風に吹かれてぶらり旅

まっすぐに生きる人が好き

夏休みの新幹線

2006-07-29 15:27:55 | 京都
13:13発新幹線のぞみに乗り一路京都へ。
子供達は夏休み中ということで自由席禁煙席はほぼ満席だ。

JR福知山線の事故のニュースを見て以来列車の先頭車両に乗るのが少し怖かったりもするのだけど…それは皆同じらしく最前の車両はいくつか空席があった。

というわけで1両目、3連シートの通路側にすわり、間もなく充電が切れそうなiPODで音楽を聴きながら目をつむる。

後ろの席ではまだ2歳くらいの女の子がギャーと泣いている。泣いているというより鳴いている。そう、赤ちゃんはパパやママに自分の気持ちを分かって欲しくてないている感じがする。
音としては耳をつんざくようなうるさい音なんだけど、なぜか愛おしい。不思議だな…

なんて思いながらも、やはりお父さんは周りに迷惑だと思ったのか、その女の子をあやしながらデッキに連れていってたけど。

これが社会というもんで、大人になるっていうのは自分が気に入らないから所構わず大声あげて泣くんじゃなくて、泣きたい時は周りの迷惑にならないように泣くってことか。

でも子供は成長の過程の中で気に入らないことや思い通りにいかないことに直面して泣いたり親に認めてもらったり、見守って励ましてもらいながら乗り越えていく。だから思うままでいい。
…ってことはそれを見守ってくれる親がいるうちはのびのびとしていられるのか?
自立しなきゃいけなくなったら?…そっか、それを親が教えるんだ。
子供の一つひとつの成長は自立の為にあるんだ。

そして今私が新幹線の中で泣きわめく2歳の女の子に教えられたように、素直にびのびと感情を表現する子供から自分が生きる意味や命の重さやを学んで、その純粋さに癒され、また自分の生き方を問われるんだ。
子供が向き合う幾多の問題を側で見守る辛さや喜び、また守るもののあることの幸せを感じるんだろう。生きることにより真剣になるんだろう。

私にも子供時代があって、今も大人になりきれない自分がいる。誰かに愛されたいし、守って欲しいし、泣きたい時は思いきり泣けるとこで泣きたいし、甘えたい。
それって子供ってことなのか?自然な感情じゃないのかな?
それを抑えることが大人なんじゃない。赤ちゃんだって、お父さんお母さんだって、おじいさんおばあさんだって、同じ人間なんだから喜怒哀楽の感情や根本的な欲求は変わらないんじゃないか。

大人になると素直な自分を出すところを社会との関わりの中で見つけていかなきゃいけない。人は一人では生きていけないから集団で生きる上でのルールを守らなければ関わりあえない。イコール生きていけない。だから社会に関わりルールを守りつつ自分が自分らしく自由な気持ちでいられるように人と関わる。
親元で基本的なルールを教えてもらった後は、実社会で実践し、また成長していく。

それから次は自分が守る立場になり、更に人としての重大な責任を負ことになり、成長していく。

親ってすごい。

やばい、一人で新幹線の中で泣きそうだ。


でも、親ってすごい。


さっきの女の子はまだデッキで泣いている。今度は泣いているって感じだ。そしてお母さんにだっこされている。もう疲れちゃったのかな?色んなことを感じてるんだろうね。


あと10分で京都だ。


私は自分らしくいられる場所の一つとして京都とブログを選んだんだなと思った。

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