開健の文学論を読み終えました。開健は小説家であると共に、特派員としてヴェトナム戦争を取材したり、その血肉の世界に疲れてアマゾンやユーコン川でナチュラリストのような体験をしてみたりと、活動的な人でした。今日、ますます言われていることですが、昭和の時代すでに開健は日本に真のジャーナリストはいないと看破しています。自らの脚と頭で取材しまとめ上げ、署名入りの報道をするという報道のあるべき姿は、日本にはないというのです。記者クラブで受ける大本営発表をそのまま記事にするだけという、節操のない現在は、原子力の報道にしてもその通りだと思います。開健の朋友だった谷沢永一氏が解説で、文学批評には3つの在り方があり、1つは研究者によるもの、1つは評論家によるもの、1つは小説家によるものというのですが、氏は小説家による評論が最も好ましいといいます。もちろんどの小説家でもいいというのではなく、戦前昭和期は川端康成のそれは最高のものだといいます。戦後は三島由紀夫。開健はその後を継ぐということです。開健はおびただしい小説を読破したそうですが、それは自分が作家になるための肥やしとして精読したのだそうです。この本に収まっている若い頃の評論は角が立っていて怖いほどですが、50歳も過ぎた頃は自然界に身を置くようになったことも一因しているのか、やや角が取れたような気がします。
「開健の文学論」開健 中公文庫
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