奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2686)

2023-12-31 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「武田鉄矢の戦争の記憶」について。---------

某紙(Asahi/2023.12.10)の記事に武田鉄矢の懐古談が載っていた。--------

武田鉄矢(たけだてつや1949生れ)は、筑紫中央高校卒/福岡教育大学中退。歌手/俳優。フォークグループ海援隊のボーカル。代表曲に“母に捧げるバラード/あんたが大将/贈る言葉/思えば遠くへ来たもんだ”がある。---------

インタビューの内容は次の通り。中国戦線の復員兵で/骨の髄まで軍隊に染まっていた父について語っている。--------

父は“もう1回戦争になった時は/武器に恵まれますように”と“鉄矢”と名付けた。1950年代/子ども5人を抱えた/月給1万円其処らの旋盤工にも拘らず/給料をはたいてやけ酒を煽り/酒乱で戦争体験の自慢ばかりする父のことが武田鉄矢は嫌いであった。後年/戦後当時の父には居場所が無かったのだと/慮(おもんばか)っているが/生前には父との関係を断ち切っていた。---------

ある時/戦友会に出た父が連隊長から“あの武田鉄矢は貴様の息子か”と握手を求められた/と涙を流して話していたが/父の喜びは連隊長に褒められたことだと知り/呆れた。---------

父他界(1983)まで和解は出来なかったが/司馬遼太郎や阿川弘之の作品を読んだり/シベリア抑留経験者の吉田正や三波春夫の曲を聴いたりするうちに/武田鉄矢は父の不機嫌の正体/言葉で表せないトラウマを理解するようになった。---------

団塊の世代は親から直接に戦争体験を聴いているが/団塊ジュニア世代となると/伝言ゲームのように戦争の記憶は薄らいでしまう。でも武田鉄矢の懐古談は記事として影響力が大きいので/良い企画だと思った。--------

人気低迷時の武田鉄矢を麻布プリンスホテル前で/目撃した記憶をこの記事を読んで思い出した。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2685)

2023-12-30 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「思考のオルタナティブ」について。----------

“NHK・Eテレ(2023.12.9/PM2:00~2:29)”で“思考のオルタナティブヒース編/分断を超える哲学サブカルチャー史から特別講義”なる番組を観た。----------

番組紹介文は次の通り。先行き不透明な時代/異なる角度からのモノの見方を知ることで活路を開く/“思考のオルタナティブ/反逆の神話”でも知られるジョセフ・ヒースが独自の哲学を語る。----------

“分断はアメリカの自己破壊の証明”/世界サブカルチャー史でも鋭い文明批評を展開した哲学者。“見たいモノしか見ない”動物化したかに見える人々の姿から/今何を読み取るのか。其の時/サブカルチャーに逆転の発想のヒントが。異色の知性による特別講義。“啓蒙思想2.0”の著書も話題となったヒースがこれからの時代に必要な発想法を語る。“もう一つの思考”の可能性を探る冒険が始まる。----------

引き続き/“NHK・Eテレ(2023.12.9/PM2:29~3:00)”で“思考のオルタナティブバーマン編/無と向き合う世界観サブカルチャー史から特別講義”なる番組を観た。--------

後半の番組紹介文は次の通り。不透明な時代に/活路を開く“思考のオルタナティブ”/心は日本人と語る異色のアメリカ人社会批評家モリス・バーマンが/独自の日本文化観を通じて/自在に語る。---------

精神的な空白を埋めるための消費/問題はそれに終わりが無いことです。世界サブカルチャー史では/アメリカ型消費社会を厳しく批判した。メキシコを拠点に活動する社会批評家モリス・バーマン。グローバル化/デジタル資本主義の先に訪れた分断の時代。そんな世界で人々を繋ぐのはサブカルチャーか。逆転の発想による特別講義。今回は日本文化に欧米的価値観を越える可能性を見出す書を著したバーマンが/思いのままに語る。---------

“オルタナティブ(alternative)”とは/“代案/代替物/主流な方法に取って代わる新たなもの”/の意味で用いる表現。---------

混迷の時代を哲学者が冷(さ)めた目で語る面白い番組であった。

 

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2684)

2023-12-29 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「銀装のトナカイを飾る家」について。---------

奈良県北中部/京阪神へ通うサラリーマンの家族(100万人)が住む大規模団地では/歳末恒例のクリスマス飾りを散見する。---------

玄関ドアに花輪の飾りを着(つ)けたり/お庭のモミの木に七色の電飾の豆球を鏤(ちりば)めたりするのである。----------

飾り煙突に縄梯子を掛けて/登っているサンタクロースの人形を配しているお家もある。----------

子どものいるお家ほど/クリスマスの飾りは多いようであり/子どもが巣立ってしまい/老夫婦だけのお家では/もう飾らない。---------

それでも/近鉄奈良線最寄駅から徒歩30分圏内の住宅地では/三々五々/無住の邸宅が解体整地されて/改めて新築住宅が建てられており/其処に入居するのは子連れの若夫婦が主であり/クリスマス飾りを屡々(しばしば)見掛けるのである。---------

其の中に/表題の“銀装のトナカイ”を飾る家がある。煉瓦で外壁を飾っており/瓦屋根も勾配のきつい三角屋根であり/完全な洋館造りである。--------

フェンス越しに/実大の大きさの2頭のトナカイが白銀の銀装で身を固め/サンタの橇(そり)を牽(ひ)くべく/並んでいる。昼間通ると/陽に輝いて美しい。--------

柴犬散歩中の女性の話では/某(K)財閥一族の御曹司のお家だそうであり/道理で此の家の奥様が外国人であることの理由が判明したと思った。きっと海外留学などで知り合ったカップルご夫妻なのだ。故国のクリスマス飾りに似せて飾っておられるのだろう。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2683)

2023-12-28 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「新巻鮭のお歳暮」について。---------

奈良県北中部/京阪神へ通うサラリーマンと其の家族(100万人)の住む/大規模住宅団地には/5~10%程度の富裕層の邸宅もある。-----------

近鉄奈良線最寄駅から徒歩30分圏内の/300坪を超える敷地の邸宅には/関西経済界の重鎮(じゅうちん/重役)や/中小企業の経営者が住んでいる。-----------

学園前駅以外の最寄り駅でも/閑静な住宅街には/そこそこの事業を営む資産家が住んでいる。---------

そして当然/一代で成功を収めた新興企業の社長たちも多い。-------

30数年前に遡るが/大阪市内の実家に預けていた家財道具を/此処奈良県北中部に建てた兎小屋同然の新築住宅に運ぶため/引越し業者を頼んだことがあった。----------

ベッド/洋服ダンス/和ダンス/書棚/ソファ応接セットなどで/引越し業者は/丁寧に仕事をこなし/手狭な階段は使えずに/2階の窓から運び込んでくれた。--------

その年の暮れになって/“新巻鮭(あらまきざけ)”お歳暮が届いた。贈り主は/引越し業者の営業マン氏であった。10万円未満の費用の小運搬の仕事で/引き受けてくれるのだろうかと心配したほどであったので/首を傾(かし)げた。---------

その後思い至ったのは/近隣住宅地の中に白亜の洋館があって/某(A)引越し業者の女社長のお住いだと知った。営業マン氏は/お客の顧客満足度を上げるために/お歳暮を下さったようだ。女社長の地元で苦情が出ては堪(たま)らないからだろう。----------

当時/洋館のお庭には/2頭の番犬が飼われていたが/今では人の気配もしない。きっと大阪都心のタワーマンションに居を移しておられるに違いない。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2682)

2023-12-27 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「倍賞知恵子/履歴書」について。---------

日経新聞(2023.12)/私の履歴書に倍賞知恵子が登場している。---------

倍賞知恵子(ばいしょうちえこ1941生れ)は、西巣鴨生れ/東京都北区滝野川に育つ/戦時中は茨城県に疎開。滝野川第6小学校/紅葉中学校卒。父は都電の運転士/母は車掌でした。----------

幼少時は“のど自慢”荒らし/1954“ひばりの赤ちゃん(ポリドール)”で歌手デビュー。みすず児童合唱団を経て/1957松竹音楽舞踏学校入学/1960首席卒業。松竹歌劇団(SKD)入団/グランドレビュー“東京踊り”で初舞台を踏む。-------

1961松竹映画にスカウトされ松竹歌劇団退団。“斑女”で映画デビュー。1963山田洋次監督の映画“下町の太陽”に主演し/山田作品に欠かせない庶民派女優となる。---------

主題歌/下町の太陽で1963日本レコード大賞新人賞受賞。NHK紅白歌合戦に4年連続出場した。他のヒット曲に“さよならはダンスの後に/おはなはん/忘れな草をあなたに”などがある。----------

映画“男はつらいよ”シリーズでは/渥美清演じる主人公/車寅次郎の妹/さくら役を演じ/人気を不動のものにした。----------

倍賞知恵子の映画女優としての私的な人生を/日経新聞のインタビュアーが何処まで尋ねて吐露(とろ)させてくれるのか楽しみだ。----------

父親の先祖が秋田/佐竹藩の武士だったそうであり/秋田美人のDNAは/確かにあるようだ。

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