奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その828)

2018-11-30 08:15:00 | 奈良・不比等
北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない
「始まりの国/淡路と陰の王国/大阪~古代史謎解き紀行(関裕二著・新潮文庫2018刊)」を読んだ。関裕二(せきゆうじ1959生れ)氏は、大阪の辻調理師学校に1年間通ったそうである。現在は独学で学んだ古代史の論客であり、歴史作家でもある。学者然としたり、文藝を鼻に掛けたりしないので、ファンも多いようである。「始まりの国/淡路と陰の王国/大阪」は、“古代史謎解き紀行”という名のシリーズ本であり、司馬遼太郎張りの“街道を行く”を真似ているかのようである。-----
多分、堺市が世界遺産に仁徳天皇陵(大山古墳)を推していることから、大阪の話題は売れると見て早速に出版企画されたものであるようだ。古代史と銘打ってはいるが、時代は古代に係わらず彼方此方飛んでいる。脈絡もなく繋がりの無い話が続出する。でも関裕二ファンなら許せるのだろう。-----
関裕二氏のように一定のファンを獲得すると冒険をしないというか、過激な古代史論議は避けているように見えた。嘗ての梅原猛もそうだったのだが、日本史を専門・活動舞台とする人達は若い時は別として年齢を重ねると、言葉を濁して、日本の古代が朝鮮半島と緊密に繋がっていたことを咋(あからさま)に書かないようになると感じた。関裕二氏にしても、結構腰砕けではないかと残念に思った。有名になると国粋主義者の走狗が怖いようです。
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その827)

2018-11-29 08:15:00 | 奈良・不比等
北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない
「モンゴル人の中国革命(楊海英著・ちくま新書2018刊)」を読んだ。楊海英(ようかいえい1964生れ)氏は、北京大学(日本語学科)卒で、静岡大学教授である。----
楊海英氏は南モンゴル・オルドス高原生れであり、彼(か)のチンギス・ハーンの直系子孫の暮らす内蒙古に育った。外蒙古はソ連の支配下であったが、内蒙古は東からは日本の侵略、西からは中国共産党、南からは中国国民党に侵略された歴史がある。-----
韓国ドラマ“奇皇后”のラストでは大都を捨てて北の都へ脱出するが、その地がオルドスであったようだ。その地も1900年代の動乱により中共に蹂躙されてしまう。その過程を詳しく丁寧に楊海英氏は書いている。内モンゴルの歩んできた道を日本人も知っておいて欲しいと書いている。こうした書籍の出版も外蒙古のモンゴル共和国が、ソ連の軛(くびき)より脱してからの動きでしょうけれど。
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その826)

2018-11-28 08:15:00 | 奈良・不比等
北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない
「図書館劇場ⅩⅢ・歴史文化を語る④(2018.11.25於:奈良県立図書情報館)」で、千田稔館長の講演は“継体天皇”であった。皇統の断絶があったと言われたのは仁賢・武烈天皇の次の皇嗣がいなかったのである。継体天皇は枚方で即位した後、20年を経て漸く大和の忍坂宮に入るそうである。正妃として手白香皇女を娶ってからであるという。-----
都築由美さんの朗読は“野村万之亟著・マスクロード”でした。また、本講は佐藤浩司氏(天理大学名誉教授)の“伎楽の仮面の来た道”であった。これも面白かった。娯楽の語源は中国の呉から伝わった伎楽が当時の楽しみであったことに拠るという。
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その825)

2018-11-27 08:15:00 | 奈良・不比等
北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない
「生きる哲学としてのセックス(代々木忠著・幻冬舎新書2018刊)」を読んだ。代々木忠(よよぎただし1938生れ)氏は、ピンク映画の助監督、日活ロマンポルノを経て、アテナ映像を設立してAV監督として活躍されてきた。-----
「生きる哲学としてのセックス」は代々木忠氏の独壇場のような世界を、一般読者に丁寧に具体的に解説してくれている新書である。タイトルにある”哲学”は、アンビバレントな言葉との結合で社会の目を誤魔化している風が感じられた。でも、書かれている内容が具体的で嘘が無いと思われるので、この分野の理解には参考になるのだろうと思った。-----
読後感としては当たり前のことが書き並べられていたように感じた。真新しい事実を教えて貰った気もしない。でも内容が内容だからか、爽やかにも感じた。流石、この世界で長年活躍されてきた人の箴言(しんげん)だなと思う箇所もあった。フランスの様に人生で平均3回はパートナーが交替するような社会に日本も移行して来ていることを実感するには打って付けの本なのだろう。県や市町村の職員の方は読めば少子高齢化の問題や男女平等を考える上で、何らかの参考になると思った。
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その824)

2018-11-26 08:15:00 | 奈良・不比等
北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない
「日本の醜さについて~都市とエゴイズム(井上章一著・幻冬舎新書2018刊)」を読んだ。井上章一(いのうえしょういち1955生れ)氏は、京大(建築学科)卒で、同人文科学研究所助手を経て国際日本文化研究センター教授である。専門は建築史・意匠論の他、風俗史、美人論などの論客でもある。-----
「日本の醜さについて」では、久々に建築意匠論から日本文化の実態を解き明かしている。特に面白いと思ったのは、“安藤忠雄がなぜ世界で受け入れられたか”の問いに対する回答だろうか。日本の無軌道でハチャメチャな明治以降の建築史の中で最も、教養主義から外れた180度異色の建築家として西欧がそこまで脱線出来ないでいる処をあっさりと安藤忠雄が席巻したというのである。京都大学と言うインテリの拠点出身である井上章一にしても真似できないのだと言う、恥ずかしすぎてという処が正直な感想であるようだが。-----
後半では、坂口安吾の文学至上主義に異論を唱えているが、後書で触れているように、井上章一が建築家から文転した経緯(いきさつ)から、坂口安吾の建築への無理解には少しばかり腹が立ったようである。------
建築学科は東京藝大にもあり、建築は工学ではなくてアート、アーキテクトなのだという処から、文学と変わらない、芸術表現の一つとして人間の社会活動とその思想に深くかかわっているのだと手を変え品を変えて「日本の醜さについて」では述べている。井上章一の建築の教養が花開いていると思った。
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