奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1133)

2019-09-30 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「東京育ちの京都案内(麻生圭子著・文春文庫2002刊/1999版の文庫化)」を読んだ。麻生圭子(あそうけいこ1957生れ)女史は、1980年代作詞家として活躍した。1991年より執筆業に転じ、1996年からは結婚を機に東京を離れて、京都市中京区のマンションに暮らし始め、1999年末には築70年の京町屋に移り住んでいる。-----

「東京育ちの京都案内」は、京都に移り住んだ東京人の目から見た20年前の京都の街の様子を、女性作家の目で克明に書き出してくれている作品であり、単なる京都のガイドブックではない質の高い京都紹介本となっている。-----

ミーハー的な浮(うわ)ついた興味で書きなぐった本でなく、“ぶぶ漬け”にしても、“川床”にしても、“白朮詣(おけらまいり)”にしても、“大文字送り火”にしても、“花見”にしても、“骨董”にしても京都のこだわりがあり、それを時間をかけて調べて読者の納得が得られるまで掘り下げて解説をしてくれているので、女性にしては行き届いた取材というか取り組み方が尋常とは思えない程に素晴らしい仕上がりの本であるとも思った。どの節も書き足りない部分は無くて、親切に分からせてくれるのであるから、至れり尽くせりの京都案内本なのである。然しながら、当時より20年後の現在から見れば、京都タワーや京都駅ビルの古都京都に似つかわしくない景観破りの箱物がそれ程には邪魔になっていないし、既に景観に溶け込んでいるとも感じられるのであり、時の経過は人の感性をどうにでも誘導してしまうのだなとも思った。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1132)

2019-09-29 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「良い加減に生きる~歌いながら考える深層心理(きたやまおさむ&前田重治共著・講談社現代新書2019刊)」を読んだ。きたやまおさむ(北山修1946生れ)氏は、京都府立医科大学卒で、精神科医、臨床心理士であり、九大教授、白鷗大学副学長を経て、現在も精神分析的臨床活動を主な仕事としている。前半生には“フォーククルセダーズ(1965~1968)”を結成し、“帰って来たヨッパライ(1967)”でデビューした。その後も“戦争を知らない子供たち(1971)”で日本レコード大賞作詞賞を受賞するなど作詞家として活躍した。前田重治(まえだしげはる1928生れ)氏は、精神科医で九大名誉教授である。専攻は精神分析学、カウンセリングとのこと。北山修氏は前田重治氏の後任として九大教授となっていて、半年のラップ期間だけ引き継ぎのため共に働いたそうであるが、とても気の合う関係で今も交流は続いているそうである。------

「良い加減に生きる」は、お二人の共著であるが、精神科医として前田重治氏が、北山修氏をクライアント(client)としてカウンセリングをした内容を本にしているのではないかと思われるのである。通常、精神科医が精神科医の診療を受けることは稀だろうが、敢えてそれを行っているかのように、北山修氏の心情がとても素直に吐露されている処をみると、医者と音楽家として2足の草鞋を履いて、人生を送って来られた北山修氏の分裂の危機に遭遇する苦悩が有りの儘に語られるのであり、鎮魂の気配すら感じられるのである。今となっては、フォーククルセダーズのメンバー、“端田宣彦(はしだのりひこ1945~2017)”、“加藤和彦(かとうかずひこ1947~2009)”の二人は既にこの世にいない。芸術家でもある北山修も結局は分裂気質を上手く処理出来ないようであり、前田重治氏は今も北山修氏を見守ってくれているのであろう。本のタイトルのように“良い加減に生きてていいのだよ”と教え諭しているのだと思った。人生の前半でとても大きな活躍をすると後半生は中々御し難くなるのだろうなともこの本を読んで思った。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1131)

2019-09-28 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「天才と発達障害(岩波明著・文春新書2019刊)」を読んだ。岩波明(いわなみあきら1959生れ)氏は、東大(医学部)卒、都立松沢病院、東大助教授、埼玉医科大学准教授を経て、2012年より昭和大学(医学部)教授である。同附属烏山病院長を兼任し、ADHD専門外来を担当している。精神疾患の認知機能障害や発達障害を研究分野としているとのこと。-----

「天才と発達障害」の章立ては次の通り、“天才と狂気”、“独創と多動のADHD”、“空気が読めないASDの天才たち”,“創造の謎とトリックスター”、“うつに愛された才能”、“統合失調症の創造と破壊”、“誰が才能を殺すのか”となっており、それぞれに世界的な該当有名人を列挙している。もちろん日本人も含めて紹介している。“バカと天才は紙一重”といわれる所以(ゆえん)からの解説は一言もない。“バカは天才とは程遠く、バカはバカでしかない”と言うのが精神病理学者/岩波明氏の信念であるようで、バカにも取り柄があるとか云う生温(なまぬる)い論考は一切登場しない。流石、東大医学部卒だけのことはあって、東大同窓生の中にも、偏差値は頗る高いがコミュニケーションに欠ける人物が多分相当おられて、ひょっとすると岩波明氏自身がその該当人物であったのかも知れないと、この本「天才と発達障害」を読んで邪推した。-----

お笑い芸人が“皆(みんな)とんとん”というような暢気(のんき)な人生模様ではなくて、人間として生れて全力で生き切った天才たちの陰の部分を焙り出している本なのである。野口英世然り、アインシュタイン然り、モーツァルト然り、ビビアンリー然り、田中角栄然り、大村益次郎然り、ダーウィン然り、ドストエフスキー然りと列挙し、最後には日本が今後もこのような天才を生み出すには、教育制度をもっと柔軟にすべきだとも書いている。社会の発展を期するには天才の力に負わねば1mmとも進まないのだからとその必要性を力説している。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1130)

2019-09-27 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「ぐうたら旅日記~恐山/知床をゆく(北大路公子著・寿郎社2012刊)」を読んだ。北大路公子(きたおおじきみこ1963札幌生れ)女史は、関西の大学を卒業後、札幌でフリーライターとなる。各誌にエッセイ/書評を連載し、小説も発表するなど活躍している。-----

「ぐうたら旅日記」は、旅嫌いの北大路公子女史が編集者に誘われて“ぐうたら旅”をするのが本当に面白いので、手に取ればつい読んでしまう本となっている。行き先と日程は次のとおりである。“恐山:2011.5.2~5”、“知床:2011.8.20~22”、“恐山:2011.10.7~10”、“積丹:2006.8.19~20”、“積丹:2007.8.4~5”、“積丹:2008.8.23~24”-----

青森は北海道から近い事もあるのだろうが、恐山を2回、積丹には3回も訪れているのは、恐山は当地の温泉で“極楽極楽”を言い忘れたので再訪して遣り残したことを片付けると言う理由である。また、積丹の場合は名産のウニ丼(どんぶり)を食する為の“ウニツアー”なのだそうである。旅嫌いといいながら一度(ひとたび)出掛けると、拘(こだわ)りが炸裂して、仲間割れにはならないが、“てんやわんや”の賑やかさが自然演出されるのである。-----

メンバーの中には天下国家を論じる人は誰もおらず、ひたすらビールを飲み、大食される様子は、読者にまでそのご馳走満腹の満足感が伝わってきそうであり、毎回札幌帰着の最後にはジンギスカンを仕上げにお食べになるので、海鮮のご馳走をたらふく食べておきながら、流石に道産子の皆さんなのだなと納得した。気になったのは、東日本大震災の発生した年に恐山や知床を訪ねておられるのだが、一言もそのことに触れていないのは、不思議に思ったことである。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1129)

2019-09-26 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「食の実験場アメリカ~ファーストフード帝国のゆくえ(鈴木透著・中公新書2019刊)」を読んだ。鈴木透(すずきとおる1964生れ)氏は、慶應大学(文学部)卒、同大学院博士課程修了、現在は慶應大学(法学部)教授である。専攻はアメリカ文化、現代アメリカ論とのこと。-----

小学1年生のとき、父親の留学に際してアメリカに在住したそうである。研究対象をアメリカにしてきたのはその所為であろうと書いている。-----

アメリカの歴史に沿って、白人入植者の時代、後年の産業化の時代、そしてファーストフード帝国の時代と、大きく3つの時代に区分して、それぞれの時代の食について、日本人には馴染みの少ないアメリカ草創期からの食の概要を分かり易く書き出してくれている。先住インディアンから食糧を分けて貰っていた初期、黒人奴隷の食文化の流入、産業化社会の進展による自由時間の減少とその間に合わせのホットドッグなどの普及、そして更なる標準化としてファーストフードが出現し現在に至るまでを解説しているのだ。-----

ファーストフードは格差社会にも適合するのだが、肥満問題が顕在化したりして、未来志向から考えるともっと豊かな食文化に成長して欲しいと鈴木透氏はアメリカに期待を示している。日本などはアメリカの風下にいて、アメリカが変わらなければ動きようが無い状態なのだと、悲観的である。無形文化遺産の“和食”についての言及は一言もなかった。アメリカの話だから仕方がないが少し残念である。

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