奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その767)

2018-09-30 08:15:00 | 奈良・不比等
奈良県庁の県中南部(橿原市付近)への移転案については、前奈良県知事(1991~2007)・柿本善也(かきもとよしや1938生れ)氏の人気取りの所為で決まったような案件であり、日本経済のバブル崩壊後の在任ではあるが、然したることを残されなかった知事として、現在の奈良県知事・荒井正吾氏が柿本善也氏の中途半端な嘗ての施策を全て後始末をなさっているかのようである。-----
確かに奈良県の県庁所在地は県最北部・奈良市に位置していて、県中南部の県民にとっては不便であろうが、飛鳥藤原京時代以前に戻す訳には行くまい。江戸時代の大和の雄藩は大和郡山藩と高取藩であり、鎌倉時代は興福寺が守護扱いであったし、南北朝時代は吉野が活況を呈していたかもしれない。明治政府は譜代大名など徳川政権側の城下町には県庁所在地を認めなかったようであり、奈良県でも大和郡山市を県庁所在地にすればよかったと誰しも思うが、奈良奉行が仕切っていた奈良時代の平城京の都跡である奈良市に県庁を置いた。-----
日本経済の右肩上がりの成長はもはや期待できない時代となっており、今更、県庁移転を多額の税金を使って出来る状況ではないのであり、荒井正吾・奈良県知事の無理だというご発言は当たり前のことだと思った。それよりも税を使わなければならない施策は山積しており、首都移転案の消滅と同様の話であろうと云うことだろう。
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その766)

2018-09-29 08:15:00 | 奈良・不比等
「帝王の娘・スベクヒャン(韓国ドラマ/2014・108話)」を今夏(平成30年7月13日~9月10日)DVDを借りて観た。歴史物であり、朝鮮三国時代の百済王国の武寧王(462~523)の時代を描いている。“スベクヒャン公主(コンジュ)”の漢字には「守百香(百済を守る香りの意味)」が当てられていたが、「手白香(たしらか/読みは同じく“スベクヒャン”)」と書く場合もあるそうである。------
「香」は中国語の発音では「夜来香(イェライシャン)」のように“シャン”となるが、韓国語では“ヒャン”となるのである。「百」と「白」はどちらも“ベク/ペク”であり、「守」と「手」も“ス/シュ”なのであろう。-----
朝鮮半島の歴史をみると、百済は滅んで復活はせず、高句麗は高麗王朝として復活するが、命脈を近代までずっと保つのは新羅(李氏朝鮮)であり、韓国歴史物では百済の時代は少ない。他には「ソドンヨ(薯童謠2006)」「階伯(ケベク2011)」などである。とちらも物悲しい雰囲気が漂うが、「帝王の娘・スベクヒャン」は百済王国が中興の祖たる武寧王の活躍する時代として安心して観ていられるドラマであったと云える。-----
大和路を歩くと山辺の道の途中に衾田陵として宮内庁の管理する御陵があり、「手白香皇女(489以前~没年不詳)」に比定されている。「手白香皇女」は、仁賢天皇の子であり、継体天皇(450?~531)の皇后である。時代的に武寧王の娘・スベクヒャンが手白香皇女であっても年代は整合する。武寧王が日本生れであることを勘案すると、歴史の不思議は不自然でもなく思われる。
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その765)

2018-09-28 08:15:00 | 奈良・不比等
「東大生となった君へ~真のエリートへの道(田坂広志著・光文社新書2018刊)」を読んだ。田坂広志(たさかひろし1951生れ)氏は、東大(工学部)卒、同大学院を1981年に修了し、工学博士(原子力工学)を取得し、米国バテル研究所、日本総合研究所を経て、2000年には多摩大学教授に就任している。2010年には、世界賢人会議・日本代表にも就任している。-----
「東大生となった君へ」は、副題にもあるように、真のリーダーを目指して人類の未来を変革していって欲しいと、後の世代へ熱心にエール(yell/声援、励まし、応援・激励の言葉)を送り、淡々とそして延々と田坂広志氏の教えらしきものを説く体裁の本となっている。-----
多分恐らく、田坂広志氏の経歴を見る限り、原子力工学の専門家として世界に雄飛する筈が、氏が路線を誤った訳ではないのだが、浮かぬ表情にならざるを得ない状況が続き、そして最後の爆弾が破裂するかのように東日本大震災で氏の原子力の夢が木端微塵となった所為(せい)で、精魂尽き果てて居られるかのように感じた。斯(か)くなる上は、東大生をはじめとした優秀な後輩を指導・鼓舞して、エネルギーの未来だけでなく、豊かで素晴らしい社会の実現に向けて変革を導けるような人材に育って欲しいと、ある種の思想家・宗教家にでもなろうとされているかのようである。-----
「○○塾」と名の付く活動をなさっているのは、松下村塾を倣って居られるのか、少し、力が入り過ぎではないかと思うが、そうでもしなければ遣り切れない気持ちがそうさせているのだろう。理系から文系に活動を移している方の一人でもあり、ユニークではあるが、若干危なっかしく怪しくも感じた。
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その764)

2018-09-27 08:15:00 | 奈良・不比等
「転職のまえに~ノンエリートのキャリアの活かし方(中沢孝夫著・ちくま新書2018刊)」を読んだ。中沢孝夫(なかざわたかお1944生れ)氏は、高卒ながら、郵政の全逓本部に20年勤務した後、45歳で立教大学(法学部)に入学し、1993年同校を卒業している。その後は、全逓時代に築き上げた人脈に助けられて順調に学者人生を全うして来た。現職は兵庫県立大学客員教授であり、専門はものづくり論、中小企業論、人材育成論とのこと。丁度、日本経済のバブル崩壊と日本的経営環境(終身雇用)が崩れ去り労働組合の活動が限界とその終焉を迎えた頃に、中沢孝夫氏は全逓本部を辞めて、この本「転職のまえに~ノンエリートのキャリアの活かし方」の説くように、それまでのキャリアを生かすべく学歴を獲得するべく果敢に人生のキャリアアップに挑戦する。見事、中沢孝夫氏は博士(経営学)を獲得し日本社会のエリートの一員に加わって現在は、高みから結構上から目線で、徒手空拳の輩を鼓舞している。鼓舞になっているのか揶揄しているのかは受け取り方に拠るだろうが、ともあれ一冊の本として世に出たのであり、他のインテリの書物を批判している処を見ると、ご自分は未だ嘗てのノンエリートと規定しているだろうが、十分にエリートの鼻持ならない気分が漂ってしまっているように思い残念であった。
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その763)

2018-09-26 08:15:00 | 奈良・不比等
世界遺産・古都奈良の「興福寺・中金堂落慶(ちゅうこんどう・らっけい)」が来月(平成30年10月)に迫って来た。近鉄奈良線の列車内の吊広告にも興福寺・中金堂落慶と完成写真が掛かっている。-----
遂に、300年振りに天平の創建時の中金堂の伽藍が落慶の日を迎える。60億の巨費を投じて、完成したその姿は裳階(もこし)の付いた寄棟造りであり2階建てに見えるが、本場中国の建築を正確に踏襲している。-----
興福寺は長らく、奈良公園の片隅に西国第9番札所として南円堂が存在感を一番発揮していたと思うが、平成に入って境内整備が進み、中金堂の落慶を終えると漸く在りし日の興福寺の威容を少しばかり垣間見せてくれるに違いありません。これでこそ東大寺と並ぶ南都大寺としての歴史を観光客にも目に物を見せてくれることでしょう。------
興福寺・構内整備委員会の座長を務められている鈴木嘉吉(元奈文研所長・東大卒建築史学専攻1928生れ)氏によれば、興福寺・中金堂の晴れ姿は本当に素晴らしいとのこと。秋の正倉院展に訪れる全国のリピーター奈良ファンもきっと驚くに違いありません。
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