奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2793)

2024-05-31 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「私を取り戻す哲学(岩内章太郎著・講談社現代新書2023刊)」を読んだ、---------

岩内章太郎(いわないしょうたろう1987生れ)氏は、早大(国際教養学部)卒/同大学院(国際コミュニケーション研究科)博士後期課程修了/博士(国際コミュニケーション学)。現在は豊橋技術科学大学准教授。専門は現象学を中心にした哲学。著書に“新しい哲学の教科書/現代実在論入門/普遍性をつくる哲学/幸福と自由を如何に守るか/現象学とは何か/哲学と学問を刷新する”がある。---------

この本「私を取り戻す哲学」の目次は次の通り。“デフォルトの私/動物になるか善い人になるか(ミニオンズの憂鬱/目を閉じて私の声を聴く)”、“私を取り戻すための哲学的思考(新デカルト主義宣言/判断しなくてよい云う判断/批判的思考のプロトタイプ)”、“ポストトゥールースを終わらせる(SNSを気にする学生/正しさを巡る争いは終わりにする/陰謀論は理性と情動に訴える)”、“ネガティブなものを引き受ける(対話とネガティブケイパビリティ/アルゴリズムと自己消費/弱いロボットから考える)”----------

この本「私を取り戻す哲学」の内容紹介文は次の通り。電車の中や部屋の中/気が付けば何時もスマホをスクロールしている。本当は何が知りたいのか。自分に何が必要なのか分らないまま/SNSの世界に浸り続け/気が付けば自分自身を見失ってしまった。スマホ時代の過剰な繋がりによって失われた“私”を私たちはどうやって取り戻すのか。気鋭の哲学者による現代を生き抜くための思考法。--------

岩内章太郎氏は、未だ若いので/哲学にロマンを抱いておられる。昔も今も哲学に与えられた課題は“人間はなぜ生きているのか”と云う根源的な疑問を全人類に成り代わって追求すると云うことなのだが、何だか安易な日常の理解に堕しているのではと心配になった。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2792)

2024-05-30 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「昭和の青春~日本を動かした世代の原動力(池上彰著・講談社現代新書2023刊)」を読んだ、----------

池上彰(いけがみあきら1950生れ)氏は、慶応大学卒/1973NHKに報道記者として入局。1994~2005“週刊こどもニュース”を担当。2005フリーとなりその後もメディアで活動すると共に/執筆しつつ/11の大学で教鞭を執(と)っている。---------

この本「昭和の青春」の目次は次の通り。“青春の学生運動”、“青春の高度経済成長”、“青春の昭和文化/社会風俗”、“新たな時代を切り拓いた人物たち”、“高度経済成長と繁栄の陰”、“昭和の青春世代のこれまでとこれから”----------

この本「昭和の青春」の内容紹介文は次の通り。学生運動/高度経済成長/新たな文化/そして繁栄の陰。池上彰が実体験を交えて/綴る現代日本の源流。何故/60年代に学生運動が盛り上がったのか。ベトナム反戦運動とパリ五月革命。あさま山荘事件とテルアビブ空港乱射事件。オイルショック時のトイレットペーパー騒動。東京オリンピックと大阪万博で日本中が盛り上がる。--------

池上彰氏は、1947~1949の団塊世代ではないが/次年生まれなので/十分に理解し得る世代だと自任しておられる。慶応大卒なので紳士であることは否めない。でも記者魂はお有りなので/社会の歪みに目が行くのは已むを得まい。昭和の回顧本を書かないかと編集担当者に薦められて/自身の体験談を交えて書かせて貰ったとのこと。現代史の副読本としては丁度かもしれない本に仕上がっていると思った。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2791)

2024-05-29 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「情報公開が社会を変える(日野行介著・ちくま新書2023刊)」を読んだ。---------

日野行介(ひのこうすけ1975生れ)氏は、九大(法学部)卒/1999毎日新聞入社(2022退社)。福井支局で高速増殖炉もんじゅを取材するなどした。ジャーナリスト/作家。東京電力福島第一原発事故の被災者政策や/原発再稼働を巡る安全規制や避難計画の真相を調査報道で暴いた。--------

この本「情報公開が社会を変える」の目次は次の通り。“報道は期待できない(市民が自ら情報公開請求すべし)”、“初めての情報公開請求”、“意思決定過程を解明する(狙いは非公開の調査と会議)”、“不存在を疑う(役所の誤魔化しをどう見抜くか)”、“請求テクニック(目的の情報に辿り着くために)”、“黒塗りに隠されたもの(役所の痛点を見付ける)”、“審査請求のススメ(不開示が来たらどうする)”---------

この本「情報公開が社会を変える」の内容紹介文は次の通り。公文書と個人メモの境界は/電子メールも公開請求できる。不開示が来たらどうする/調査報道記者が教える/市民のための情報公開請求テクニック。--------

行政が押し進める理不尽な政策。そこに共通するのは/意思決定過程が不透明で結論や負担だけを市民に押し付ける点だ。真実を知り/民主主義を守るためには/行政を監視し/政策をチェックすることが求められる。役所の不正に立ち向かう時/強力な武器となるのが/情報公開制度だ。--------

日野行介氏は、定年退職ではなくて47歳で退社されている。毎日新聞の中でも/不正許すまじの熱血記者であったのだろうと思った。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2790)

2024-05-28 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「禅と念仏(平岡聡著・角川新書2024刊)」を読んだ。--------

平岡聡(ひらおかさとし1960生れ)氏は、佛教大学(文学部/仏教学科)卒/同大学院(文学研究科)博士後期課程満期退学/博士(文学)。ミシガン大学(アジア言語文化学科)留学。京都文教大学教授/京都文教学園学園長。--------

この本「禅と念仏」の目次は次の通り。“本家vs分家(禅と念仏の源)”、“保守vs革新(歴史的な変遷)”、“出家vs在家(実践の難易度)”、“悟りvs救い(宗教的ゴール)”、“内向vs外向(対峙する対象)”、“引算vs足算(文化への影響)”、“個人vs集団(政治への影響)”、“坐禅vs念仏(心理的考察)”---------

この本「禅と念仏」の内容紹介文は次の通り。悟りか救いか。同じ仏教でも/目指す最終到達点が異なるため/対極に見える二つの行。其々の歴史と/社会/美術と芸能/政治に与えた影響を明らかにしながら/日本仏教の独自性に迫る。--------

目次の詳細の一部を示す。禅の意味/禅の重要性/念の意味/念から念仏へ/念仏から観想念仏へ/称名の起源/念仏と称名。

インド仏教の瞑想(禅)/中国仏教の禅/インド浄土教の念仏/中国浄土教の念仏/日本浄土教の念仏。インドから中国/道元が拘った正伝の仏法/法然の仏教/親鸞の仏教/栄西の仏教/念仏と戒律/浄土仏教における出家の意味。禅仏教による念仏仏教の批判/念仏仏教の浄土理解/禅仏教の浄土理解/無から有/有から無へ。----------

平岡聡氏は、浄土宗側の立場の研究者だと思うが/全く反(そ)りの合わない禅宗との比較論考をなさっていて面白いと思った。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2789)

2024-05-27 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「伊勢湾台風~水害前線の村(岡邦行著・ゆいぽおと2009刊)」を読んだ。--------

岡邦行(おかくにゆき1949生れ)氏は、法政大学(社会学部)卒。出版社勤務を経て/1976フリーランスのルポライターとなる。1999“野球に憑かれた男”で第3回報知ドキュメント大賞を受賞。-----------

この本「伊勢湾台風」の目次は次の通り。“序章(ふたつの顔を持つ小さな村)”、“その日/9月26日”、“名古屋地方気象台”、“3つの災害対策本部”、“新政成の悲劇”、“飛島村からの第一報”、“災害と云う名の人災”、“嵐の後で”、“終章(半世紀の星霜)”---------

この本「伊勢湾台風」の内容紹介文は次の通り。自然の猛威に対峙した人たちの生きざまが愛(いと)おしい。忘れてはいけない/伊勢湾台風の全てが此処にある。-------

伊勢湾台風(いせわんたいふう/S34年台風第15号/国際名Vera)は、1959.9.26(土曜日)に潮岬に上陸し/紀伊半島から東海地方を中心に/略/全国に亘って甚大な被害を齎(もたら)した台風である。--------

岡邦行氏は、伊勢湾台風の被害者の生き残りが存命で記憶が鮮明な内に/ルポライターとしての一仕事を/台風被害の中心の一つであった愛知県/海部郡/飛島村を訪れて/この本を書かれたようだ。古老からは戦時中の話から始まり/この干拓地の実情が語り出されて/戦後未だ浅い1959の時代の様相が見えてくるようだ。

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