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Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「チャーリー」、そしてインドの犬

2024年07月04日 | 映画

子供の頃に突然の事故で両親と妹を亡くして以来、世を恨み、自暴自棄に生きて来た男が、悪徳ブリーダーの虐待から逃げ出してきた犬チャーリーと出会い、ようやく人間らしい心を取り戻す。チャーリーが末期の癌と知り、チャーリーが好きな雪を見せてやろうと、南インドからヒマラヤを目指してバイクの旅に出る。



3時間は長すぎるだろうとか、あの度々挿入される歌は要らないだろうとか、パラグライダーのシーンもドッグショーのシーンも不要だろうとか、悲しい題材つかってエンタメとして盛り上げないでよとか、文句は多々ありますが、号泣しました。



(2015年、インドにて)

ついでにインドの犬の話題。
インドを旅行した時、あちこちで沢山の犬を見ました。
往来のゴミの山では何処でも野良犬が漁っていましたが、インドのゴミ溜めというのは、人間の物乞いが漁り尽くしているのです。
殆どの犬が痩せこけていて、怪我をしていたり、ビッコを引いていたり。
当然不妊手術などしていないであろう、おなかの大きな犬も、仔犬も、そして死体もよく見かけました。
インドで犬やっていくのも大変だなあと、つくづく思ったのでした。


(震えていたインドの仔犬たち)

「チャーリー」公式HP 

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「ワン・ライフ 奇跡が繋いだ6000の命」

2024年06月26日 | 映画

イスラエルがこれだけ暴挙に出ている昨今、反ナチの映画と聞いても素直に受け入れられない気もしますが、これは個人の話です。
ニコラス・ウィントンはロンドンで株の仲買人をしていたが、大戦直前の1938年に訪れたプラハで、ナチスから逃れて来た多くのユダヤ人難民の悲惨な生活を目にする。
せめて子供だけでも救いたいと、難民の子供をイギリスに避難させる活動を始める。
里親探し、資金集め、ヴィザの発給、政府の許可を得るために、同志と共に奔走する。
子供たちを次々に列車に乗せて渡英させるが、遂に開戦の日が訪れてしまう。
そこから49年、救出できなかった子供たちを忘れられず、自責の念に苦しんでいた彼の元に、BBCの番組からの参加依頼が届く。そこには思いもかけない再会が待ち受けていた…



チェコスロバキアから収容所に送られたユダヤ人の子供は約1万5000人、生き残ったのは約200人。
ニコラスと仲間たちが救ったユダヤ人の子供は669人。
この数だけでも、ニコラスの偉業の凄さが分かります。
若き日のニコラスを演じたのはジョ二ー・フリン。
晩年の彼を演じたのは、アンソニー・ホプキンス。
エンドロールに御本人の写真が一瞬写りますが、どちらも似ているのに驚きました。
そしてヘレナ・ボナム=カーター、「眺めのいい部屋」で美しい令嬢を演じていた彼女が成功したドイツ系イギリス人夫人となり、弱腰の政府官僚を叱りつけていました。



定年後、妻と共にのんびり暮らしていたニコラスが、娘に孫が生まれるというので、書斎に溢れるモノを片付けるシーンから映画は始まります。
長い間捨てられなかった茶色のブリーフケースの中には、チェコの難民の子供たちの写真や出生データなどがびっしり詰められていた。
彼は遠い目をして、あの頃のこと、そして自分が救えなかった子供たちのことを思い出す。
半世紀近く彼の偉業は全く知られてなかったが、新聞王の夫人と知り合った縁で、BBCの番組で取り上げられることになるのです。
その前には、難民問題などネタにはならんとケンもホロロだった地元の新聞社が、テレビに出て有名になった途端にすり寄って来たのを、ニコラスが追い返す場面が痛快でした。
この映画の撮影には、実際に彼に助けられた子供達やその親族が、世界中から参加したのだそうです。
最後に、当時救った669人の命が現在の6000人の命に繋がっているというテロップが流れます。




ニコラスの素晴らしい功績は、半世紀後とはいえ世間の知られるところとなり、彼はエリザベス女王から勲章を受け取り、ナイトの称号も得ています。
それに引き換え日本の杉浦千畝は、生前に認められることは一切なかったのですね。
彼は岐阜の出身ですが、私が子供の頃はその名前を聞いたこともありませんでした。
言っても詮無いことですが…

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「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」

2024年06月21日 | 映画

イギリスの南西部に住むハロルド・フライ(ジム・ブロードベンド)は定年退職後、妻モーリーン(ペネロープ・ウィルトン)と平穏な日々を過ごしていた。ある日、北部に住むかつての同僚クイーニーから、ホスピスにいて余命幾ばくもないという手紙が届く。
近所のポストから返事を出そうとしたハロルドは、思う所あって800K離れたクイーニーのもとに、そのまま歩き始める。

「私は歩き続ける。君は生き続ける」
「死ぬな。死んじゃ駄目だ」
呪文のように唱え続けながら歩くハロルドの過去が、段々と明らかになっていく。
息子への後悔、妻との不仲、クィーニーへの恩義。
ハロルドの歩く姿がSNSに投稿されて人気者になり、やがて大勢の人々、そして犬までもついて来るが、これはおかしいと気づいて、また一人で歩き始める。



後半、ハロルドが余分なものは要らないと財布やクレジットカードなどを家に送り返すところではハラハラしました。
農家の処分野菜を食べ、納屋の隅や森の中で野宿をしながら、ひたすら歩く。
どうしてそこまでするのかと不思議に思いますが、ハロルドには息子への贖罪の思いがあった。
できのいい自慢の一人息子はケンブリッジに進むが、そこで挫折し、破滅していたのでした。

人生において大きな後悔を抱えた人間は、それをどうやって贖うことができるのかということを示唆するような映画です。
しかし、破滅の道を選んだ子供に対して、親は何処まで責任を取らなければいけないのかとも思う。
無論、アンタのせいじゃないよと誰が言った所で、親は一生自分を責め続けるのでしょうが…



2ヶ月以上かかってボロボロとなりながら、ようやくたどり着いたホスピスでの再会シーンは、呆気なく終わってしまう。
この旅は、「今まで最後まで成し遂げたことがない」というハロルドが、とにかく何かをやり遂げるためのものだったと思えてきます。
途中で加わった小さな犬は、「ボクここにいてスミマセン」みたいな顔をしていてなんとも愛らしく、ハロルドの胸に抱きしめられて夜を明かしたりしていたのに、突然彼から離れて行ってしまう。あれには疑問が残りました。この原作者は犬を飼ったことないのじゃないかしら?

世界37カ国で刊行されたレイチェル・ジョイスの同名小説を、原作者の脚本で映画化。
原題は「The Unlikely Pilgrimage of Harold Fry」。
広大な丘陵、緑滴る田園風景、煉瓦造りの住宅街といったイギリスの光景を満喫することができます。

公式HP 

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「ありふれた教室」

2024年05月31日 | 映画

ドイツの中学校で発生した小さな事件が予想もつかない方向へと進み、校内の秩序が崩壊していく様を、ひとりの新任教師の目を通して描いたヒューマンドラマ。
仕事熱心で正義感の強い若手教師のカーラは、新たに赴任した中学校で1年生のクラスを受け持つが、校内で盗難事件が相次ぐようになる。教え子の一人が疑われたことに反発したカーラは犯人捜しをしようと職員室の様子を撮影すると、ある人物が盗みを働く瞬間が収められていた。しかしその人物は逆切れし、やがて保護者の批判や生徒の反発、同僚教師との対立を招き、カーラは孤立無援の窮地に追い込まれる。



なんとも息苦しい映画です。
生徒思いのカーラが頑張れば頑張る程、彼女の行動すべてが空回りしてしまう。
何かというと「人権」「差別」という言葉が飛び出し、身動きできなくなる。
カーラが隠し撮りをしたことは確かにいけなかったかもしれないが、あれだけの証拠を突き付けられた事務員クーンが人権侵害と逆切れし、彼女を悪者と学校中に吹聴するのはいかがなものか。クーンの母親思いの息子がカーラの教え子とあってカーラを糾弾し、カーラはがんじがらめとなる。
真実はどうだったかということは、もはやどうでもよくなるのです。



登場人物がすべて疑心暗鬼、かつて学校物の映画に描かれたような温かい師弟愛や信頼関係は、何処にもない。
教育現場に不信感と性悪説しかないというのは、なんと恐ろしいことか。
これは遠い世界の話であると思いたいものの、モンスターペアレンツからのクレームが酷いという日本の学校も、あながち無縁の世界ではないのかもしれません。
監督はトルコ系ドイツ人のイルケル・チャタク、原題は「Das Lehrerzimmer」。

「ありふれた教室」公式HP 


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「ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ」

2024年05月17日 | 映画

グアンタナモ収容所に収監された無実の息子を救おうとする、ドイツの母の実話を映画化。
2022年ベルリン国際映画祭で銀熊賞2冠(主演俳優賞、脚本賞)。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの1カ月後、ドイツのブレーメンに暮らすトルコ移民クルナス一家の長男ムラートは、旅先のパキスタンでタリバンの嫌疑をかけられ、グアンタナモにある米軍基地の収容所に収監されてしまう。
母ラビエは息子を取り戻そうと奔走するが警察も行政も動いてくれず、わらにもすがる思いで、電話帳で見つけた人権派弁護士ベルンハルト・ドッケに助けを求める。
やがてラビエはドッケから、アメリカ合衆国最高裁判所でブッシュ大統領を相手に訴訟を起こすことを勧められる。



グアンタナモ収容所でどんなに酷いことが行われていたかは、そこに14年間収容されていたモハメドゥ・スラヒの手記を原作に作られた2021年のイギリス映画「モーリタニアン黒塗りの記録」を見て、驚愕しました。
水責め、性的暴行、手枷足枷、大音量や強力ライトで何日も寝かせない、同じ姿勢を20時間強制、全裸にする、犬のような恰好で箱に閉じ込める…
気が狂わないのがおかしいような拷問です。


(グアンタナモでの実際の写真)

その後、アブグレイブ収容所の虐待について日本人ジャーナリストが書いた「微笑と虐待」という本も読みました。
この本の中にあった電気拷問の様子の写真は、この映画の中にも一瞬出て来ました。


(アブグレイブ収容所での写真)

幸い、社会情勢に疎い母ラビエは、グアンタナモが何処にあり、どんな収容所であるかもよく分かっていないようでしたが、それでも息子を救うべく必死に奔走する。
天衣無縫といえば聞こえがよいが、厚顔無恥でずうずうしいところもあり、こんな人が近くにいたら大変だろうなと思わされるトルコ系移民の母を、ドイツの人気コメディアンというメルテム・カプタンが見事に演じていました。
エンドロールに御本人たちの写真が出て来ましたが、弁護士ドッケがあまりにもそっくりでビックリ!

ラビエたちの努力が実り、グアンタナモに5年間拘留されたムラ―トがようやく釈放されて帰って来た時、長期間足枷を付けられていたためヨチヨチ歩きをしている。
それを見たラビエが「ゲイシャみたいに歩いて…」と言うのは、リアルでした。
エンドロールに、今も40人がグアンタナモ収容所に閉じ込められているという文言が出て来て、言葉を失くしました。

「ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ」公式HP 


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「パスト・ライブス」

2024年04月13日 | 映画

ソウルで幼馴染として育った男女が12歳で離ればなれとなり、24年ぶりにニューヨークで再会を果たすという物語。
ソウルに暮らす12歳の少女ソヨンと少年ヘソンは互いに恋心を抱いていたが、ソヨンは親の都合でカナダに移住してしまう。ソヨンはノラという英語名になり、24歳でへソンとネットで再会するが、リアルに会えないままに再びすれ違う。36歳でニューヨークで会った時、ノラは米国人アーサーと結婚していた…

予告編を観た時、これは私が好きなストーリーだと思って期待したのですが…
予想したほどには感動しませんでした。
何故だ!?
アカデミー賞の作品賞、脚本賞にノミネートされたというのに。
この冒頭のバーの3人のシーンには、ワクワクしたのですが。



この作品のテーマは「イニョン(縁)」か。
この言葉は映画の中に何度も出て来るし、タイトルの「パストライブス(Past lives)」は、日本語で前世の意味。
へソンは「この人生自体が前世だったなら。イニョンがあれば来生でまた逢おう」と言うのです。



しかしそれは、私にはどうも女々しく聞こえてします。
そもそも12歳という子供の時の初恋なんてママゴトのように私には思えてしまうし、いつまでもそれを引きずるヘソンには呆れてしまう。
そしてもっと好きになれないのは、ソヨン(ノラ)。
24歳でネットで再会し盛り上がったのに、彼女は唐突にやり取りを断ち切る。
その理由は、自分は移住して頑張ってきたのに、(へソンとやり取りしている今)ソウルに行くことばかり考えてしまう、こんなことしている場合じゃないというもの。
そういう心境に至るには移民としての苦労がさぞあったのでしょうが、映画ではそれは描かれない。
結局この人は上昇志向で、すべてをそれに優先させたのだと。
米国人アーサーと結婚したのも、グリーンカード欲しさでないとは断言できないでしょう。
という訳で、私はヒロインをあまり好きにはなれなかったのです。
ラストシーン、階段でノラを待つアーサーの姿には泣けました。

「パスト・ライブス」公式HP 

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「オッペンハイマー」

2024年04月06日 | 映画

この映画の感想を書くのは難しい。
枝葉を切り捨て、大まかな印象だけを備忘録として。
原子爆弾を開発したアメリカの理論物理学者、ロバート・オッペンハイマーの半生を描いた伝記映画。
原作本のタイトル「American Prometheus」は、ギリシャ神話においてゼウスから火を盗んで人間に与えたプロメテウスを表しているらしい。
今年度のアカデミー賞において、作品賞含む7部門受賞。
『インターステラー』や『ダンケルク』のクリストファー・ノーラン監督。

量子力学や物理学や政治の専門用語が飛び交うし、登場人物がやたら多い。
カラー画面のオッペンハイマーの視点の世界と、モノクロ画面の宿敵の政治家ストローズ視点の世界に分けて描かれ、時系列も行ったり来たりで非常に分かりにくい。
そして音響が凄い。
ロスアラモスの広大な大地での原爆実験の直前には、耳を塞ぎたくなるような大音量の不協和音が響き渡り、そして実験が成功した瞬間、無音となる。
音の使い方が何と上手いのか。

オッペンハイマーという男の人生を描いた映画であるということは分かっていても、あの実験成功を祝う場面はどうにも辛い。
会場に集う全員が足を踏み鳴らし、割れるような歓声を上げて、ロックのミリオンスターを迎えるように彼を迎え入れるのです。
その原爆雲の下の悲惨な犠牲者たちへの思いは、何処にもひとかけらもない。
戦勝国、加害者側の原爆開発物語であることには間違いありません。
その後のオッペンハイマーの後悔と苦悩が描かれているとしても、被爆国の人間として、観て快いものではありません。
そしてまたオッペンハイマーという男は、人間としてもかなり問題のある、嫌なヤツとしか私には見えなかったのです。

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「落下の解剖学」

2024年03月21日 | 映画

転落事故か投身自殺か、それとも殺人か。
自宅山荘の窓の下で、サミュエルが不審死を遂げ、その妻で小説家のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)が殺人罪で起訴される。目撃者は視覚障害を持つ、11歳の息子ダニエルだけ。真実は何処に…!?



去年のカンヌ国際映画祭パルムドール、本年度アカデミー賞の脚本賞受賞。
予告編やタイトルから随分と不穏なものを感じ取っていましたが、その予想を裏切らない作品でした。
法廷での様々な証言や挙げられた証拠から、夫婦のこれまでの経緯が次第に明らかになる。
作家として成功した妻と、教師の仕事をしながら作家の夢を捨てきれず、しかし書けないでいる夫。結果的に家事の多くを押し付けられ、妻に鬱屈した気持ちを持っている。
私は殺していない、というサンドラに対して、友人の弁護士ヴァンサンは、重要なのはそこではない、君がどう思われるかだ、という。



この言葉はこの映画の真髄を表しているようで、裁判は一応決着するが、どうにもスッキリしない。そのモヤモヤを観客に押し付けることが、ジュスティーヌ・トリエ監督の狙いだったのかとも思います。
面白くはあるのですが、これだけ登場人物に感情移入できないことも珍しい。
サンドラは出ずっぱりでずっと喋っているのに、彼女の性格はまるで伝わってこないし、つまり好きになることができないのです。
法廷で、母親が実はバイセクシュアルであること、かつて女性と不倫したことなどを聞かされる11歳の息子、多感なダニエル君には、同情せずにはいられませんでした。
ボーダー・コリー犬のスヌープは見事な演技をしていましたが、あの目を剥いて倒れる所は、軽い薬を飲ませたのかしらん?
エンドロールに、これは動物虐待ではないというような文言が出るかと思いましたが(最近では散見する)、何もなかったということは、やはり演技だったのか…?
英題は「Anatomy of a Fall」。



「落下の解剖学」公式HP 

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「コヴェナント / 約束の救出」

2024年03月15日 | 映画

2018年、アフガニスタンで、タリバンの秘密基地を探すアメリカ軍のジョン・キンリ―軍曹(ジェイク・ギレンホール)。アフガン人通訳アーメッドを雇い、苦労の末タリバンの爆発物製造工場を突き止めるが、大勢のタリバン兵に囲まれ、ジョンとアーメッド以外、部隊は全滅。ジョンも銃撃されて瀕死の身となるが、アーメッドにからくも救い出される。アーメッドはタリバンに狙われながら、手押し車に乗せたキンリ―を100Km離れた米軍基地まで必死の思いで連れて行く。無事本国に帰ったジョンは、アーメッドが米軍から何の保証も受けずタリバンにつけ狙われていることを知って、再びアフガンに向かう。



2021年、タリバンが首都カブールを掌握した直後、カブールから飛び立った米空軍の大型輸送機の機内にギッシリと乗り込んだ人々の写真を、ニュースで見ました。その数600人。飛行機の車輪付近や機体の側面にしがみついている、大勢のアフガン市民の写真も。
そのまま飛行機は飛び立ち、何人もの人が落ちて死んだらしい。
あの情景が忘れられず、この映画のことを知った時に観なくては、と思ったのでした。

 (2018.7.)

導入部ではジョンとアーメッドが出会って、危険な任務を遂行して行くのですが、最初はお互いに疑心暗鬼の状態です。
ジョンが撃たれて倒れた後、アーメッドがどうしてあそこまで危険を冒し、何日もかけてジョンを助けたのか、やや説得力不足のような気がします。
アメリカ映画らしく、タリバンが皆どうしようもない悪党でしかないのも、やや残念。
それでも、アメリカ軍に協力した通訳が、アフガンでどんな立場にあるかということがよく分かる作品です。
エンドロールに「米軍のアフガニスタン撤退後、タリバンによって300人の通訳が殺された」というテロップが。
ガイ・リッチー監督が、アフガニスタン問題とアフガン人通訳についてのドキュメンタリーに着想を得て撮りあげた社会派ドラマということです。
原題は「Guy Ritchie's the Covenant」。



「コヴェナント」公式HP 

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「カラーパープル」「まいまいつぶろ」

2024年03月03日 | 映画


「カラーパープル」
実父に虐待されて妊娠、望まぬ結婚を強いられた黒人女性が、型破りな生き方の女性たちとの交流を通して目覚め、自らの人生を切り開いていくという話。
スティーブン・スピルバーグが1985年に手がけた名作映画「カラーパープル」をミュージカル映画としてリメイク、今回の制作にもスピルバーグを始め、オリジナル版に出演したオプラ・ウィンフリー、オリジナル版の音楽を手がけたクインシー・ジョーンズが名を連ねているということですが…
不思議なほどに私には響きませんでした。
テーマが黒人差別ではなく(大きな意味ではそうですが)、黒人女性の受けたDVに絞ったのが、裏目に出たのか。
歌声とダンスはパワフルで素晴らしかったのですが…




「まいまいつぶろ」
第九代将軍徳川家重は、生まれながらにして口が廻らず、身体が不自由だった。歩いた後には尿を引きずった跡が残り、その姿から「まいまいつぶろ」と呼ばれ馬鹿にされた君主。家重の言葉を唯一聞き分け、彼の“口”となり生涯付き従った大岡忠光。 廃嫡を噂される若君と後ろ盾のない小姓、二人の生涯を描いた物語。
なんといっても終章、年老いて死期を悟った忠光が江戸城を去る場面での家重の言葉「もう一度生まれても、私はこの身体でよい。忠光に会えるのならば」、これがこの小説のすべてを表しています。
Wikiによれば、家重は実際「小便公家」と陰で呼ばれ、脳性麻痺による言語障害だったとする説があるということです。
第12回日本歴史時代作家協会賞作品賞、第13回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。

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