奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1407)

2020-06-30 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「危機に立つ東大~入試制度改革をめぐる葛藤と迷走(石井洋二郎著・ちくま新書2020刊)」を読んだ。石井洋二郎(いしいようじろう1951生れ)氏は、東大(法学部)卒、パリ第4大学修士課程修了、東大大学院(人文科学研究科)修士課程修了。東大助手/京大助教授/東大助教授を経て1994より東大教授。2017定年退任、2019まで東大/理事/副学長を務めた。現在は東大名誉教授、中部大学教授である。専門はフランス文学/フランス思想とのこと。------

章立ては次の通り。“諦念の時代/集団的記憶喪失”、“秋入学問題(秋季入学構想/国際化をめぐる課題/思考の倒錯)”、“文系学部廃止問題(文系軽視通知の波紋/学問と社会的要請/人文知再考)”、“英語民間試験問題(導入のプロセス/迷走する東大/何が問題だったのか)”、“国語記述式問題(大学入試で問われるべきこと/記述式問題の本質/言葉に対する敬意)”、“大学の使命”------

扉書きの抜き刷り文は次の通り。大学という場が危機に直面している。リーディング大学である東大においても、秋季入学/英語民間試験問題などで、目的と手段を取り違えた議論が進行し、本来あるべき思考の道筋が見失われている。制度改革を巡る混乱が尾を曳いたのは、日本社会を透明な霧のように包む諦念/忖度の空気が、大学という学問の府にまで浸透したせいではないだろうか。国策に疑問があれば、国民の名において素直に異議を申し立て開かれた場で議論を戦わせ、誤りがあれば毅然としてこれを糺すことこそが、国立大学に委ねられた責務であろう。アカデミアとしての健全な批判精神を失ってしまったら、時代の牽引車として国民が負託すべき大学に値しなくなってしまう。------

石井洋二郎氏は、東大を辞した直後、この本「危機に立つ東大」を上梓されている。同大学副学長などを務めて大層苦労なさったようであり、政府与党の傲慢な政策が国立大学にまで吹き荒れているとお怒りなのである。また、同大学の優秀な卒業学徒もモリカケ問題に関わっていたりして、東大としてもこのままではダメになってしまうと警鐘を鳴らしておられるのだ。特に、人文知を無視して理系学問だけを教えるようになると最悪だと叫んでおられる。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1406)

2020-06-29 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「アイロニーはなぜ伝わるのか(木原善彦著・光文社新書2020刊)」を読んだ。木原善彦(きはらよしひこ1967生れ)氏は、京大(文学部)卒、同大学院(文学研究科)修士課程/博士課程修了。博士(文学)。現在は阪大大学院(言語文化研究科)教授である。専門は現代英語圏文学とのこと。2019“ウィリアムギャディスJR(国書刊行会)”にて日本翻訳大賞受賞。-------

章立ては次の通り。“言葉のアイロニー(アイロニーとは何か/語用論的アイロニー/アイロニーのこだま理論/ほのめかし理論/偽装理論)”、“アイロニーのメンタルスペース構造(メンタルスペース理論/アイロニーの多様性/アイロニーに隣接する修辞法/シグニファイングモンキー)”、“文学作品におけるアイロニー(アイロニーで切り返す/哲学におけるアイロニー/結果が期待を裏切るとき/アイロニーの意図転倒する価値/もつれるアイロニーと小説/パロディーパスティーシュ/虚構スペースで遊ぶ)”-----

“アイロニー(irony)”を辞書で調べると、“皮肉/あてこすり/反語/逆説/修辞学の反語法/ソクラテスの問答法”とある。この本「アイロニーはなぜ伝わるのか」は、その意味合いを深く掘り下げて新書に仕上げているのだ。------

なぜ、日本語では“皮肉”の一語で片付く“アイロニー”を外題としてあれこれと勘考するのか。興味のない人にとっては、その執拗な論考に付き合うことはほんとに疲れてしまうが。木原善彦氏はそのような無関心者を相手にせず、我関せずでアイロニーを論じ切ってしまうのである。-----

アイロニーの同類外来語に、ウィット、ジョーク、ユーモア、エスプリなど数多い。それらは新聞雑誌に溢れているので既に日本人の日本語の中に浸透していると思う。だが、木原善彦氏は、翻訳者の立場から、厳密に解釈してくれるのだ。実用英語のお勉強に励んでおられる人には、有用な1冊になるのは確かだと思った。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1405)

2020-06-28 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

梅雨の時期の散歩は、“梅雨の干(ひ)ぬ間”を待っていても仕様がない。弱雨であれば意を決して覚悟を固め、出掛けるのが良い。-------

色取り取りの紫陽花(あじさい)が、近鉄奈良線沿線の住宅地の庭に咲き誇っている。新しい小住宅には庭の無い処が多いのだが、古くからの小邸宅には必ずと言ってよいほどに紫陽花が植えられている。白、紫、赤紫の普通の紫陽花と、額紫陽花の青色が目に沁(し)みる。------

旧道や里道を歩くと、農業灌漑のための小さな池に出くわすことがある。池に生息する鯉や亀、野鳥のバンにパンくずを与えると、一頻(ひとしき)り水面が波立つのである。------

今年は少し時期が早まったのか、蓮(はす)の蕾(つぼみ)が膨(ふく)らみ、一輪が既に咲いていた。例年、1か月ほどに亘り、蓮の花を楽しめるので、散歩は欠かせないのだ。そして雨でも花の観賞は楽しいのだ。蓮の大きな葉は、雨粒を蓄えてレンズのように光を転がしている。------

五月の春の花の咲き乱れた時期には、“ヒラドツツジ”や“さつき”、“久留米ツツジ”、“霧島ツツジ”、手裏剣のような白い花の“山法師(ヤマボウシ)”、“箱根空木(はこねうつぎ)”、“薔薇(バラ)”、“ジャスミン(茉莉花)”、“紫蘭(しらん)”と数知れない花々がそれぞれの小住宅の庭に垣間見えた。しかし、6月に入り梅雨になると、何故か花の種類が少なくなり、“紫陽花”の一人勝ちとなるのである。------

木々の緑は、五月よりも深みを増して、濃い緑を演出し、その艶やかな葉影には、“柿”や“夏蜜柑”、“石榴(ざくろ)”が小さな実を結んでいるのだ。-----

勿論、里道沿いの水田では早苗が元気に成長を始め、灌漑水路を流れる農業用水の音が心地よく聞こえる。兼業農家を続けるのも楽ではないと思える昨今、ミニ住宅開発や駐車場に生まれ変わる農地も多いが、それでもお米を生産されていることには頭の下がる思いがするのだ。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1404)

2020-06-27 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「社長って何だ(丹羽宇一郎著・講談社現代新書2019刊)」を読んだ。丹羽宇一郎(にわういちろう1939生れ)氏は、名大(法学部)卒、伊藤忠商事に入社、1998社長、2004会長に就任した。また2010駐中国大使も務めた。------

章立ては次の通り。“リーダー不信の時代に問う”、“孤独と覚悟/攻めと守りを同時に行う”、“資質と能力/畏れを知るべし”、“報酬と使命/社長で稼ごうとは思わない”、“自戒と犠牲/ビジネスは義理人情で動く”、“信頼と統治/人のつながりが不祥事を防ぐ”、“後継と責任/社員の喜びこそがリーダーの感激”、“社長の器以上に会社は大きくならない”------

日本企業が軒並み勢いを失う中で、丹羽宇一郎氏が社長を務められた伊藤忠商事は、財閥系商社の住友/三井/三菱を追い抜いて近年は年商一位を続けている。大学生の就職人気企業としても常に上位である。-----

社長業を立派に務められた丹羽宇一郎氏は、先達の瀬島龍三(1911~2007)氏を伊藤忠の中興の祖と書いておられるが、一方の丹羽宇一郎氏も、伊藤忠のバブル体質と不良資産を片付けて、今の商社業界1位の成績を齎した逸材であったのである。------

その社長業の内実というか、統率力の磨き方について、これまでも多くの著作に記してこられており、この本「社長って何だ」もその1冊なのだ。だが、読んでみると少々、乱暴な内容となっている気がしないでもない。出版社にとっては出せばトントン以上に売れるだろうから、手放せない著者である。その昔、経営の神様と言われた松下幸之助ほどではないが、その亜型(あけい)ともいえる人物ではある。このような経営者が少なくなって日本は久しい。もっと多くなければ日本経済は沈滞したままになるであろうと、丹羽宇一郎氏は檄を飛ばしているのである。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1403)

2020-06-26 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「昭和史の本質~良心と偽善のあいだ(保阪正康著・新潮新書2020刊)」を読んだ。保阪正康(ほさかまさやす1939生れ)氏は、同志社大学(文学部)卒、電通/朝日ソノラマを経て、現在はノンフィクション作家である。------

目次は次の通り。“自己は過去と未来の連鎖なり(夏目漱石)”、“森林太郎として死せんと欲す(森鴎外)”、“国民の9割は良心を持たぬ(芥川龍之介)”、“吾生の曙はこれから来る(島崎藤村)”、“山椒魚は悲しんだ(井伏鱒二)”、“お父さんを呼び返して来い(菊池寛)”、“知識人の喧嘩には一味の苦みを(武者小路実篤)”、“小夜更けぬ、町凍てぬ(泉鏡花)”、“誰か私に代わって私を審いてくれ(横光利一)”、“風立ちぬいざ生きめやも(堀辰夫)”、“女の背は燦爛とした(谷崎潤一郎)”、“夫婦は厄介なものである(獅子文六)”、“夜の底が白くなった(川端康成)”、“女性は太陽であった(青鞜社)”、“すめろぎは人間となりたまひし(三島由紀夫)”、“天地は万物の父母、人は万物の霊(仮名垣魯文)”、“思い思いの方向に足を早めて去った(吉村昭)”、“体がゆらゆらするのを感じた(開高健)”、“私は何故か涙ぐんだ(泉鏡花)”、“主観と客観、国家にも二つの死がある(正岡子規)”-------

扉書きの抜き刷り文は次の通り。時流に阿(おもね)る偽善は軍人に限らず、政治家/知識人など多くの大人たちにも見て取れる。300万人を超える犠牲者を出した戦争、敗戦とともに始まった戦後民主主義。日本人は一体どこで何を間違えたのか。近現代の名作に刻まれた一文を手掛かりに多彩な史実を紐解き、過去から未来へと連鎖する歴史の本質を探り出す。------

タイトルは格調高いが、内容は雑談の集積であり、どこかで読んだ話も多い。しかし、纏めて1冊とし鞄に潜ませるには適当な時間つぶしとして有用だ。-----

保阪正康氏は昭和にとどまったまま、平成にもこれからの令和の時代にももう興味をお持ちではない。昭和時代の反省が少なくとも1000年(?)は日本人に必要とお考えのようだ。

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