奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1711)

2021-04-30 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「古代日本の官僚~天皇に仕えた怠惰な面々(虎尾達哉著・中公新書2021刊)」を読んだ。虎尾達哉(とらおたつや1955生れ)氏は、京大(文学部)卒、同大学院(文学研究科)博士課程中退、京都大学(博士)。現在は鹿児島大学(法文学部)教授である。専門は日本古代史とのこと。------

この本の目次は次の通り。“律令官人とは何か(豪族を官僚に編成する/律令官人群の形成/律令官人の世界/朝服の制定/蔭位の制で貴族を再生産/下級官人の特権)”、“儀式を無断欠席する官人(天皇への賀正の儀式に出ない/御前での任官儀式に出ない/位階昇進などの儀式に出ない/六位以下官人の無断欠席/大目に見られる六位以下)”、“職務を放棄する官人(使者としての派遣を辞退する/小納言が重要政務を遅刻欠席する/郡司が自身の解任を求める/中央官人への抜け道/職務放棄する中央官人たち/写経生たちの無断欠勤/国家的祭祀に集まらない/全国諸社の祝が来ない)”、“古来勤勉ではなかった官人たち(時間にルーズな官人たち/学ぼうとしない官人たち/律令を学ばぬ律令官人/不正を働く官人たち/国司はおいしいと云う宿痾/乱暴な官人たち/女官に取り入る官人たち)”、“官人たちを守る人事官庁(押しの強い実力官庁/怠業する官庁/官人たちを不当な制裁から守る)”、“官僚に優しかった専制君主国家(怒り猛る中国皇帝/罰金を納めない官人たち/律令国家の外観と内実/それでも回る律令国家)”--------

虎尾達哉氏は、六国史を読み解き下級官僚の退廃ぶりを暴き出して、今も昔も官僚の生態は変わらないと主張されているのだ。だから古代日本史の人物歴史を期待した人は少なからず落胆することだろう。------

虎尾達哉氏は定年退官(2021.3)された。日本古代史を専門とするならば、奈良平安時代ではなくて、飛鳥/白鳳時代の真相(聖徳太子の真実など)を解明して欲しかったが、もう無理なのかもしれない。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1710)

2021-04-29 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

地方再生の”実(じつ)を挙(あ)げる”にはどうすれば良いのだろうか。------

江戸時代/幕藩体制下、狭い日本列島に犇(ひし)めく300諸侯は、それぞれに封じられた大小様々な領地(領民を含む)を一体どのようにして経営/運営していたのだろうか。天災による飢饉が理由でも、領民が暴動/一揆を起こしたり、他藩へ散逸/逃亡したりすれば、幕府からその統治能力の無さを咎(とが)められた。戦国時代のように隣接他藩から攻め込まれる危機はなかったが、自国経済の破綻は許されなかった。一応、地方分権が確立していた訳であり、その意味でも領主たちは平時より常に災害/飢饉への備えを心掛けねばならなかった。サスティナブル(sustainable持続可能)な農本社会で“百姓は生かさず殺さず”の活気はないが何事もなく太平の時代が続いたと云うのは嘘である。-------

幕府成立時点では、織豊政権の頃より行われてきた農地の検地をベースにして、大まかな石高が把握されたし、宗門改めによる住民調査で藩内の人口も把握できた。-------

災害が無ければ飢饉は発生しないのが普通だが、一方で人口増加が続いたり、藩財政の立て直しのため年貢を重くすると、領民の飯米/食料が不足して少しの天候不順でも飢饉が発生してしまうのだ。-------

小藩であっても大藩であっても、領地経営の振興には知恵を絞り、300年の江戸時代を通じて、今でいう地方再生を演じてきたと云えるのだろう。有名処では、新田開発のための用水路を引いた二宮金次郎が一番だが、各藩にそのような人物が小粒だろうけれど多々いたのだろう。でなければ幕府にお取り潰しに遭っているに違いない。------

勿論、新田開発の出来る処は遣り尽くしてしまい、江戸時代中期頃からは、特産品の開発/領内の有名寺社へのお参りを観光化するなど、他藩/他国に産品を売ったり、旅人を呼び込んだりして藩内の経済を活性化させる策を講じた。江戸時代後期になると、海防など幕府の要請が多くなり、藩の装備の近代化にもお金が余分に必要となった。当然、一時的には年貢を重くせざるを得なかったのだ。幕末に近くなると災害/天候不順も重なって一揆の件数は増加している。-------

現代社会でも、江戸時代を参考にすれば、都道府県知事は地方を任された藩主のつもりで、その責務を果たす気概を持って欲しいものだ。明治以来の中央集権の法制度の縛りはあるが、知恵を働かすのは勝手だから、地方公務員の中にも必ずいる筈の隠れた“二宮金次郎”を見付けて活用/登用をしなければならない。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1709)

2021-04-28 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「シェルパ斉藤の親子旅20年物語/わたしの旅ブックス028(斉藤政喜著・産業編集センター2021刊)」を読んだ。斉藤政喜(さいとうまさき1961生れ)氏は、日本福祉大学(社会福祉学部/2部)卒、在学中にオーストラリアをオートバイで走破したり、中国長江をゴムボートで下ったりした紀行文を認められて、小学館編集部に声をかけられた。以後、ずっと紀行作家として活動している。アウトドア/バックパッキング/自転車/オートバイ/ヒッチハイクなどの自由な旅/国内外のトレイル/テント泊を本領としてきた。-----

この本の目次は次の通り。“はじめての親子旅(四国関西を巡る列車の旅/親子ヒッチハイク/熊野古道/はじめてのバックパッキングの旅)”、“九州縦断自転車ツーリング”、“ニッポンの山をバックパッキング(山小屋泊の残雪期八ヶ岳登山/アメリカの高校生と上高地涸沢トレッキング)”、“50ccカブで信州ツーリング”、“被災地を繋ぐ長い一本道を歩く(24歳/遠くの春/巡礼への旅立ち)”、“30年目のネパールMTBツーリング”-------

斉藤政喜氏は、高校3年生の冬に、父親の事業失敗による失踪により、帰る家はなくなり一家離散となった。以後自力で8年間をかけて夜間大学を卒業し、今のポジションを築いてこられた。八ヶ岳山麓にこれも自力で丸太を積み上げたログハウスを建てて東京から奥様と長男と共に移り住んでおられる。------

この本を読むと斉藤政喜氏が処々で語り出す嘗ての苦労の端々が偲(しの)ばれて、旅の面白さを楽しむには向かないのだ。寧ろ奈落の底からの脱出劇を見るようであり、幾ら家族を捨てた酷い父親を反面教師にしたとはいえ、まともにお育ちなり、良くぞ幸せな家庭を築かれたものだなと感心してしまうのである。-------

橋田壽賀子(1925~2021)の“おしん”のようなフィクションではなくて、斉藤政喜氏の場合は実話だから余計に感情移入してしまう人もいることだろうと思った。唯、親子旅をなさったご長男には優しく接することを心掛けて、偉大な父親の背中を見せ過ぎて、逆ストレスを与えないように注意して貰いたいと思った。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1708)

2021-04-27 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「放射能は取り除ける~本当に役立つ除染の科学(児玉龍彦著・2013刊)」を読んだ。児玉龍彦(こだまたつひこ1953生れ)氏は、東大(医学部)卒、同助手/マサチューセッツ工科大学研究員を経て、東大(先端科学技術研究センター/システム生物医学)教授、2011.4より同大/アイソトープ総合センター長を併任。-------

この本の章立ては次の通り。“環境問題としての原発事故(史上かつてない環境汚染/活かされなかった柏崎刈羽の教訓/大柿ダムはナウシカの腐海)”、“放射能汚染はどう広がったか(福島で放射能汚染はどう起こったか/後手後手だった住民防護の対策/まだよく分からない海の汚染/森がセシウムの大貯蔵庫になってしまった)”、“放射線はなぜ危険か(胎児子どもほど害を受け易い/低線量放射線は人体にどんな影響があるか/統計学で証明するのは非常に難しい)”、“放射性セシウムは人体にどう蓄積するか(核実験競争で放射性セシウムがまき散らされた/周囲の必死の努力で子供のセシウムが減った/セシウムは川魚にも蓄積し易い)”、“本当に効果のある除染とは(多くの悲劇を生んでいる16万人の避難/20年後も居住できないと云う現実をどう考えるか/除染は専門家行うべき危険な作業)”、“土をきれいにする(除染が進めば進むほどゴミが増える/セシウム回収に有効な2段階焼却システム)”、“放射性ゴミを保管する(保管の基本は減容と浅地中処分/雨水に曝さないことがまず重要)”、“森水土を取り戻す(生活再建のための除染でなければ意味がない/スピーディーに現実を変えること以外に復興なし)”------

児玉龍彦氏がこの本「放射能は取り除ける」をお書きになってから、8年が経過している。除染は進んだのだろうか。まだ道半ばだが、コロナ禍でもあり、メディアが取り上げることは少なくなってしまっている。その実態はどうなっているのか判然としない。この本を読むと、汚染水の問題も大変だが、土地の除染は原子炉のメルトダウンした燃料デブリの取り出しほどではないにせよ、気の遠くなる仕事だなと思った。そして児玉龍彦氏のような専門家が続編を書いてくれないとメディアの取材班では役不足の感が否めない。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1707)

2021-04-26 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「世界史の針が巻き戻るとき~新しい実在論は世界をどう見ているか(マルクスガブリエル著/大野和基訳/PHP新書2020刊)」を読んだ。マルクスガブリエル(Markus Gabriel 1980生れ)氏は、29歳でボン大学の哲学教授となった。気鋭の哲学者とのこと。大野和基(おおのかずもと1955生れ)氏は、東京外大(英米学科)卒、1979~1997渡米しコーネル大学で化学、ニューヨーク医科大学で基礎医学を学んだ。その後ジャーナリストとして日米を股に掛けて活動している。-------

この本の目次は次の通り。“世界史の針が巻き戻るとき(19世紀に回帰し始めた世界/ヨーロッパは崩壊に向かっている/国家規模の擬態が起きている/誰も真実を求めなくなった時代/リアリティの形が変化している/インターネットは民主的ではない)”、“なぜ今、新しい実在論なのか(世界は存在しないの意味/現実は一つではない/リアルとバーチャルの境目があやふやになった世界で/意味の場とは/すべては同等にリアルである/新しい哲学が世界の大問題を解決に導く/モダニティが人類滅ぼす/統計的な世界観が覆い隠すもの)”、“価値の危機(なぜ争いが起きるのか/偏見が醸成される仕組み/冷戦は終わっていない/倫理を学科として確立せよ/新しい実在論と禅の共通点)”、“民主主義の危機(独裁主義と明白な事実/尊厳とは何か)”、“資本主義の危機(資本主義には悪の潜在性がある/モラル企業/グランドセオリー)”、“テクノロジーの危機(自然科学は価値を論じることが出来ない/自動化の負の側面/デジタルプロレタリアート)”、“表象の危機(フェイクとファクト/イメージの大国)”、“補講/新しい実在論が我々にもたらすもの(普遍の人間性/社会の最高の価値が真実である理由/私は実在している)”-------

“哲学は死んだ”とも言われる21世紀であるが、大野和基氏は若きドイツ人哲学者の世界の見方を紹介して、これなら混迷の世界がよく理解できるのではないかと仰っているのだ。------

マルクスガブリエル氏の哲学の分野は科学哲学であり、自然科学の領域に簡単に気軽に言及しておられる。極論すれば、自然科学のイノベーションと経済のグローバル化は止められないので、文系の学問である倫理学をブレーキとして用いよと云うのである。即物的な哲学であり、人を煙に巻くような偽善は無いので、それなりに面白い本だと思った。哲学を現代に生かすとすれば倫理学に変身するのも一法とマルクスガブリエルは云っているのかも知れない。

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