奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1256)

2020-01-31 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「感動のメカニズム~心を動かすWork&Lifeのつくり方(前野隆司著・講談社現代新書2019刊)」を読んだ。前野隆司(まえのたかし1962生れ)氏は、東京工大大学院修士課程修了。博士(工学)。キャノンを経て、カリフォルニア大学バークレー校研究員、ハーバード大学教授、慶應大学(理工学部)教授を歴任し、現在は、同大学院(システムデザイン/マネジメント研究所)教授である。ロボット/脳科学の研究から“幸福学/感動学”にシフトして活動している。-----

章立ては次の通り。“感動の時代がやってきた”、“これまでの感動研究”、“感動のSTAR分析とは何か”、“感動のSTAR分析を用いた研究事例”、“感動の実践事例集”、“感動の見つけ方/高め方”------

人間は心と体で構成されているとすると、体の健康と心の幸福は最も大切なものである。健康を維持増進するには食べ物と運動に配慮せねばならない。一方、幸福になるには“感動”のある生活を営むことが最重要だと前野隆司氏は言うのである。-----

さて、感動をメインに研究することはこれまで余り聞いたことがない。哲学や宗教学では幸福の追求をテーマにもするだろうが、前野隆司氏は感動することこそ幸福につながるのだとストレートに思い定めて、様々な事例研究を進めるのだ。但し、方法がない訳ではなく、STAR分析法を駆使して、それなりに意味づけているのである。STAR分析はSENSE(感覚)/FEEL/THINK(理解)/ACT(体験)/RELATE(つながり)の頭文字を並べたものである。これで一体何を論じるのかと誰しも思った処で、卑近な事例を紹介しているのが、この本のミソであろう。-----

“トヨタ/ホンダ”、“Yahoo/Google”、“マクドナルド/モスバーガー”、“タリーズコーヒー/スターバックスコーヒー”の企業イメージ比較は、STAR分析を当てはめると、お客に感動を与えている実態とその理由がそれなりに納得できるのだ。-----

感動は文学作品や映画/スポーツ観戦などから、得られるものだと思いがちだが、本当は日常生活の中で感動を味わえるのが大切だと前野隆司氏は言っている。がしかし結局、この本では仕事生活の事例が多くて、未だ新しい研究領域であるせいか、迷いが感じられたのは仕方のないことだろうと思った。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1255)

2020-01-30 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「自立できる体をつくる~人生100年時代のエクササイズ入門(湯浅景元著・平凡社新書2019刊)」を読んだ。湯浅景元(ゆあさかげもと1947生れ)氏は、中京大学名誉教授、日本体育学会名誉会員である。一流スポーツ選手に対してトレーニング方法を研究してこられた成果を、一般人にも広めておられて著書も多い。----

章立ては次の通り。“大切なのは自立できる体”、“ヒトも動物である”、“重力を感じながら生きている”、“日常生活動作の自立を目指す”、“自立できる体を維持するための運動法”、“家庭内での事故を防ぐ”、“痛みを防ぐ正しい姿勢のとり方”、“大切なのはほどよい手抜き”、“日々の心がけを大切にしよう”-----

湯浅景元氏は50歳後半で“老いない体をつくる~人生後半を楽しむための簡単エクササイズ(平凡社新書2005刊)”を上梓されたのだが、湯浅景元氏自身今となれば、そのエクササイズは出来ない年齢に達しておられて、老いを避けられない70歳代以降のシニア世代にフィットする本を書かねばと考えてこの本「自立できる体をつくる」を書いたそうである。-----

スポーツもウォーキング/ジョギング/テニス/ゴルフ/バレーボールを体に無理な負担をかけずに楽に楽しく行うようにせよと書いている。特異性の原理に基づいて自立できる体を維持するための基本の運動を選ぶとウォーキング/筋力トレーニング/ストレッチングの3つとなる。運動が偏らないように、この3つの運動を組み合わせて行うことが大切です。この本の後半にはこの3つの運動の具体的な方法を懇切丁寧に絵入りで解説されているのである。-----

“あとがき”には湯浅景元氏の実父が95歳の今も介助/介護も必要とせずに元気に暮らしておられるとある。その身近な家族の事例からヒントを得て、自立できる体を維持するためのエクササイズを思い付いたというのである。介護保険がパンクしそうな時代にあって、この本のエクササイズは救世主となるのかも知れないと思った。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1254)

2020-01-29 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「グルメぎらい(柏井壽著・光文社新書2018刊)」を読んだ。柏井壽(かしわいひさし1952生れ)氏は、大阪歯科大卒、京都市北区に歯科医院を開業。食通であり、京都案内本の著作多し。-----

章立ては次の通り。“グルメ自慢ぎらい(予約の取れない店自慢)”、“モンスター化するシェフ(店主の口上/料理劇場)”、“食を知らない困った客(ミシュラン採点の不思議)”、“どこかおかしいグルメバブル(過熱する京割烹人気)”-----

なぜ僕がグルメぎらいになったかと言えば今の時代にグルメと呼ばれる方たちはほぼすべての方がほかの店や料理と平気で比較なさるからです。比較せずにほめることができないのでしょうか。点数を付けたり格付けをしたりせずに、食を純粋に愉しむことはできないのでしょうか。市井という言葉が好きです。有り触れたどこにでもあるものを愛することはとても素敵なことです。最近京都の定宿に加わったホテルの近くで、一軒のうどん屋を見つけました。京都に古くからある有名な通りに面しているのですが、あまりに街並に溶け込んでいるせいか全くめだちません。ちゃんと暖簾も上がっているのですが、つい通り過ぎてしまうのです。きっと古くからあるのでしょう。お店の中は古色蒼然としています。時間が止まったままのようなお店です。4人掛けと6人掛けのテーブルがそれぞれ一つずつ。奥が厨房になっている。メニューを見て驚きました。昭和の頃そのままの値段なのです。580円と書かれている鍋焼きうどんを注文しました。運んで来られたのは割烹着を着たお婆さんです。これがとても美味しいのです。海老天/かまぼこ/ネギ/おつゆそしてうどん。どれもがちゃんと美味しいのです。このお店の鍋焼きうどんを食べ終わって頭に浮かんだのが、簡素という言葉です。贅沢とは程遠いものでしたが、気持ちがとても豊かになりました。清々しいとも言えるほどの、満足感でした。------

美味しいものを食べることだけがグルメではありません。美味しく食べることこそが本当のグルメだと思います。-----

柏井壽氏はグルメの先達として誇りを持っておられたようですが、お歳を召されて天晴れグルメ卒業と相成られたのだと思った。年齢とともに味覚が劣化するのも時間の問題でしょうから、若い人に勝てなくなるのは当然だとも云える。食のことを綴って25年以上が経った。その結果、食に対する考え方が大きく違って来たそうである。然しものグルメの先達も遂に金銀に飽きた茶人のように侘び寂びの境地に達せられたように思った。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1253)

2020-01-28 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「素粒子と物理法則~究極の物理法則を求めて(ファインマン&ワインバーグ共著/ジョンテイラー編/小林澈郎訳・ちくま学芸文庫2006刊/1990版の文庫化)」を読んだ。訳者の小林澈郎(こばやしてつろう1929~2017)氏は、東京文理科大学(物理学科)卒、東京都立大学名誉教授。素粒子物理学者でした。-----

「素粒子と物理法則」はケンブリッジ大学の“第1回/ディラック記念講演(1986)”に招待されたファインマンとワインバーグの講演記録をケンブリッジ大学/ジョンテイラー編で出版した“Elementary Particles and the Laws of Fhysics The 1986 Dirac Memorial Lectures (Cambridge University Press1987)”を、小林澈郎氏が翻訳し1990に出版された本である。ケンブリッジ大学ではポールディラック(1902~1984)の名を冠した“Dirac Memorial Lectures”が創設されその第1回の記録がこの本なのである。二人のノーベル賞学者を招き、ケンブリッジの学生に聴かせたのであって、当時の物理学の最高レベルの学究の講義が収録されていて、今も理論物理学を学ぶ学徒には一読の値打ちのある本なのであるとのこと。------

リチャードファインマン(1918~1988)は1965ノーベル物理賞受賞。スティーブンワインバーグ(1933~)は1979ノーベル物理学賞受賞。-----

理論物理学は数学的なレベルが高くないと理解できない代物である。相対論も量子論も数式が煩雑であり、子供向けの絵解き本では、物理現象面から解説しているものが多い。数式を理解できる人は本当に少ないのではないかと思われる。何故かというと、物理学と数学では得手不得手があり、両方をバランスよく高いレベルで理解できる人は少ないのである。囲碁将棋と同じで下手な人に教えて貰うと少しも上達しないのである。昨今の医学部志望者を少しは理論物理学に回さないとダメではないかと思う。この種の本では、理解の壁が直ぐに立ちはだかるので、文字を追うだけでも疲れるのだが、時々この種の“柳に蛙の心境”になるのである。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1252)

2020-01-27 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「江戸の終活~遺言からみる庶民の日本史(夏目琢史著・光文社新書2019刊)」を読んだ。夏目琢史(なつめたくみ1985生れ)氏は、一橋大学大学院(社会学研究科)博士後期課程修了、博士(社会学)。一橋大学附属図書館助教を経て、現在は国士舘大学(文学部史学地理学科)講師。-------

この本「江戸の終活」は、全国の自治体史を悉皆調査して、300諸侯の領主に支配されていた江戸時代の名主や有力商人が書き遺した遺言書を12人分掲載しその歴史像を焙り出したものである。武士階級ではないが単なる庶民ではなくて読み書きのできる知識人であり、その文面を辿ることにより、江戸時代の息吹を感じ取ろうとするものである。-----

目次に並んだ12人の登場人物は次の通り。“百姓/鈴木仁兵衛(静岡)”、“廻船問屋/相木芳仲(福井)”、“浪人/村上道慶(岩手)”、“商人/武井次郎三郎(岐阜)”、“百姓/鯉淵加兵衛(栃木)”、“豪商/戸谷半兵衛(埼玉)”、“河岸問屋/後藤善右衛門(千葉)”、“百姓/安藤孫左衛門(岐阜)”、“廻船問屋/間瀬屋佐右衞門(新潟)”、“農政家/田村吉茂(栃木)”、“古着屋/増渕伊兵衛(栃木)”、“魚問屋/片桐三九郎(新潟)”-----

江戸期になると武士階級に次ぐ庄屋/商人階級にも知識人が増えて、文章を認(したた)める人たちが現れて、地方には手つかずの古文書が大量に存するそうである。夏目琢史氏は、“おわりに”に次のように書いている。歴史のなかにいる一人の人物を把握するということは、背景となる組織や制度も明らかにする必要がある。その作業を終えてやっと対象の人物を客観的に把握できたことになるのだ。このような考え方は、ここ数十年の歴史学の到達点といえる。戦後の歴史学がある種の法則のように、人物や社会の動きを把握しようとしたのに対し、近年の歴史研究は、むしろ個々の実証を精緻に行うことで、より実態に近いかたちで対象を分析することを重視してきた。それは言い方を換えるならば、歴史学をグランドセオリーから解放し、人々のリアルな暮らしに迫る作業であったともいえる。-----

江戸時代を生きた対象人物の歴史観/人生観を捉えるために、遺言に着目した点は流石と思わざるを得ず、シリーズ次作を期待したいと思った。

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