奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2676)

2023-12-21 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「古代須恵器窯展」について。---------

奈良県北中部/京阪神へ通うサラリーマン家族(100万人)の住む/団地の一つ/近鉄奈良線沿線の其の衛星都市には/旧市役所の建物が“ふるさとミュージアム”として保存されており/“古代須恵器窯展(2023.10.17~12.3)”が開催された。----------

此のミュージアムでは春秋の2回/地味ではあるが/地元に因(ちな)んだ催しが開催されてきた。----------

昔の村役場の建物(S8~築90年/登録有形文化財)なので/とても“小(こ)ぢんまり”としており/展示も狭い部屋の一部を利用して行っている。--------

展示内容の説明文は次の通り。

奈良時代後半に/市の北新町から俵口の一帯に築かれた須恵器窯や出土品に関する展示を行う。完成した須恵器は平城京に運ばれ/使われたとされている。奈良県内でも珍しい/窯業地帯である市の歴史を紐解く展示である。--------

奈良市の平城京周辺では/多くの瓦窯(がよう)跡が見つかっており/その名の通り/官舎や寺院の屋根瓦を生産していたことが分かっている。----------

処で/窯跡から発掘された須恵器には“宮”の刻印のある破片が見つかっており/平城宮で使われたことが判明している。-------

そして/都が平安京へ遷都されると/須恵器窯は閉鎖されてしまったようだと云う。重い土器を運ぶのだから窯を設営するのは都に近い処が良いに決まっているからだと考えられている。---------

また須恵器自体が平安時代になると土師器(はじき)に代わっていった。食器として高級な須恵器ではなくて野焼きの土師器になったのはどのような理由なのか定かではない。一説には/須恵器は煮炊きに使えないが/土師器は煮炊きにも耐えるからだと云うのだ。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2675)

2023-12-20 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「軽自動車」について。---------

日本経済の成長期には/“いつかはクラウン”のCMに見るように/所得が増えれば排気量の大きい車に乗り換えることが/其の人のステータスを高めるのだと信じ/皆が憧(あこが)れ/を抱いたものだった。----------

しかし/平成期から始まった経済の低迷は/排気量の大きな車を諦めて/国民の多くが小さな軽自動車にシフトすることになった。---------

だからして/軽自動車をその昔/バカにしていた大手自動車メーカーも競って/OEM販売あるいは自ら製造することになった。--------

軽自動車だからと言って/価格が安い訳ではなくて/その昔の中型車並みの値段がするのが現状だが/税制的には悪くないと云える。---------

高速道路は走るには/軽自動車は非力だがら/困るだろうにと思うのだが/格差社会化が進んで/その昔程には/車で遠出することは少なくなったのかも知れない。其れとも/遠出の際は/排気量の大きなレンタカーを借りて/出掛けるのだろうか。--------

軽自動車の並べてあるショップを覗くと/“家族思いの”と云うキャッチフレーズが躍っている。買い物から塾や習い事の送り迎えなど軽自動車の手軽な運転のし易さが/女性のファンを増やし/財布のひもを握る奥様の下駄代わりに軽自動車は人気が続くようだ。---------

エンジンの若干の非力以外は/室内の仕上がりから外観まで普通車に負けてはいない軽自動車が/その存在を誇示している。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2674)

2023-12-19 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「大菊を門前に飾る家」について。---------

此処/奈良県北部/京阪神へ通うサラリーマン家族(100万人)の住む大規模団地/近鉄奈良線最寄駅より徒歩15分の邸宅(350坪)には/毎年秋になると/立派な門構えの軒下に3本立ての大菊(おおぎく)の鉢植えが並べられる。---------

道行く人は/立ち止り/立派な大輪の菊の花を愛で/個人菊花展を楽しめる趣向だ。--------

広いお邸は/お寺のような築地塀で囲われており/其れより高い樹高の木々の様子しか分からない。槇の木や松の木など植木職人の手による手入れは欠かさない様子だ。--------

今年(2023)は2鉢だが過去には/5~10鉢と/もっと多い年も有った。----------

以前/外におられた際に/お尋ねした話では/ご先祖が/以仁王(もちひとおう)の乱(1180)で王に付き従った7人の家来の一人であり/王と共に綾部に落ち延びて/其処に住み付いたのだとか。-------

ご主人は現役時代/工作機械メーカーで設計の仕事をしていたそうである。庭仕事も低木の世話はご自分でなさっているとのこと。毎年沢山実をつける夏ミカンの木もある。勿論/大菊の栽培もなさっている。几帳面な性格のお方なのだろう。---------

さて/大菊の出来映えだが/黄色の菊と薄紫色の菊の2鉢に其々直径18cm×3輪が咲き誇っており/菊の日持ちの良さも有り/数週間の間/門前を飾り/街角ウォッチャーの目を楽しませてくれる。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2673)

2023-12-18 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「筒城宮跡」について。---------

“筒城宮(つつきのみや)”は、継体天皇が、即位後/大倭(おおやまと)入りをする前の19年間の内の511~518の間に置いた宮である。---------

筒城(つつき)は、現在の京都府/綴喜郡(つづきぐん)であり、筒城宮跡の碑が、京田辺市多々羅都谷1の同志社大学/京田辺キャンパス内にある。----------

継体天皇(450~531)は、第26代天皇(在位507~531)である。

樟葉宮(くずはのみや)で即位し、511筒城宮(つつきのみや)/518弟国宮(おとくにのみや)を経て、526磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや)に遷った。-----------

筒城宮跡の碑は/1960/遷都1450年を記念して建立されたものである。---------

同志社大学/京田辺キャンパス(京田辺市多々羅都谷1-3)が1986/関西文化学術研究都市の一角に開校したため/筒城宮跡の碑は/同キャンパス内に取り込まれている。----------

JR西日本の“ふれあいハイキング”がJR三山木駅を起点として企画されていた。「1500年前/京田辺は日本の首都だった。継体天皇/謎の筒城宮跡ウォーク(7km/3時間30分所要)」----------

同志社大学の理工学部は京田辺キャンパスにある/理工系は実験室/試験場が必要であり/都心部では手狭なため/文系学部のように都心回帰は出来そうにない。---------

何かの縁であり/筒城宮跡の碑は大事に保管されるに違いない。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2672)

2023-12-17 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「楽園の犬」について。---------

“楽園の犬”は、岩井圭也(いわいけいや1987生れ)の小説本(角川春樹事務所2023.8刊)である。---------

岩井圭也氏は、北大大学院(農学院)修了。2018“永遠についての証明”で野生時代フロンティア文学賞を受賞し作家デビューした。-------

この本「楽園の犬」の内容紹介文は次の通り。1940/太平洋戦争勃発直前の南洋サイパン。日本と各国が水面下でぶつかり合う地に/横浜で英語教師をしていた麻田健吾が降り立つ。表向きは南洋庁サイパン支庁庶務係として。だが彼は日本海軍のスパイと云う密命を帯びていた。日本による南洋群島の支配は1914に遡るが/海軍の唱える南進論が/国策の基準として日本の外交方針となったのは1936だった。その後/一般国民の間でも南進論が浸透していった。この地にはあらゆる種類のスパイが跋扈し/日本と他国との開戦に備え/海軍の前線基地となるサイパンで情報収集に励んでいた。麻田は沖縄から移住してきた漁師が自殺した真相を探ることを切っ掛けに/南洋群島の闇に踏み込んでいく。時代が大きなうねりを見せる中/個人は何処まで自分の考えを持つことが出来るのか。そして/何処まで自らの意思を通すことが出来るのか。南洋の地を舞台にした壮大な物語が此処に。----------

タイトルの“楽園”は“南海の楽園/サイパン島”を指しており、“犬”は文字通りの犬ではなくて/各国政府の犬/即ちスパイのことである。----------

京大(農学部)卒/同大学院修了の直木賞候補作家/森見登美彦(もりみとみひこ1979生れ)が同じく北大農学院修了の岩井圭也にエールを送っているのは微笑ましいと思った。

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