Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

ぼくの神様とは…「スラムドッグ$ミリオネア」の原作

2009年04月26日 | 
「スラムドッグ$ミリオネア」を水曜日に観て、どうしてもその原作が読んでみたくなり、 アマゾンで頼んだ「ぼくと1ルピーの神様」(原題Q and A)、昨日届きました。
面白くて止められず、昨夜一気に読み終わりました。

文庫本で460ページ、でも平易な文章なのですぐに読めてしまいます。
著者のスワラップ・ヴィカスは、インド北部の弁護士の家庭に生まれ、アラハバード大学で歴史学、心理学、哲学を学んだ後、外交官となったのだそうです。
この本は彼の処女作で、37ヵ国語に翻訳され、全世界で絶賛されたのだとか。

映画とはやはり、かなり異なります。
映画の主人公ジャマールは、本ではトーマス・ラム・ムハンマドという、世界三大宗教が入り混じった名前なのです。
その理由は、彼の悲しい生い立ちに隠されているのですが。
彼には殺された母親もいないし、サリムは兄ではなく友だちだし、幼馴染のラティカも出てこない。しかし彼の波乱万丈の人生は、本の中ではもっと酷い、もっと残酷なエピソードに満ちているのです。

インドの文学といえば、ピューリツァー賞を受賞したジュンパ・ラヒリの「停電の夜に」「その名にちなんで」くらいしか読んだことがありません。
彼女の本は、静かな哀しみが漂っていて私は好きなのですが、インドが舞台の作品もあるのに、なんとも都会的な匂いがする。
それもその筈、ラヒリは子どもの頃アメリカに移住して、今もNYに住んでいるのですね。
だからこそ、余計自分の民族性、アイデンティティに拘っているという見方もできるでしょうが。
それに比べて、スワラップ・ヴィカスのこの本は、土着のインドの活気、喧騒、生々しさに溢れているのです。

「ダラヴィ(注・ムンバイのスラム街)の度を越した不潔さは、僕たちの心を弱らせ、卑しい人間に変えてしまう。排泄物が詰まった共同便所は、ひどい悪臭を放っている。
しかもドブネズミがたかっているので、匂いよりも尻を守るほうが心配になる。(中略)
それでもダラヴィの住人にとっては、ここが家なのだ。
ムンバイの近代的な高層ビルと、ネオンのきらめくショッピングモールの中心に、ダラヴィは居座っている。まるで街の心臓にできた癌のように。」

殺人、強奪、幼児虐待、近親相姦、家庭内暴力、絶望的な貧困、人身売買、格差社会…
映画よりもさらに沢山のエピソード(どれをとってもつらいものばかり)が、クイズ番組の進行に沿って描かれていて、時系列的にはバラバラなのです。
それがラストで一気に収束するという、胸のすくような面白さがあります。
最後のどんでん返しといい、エンターティメントとしても第一級です。
「1ルピーの神様」の意味は、最後の最後に分かります。

驚くべきは、上流階級の生まれで、スラムとは無縁に育ったであろう現職の外交官が
自分の国の恥部を、ここまで赤裸々に書いたということです。
彼の良心と勇気に賛辞を送りたいと思います。

「ぼくと1ルピーの神様」
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする