北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない
「武田鉄矢の戦争の記憶」について。---------
某紙(Asahi/2023.12.10)の記事に武田鉄矢の懐古談が載っていた。--------
武田鉄矢(たけだてつや1949生れ)は、筑紫中央高校卒/福岡教育大学中退。歌手/俳優。フォークグループ海援隊のボーカル。代表曲に“母に捧げるバラード/あんたが大将/贈る言葉/思えば遠くへ来たもんだ”がある。---------
インタビューの内容は次の通り。中国戦線の復員兵で/骨の髄まで軍隊に染まっていた父について語っている。--------
父は“もう1回戦争になった時は/武器に恵まれますように”と“鉄矢”と名付けた。1950年代/子ども5人を抱えた/月給1万円其処らの旋盤工にも拘らず/給料をはたいてやけ酒を煽り/酒乱で戦争体験の自慢ばかりする父のことが武田鉄矢は嫌いであった。後年/戦後当時の父には居場所が無かったのだと/慮(おもんばか)っているが/生前には父との関係を断ち切っていた。---------
ある時/戦友会に出た父が連隊長から“あの武田鉄矢は貴様の息子か”と握手を求められた/と涙を流して話していたが/父の喜びは連隊長に褒められたことだと知り/呆れた。---------
父他界(1983)まで和解は出来なかったが/司馬遼太郎や阿川弘之の作品を読んだり/シベリア抑留経験者の吉田正や三波春夫の曲を聴いたりするうちに/武田鉄矢は父の不機嫌の正体/言葉で表せないトラウマを理解するようになった。---------
団塊の世代は親から直接に戦争体験を聴いているが/団塊ジュニア世代となると/伝言ゲームのように戦争の記憶は薄らいでしまう。でも武田鉄矢の懐古談は記事として影響力が大きいので/良い企画だと思った。--------
人気低迷時の武田鉄矢を麻布プリンスホテル前で/目撃した記憶をこの記事を読んで思い出した。