てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

シネマdeてつがくカフェ報告2022.4.23『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』

2022年04月28日 12時31分43秒 | シネマdeてつがくカフェ記録
4/23(土)に開催されたてつがくカフェについて

世話人の石井が報告させていただきます。


今回も会場&オンラインの同時開催となりました。

当日の会場には9名、オンラインでは2名の計11名の方にご参加いただきました。


13時から課題映画の鑑賞会、

15時から映画の感想を語り合う「シネマdeてつがくカフェ」を行いましたが

その発言の一部をまとめてみました。


【映画の感想】
・原作の漫画やアニメの知識は無いんですが、出席理由としては参加された皆さんがどういうご意見を持っているのかお聞きしたいというところがあって。ただ、もっと若い人たちが参加するのかと思っていたので、あんまりいないんでどこまでお聞きできるかなと

・僕はテレビアニメで『鬼滅の刃』を観てまして。子どもがグッズを欲しがったりなどあったんですが、家族が殺されたりとかのシーンで子どもが観なくなってから自分も途中から見なくなった。けど映画が公開された時たまたま上映作品を観て、そこから煉獄さんに惚れ込んでしまって大好きなものになった。映画を改めて観るとこれは煉獄さんの物語だなと。彼の言葉は最初から最後まで力強く温かい。心の深いところに留まるというか。すごく好きな言葉をたくさんあって、大好きな映画です

・自分は漫画も全巻読んで、アニメも全話視聴したうえで語るんですが、この作品は色んな所に影響を与えたと思います。出版業界やアニメ業界、コロナ禍で客足が遠のいていた映画業界、缶コーヒーやお菓子におもちゃ、柄物の着物までコラボや関連グッズで業績を上げた企業にとってまさに救世主のような作品だったなと。ただこれは作品の持つ魅力がなければそもそも生まれなかった現象だったと思います。それで鬼滅の刃の魅力は何だろうと考えた時、「愛」というか『鬼滅の刃』は優しさや慈愛に満ちているんですよ。主人公が泣きながら「辛かったろう、痛かったろう」という退治した鬼にも同情して、痛みを共感する。これが長引く不況と震災で疲弊し、傷ついていた人々の心に癒しを与えたのかなと。「失っても失っても生きていくしかない」というセリフがあるんですが、震災後に生き残った自分にとってはすごく心に響きました

・僕は正直なんや分からんというのが感想。テレビからポスターから色んなところで目にしましたが。あと気になったのは、(主人公の)イヤリングが旭日旗に見えた。それと道徳的な話が混じっているなと。人間的なことを忘れてるんじゃないかみたいな
→あの主人公が着けている花札風の耳飾りは「太陽」が模様で。父親が身に着けていたものを息子が継承していて、主人公の家で代々受け継がれている耳飾りで物語の重要なアイテムなんです

・自分がおっと思ったのが、出会いと成長の部分というか。煉獄さんが亡くなって涙をそそぐわけですが、(主人公たちが)成長しながら最後に亡くなるところに感動した。出会いと別れを描いたというか
→これ言おうか迷ったけど『宇宙戦艦ヤマト』というアニメが映画化された時、僕は学生で映画館へ友達と観に行ってみんな泣いていて。すごい感動していると思ったとき、大人びた一人の友達が、「みんな死んでいるから悲しいだけだ。あれを感動したと思っちゃいけない」と言っていて、僕はそれにすごく感心したのを覚えてます

【社会現象としての鬼滅の刃】
・自分はこれまで社会的な流行に背を向けて生きてきたわけですが。(鬼滅の刃を上映する)映画館の駐車場がいっぱいになったのを覚えていて。知り合いが子どもを連れて観に行っていて感想を聞くと「良かった」と。映画で「鬼とは価値が違う」「一人も死なせはしない」というセリフがありましたが、何か焚きつけるものがあるんだろうなと。逆に鬼に近い心情というか面映ゆいところもあって。映画がヒットしたのは人が(心に)引っかかるものに陥っているからかなと思いました

・質問なんですが、これっていつ上映が始まったんですか?
→2020年に公開されてます。漫画は週刊少年ジャンプから2016年に連載されて、アニメの放送は2019年です

・僕の子どももグッズが欲しいとなって。ただアニメ観ると子どもは怖くて見られないんじゃないかなと思うところもあって。でも幼稚園とか保育園で流行っている。鬼滅の刃ごっこしたりとか、柄のマスクしたりなど(鬼滅の刃が)子どもに浸透している。けど本当に小っちゃい子には殺戮シーンが多いから大丈夫かなと

・社会的な側面で『鬼滅の刃』を言うと、芸能人にファンが多い印象で。(退治される)鬼にもストーリーがある。練りに練って作られた仕組みがあるなと感じました

【映画のテーマについて】
・『無限列車編』のテーマは何かと考えた時、僕は「夢から醒めろ、現実と戦え」ということかなと。「列車」は産業革命の象徴というかテクノロジー(文明の利器)で、乗客に夢を見せるというのが人の夢に付け込んで騙して食い物にする、例えばアイドルやミュージシャンになりたい夢を持った人を騙すプロデューサーやスカウトにも見えてしまって。その鬼を退治する(鬼に対抗する)要素として刀を使ったり、呼吸があったりして。刀は(日本の)伝統的な旧来の武器で、呼吸はヨガというか東洋的な集中というか。そうした伝統や昔からの文化(技術)でテクノロジーを使った鬼と戦うわけで。あと作中で「心を燃やせ」というセリフがありましたが、身体能力で劣る人間が鬼と戦うために「心を強くしろ」というのがグッと来たというか。こういった仲間や自分を鼓舞するセリフが『鬼滅の刃』にはたくさんありまして。「頑張れ、やれる、できる、怯むな、落ち着け、集中しろ、諦めるな、喰らい付け、負けるな」という力強いセリフが多い。これって(全部自分が)誰かに言って欲しかったメッセージだなと気づいて。上司とか先輩とか。(こうしたセリフが)不況とか震災、コロナで折れてしまった人々の心に火を付けたから大ヒットしたのかなと

・漫画を読んだ最初の感想はこれってジャンプの王道だなと。構造が似ているというか。主人公がとにかく素直でいい子が段々と成長していく。そして敵にもストーリーがあってという。面白くは読んだが、ここまで社会現象になるかと驚いた

・煉獄推しというか、コスプレしている人もいてそれだけ人気なんだなと思いました

・煉獄さんが映画の冒頭で弁当を「美味い!!」と言っていたが、それに感銘していて。ありがたく意識して食べると食材も体も喜ぶし、楽しく食事ができるということをあのシーンに感じた

・僕は『無限列車』しか観ていないんですが、デジタル化社会に突入して人間の本質が表現されているというか。共感して分かち合うみたいな人間味、前に慈愛という言葉が出てきましたが、近代化されてきた時代にコンピューターの無いの昔の時代を描くことで見直したいというのがあるのでは。夏目漱石が大量生産、大量消費を嘆いていましたが。
ただ子どもたちに(作品の)残虐さが受け入れられるのかと。どちらかというとドラえもんとかが好んで見るんじゃないかなと。大人たちが愛情表現が薄れている時代に大人が観て面白いものが子どもたちにも影響されているのではと思った

【ヒットの要因】
・うちの子どももテレビでやってるのを観てたが殺戮シーンは怖いと。子どもには何となく怖いんだろうなと。どの世代にファンが多いのか分かりませんが、 20代~30代なのか。あと自分の生き方について考えるというか、映画の最後のシーンで母親に救われるところが、現代の生きづらさとかそういうのにマッチしてヒットしたんじゃないかなと思いました

・なぜ流行ったのかを考えると時代のニーズにマッチしたからかなと。これまで色んな作品、ドラゴンボールやセーラームーン、エヴァンゲリオンといったアニメが流行りましたが、これらに共通しているのは例えて言うなら「乾いた心に火が付いた」からかなと。例えば1970年代の映画は、アメリカン・ニューシネマと呼ばれる暗い映画ばっかりだったところに、明るくてポップな『スターウォーズ』が出てきたからみんな食いついた。あと王道という話が出てましたが、『鬼滅の刃』もこれまでジャンプで流行った漫画を踏襲しているというか。それこそ里見八犬伝とか新選組といった要素もあるだろうし、鬼なんてまさに吸血鬼物から来ていると思いますが、そうしたこれまでヒットしたものを集めてそれを独自のものにアレンジしたうえで、今の時代のニーズにチャンネルを合わせたから流行ったのかなと

・鬼滅の刃が流行ったのは聞いた話では、アニメのエフェクトとアクションシーンがすごいというのが広がったからだと
→アニメ化されたことによって流行ったというのは僕も聞きました。新人漫画家の作品がデジタル化の波によってむしろ成功したみたいな
→漫画については新聞記事を見たんですが、(アニメで)カラー化されてから漫画も売れて急激な社会現象化したと。これはなぜなのか?(作品の)テーマに色んな複雑なことが入っているのなかなと。ただみんな見ていると言いますが、女の子は見ているのかな?というのが疑問
→女性のファンも多いと聞いてます。作品のキャラクターを自分の子どものように見ている母親層もいて、女の子もヒロインの禰豆子(ねずこ)の恰好をしたりと男女問わず人気なようです。ちなみに『鬼滅の刃』の作者の吾峠呼世晴先生は女性ですよ

・売れる作品(の傾向)を分析しているから流行ったのかなと。ただ多くの場合当たっているわけではないですけど

・急激な社会現象化したのは先ほど「乾いた心に火が付いた」と仰いましたが、今の社会に欠けているところに別の面を提示したというのはその通りかなと

・自分は(作品に)目新しさは感じなかったが、一方で成長を助ける存在というか現実世界においては尊敬すべき師がいない、大人がいないというのは問題だなと

・現代は乾いた時代と言われ、デジタルが発展したことで心が荒んでいくと考えられているが、果たしてそうかと。だから心が荒むか?と思うことがある。逆にインターネットで心が潤うこともあるのではないかと。ネットが発達したことによって偉人の言葉や昔の書籍がいつでも読める。本の内容を耳で聞くこともできる。僕はデジタル化で学びを得る時代になったと考えてます

【印象に残ったシーン】
・映画の話で自分だったらどうするかという場面があって。下弦の壱の魘夢(えんむ)が覚醒して主人公たちに襲い掛かるシーンで、煉獄さんが経験が浅い新人にいくつか車両を任せるのは、新人の力は未知数だから任せられるかなと考えてしまった。どういう風にしたらよいか考えながら見ていた
→あの場面は僕も確かに同じこと思って。ただ後から見返すと下弦の鬼がやっていたことだから成長のために任せたのかと。終盤でもっとすごい鬼を受け持つことになったのを観て、あの程度の鬼だから任せたのかと納得した

・上弦の参・猗窩座(あかざ)との戦いで「鬼にならないか?」と誘いを受けるところが印象的というか。彼は武人というか強くなること、煉獄ともずっと戦いたいから鬼になるよう勧めるわけですが

・殉職というか「散る美学」みたいな感性の話なんですが、生き汚さとは対極の誇り高く死ぬというか。煉獄さんの「責務を全うする」「若い芽を摘ませない」「胸を張って生きろ」「俺は信じる、君たちを信じる」というセリフは、下の世代を肯定して、信頼して、守る存在というか。また彼が息を引き取る直前、自分に問いかけるわけですけど「俺はちゃんとやれただろうか。やるべきこと、果たすべきことを全うできただろうか?」と。その時母親から「立派にできましたよ」と笑顔で褒められて、嬉しそうに亡くなるわけですが、このシーンは下の世代を導いてくれた人にも、上の世代に褒めて導いてくれる存在がいたというか。上の世代から下の世代にかけた、世代を繋いで受け継がれる心を描いているのかなと。辛い時代だからこそ(世代を超えて)助け合って生きていくことが大事というふうにも受け取れた

・世代間の引継ぎの話で煉獄のお母さんが言った「生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は、その力を世のため人のために使わねばなりません」という言葉を聞いたとき、上野千鶴子の「官僚になる人は~」と重なった。今の社会だと上の世代が若い人たちのためにというよりも、自分さえよければみたいな。下の世代に頑張りなさいという人がいないのかなと。自己中心的な人が蔓延る世の中で(このセリフがみんなに)響いていたのかなと

・鬼にはすぐ成れるのかなと。「鬼とは価値が違う」と言っていたけど、それほどは違わないのかなと思った。中々慈愛とか日常生活で言葉にはならないんですけど。なぜ大ヒットしたかと考えると、どこか押せば人間の特性というか、そういうのにあまりつられない方ですけど制作した方は分かっていて突いてきているのかなと。それで毎回当たるとは思いませんけど

・人間にスポットを当てると人の苦しんでいる様を喜ぶというか、「人間の欲求はすさまじい」と鬼のセリフがあるましたが、それはある意味人間の特徴を捉えたシーンだなと

・どんな物語でも成長するわけですが、炭次郎(たんじろう)が「乗り越えても分厚い壁が来る」というセリフはどんなに辛くても生きていかなければならないということかなと

【鬼とは何か?】
・一体全体鬼とは何か?ということをお伺いしたいなと。鬼の存在は、(人に)恨みを持ったりとかそういうのかなと

・鬼って何だろうなと思ったときに現代でも生きてる中で鬼に遭遇していると思います。人の形をしているだけで。「恨み・妬み・嫉み」みたいな自分にとって苦しいものが大きくなって深くなって、彼らは鬼になったのかなと。人間自分一人で生きていたら悩みは無いのかなと。ただ誰かと相対するから苦しむわけで、自分の欲求が満たされないから鬼化するのかなと

・『鬼滅の刃』の鬼は、不老不死の元人間で人間を喰う存在。また鬼は何を意味しているのかそのメタファーについて考えた時、自分さえ良ければいい、他者の痛みが分からない、他人を食い物にする、理性がきかない、非常な生き物なのかなと。「鬼にならないか?」と誘われるわけですが、自分にはこれ人を騙して不幸にする詐欺グループや半グレ集団からの勧誘にも見えて。鬼は人に危害を加えることに躊躇しない人間というか、共感性の欠如や他人の心を理解することをやめた時、人は鬼化するのかなと。また申し出を断ってますが、自分のための強さと誰かを守るための強さという価値観の対立構造にも見えました

・人間を食うのが鬼という話で、人を食った話というのは馬鹿にするということですが、人は鬼には簡単になっているのかなと。人を虐めるというのも鬼的な行為だなと

・鬼といっても禰豆子(ねずこ)のような良い鬼もいるので、一概に鬼全部が悪いというわけではないかと

・禰豆子(ねずこ)は何を象徴しているのかなと。鬼化はしているが特別な鬼で人を食べない。物語の展開の大きなところで。作品は兄弟の愛というか鬼化した妹を何とかしたいという想いがあって、それが作品の目新しさというか。ただ彼女は何を象徴しているのか疑問に思った
→個人的な意見から述べさせて頂くと、禰豆子(ねずこ)は「女性の象徴」なのかなと。現代の女性を表しているというか、ワイルドで強く男性に守られるだけの存在ではなく一緒になって戦うというところからそう感じました

・炭次郎(たんじろう)が主人公というが、『無限列車編』だけ見ると煉獄さんが主人公に見える。それほど煉獄さんの言葉に重みがある
→こういう作りが今の王道なのかなと。別の作品ですが、『スラムダンク』はバスケ初心者の花道が主人公ですが、チームメイトや相手チームが魅力的で、主人公よりも活躍する話も多い

・僕も漫画は全巻読んだんですが、気になるのが鬼の存在で。討伐相手として色々な鬼が登場しますが、なぜ鬼になったか知ると、元はといえば無惨(むざん)という鬼が太陽を克服する目的で鬼を増やしていて、その中には理不尽に鬼にされる人もいて。腹がすくから人を食べざる負えない鬼もいて。現実世界でも理不尽にというか環境のせいで悪者扱いされる人もいて。個人のせいにするのはそっちの方が鬼ではと思うこともある

・もし次も映画されたら、またしても爆発的なヒットになるんじゃないかなと思いました

・煉獄さんはインパクトがあるキャラクターの設定で、強い信念を持っているわけですが主人公が質問しても「知らん」と即答して話を終わらせる。そのあと「考えても仕方のないことは考えない」と言っていて、アドラーの思考に似ていて好きになりました。母に褒められるシーンでファンになった方は多いだろうなと思いました

・質問というか鬼に夢を見させられた時、自分にとって心地いい夢をみんな見ているわけだけど、なぜ煉獄さんの夢は現実に即したものだったのかと疑問に思いました
→煉獄さんの夢は現実に忠実だったのは、個人的な解釈としてはあの夢こそ「煉獄さんの幸せ」だったのかと。炭治郎(たんじろう)には失った家族との思い出を、善逸(ぜんいつ)には禰豆子(ねずこ)とのデートという幸せな夢を見せているわけですから、煉獄の幸せな夢は「現実」であったと。「老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ」「老いるからこそ、死ぬからこそたまらなく愛おしく尊いのだ」というセリフからも現実を受け入れてあるがままを肯定しているのが分かるので、煉獄の夢が現実なのは納得できるものだった


上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。

最終的な板書はコチラ↓







さて、次回のてつがくカフェは、

5月14日(土)15時から福島市市民活動サポートセンターで行います。

テーマは「私はどう介護されたいか?」です。


なお、会場参加にあたっては、新型コロナウイルス感染症対策のため、

マスク着用の上、ご来場いただきますようお願い致します。


また、オンラインによる参加をご希望の際は、

てつがくカフェのメールアドレスまでご連絡ください。


そのほか、てつがくカフェのTwitterとFacebookもありますので、フォローしていただけると幸いです。


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それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。