「海の向こうから見た倭国(高田貫太著・講談社現代新書2017刊)」を読んだ。日本の弥生末期から古墳時代に至る歴史を朝鮮半島の考古遺跡からの出土品と我が国のそれに比較して興味深い論考を進めている。旧百済地域から半島南西端・栄山江流域さらには大加耶・金官加耶、新羅に至る半島の南海岸から見付かる考古出土品や古墳の墓制の研究が進むにつれて、倭系土器の発見や13基の前方後円墳の存在により当時の倭国との関係が色濃く想像される。------
日本では宮内庁書陵部の管理している皇室関係の御陵は発掘出来ないが、陵墓参考地などに指定されていない地方豪族と目される古墳の学術調査は戦前戦後を含めて可也(かなり)な数で為(な)されてきており、大和朝廷成立後の巨大古墳はアンタッチャブルで未公開であるハンディを背負いながらも古墳時代の学術研究はそれなりに進んでいる。-------
高田貫太(たかたかんた)氏は岡山大学(文学部)卒で韓国の大学(慶北大学)で博士課程を修められており、日韓両国の比較物質文化論を自前のものとするに相応(ふさわ)しい人物であり、現在、「総合研究大学院大学(国立歴史民俗博物館・日本歴史研究専攻)准教授」である。奈文研(2006~2010)にも居た事があるそうです。------
韓国においては共和国である故か経済発展をしたお陰なのか次々と古代遺跡の発掘調査が進められて来た。漸く、日韓の考古学の共同研究が実を結び掛けて来た処と云えるのだろう。文献史学も重要であるが、考古学的な実証研究は科学的な究明法を駆使して歴史的事実を物質の面から徐々に解明してくれており、特に日本国内だけの研究範囲では行き詰っていた前方後円墳の歴史的意義なども日韓の比較により、推論の可能性を高めて呉れる。
日本では宮内庁書陵部の管理している皇室関係の御陵は発掘出来ないが、陵墓参考地などに指定されていない地方豪族と目される古墳の学術調査は戦前戦後を含めて可也(かなり)な数で為(な)されてきており、大和朝廷成立後の巨大古墳はアンタッチャブルで未公開であるハンディを背負いながらも古墳時代の学術研究はそれなりに進んでいる。-------
高田貫太(たかたかんた)氏は岡山大学(文学部)卒で韓国の大学(慶北大学)で博士課程を修められており、日韓両国の比較物質文化論を自前のものとするに相応(ふさわ)しい人物であり、現在、「総合研究大学院大学(国立歴史民俗博物館・日本歴史研究専攻)准教授」である。奈文研(2006~2010)にも居た事があるそうです。------
韓国においては共和国である故か経済発展をしたお陰なのか次々と古代遺跡の発掘調査が進められて来た。漸く、日韓の考古学の共同研究が実を結び掛けて来た処と云えるのだろう。文献史学も重要であるが、考古学的な実証研究は科学的な究明法を駆使して歴史的事実を物質の面から徐々に解明してくれており、特に日本国内だけの研究範囲では行き詰っていた前方後円墳の歴史的意義なども日韓の比較により、推論の可能性を高めて呉れる。