奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その463)

2017-11-30 08:15:00 | 奈良・不比等
国文祭・障文祭なら2017 北円堂の秘密

「教えてみた米国トップ校(佐藤仁著・角川新書2017刊)」を読んだ。佐藤仁(さとうじん1968生れ)氏は東大(教養学部)卒で、ハーバード修士(行政学)、東大博士課程(国際関係論)を経て、東大教授であり、プリンストン大学客員教授と二足の草鞋(わらじ)を履(は)いて居られる。「教えてみた米国トップ校」では米国アイビーリーグの名門ビッグ3(プリンストン・ハーバード・イェール)の実質トップと云われるプリンストンと日本最高の東大の2校を深堀比較している本であり、細部に亘って日米トップ校の差異が明確となる仕掛けとなっている。プリンストンと東大の両校で教鞭をとって居られる佐藤仁氏であるからこそ書けた本であり貴重な知見が並べられる。と云っても、99.99999%の日本人には天才的な頭脳を持つ人でなければ参考にならない内容の本であるが、世界の大学のランキングが週刊誌の話題となる昨今であり、野次馬的には読んでみると面白い処もある。「教えてみた米国トップ校」は全てが面白い訳ではないし、分からない処もあるが、其れを含めて他に無い、他の人には書けない本であると思った。------
多様性を認め、レベルを維持し、優秀な学生を集め続ける努力が結構盛んに行われている事、入学してくる学生の資質、入学してからの学び方、寄付金を得るためにはセレブの子弟を一定枠で受け入れている実態など、私学であるためにプリンストンは較べるなら早稲田や慶応大学と近いのではないかとも思えた。また、アメリカにも私立高校の進学校があり、灘・東大寺と云った役割を担っているのだとか。そしてビッグ3に入るには大変な努力を強いられるのだそうである。-----
佐藤仁氏は日本の東大も悪くはない何も全て、アメリカ追随で大学改革する必要は無いと述べている。-----
奈良県の北中部には京阪神へ通うサラリーマン家庭が住まっており、その人口100万人の中の子弟が学生であり、高校を卒業すると多くは県外の大学に行く訳であるが、幸いな事に奈良県内には日本トップレベルの進学校として東大寺学園と西大和学園があり、奈良県教委は他府県と較べても鼻の高いことだろう。
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その462)

2017-11-29 08:15:00 | 奈良・不比等
国文祭・障文祭なら2017 北円堂の秘密

「国文祭・障文祭なら2017(平成29年9月1日~11月30日)」のフィナーレ(11月26日)が先日行われて大会旗が大分県に引き継がれたとの報道があった。数日の会期を残したままで「国文祭・障文祭なら2017」終了の幕引きをする奈良県の手際の良さは県庁ビューロクラートの知的レベルの高さを彷彿(ほうふつ)とさせてくれる。荒井正吾・奈良県知事はホットなさっていることだろう。-----
都道府県単位の壮大なる学芸会であるから、オープニングとフィナーレ以外は県内市町村の市民活動の延長線上にあり全ての催しが「国文祭・障文祭なら2017」の冠行事となり挙行された。-----
奈良県においては、「国文祭・障文祭なら2017」の会期中に全国的に名の通った「第69回・正倉院展」があり、今年も20万人を超える入場者数を数えている。こうした「正倉院展」のような戦後の伝統行事の様な物の無い都道府県ではどのように「国文祭・障文祭」を実行して来たのであろうか、また次の大分県などは如何だろうかと心配もするが、「国文祭・障文祭なら2017」が終わりを迎えて思うのは、それ程肩に力を入れることではなく、庶民レベルで平和な日本を楽しもうと云うことが主旨であったのかなと考えた。国民文化祭の提唱者・三浦朱門(1926~2017)氏は旅立った彼岸の地でどのように感じて居られるのだろうか。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その461)

2017-11-28 08:15:00 | 奈良・不比等
国文祭・障文祭なら2017 北円堂の秘密

「勇敢な日本経済論(高橋洋一&ぐっちーさん対談書・講談社現代新書2017刊)」を読んだ。高橋洋一(たかはしよういち1955生れ)氏は東大数学科並びに同・経済学科卒で財務省勤務を経て嘉悦大学教授である。片やぐっちーさん(本名・山口正洋やまぐちまさひろ1960生れ)は慶応大経済卒で丸紅、その後モルガンスタンレーなど欧米の金融機関を経て、現在、投資銀行家・経済金融評論家を名乗る。-----
高橋洋一氏は文系キャリアの牙城である財務省で理系・文系の両方の分かる人物であったため国のバランスシートを作成したり、財務省の業務を次々と改善した処、妙な事件で足元を掬われて社会的制裁を受ける羽目となった。一方の、ぐっちーさんはモルガンスタンレーをクビになった後務めたベアースターンズで「サブプライムの証券化商品をインチキ商品であり売りたくない」と社命に背いた為に、懲戒解雇の汚名を着せられてクビになったとか。今では怖いもの無しのご両人が丁々発止と小泉政権時代からの政府の経済政策についてとても分かり易くデータに基づく遣り取りをしてくれているのが白眉である。ぐっちーさんが質問をして高橋洋一氏が明快に答えると云う作りになっていて、これまでしっくりこなかった経済論議の裏表が非常によく分かる仕掛けとなっている。------
地方自治体の職員にとっては政府の経済政策は二の次だろうが、読んで置けば何かと役に立つだろうと思った。
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その460)

2017-11-27 08:15:00 | 奈良・不比等
国文祭・障文祭なら2017 北円堂の秘密

図書館劇場Ⅻ(平成29年11月29日)を参観した。奈良県立図書情報館の千田稔館長の邪馬台国直前(2)では鳥取県の2つの弥生遺跡について興味深い私見を述べられた。更には次回予告として丹後地方の港から近江を経て大和に至るルートについて、人や物資の外来していたことを調べてお話ししたいとのこと。------
第1講座の浮世博史氏の「歴史教科書にみる奈良と文化」では邪馬台国は教科書的には畿内説で奈良県にあったとなっていると言明された。千田稔館長は冒頭にその事を挙げて、今年の邪馬台国シリーズの話が脱線しないように、「卑弥呼が奈良県で生まれたのか、遠い処から遣って来たのかはまだ確定していない」と、邪馬台国の連続性について、東遷説的な解釈もあるとの議論の余地を残された。-----
浮世博史氏は西大和学園高校教諭(社会科)であり、テレビ朝日のクイズ番組の歴史問題の解説・監修をされている。結構平均年齢の高い図書館劇場・参観者の反応が気になったことでしょうが、滑舌(かつぜつ)淀むことなく1時間15分が過ぎた。----
今回、講座の順番が浮世博史・都築由美・千田稔の順であったのは、従来から帰りのバスの発車時刻を気にされる方が多くて、終演までに退場される方が目に余るようになったからでしょうか。それとも冬至が近くなり日没時刻が早くなっているので気持が漫(そぞ)ろとなるからなのか、数年前のように土曜日であれば幾分余裕があるが日曜日に遠い処から来て居られる方は早めに家路につきたいと、足元の暗くなるのは困ると云うことなのかも知れません。
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その459)

2017-11-26 08:15:00 | 奈良・不比等
国文祭・障文祭なら2017 北円堂の秘密

近鉄奈良線の最寄り駅に向かう住宅地で見掛ける乗用車はバラエティに富んでいてウォッチングするのが楽しい。昨年まではスバル系の乗用車が目に付いたが、今年はマツダ車が目を引く。アクセラ(AXELA)やアテンザ(ATENZA)の堂々たるデザインは日本車で現在最高だろう。韓国ドラマで見るヒュンダイの乗用車類は既に日本車のデザインを凌駕していると思っていたが、日本車の中でもマツダ車のデザインだけはヒュンダイ車に負けていないと思った。-----
昨年まで溢れていたスバル系の乗用車はレガシー人気の延長線上にあり、ゴツゴツしたメカっぽい印象が強くデザインに優れている訳ではない。其れに引き換え今風の住宅の外から見えるガレージスペースに駐車してあるマツダ車は余りのデザインの良さに見入って仕舞うことも屡(しばしば)である。-----
トヨタがレクサス(LEXUS)のX形のマスクをトヨタ車の統一デザインとすることにしてから1年以上経つが、デザイン的には強いイメージがあるので好き嫌いが出るだろうなと思っていた。マツダ車のデザインはヨーロッパで賞を獲得しているとのことで本物である。其れに引き換えトヨタ車は未だ未だデザインにはこれと云ったものが無い。但し、生産量の少ないトヨタ86などのツーシータースポーツ車もどきにはとてもデザインの優れた処が見られるのでデザイン能力が無い訳ではないのだろうが、世界販売量の凄さの割には中々垢ぬけた物が感じられない。------
日本車のデザインと較べることは出来ないが、奈良の仏教美術、中でも仏像彫刻の類(たぐい)は、運慶などイタリアのミケランジェロと較べても遜色(そんしょく)が無いと云われている。-----
では運慶のデザインレベルが後世、江戸時代になると目も当てられない程に低下してしまうのは何故だったのだろうか。これは是非とも美術史の先生方に真相を研究して貰う必要があるだろうと考える。-----
奈良県から古都奈良の仏像をフランスの美術館に出展する計画が決まったと報道されているが、外国人観光客が日本全体の美学的・芸術的なデザイン力に感動を示していないので、古都奈良の世界遺産には仏教美術の華が存在する事を目に見せようとの試みだそうである。-----
現在日本に存在する仏像彫刻の総数の内、ほんの少しだけが世界最高峰であり、99.9%は世界から見れば駄作の域を出ない。そのことを宗教性とは切り離してしっかりと認識する必要があるのではないだろうか。なんでも有難がる向きがあるのは宜しくない。
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