奈良県庁の県中南部(橿原市付近)への移転案については、前奈良県知事(1991~2007)・柿本善也(かきもとよしや1938生れ)氏の人気取りの所為で決まったような案件であり、日本経済のバブル崩壊後の在任ではあるが、然したることを残されなかった知事として、現在の奈良県知事・荒井正吾氏が柿本善也氏の中途半端な嘗ての施策を全て後始末をなさっているかのようである。-----
確かに奈良県の県庁所在地は県最北部・奈良市に位置していて、県中南部の県民にとっては不便であろうが、飛鳥藤原京時代以前に戻す訳には行くまい。江戸時代の大和の雄藩は大和郡山藩と高取藩であり、鎌倉時代は興福寺が守護扱いであったし、南北朝時代は吉野が活況を呈していたかもしれない。明治政府は譜代大名など徳川政権側の城下町には県庁所在地を認めなかったようであり、奈良県でも大和郡山市を県庁所在地にすればよかったと誰しも思うが、奈良奉行が仕切っていた奈良時代の平城京の都跡である奈良市に県庁を置いた。-----
日本経済の右肩上がりの成長はもはや期待できない時代となっており、今更、県庁移転を多額の税金を使って出来る状況ではないのであり、荒井正吾・奈良県知事の無理だというご発言は当たり前のことだと思った。それよりも税を使わなければならない施策は山積しており、首都移転案の消滅と同様の話であろうと云うことだろう。
確かに奈良県の県庁所在地は県最北部・奈良市に位置していて、県中南部の県民にとっては不便であろうが、飛鳥藤原京時代以前に戻す訳には行くまい。江戸時代の大和の雄藩は大和郡山藩と高取藩であり、鎌倉時代は興福寺が守護扱いであったし、南北朝時代は吉野が活況を呈していたかもしれない。明治政府は譜代大名など徳川政権側の城下町には県庁所在地を認めなかったようであり、奈良県でも大和郡山市を県庁所在地にすればよかったと誰しも思うが、奈良奉行が仕切っていた奈良時代の平城京の都跡である奈良市に県庁を置いた。-----
日本経済の右肩上がりの成長はもはや期待できない時代となっており、今更、県庁移転を多額の税金を使って出来る状況ではないのであり、荒井正吾・奈良県知事の無理だというご発言は当たり前のことだと思った。それよりも税を使わなければならない施策は山積しており、首都移転案の消滅と同様の話であろうと云うことだろう。