛さみたいな所にも繋がっているかなというふうに思います。
・私は前の結婚の時は子供は出来なかったんですけど、でも結婚する時には「もしも、子どもが出来たら家事と子育ては半々にしようね」というふうに言ってたんですね。再婚しても「やっぱり家事と子育て半々で行こうね」というふうに言っていて、まあまあ半分ぐらいやってんじゃないかなと思ってこの間妻に今日に向けて聞いてきたんですけども。「半分やっていると、この場で言ってきても大丈夫でしょうか?」と言ったら、「量的にはね」と言われましたね。「量的には寧ろ八割ぐらいやってると言ってもいいよ。ただ、色々気に食わない事が沢山ある」とかという風に言われましたけども。でも、それが出来るのは僕が偶々恵まれてるというか、仕事が凄く時間が割とフレックスというか自由になるという所があって、時間が決まってないという所があるのが一つあるのと。妻も働いて、だから子供を保育園に預ける事が出来たというのも、今は小学校で学童に預けているというのがあって。そうやって預かってくれて、一日の大半はそっちで見てもらってるというのは凄くありがたい事で。やっぱり、それがあってこその半々なんだろうなというふうには思う所があって。やっぱりでも働いていると、どうしてもこう子供優先に出来ない事もあるので、そうするとこう本当に半々と言っても、結局どっちかがやんなきゃいけない。大抵そういう時は女性にみたいになってしまいがちだけど、それをせずに済んでるのは偶々かなというふうには思っています。
・茶々を入れるような話になってしまうかもしれないけれども、今世話人が「保育園」というキーワードを言ったので思い出したんですけれども。仙台市の鳥が「カッコウ」なんですね。あの「カッコー、カッコー」と鳴く。2000年ぐらいに仙台の鳥がその「カッコウ」のままでいいのかというの話が、議会で真面目に議論されていて。その時の論点が「カッコウ」というのは、自分で子供を育ててない托卵する。そのような子育てのあり方を象徴としていいんだろうかと。それを真面目に議論した時期があるというの議事録を読んで初めて知ったんですけども。なので、「さあ、どうやって子育てをするのがいいのか」と言うのは多分、市議会議員やってる方というのは、相対的に年齢が高い男性の方が多くて、やっぱりそういう男性目線の意見が強かったりしているのを見てると、まぁそういうような議論が未だに残ってるんだなあとふと思いました。
上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。
最終的な板書はコチラ↓
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それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。
世話人から報告させていただきます。
会場とオンライン(Zoom)の同時開催となりましたが、
会場には16名、オンラインでは5名の計21名の方にご参加いただきました。
会場の発言の一部をご紹介致します。
・それでは今日は「私の子育て」というテーマで、まあ、これもあの1月にノンテーマでやった時に皆様から出していただいたテーマの内の一つになっております。どういうテーマにしようかと考えたんですけど、問いの形にしないで、かつもう「子育て」だから。まあ、皆さんの話を聞ければいいかなという事で、さっき言ったように「どう子どもを育てるべきか?」みたいな、そういう「あるべき論」にはしないで、「私の子育て」という形でお互いの経験とかを共有しようかなというふうに思っております。最初に言わせていただくと、まだ自分の子供がいなかった頃に、もう大分前なんですけども、ジブリ映画で「思ひ出ぽろぽろ」という作品があって。あれが現在の女性と、それから小学生時代の女性を行ったり来たりしながらという小学校時代の彼女の経験が普通に色んなエピソードで語られるんだけども。初めてその映画を見た時に、物凄く「えっ‼」て思って。何ていうかその主人公があまりに可哀想で。親の言動とかお姉ちゃんの言動とか、あまりにも可哀想でそれをブログに書いた事があるんですね。昭和の話だから昔の話なんだけども、今の常識から考えて、あまりにも酷く可哀想だったみたいなふうなことを書いたら、物凄い炎上しましてそのブログ記事が。皆さんから色んなふうに「何言ってるんだ」みたいな。「これでいいんだ」みたいなジブリファンの方々から、物凄くお叱りを受けるみたいな、炎上した事があって。その記憶もあって、この哲学カフェでもう一度その映画「思ひ出ぽろぽろ」を題材に話した事もありました。それも皆さんだったらどう思うかというのも伺いたいなと思っておりますが。とにかく皆様の「子育て」について、ご自分の経験であれ、考え方であれ、なんでも自由に発言していただければというふうに思います。
・私三人子供居るんですけど、育てあげてずっと葛藤してる事があって。「子育て」は愛情と教育の葛藤みたいな。常に迷いながら、その愛情と教育のバランスをその都度その都度考えていたんですけど。これってもう本当に人それぞれ千差万別、色んな家庭だったり、ご両親だったり、まあ、あの母親だったりのその人独自のレシピみたいなものだと思うんですよね。そのブレンドの仕方というのは。常にもう迷って迷って、もう今だに何か「これは!」という確信が持てない、とても難しい事だと思うんですよね。私実はワインが好きでして、ワインのブドウを育てる時に、あんまり良い土地、肥えた土地にブドウを植えても良い物が育たない。実が沢山なりすぎちゃったり、薄い味の水ぶくれしたようなブドウになったり、あんまりおいしいブドウが出来ないんです。それはなんでかというと、根っこがですね栄養をすぐ取れる様な状態にしておくと、表面の栄養しか取らなくて、中に根が伸びないんですよね。それってその土地の特徴とか、固有の養分とかを自分から取りに行かないんですね。あんまり栄養を与えないと、その根っこはずっとずっと地下の奥深くにこう潜って、そこからその土地にしかない養分を自分から吸い取るんですよ。だからボルドーとかだともう表面砂利だらけで痩せた土地ですよね。そういう所に良いブドウが育って、本当のその土地を表現する味わいを持つブドウになるんですね。だからそれを考えると、ブドウは天地人のそのバランスでなせる技なんですけれども。「子育て」というのも、その家に伝わる歴史とか親から教えてもらったものとか、そういう縦の軸もかなり影響する訳ですよね。平面的にその時代、時代の社会も勿論影響するし、環境も影響する。だから、とてもそのバランスというのは難しいなといまだに答えが出ない。ずっと多分答えが出ないし、どんどん変わっていくものじゃないかなと思います。
・今の話を聞いて、最近の話と重なるなと思ったんですけども。やっぱり偉い人が子どもをダメにするのはすぐ手に入るようにしちゃってるんではダメにしちゃうんだって。やっぱりある程度忍耐とかそういうのも覚えさせなきゃなんないと、本当に子どもの為にはすぐ与えちゃう事だって。手に入れるものは全てすぐ与えちゃう事がそれが一番子どもを駄目にするんだって。今のもブドウの話も全部すべて整ってる良い土地には出ないっていうので、それと共通するなと思ってね。今の話を聞いてて感じました。
・今日のテーマは「私の子育て」となってるんですが、私は「子育て」一応は終わってるというふうに思いますけど。思い出して振り返ってみると、私の場合は現役の時は仕事、仕事、仕事。女房は専業主婦という事で任せっきりだったというふうに思います。だからなのか、子供達がなんか母親の方にくっついてて、私とあまり親しく無い感じを思ってて。未だに私に対して反抗期を脱していないというか、反抗的な所があると。という事からすると、今になって反省しきりというのが実態です。それと息子はいわきで家庭を持ってるんですが、子供が生まれて孫ですね。この7月に二歳になるんですが、特に目立つのは「スマホ」ね。子供はまだ二歳なのに、もうそれポコポコ打って凄い訳ですけど。そうすると将来「どうなっちゃうのかなと。スマホ依存症になっちゃうんじゃないかなというような気もして気掛かりな所です。
・私の場合はですね、今にしてというか大分前から思ってたんですけど、大分愚かな母親だったなと自分で思うんですけども。子供は親の作品だと言う考えがあって、それで私は長女が生まれた時に「この子を天才にしよう」と。子供を天才にする本とかを買ってそれを実践したりして。そうするとですね、結構案の定賢い子になっていって、「この子天才かな?」と2~3歳ぐらいまで思ったりして。でも、どの子も2~3歳ぐらいまで天才なんですね。そういう事から私は子どもを自分でコントロール出来るもんだと思ったフシがあって。無意識に子供に色んな事をやらせたり、あとこれがいいんだと思えばそれを与えたり教育的に良い事を与えるという事をずっとしてきたんですけれども、後々考えたんですけども、子供は親にそんな事を求めてはいない。ある人が言ったんですけど「子供は愛で育つ。与えるのは愛だけでいい」と。それは大分子供がもう成人した後に聞いた話でもう時既に遅しなんですね。そうこうしている内に三人子供がいて、上二人が娘で、十歳離れて男の子だったんですけど、その子が小学校四年生から不登校になりまして、もう本当にもうアンコントロール。私のコントロール下にはいなくなってしまって。それから色んな葛藤があったんですけれども、私の「子育て」がもうこのままじゃダメだという事を感じまして、色んな教育機関に行きますと「コントロールはもう止めてください。子供との信頼関係が結べてません」と言われてしまって。こんなに一生懸命教えたのになんて事言うんだと思ったんですけど。結局子供が望んでる事を、私は子供にしていないという事だと思いまして。紆余曲折あって、今はもう成人して自立して働いてますけれども、そこに至るまでは凄い大変な思いをしました。それで先ほどちょっと気になったのが、子供に忍耐させることが重要だという話なんですけれども、それはちょっと私的にはどうかなという部分がありまして。「背負わされた荷物は重い、背負った荷物は軽い」という言葉があるんです。自分から自ら進んでやる事には、どんな忍耐でも耐えられる。だけど、与えられた忍耐は耐えられない。誰でもそうだと思うんですけど、だから不登校になった息子を育てる時に気づいたのは、子どもは自分で決めた事はどんなに辛くてもやり遂げるという事。だから今の子供は駄目だというのは、不登校なんかもダメだと言うのはちょっと違うかなっていう感じがします。
・私は三人の子供を育てたんですが、二年ぐらいで転勤を転々としながら三人を生み育てたので。振り返ると、それぞれの子供にかける時間がどうだったのかなという所が反省にあって。それを真ん中の娘についこの前話しましたら、「一人ひとりにかけるエネルギーや時間が少なくて、子供が三人だったっていう事もあって、申し訳なかった」みたいな事を言いましたら、娘が「それでよかったんじゃないの」と言うんですね。「私一人にお母さんのエネルギーがドッとかかってきたら、それはそれで負担だったかもしれないし、嫌だったかもしれないし、三人兄弟がいてちょうどいいバランスだったかもしれないよ」と言われて。ある意味ホッとしたような、そういう事かという気付きを得られたという事がありました。なので、何が正解かというのは全く子育ては無いと思えますので、それぞれの子育て、それぞれの家庭の状況やらがそれはそれで良いのかなというふうにも思えた瞬間でした。
・私も今子供が男の子三人いまして。私が気をつけている事は、浪人してた時に、一緒に浪人してた友達がいて、ソイツの言葉を覚えているんですけども。先生に「お兄ちゃんは出来が良くて、お前は出来が悪いな」と言うことを結構言われてショックというか、偶々同じ母親から生まれてきただけであって、その兄貴と比較されるのは本当腹立たしいという事で。その人はずっと言ってたので、その事を私も出来るだけ三人男なんですけど、三者三様で全くやっぱ違うんですね。生まれる順番も違うんだなという事を感じていて、そこをやっぱり比較をなるべくしないように、でもやっぱり出来が良かったり、きちっとしてたり、真ん中はバランスが良くて。私も二番目なんですけど、そんな所に行ってるなと感じつつ、なるべく比較しないように意識しています。あと、「子育て」なのか、やっぱり親である前に一人の人間なので、自分の人生を楽しむ。うちの連れはあんまり楽しめてない気がするんですけど、やっぱり自分をきちんとしっかり生きているお父さんは「今日、友達と自転車に行くから」「遊びに行くから今日は遊べないよ」
とか。「今日は予定が無いから行けるよ」という事で。私の意識してるのはちゃんと自分の時間を持つ、いずれ子供も離れていくと思うのできちんと自分の楽しみとか、やりたい事をやらないといけないのかなと思って。まだ奥さんの方もあんまり言わないんでしょうね。「私ばっかり我慢して」と言って、私とは全然タイプが違うので「貴方は何が楽しくて生きてるのかな?」と思う感じもするんですね。子供をそんなに好きでもないような感じで、いつも怒ってばっかりで。それを聞いて、私はもう本当苦痛でしかないと。ここで愚痴を言ってもしょうがないんですが、そんな所で私は比較をしないという事と、自分の人生をきちんと生きる事が、子供もそれを見て、どんな風に育つか分かりませんが、そんなふうな所を意識しています。
・今の話を聞いて奥様が子供を怒ってばかりいるみたいな状況の時もあると言うような事でしたけど。それは私の経験からするとね、仕方がない事もあるなと思います。とにかく「子育て」は大変なんです、大変でした。結婚する前は「子育て」がこんなに大変かというふうにも思わなかったし。している最中はもう毎日一日を終わらす事で精一杯だったので。とにかく自分に時間を取れなくて当たり前だったので。三番目下の子が小学校一年生になって帰りの学校帰りが二時頃になった時に、「あー、私の時間が来た」とやっと思えたんですね。その時に「じゃあ、私何やろうかな」と思った時に、あれやりたいな、これやりたいなって言うのが偶々あったので、そこからの勝手に自分のドアが開いたなんて勝手に思ってるんですけど。それまでは、とにかくもう三人でしたので、自分の事は二の次、三の次、四の次、五の次ぐらいしか出来なかったんですね。近所に頼れる親とか知り合いとか兄弟がいれば別だったと思うんですけれども、先ほども話したように二、三年で転勤しながらの子育てだったので、中々そういう状況になれなかったので。自分の時間が取れる人が、取れるという事も人それぞれ違うんだなという事も思いますし。時期とかタイミングとか時間とかも皆違うでしょうし、それはそれぞれの人生の中の学びの一つなのかなとも思うし。この前、偶々子どもの番組を子育ての番組を見ていたらば、専門家の方がお母さん方、お父さんも含めてですけど「子育ては大変なんだから30%出来てれば上等と思う。それぐらいでいいんですよ」というのを聞いて、もう過去の自分を振り返って、なんか肩の荷が下りたというか、楽になったという事がありました。
・「子育て」はやっぱり親は自分の事はもう二の次、三の次って今聞いてその通りと私もそう思ってたからね。もう自分は二の次、その通りだなと思ってね。あたしも三人子供いますけども、三人とも性格違うからね。この子はこのようにやり方が通用したけど、次の子は通用しないし。頭を回転させていかないと。私は羨ましいなと思ったのは、祖母がいる人はね。結構孫の御守だなんだってしてくれるでしょ。私はあれ見てて何程羨ましかったか分からない。私は全部自分でやったから。だからもうね、目の前の事必死になってやってるから、もう子育ての理想がどうのよりも、がむしゃらがむしゃら。自分は一日一日それでも必死になって。その一生懸命さがね、やっぱり「親の背中を見て子供は育つ」と言うけどね。その通りだなと思ってね。「子育て」でこうやってとか、そんな事も考えても、目の前の事で。祖母がいる人は本当に、たっぷり自分の時間を取りたければ取れるしね。だから、どれ位羨ましかったが分かりません。でも、背中を見て育って、三人ともまともに育ってね。「子育て」は全然何の本を読む訳でもなんでもないけども、その必死さその一生懸命さを見てそうだったのかななんて思いました。
・先ほどこちらの方ですけれども、あの「自分の子育て」についてお話しされた時に、自分の人生も楽しいも、それから子供を一緒にしない。そういう事を仰ったんですけれども、とっても良い考えだなと思いました。しかも男の子三人ですよね。やっぱりお父さんがモデルになるので、お父さんが人生を楽しく過ごしてるのを見ると、自分の将来はこうも明るいものと、大人になってからなんか楽しいんだなと大人になるって楽しいんだなというものを感じる事が出来ると思うんですよね。だから、凄く良い子育てをしていらっしゃると思いました。私もそうやって子供を育てる事をもっと楽しめば良かったなと思うんですけれども、ただお母さんの場合は、どうしても「この子を幸せしなくちゃ」とか「きちんと躾をしなくちゃ」とか、「良い子にしなくちゃ」とか、そういうのに結構縛られてて。何が大変って、その躾けとか、そういうものに気持ちを取られがちだった。私の場合はだったと思うんです。お陰様で皆さんから子供はとても良い評価を得られる事になったんですけれども。そうすると本当にその子は自分の生きたいように生きてるのかなという、そういう心配も無きにしも非ずなんですね。だから、別にいい子に育てる必要はなくて、先ほど仰ったように、自分の生きたいように自分の人生を生きるという。親は見守るという、そういうサポートする立場でいれば、そんなに苦しくもないし、大変でもないような気がするんですよね。よく見ると子供は色んな事に興味もって、色んな事をしたりして、凄く親を楽しませてくれる存在なのに、「あれしちゃ駄目」とか「あれは駄目」とか言ってなんか余計な事で忙しい気持ちになって、子供にも良くなかったかなと思う所です。自分の人生を頼んで楽しんで、しっかり生きている姿を見せるっていうのは素晴らしいなと思いました。もう一つ、奥様がキリキリしてるという所は、やっぱりご主人の思いやりが必要なのかなと思うんですね。何かにつけて感謝の気持ちを表したり、「大変だね」とかちょっとした言葉かけとか、そういうものでも大分穏やかになるんじゃないかなと老婆心ながら思いました。
・今のピリピリで思い出したんですけれど、日本はとても日本の社会全体がとても働きすぎだという風な考えがありまして。確かにそうだなというふうには前から思ってたんですけど。ちょっと前に本の紹介でオランダ辺りだったと思うんですけども、労働時間が日本よりは短いんですね。かつ日本だと正社員の様々な社会保障が付きますけれども、その国では日本で言うパートのような短い時間で働いても、ちゃんとそうしたの保障は同じように付くので。給料体系も同じなのでそれぞれが休暇を取りやすいので、「子育て」も「じゃあ、今日私が休み午後から取るから、お父さん明日午後休暇取ってね」というような事も出来るらしいというような事が紹介されていたので。それであればお互いにキリキリする度合いも減るなというふうに思いました。働く時間にゆとりがあるので、どこかに行こうかとか、キャンプに行こうかという事も計画もできるし、心にゆとりができるというそういう社会であってほしいなというふうに、その本の紹介を読んで思いました。
・日本はいつからなんでしょうかね。明治からか戦後からなのか分かりませんが、とても長く働く、働いて当たり前みたいな。最近は変わってきましたけれども、男性が働いて女性が子育てをみたいな時間が結構長い期間ありましたので、それを引きずっている部分もあるし。日本の社会構造的な事も、日本の「子育て」の難しさ、やりづらさみたいな所や、辛さみたいな所にも繋がっているかなというふうに思います。
・私は前の結婚の時は子供は出来なかったんですけど、でも結婚する時には「もしも、子どもが出来たら家事と子育ては半々にしようね」というふうに言ってたんですね。再婚しても「やっぱり家事と子育て半々で行こうね」というふうに言っていて、まあまあ半分ぐらいやってんじゃないかなと思ってこの間妻に今日に向けて聞いてきたんですけども。「半分やっていると、この場で言ってきても大丈夫でしょうか?」と言ったら、「量的にはね」と言われましたね。「量的には寧ろ八割ぐらいやってると言ってもいいよ。ただ、色々気に食わない事が沢山ある」とかという風に言われましたけども。でも、それが出来るのは僕が偶々恵まれてるというか、仕事が凄く時間が割とフレックスというか自由になるという所があって、時間が決まってないという所があるのが一つあるのと。妻も働いて、だから子供を保育園に預ける事が出来たというのも、今は小学校で学童に預けているというのがあって。そうやって預かってくれて、一日の大半はそっちで見てもらってるというのは凄くありがたい事で。やっぱり、それがあってこその半々なんだろうなというふうには思う所があって。やっぱりでも働いていると、どうしてもこう子供優先に出来ない事もあるので、そうするとこう本当に半々と言っても、結局どっちかがやんなきゃいけない。大抵そういう時は女性にみたいになってしまいがちだけど、それをせずに済んでるのは偶々かなというふうには思っています。
・茶々を入れるような話になってしまうかもしれないけれども、今世話人が「保育園」というキーワードを言ったので思い出したんですけれども。仙台市の鳥が「カッコウ」なんですね。あの「カッコー、カッコー」と鳴く。2000年ぐらいに仙台の鳥がその「カッコウ」のままでいいのかというの話が、議会で真面目に議論されていて。その時の論点が「カッコウ」というのは、自分で子供を育ててない托卵する。そのような子育てのあり方を象徴としていいんだろうかと。それを真面目に議論した時期があるというの議事録を読んで初めて知ったんですけども。なので、「さあ、どうやって子育てをするのがいいのか」と言うのは多分、市議会議員やってる方というのは、相対的に年齢が高い男性の方が多くて、やっぱりそういう男性目線の意見が強かったりしているのを見てると、まぁそういうような議論が未だに残ってるんだなあとふと思いました。
上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。
最終的な板書はコチラ↓
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