奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その645)

2018-05-31 08:15:00 | 奈良・不比等
過日(平成30年5月27日)、奈良県立図書情報館にて「図書館劇場ⅩⅢ(歴史文化を語る①:奇数月第4日曜日開催・全6回)」が始まった。千田稔館長の挨拶に続いて、今年度の試みに附いて説明があった。昨年、邪馬台国に附いて講演して来たので、今年度はその続きの歴史に焦点を当てたいとのことであった。そして現在は明日香村の飛鳥ばかりに関心が高いが、その前の時代の舞台であった桜井市や天理市のことももっと関心を払って欲しいと思うとのことで、その辺りを1年掛けて議論してい行きたいと抱負を述べられた。-----
第1幕は「飛鳥以前~なぜヤマトに王権が成立したか」であった。卑弥呼の鬼道は原始道教であると明言されたり、三輪明神は渡来神であるとか、誰が考えても学者ならそう解釈できる筈なのに文献史学者も考古学者も云わないのは何故なのかと不思議に思っていると云われた。日本の王統譜には古朝鮮からの血脈が関与しているのは明白であると云うのである。桓武天皇の母君の高野新笠が百済の王族であるだけでなく、もっと昔から支配層のルーツは渡来人であったと云われた。------
大神神社の連中は当惑するかも知れないが、祀っている神様が渡来人で日本神道のルーツは原始道教にあるのは間違いが無いと断言できるとのこと。そして記紀に関しては、ハツクニシラススメラミコトが神武天皇と祟神天皇の二人になっていることなど欠史八代は、捏造(ねつぞう)で間違い無しとも云われた。-----
都築由美女史の朗読も「保田與重郎の山ノ邊の道と磐余の道」であり、本講は「シリアパルミラ遺跡の変貌(西藤清秀・元橿考研副所長)」であった。
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その644)

2018-05-30 08:15:00 | 奈良・不比等
「未来の年表~人口減少日本でこれから起きること(河合雅司著・講談社現代新書2017刊)」を読んだ。河合雅司(かわいまさし1963生れ)氏は、中央大学卒で、産経新聞に務め、大正大学客員教授もしている。専門は人口政策・社会保障政策とのこと。-----
「未来の年表」は少子高齢化する日本の50年後を見据えて、発生するであろう社会現象を予測し、その惨状を具体的に書き記し、そうならないためには今から、政策転換をして国の方向を変えていかねばならないと云う。そのための日本を救う10の処方箋も提言されている。------
第2次ベビーブーマーが就職氷河期と合致していてその多くが然(さ)したる職に附いていない事と、その親が第1次ベビーブーマーであり、今後介護離職が相当に進むだろうと云う。そしてその親の年金とささやかな貯蓄が底をつけば、親の死後は第2次ベビーブーマーの多くが生活保護を受けなければならなくなるだろう。そうすれば人口ピラミッドで見る通り、その下の年代が数少なくて支え手として不足している事が良く分かるだろう。外国人を受け入れるにしても、思い切った覚悟が必要であり、日本人のアイデンティティなどは薄まって仕舞って諦めなければならないことになる。いやサラリーマンの新興住宅地など既に伝統文化などこれっぽっちも無いのだから、今更とも云えるのだが。-----
この「未来の年表」も大風呂敷を拡げてはいるが抜本策は簡単には無さそうであることが読めば分かる。その意味で読む値打ちがあるとも云える。
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その643)

2018-05-29 08:15:00 | 奈良・不比等
「秋田犬(宮沢輝夫著・文春新書2017刊)」を読んだ。宮沢輝夫(みやざわてるお1972生れ)氏は、愛媛大学卒で、読売新聞(生活部)記者である。「秋田犬」は秋田支局に務めた際に、秋田犬復興に関わる記事を書いていたものを新書化したもののようだ。-----
2012年7月に秋田犬「ゆめ・生後3ヶ月」がプーチン大統領に贈られた話が最近では記憶に新しいが、過去にも秋田犬は外国人の俳優・リチャードギアとかヘレンケラーとか横綱白鵬とかが飼っている。日本でもっとも有名な秋田犬は“忠犬ハチ公”だそうであり、実話から伝説までを調べてくれている。焼き鳥が好きだったハチ公の話などはとても面白い。-----
ところで、秋田犬だが、明治以降にマタギ犬をベースとして樺太犬や洋犬種とも掛け合わせて大型犬に品種改良したのだそうである。それでも原産種としてのオオカミに近い日本犬の特徴を色濃く持っており、今ではイタリアなどの外国の方に秋田犬は広まっているそうだ。また秋田犬は日本犬唯一の大型犬であるためかJKC(日本ケネルクラブ)とは別に秋田犬保存会があり、世界に広まって来た訳だから両者の協調が必要となっているとも書いている。-----
シバ犬などの中型犬なら室内でも飼えるが、秋田犬の様な大型犬となると室内は難しく、昔のように放し飼いで忠犬ハチ公のように渋谷の駅まで自由に歩き回ることが出来るならば別だが、鎖で繋ぎっ放しでは可哀そうと云うものだ。小型犬が多くなるのも当然だろう。秋田犬の故郷である秋田県においてさえ秋田犬を飼って居られる家庭が少なくなって来ているそうだ。地方の過疎化は秋田犬保存会の存続さえもが危ぶまれる処に近付いているそうだ。兎に角日本の建築家は日本のサラリーマンが手にする飛び切り狭い庭付き1ッ戸建てを50年と持たない耐久性の低い兎小屋に設計したものだから、相当の田舎で収入もそれなりになければ秋田犬など飼えそうにないのである。------
秋田犬(マサル)を抱いて嬉しそうなアリーナ・ザギトワ(女子フィギュアのピョンチャン五輪金メダリスト)の笑顔が26日報道された。
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その642)

2018-05-28 08:15:00 | 奈良・不比等
「今、目の前のことに心を込めなさい(鈴木秀子著・海竜社2017刊)」を読んだ。聖心会シスター・鈴木秀子(すずきひでこ1932生れ)女史は、東大大学院(人文科学研究科)博士課程修了で、フランス・イタリアに留学し、スタンフォード大学や聖心女子大学教授を経て、現在は講演活動に勤(いそ)しんでいる。-----
「今、目の前のことに心を込めなさい」は「奇蹟は自分で起こす(2007)」と「幸せになる9つの法則(2009)」を抜粋再構成したものだそうであり、キリスト教信仰のエッセンスが纏められている。人間でも動物でも弱肉強食の現世を生きていくのであるが、生きる知恵として宗教の力は侮(あなど)れない。大多数の弱者の側に立つ者にとってはとても辛いものとなり、その中で何とか平穏に過ごしていくには、“生きていくだけで素晴らしい”と各宗教は説諭する。キリスト教は弱者への愛を説き、他の宗教も形は異なるが同様のメッセージを信者に届けてくれるのでそれを杖代わりにして人生を生き切るのであると。-----
宗教の発生初期は、人間は何故何のために生きているのだろうかと云う哲学的思惟から始まるのであり、それらは一部の支配層にしか広まらないが、時代が下がって庶民も少しは余裕が出来てくると人生に関心を持つようになりそうした時にとても簡便で分かり易い信仰を考え出した教祖たちの活動が世界宗教として広まったのだろう。それぞれは超簡単で“信じる者こそ救われる”方式であり、宗教哲学の“ての字”も無いものだが、庶民には受け入れられてそれがその後の大衆社会の力となって来たのであろう。仏教においても初期原始仏教の方が難しいがキリスト教と融合した浄土教となると“悪人なおもて往生す”と訳の分からないメッセージで信者を煙(けむ)に巻いている。-----
人間社会においても、騙すのなら“騙し続けて欲しかった”との言葉があるように、弱者同士が慰め労(いた)わり合うことは、人生の辛さを忘れさせ明日への希望を失わずに灯(とも)させて来たのだろう。-----
「今、目の前のことに心を込めなさい」はそうした人生へのエールであり檄文(げきぶん)でもあるのだ。宗教の言葉に癒されるのが嫌いな人は、マルクス主義の革命路線などを歩むしかないのだろうが、とても厳しい人生となる。さて私たちはどちらを選ぶべきなのだろうかと考えさせられた。
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その641)

2018-05-27 08:15:00 | 奈良・不比等
「生きることは闘うことだ(丸山健二著・朝日新書2017刊)」を読んだ。丸山健二(まるやまけんじ1943生れ)氏は、仙台電波高等学校卒(1964)で東京の商社で働くも、芥川賞受賞(1967)後、1968年より長野県大町市に在住している。その後の作品が、谷崎賞や川端賞の候補となるも何れも辞退している。-----
「生きることは闘うことだ」では、若い人に此のままで良いのかとエールを送っているのではと思われる程に、結構過激なアジテート文が並んでいる。しかも国家や家族への期待や幻想は抱いてはいけないと釘をさしている。------
一種偏屈な人のようだが、自分で丸山健二賞を創設したり、丸山塾を立ち上げたりして悪戦苦闘しているかに見える。能力は芥川賞を当時最年少で獲得する位だから人並み以上だろうが、社会への迎合を何故か嫌っている。何らかのトラウマがあるのだろうが、鎧の下に隠して表には出されていない。丸山健二氏の塾で洗脳されたら、松下村塾などの塾生のように活躍する人も出るだろうが自分を失う人も出るだろう。それでも丸山健二氏は晩年を迎えてじっとしていられなくなったようだ。-----
世間並みの勲章をもらったりしてまあまあの人生を謳歌する事は、大っ嫌いだったのだろう。-----
石原慎太郎(1932~)のように芥川賞受賞(1956)をバネにして以後は法華経精神まっしぐらで、現世御利益追求に明け暮れることを名指しはしていないが非難さえしている。------
結局は60年70年代の安保闘争世代の生き残りの様な形で、小説家なので自己顕示欲が無いとは云えず、個人の確立と承認欲求に挟まれて矛盾する我が心に、確(しっか)りせよと檄(げき)を飛ばしてはいるが、少し惨(みじ)めにも見える。読者は老境に達した丸山健二氏の懊悩(おうのう)を、垣間見て誰しも避け得ずと思い至ることだろう。その意味で「生きることは闘うことだ」は良い本だと思った。太宰治が欲しがった芥川賞を獲った作家であっても、人生の悟りは遠いのだろう。
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