奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2137)

2022-06-30 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「聞かなかった聞かなかった(内館牧子著・幻冬舎文庫2017刊/初出週刊朝日2007.12~2009.9暖簾にひじ鉄)」を読んだ。内館牧子(うちだてまきこ1948生れ)女史は、武蔵野美術大学卒、東北大学大学院修士課程修了。脚本家/1993橋田賞受賞。2000~2010女性初の横綱審議委員会委員に就任。-------

この本「聞かなかった聞かなかった」に収録されているエッセイのタイトルは次の通り。“バアサンに飴を”、“来年は来年の風が吹く”、“岩手県の出前授業”、“名文珍文年賀状”、“ヤツデの女”、“頭の悪いオバサン”、“野良猫が好き”、“車内の加齢臭”、“冬が寒かった時代”、“各年代/こうも違う”、“生活の荒れ”、“スピリチュアルな趣味”、“仰げば尊し”、“25年振りの造船所”、“時間のたつ速さよ”、“恋人たちの聖地”、“平仮名地名もう十分”、“それにしても挨拶”、“運動部は嫌いだって”、“野菜の花”、“道の変質”、“幸せにしてくれる人”、“オバサン特有の言動”、“どこよ/どれっ”、“教育委員ってどんな人”、“あの仕事の年収”、“檸檬色のガラスペン”、“同期会に出ない人たち”、“他人の趣味”、“クロネコとペリカン”、“屋根の上の野良猫”、“あの夏”、“掟をなめる乗客”、“肘の上のポニョ”、“何が/かな/だ”、“幼女の人権”、“水道局の東京水”、“老人のエレガンス”、“第2だか/第3だか”、“頭が古かった”、“名前の間違い”、“ベッドに縛られる終末”、“無駄な喧嘩”、“ですよね/って”、“女の運”、“朝青龍とのハグ騒動”、“ミシンのCM”、“ダイエットの極意”、“命取りになる言い方”、“お宅切れ痔でしょ”---------

この本「聞かなかった聞かなかった」は、内館牧子女史が、横審委員を務め/東北大学大学院に通った時期/直後の、とても充実した時期に週刊誌へ連載されたエッセイであり、女史の余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)ぶりが横溢(おういつ)している。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2136)

2022-06-29 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「津田梅子~科学への道/大学の夢(古川安著・東京大学出版会2022刊)」を読んだ。古川安(ふるかわやす1948生れ)氏は、1971東京工大卒、帝人入社。1983オクラホマ大学大学院PhD(科学史)取得。1985横浜商科大学助教授/1991東京電機大学教授/2004日本大学(生物資源科学部)教授を経て、現在は総合研究大学院大学研究員。科学史家/化学史学会前会長。--------

この本「津田梅子」の目次は次の通り。“アメリカに渡った少女(津田仙と農学/少女たちのアメリカ/華族女学校の英語教師/再留学の夢とその実現)”、“ブリンマー大学と生物学(ブリンマー大学の生物学科/ブリンマーの梅子)”、“生物学者への道(ウッズホールの夏/モーガンとの研究/葛藤と帰国/生物学との決別)”、“英学塾の裏側で(女子高等教育不要論/熱血童女/別れの日々)”、“塾から大学へ(星野あいとブリンマー留学/戦時下の理科創設/真の大学へ)”--------

この本「津田梅子」の内容紹介文は次の通り。津田塾大学の礎を築き/日本における女子英語教育の先駆者である津田梅子は、アメリカ留学中に生物学を専攻し/将来を嘱望された優秀な研究者であったことは/余り知られていない。帰国後何故生物学者への道を歩まなかったのか/歩めなかったのか。科学とジェンダーの視点から梅子とその時代を描き出す。--------

古川安氏のように科学史を専攻する人の心の内が分からないのだが、津田梅子の生涯を丹念に調べて、後にノーベル生物学賞を受賞する研究者とアメリカで論文を共同執筆していたことが明かされる。歴史の有名人として名前は覚えるが江戸末期/6歳でアメリカに留学し、帰国して津田塾大学を開いたと教わるばかりである。理系の仕事/研究に疲れた人の一部に科学史を究(きわ)める人が現れるのだろう。

 

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2135)

2022-06-28 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「顔の考古学~異形の精神史(設楽博己著・吉川弘文館2021刊)」を読んだ。設楽博己(しだらひろみ1956生れ)氏は、1976静岡大学(文学部)卒、1986筑波大学大学院(歴史人類学研究科)博士課程単位取得退学、2006同博士(文学)。国立歴史民俗博物館/駒澤大学を経て、東大(人文社会系研究科)教授。--------

この本「顔の考古学」の目次は次の通り。“歌に詠まれた巻向仮面”、“日本最古の妖怪画”、“方相氏と鬼は外の起源(節分祭/方相氏の文献と造形/盾持人埴輪/邪馬台国の方相氏)”、“黥面考/顔の刺青の歴史(魏志倭人伝と3世紀の黥面絵画/古事記日本書紀の黥面と文身/人物埴輪の顔の線刻は刺青か/刺青と中華思想)”、“縄文土偶の顔(土偶の誇張表現/出産土偶の顔)”、“弥生時代の顔の表現(分銅形土製品の笑い顔/鳥装と非黥面起源/土偶形容器に見る男女の表現/顔壺に探る黥面の継承と変容)“--------

この本「顔の考古学」の内容紹介文は次の通り。土偶/仮面/埴輪/土器など、縄文時代から律令期にかけて作られた“顔”を意匠とする様々な造形品。抜歯/刺青の顔面加工/笑いや怒りの誇張表現/耳飾りや髪型/豊富な事例を素材に/考古学的研究手法で分析。古人(いにしえびと)の顔に対する意識の変化とその社会的背景を明らかにし、そこに込められたメッセージ/異形の精神世界を探る。---------

設楽博己氏は、縄文時代/弥生時代に中国大陸/半島から日本列島に齎(もたら)された文化を論じるに当たって、考古学的出土品に見られる顔の特徴を分析/研究されている。日本の埴輪にしても、中国の始皇帝陵の兵馬俑と較べれば、余りにも幼稚で比較する気も失せる処だが、中々に我慢して論じておられる。相当に劣化して伝来しているが、矢張りルーツは中国大陸/半島だと述べておられる。学術文献としては、他に無く貴重であるようだ。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2134)

2022-06-27 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「吉田正~永遠の30曲(塩澤実信著・展望社2022刊)」を読んだ。塩澤実信(しおざわみのぶ1930生れ)氏は、早大(文学部)中退。双葉社編集長/東大(新聞研究所)講師を務めた。日本ペンクラブ名誉会員/元日本レコード大賞審査員。-------

この本「吉田正~永遠の30曲」の目次は次の通り。“初めての出会い”、“”死線を越えて/吉田正小伝、“永遠の30曲(異国の丘/街のサンドイッチマン/落葉しぐれ/赤と黒のブルース/好きだった)”--------

この本「吉田正~永遠の30曲」の内容紹介文は次の通り。“異国の丘”からスタートし、“いつでも夢を”、“有楽町で逢いましょう”、“誰よりも君を愛す”、“傷だらけの人生”まで、数々の都会派歌謡を生み出した作曲家/吉田正の壮絶な人生と名曲誕生の秘話を語る。--------

吉田正(1921~1998)は、幼少より音楽が好きで/作曲も独学で覚え/趣味で歌を作っていた。1939日立工業専修学校卒、増成動力工業に入社するも、1942満洲の陸軍水戸歩兵連隊に入隊。1944盲腸炎のためペリリューの戦いに往かず満洲に残る。1945シベリア抑留。1948舞鶴に復員。1949日本ビクターに専属作曲家として入社。1960“誰よりも君を愛す”で日本レコード大賞を受賞。--------

この本「吉田正~永遠の30曲」は、塩澤実信氏/得意の分野の一つ、歌謡界の大物/吉田正のヒット作を連ねた伝記である。前半に書かれている吉田正の運の強さには驚かされた。戦時だから誰も避け得ない処があったのだろうが、奇跡的に何度も死地を脱して、生き残っている。何度も助かるのは神の恩寵があったのかしらとも思わせられる。9割方の人が命を落としているのに何故だか助かっておられる。ロシア兵に捕まった時も、重傷を負っておられたのだから、敵に助けて貰ったようなものだ。何れにしても、タイミング良く、帰国と同時に異国の丘の作曲者として見出され、音楽学校を出た訳でもない独学の作曲家がトントン拍子で世に出て行かれたのだ。こういう幸運も世の中にはあり、諦めるのはまだ早いと思い返せる実例として、面白いと思った。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2133)

2022-06-26 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「女流阿房列車(酒井順子著・新潮社2009刊/小説新潮2005.8~2009.9初出)」を読んだ。酒井順子(さかいじゅんこ)女史は、立教大学(観光学科)卒、広告会社勤務(3年間)を経て、執筆に専念。“負け犬の遠吠え(2004)”で講談社エッセイ賞/婦人公論文芸賞を受賞。-------

この本「女流阿房列車」の目次は次の通り。“メトロな女(東京の地下鉄全線完乗16時間22分)”、“鈍行列車の女(24時間耐久1343.9km)”、“秘境駅の女(鉄子の旅/同乗記)”、“鉄子の旅プラス/菊池直恵(酒井順子さんと水のある風景を求めて)”、“膝栗毛な女(東海道53乗り継ぎ)”、“トロッコ列車の女(紅葉独り占め京都/鉄子の道)”、“9to5の女(根室本線/宮脇俊三さんに捧げる寝ずの旅)”、“廃線跡の女(日傘片手に北陸本線旧線を歩く)”、“こだま号の女(東京~博多10時間半)”、“スイッチバックの女(信越本線/篠ノ井線/スイッチバック銀座)”、“旧国名駅の女(四国巡礼/お線路さんの旅)”、“鉄と油の2泊3日(九州一周揚げ物紀行)”、“徐行列車の二人(秋田周遊車窓対談/原武史&酒井順子)”---------

この本「女流阿房列車」の内容紹介文は次の通り。電車に揺られて“うとうと”が大好きなゆる女子鉄の著者が、鉄人編集者のマニアックで無茶ぶりな鉄道旅プランに身を投じ/線路の果てまでいざ出発。次第にエスカレートする旅程も何のその/気付けばダイヤに縛られる快感の虜。鉄道の楽しさが無限に広がる/新しい旅の仕様をご提案。--------

酒井順子女史は、内田百閒の名作“阿房列車”を真似た出版社の企画に身を投じ、3年間に渡る鉄子の旅をなさった。新幹線が縦横に駆け巡る日本列島になってしまったが、今も在来線を含めた列車旅に繰り出す鉄道ファンが減ることはない。そして男性ファンばかりではなく、女性の鉄子も増えているようだ。そのバイブルになるかどうかは不明だが、中々に面白い本となっている。

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