奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その341)

2017-07-31 02:02:37 | 奈良・不比等
歴史ファンタジー小説・北円堂の秘密

「聖徳太子の真実(大山誠一編著・平凡社2003刊)」を読んだ。「大山誠一(おおやませいいち1944生れ・東大国史学科卒・同博士課程満期退学)」氏は2014年に70歳にて中部大学教授を退官された。「長屋王家木簡と奈良朝政治史」のタイトルにて東大・文学博士(1999)を授与されている文系特有の遅咲きの学者である。------
奈良県の「世界遺産・法隆寺地域の仏教建造物」に関係する重要な学説を提唱されており、奈良県職員ならば「聖徳太子の真実」は必読の書と云えるでしょう。-------
梅原猛氏が「隠された十字架・法隆寺論(1972)」にて世間を騒がせてより31年を経過しても、学界の反応は今一つであったが、「聖徳太子の真実」は重鎮とも云える日本史学者が述べている事であり、真摯に受け止めなければならないだろう。-------
奈良県の記紀プロジェクトの説明も「聖徳太子」に関しては、最新の学説を尊重する必要があるようだ。------
聖徳太子は後世、太子信仰の対象とされ、多くの事柄が後付けで仮託されてきた経緯がある。浄土真宗など浄土教では太子信仰を布教の手段に使ってきた歴史もあり、救世観音はキリスト教の救世主であり、厩戸皇子が既に聖書の内容と被(かぶ)っている。梅原猛氏の「隠された十字架」の中で十字架への説明は無かったが、浄土教が中国で成立した際にキリスト教が仏教スタイルをとって布教されたと見ることができ、戦国期に来日した宣教師たちは浄土教の一向宗はキリスト教と変わらないと感じたようだ。
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その340)

2017-07-30 00:24:15 | 奈良・不比等
歴史ファンタジー小説・北円堂の秘密

「国文祭・障文祭なら2017(9.1~11.30)」の開催に当たっては「文化(culture)」の定義をしっかりと反芻しておかねばならない。-----
「日本国憲法・第25条~すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国はすべての生活部面について社会福祉・社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」
140万人の奈良県民の生活が文化的な面で日本の他の都道府県あるいは世界の国々と較べてどのようなレベルにあるのか、認識を明瞭にしておきたいものである。-------
文化とは詰まる処、生活の余裕から生まれる造作(ぞうさく)を云うのであって、生活にゆとりのない人にとって文化は無縁の言葉・活動であろう。憲法の云う「文化的な最低限度の生活」とは、衣食住に不自由しなくても暮らせるレベル、季節に適した衣料、健康を保てる食糧、雨風・夏冬の寒暖を凌ぎ上下水道・ガス・電気・通信のインフラを利用出来る住居を想定しているものと考えれば、それを更に超えるレベルに持っていった部分が文化として捉えられるとするのが妥当だろう。-------
スポーツを楽しむにしても社会にもっと役立つことであれば、里山の手入れをするとか、耕作放棄地で作物を栽培するとか、財を生み出す活動で汗をかく方が大切だと思うが、それでは文化とならないのだろう。何の益も生み出さないスポーツこそがスポーツ文化として意味があると生活に余裕のある人々は考えているのでしょう。-------
華道・茶道・書道・絵画・音楽・バレー・登山・サイクリング・キャンピングなど文化ではあるが生活に余裕の無い人には遠くから眺めているしかない世界なのだろう。------
だから奈良県民がこぞって「国文祭・障文祭なら2017」に参加しようと云うのならば、一体何に参加できると云うのだろう。-----
北の国のマスゲームのように運動会で人間ピラミッドを演ずることが全員参加の文化活動と云うのだろうか。とても貧しい文化であるとしか言いようがない。-------
奈良には歴史年代を文化で区切る言葉(石器文化・縄文文化・弥生文化・古墳文化・白鳳文化・天平文化-----)の中で「白鳳文化・天平文化」といった格調高い時代文化が咲き誇った歴史を持っている訳だが、現在果たしてその残り香はあるのだろうか。全く関係の無い西洋音楽会とか、マスゲームであるとか貧しい発想の文化活動では少し情けない気がするがこれも予算の無い中では無理なのだろう。文化は生活の余裕から生まれるものであるのだから。
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その339)

2017-07-29 01:39:16 | 奈良・不比等
歴史ファンタジー小説・北円堂の秘密

「司馬遼太郎で学ぶ日本史(磯田道史著・NHK新書2017刊)」を読んだ。磯田道史(いそだみちふみ1970生れ)氏は慶応大学卒で国際日本文化研究センター准教授である。------
国際日本文化研究センター(日文研)は初代・梅原猛氏の尽力で設立された機関であり、日本歴史学会の専売特許であった日本文化の研究領域をカバーできる正式な組織として人文科学の広い領域から有為な人材を集めて活動している。------
「司馬遼太郎に学ぶ日本史」は「日文研」の研究部に所属する磯田道史准教授の研究成果を直接に知らしむべく出版物として世に問われている訳であり、とても面白い観点の論考となっている。残念ながら司馬遼太郎は古代を舞台とした小説は大変少なく藤原広嗣の乱だけで、専ら鎌倉時代以降戦国時代、幕末・明治までであり、古代の歴史の舞台である奈良県にとっては参考になる内容とは言い難い。しかしながら、司馬遼太郎の歴史観を拝借して飛鳥・白鳳・奈良時代を俯瞰するには役立つと考えられるので、是非共、奈良県職員の方で観光振興・記紀プロジェクトに携わっておられる向きはこの本「司馬遼太郎で学ぶ日本史」の一読をお勧めしたい。
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その338)

2017-07-28 04:20:54 | 奈良・不比等
歴史ファンタジー小説・北円堂の秘密

「大人の流儀7・さよならの力(伊集院静著・講談社2017刊)」を読んだ。伊集院静(いじゅういんしずか1950生れ)氏は1985年に妻の女優・夏目雅子(1957~1985)に先立たれた。そして1992年の直木賞受賞後に女優・篠ひろ子(1948~)と結婚して現在に至る。------
ずっと年増ではあるが、夏目雅子に似たところのある篠ひろ子が伊集院静の鬱(うつ)を晴らせて呉れたのだろう。復活の証(あかし)が吉川英治文学新人賞(1991)のようである。-----
別離の悲しみから立ち上がるには、新たな出会いが必要となり、それでも過去を忘れられるかと云うとそうは行かない。「さよならの力」には、忘れることは出来ないが時が経つと、その思い出が自身の生きて行く力となっている事に気付く時が来るのだと語っている。-------
また、篠ひろ子と伊集院静の飼い犬の二頭うちの年嵩の一頭が生を終える話が出てくるが、生きとし生けるものは人間であろうが動物であろうが、さよならは悲しいと書いている。------
悲しみの上に成立するのが文化なのだろう。決してお笑いの中から文化が生まれるのではないことが伊集院静氏の小論を読むと良く分かる。------
奈良県職員の方は「国文祭・障文祭なら2017(9月1日~11月30日)」を開催するに当たり、文化の意味を知るためにもこの本「さよならの力」を読むことをお勧めします。-----
ピエロや幇間(ほうかん)の仕事を考えれば現在のお笑いは本当にお笑い種(ぐさ)としか思えない。
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その337)

2017-07-27 09:30:18 | 奈良・不比等
歴史ファンタジー小説・北円堂の秘密

「日本書紀の呪縛(吉田一彦著・集英社新書2016刊)」を読んだ。吉田一彦(よしだかずひこ1955生れ・上智大学卒)氏は名古屋市立大学教授で日本史学者である。-----
先に読んだ「宣教師と太平記(神田千里著)」と同じシリーズの「本と日本史①」として「日本書紀の呪縛」はシリーズ巻頭を飾る意味合いを持つ書籍である。------
奈良県では「記紀万葉プロジェクト(2012~2020)」が進められており、県職員の方は是非この本を読んで参考になさるのが良いと思った。------
「日本書紀の呪縛」では、古事記についてもその執筆年代に疑問があると素直に述べている。

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