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活字日記

毎日読んだ活字系(雑誌、本、新聞、冊子)を可能な限りレポートします。

【6月1日】

2025-06-01 | 選書

地元の地誌という感じで戦国の房総と北条氏を読んでいます。不明を恥じるのですが、下総の千葉氏、安房の里見氏は知っていましたが、上総にいたのはだれなのかというのを知りませんでした。甲斐武田の庶流である真里谷武田氏と庁南武田氏なのですね。両家とも甲斐武田から鎌倉公方の重鎮としていたのですが、鎌倉府が永享の乱で衰亡したことで古河公方に認められ上総に移ってきたのだそうです。その後小弓(おゆみ)公方を立てて房総支配を目指しましたが、真里谷武田氏はその後衰えていきます。一方庁南武田氏は戦国時代にふるいませんでしたが、上総に根を下ろし、医術で生き残り、現代も甲斐武田の父系男系を唯一保った(甲斐武田氏の祖から32代目)家が病院などを経営しているそうです。千葉って武田だったんだあと思いました。

 

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【5月31日】

2025-05-31 | 選書

歴史の本をよく読みますが、信長がどうした秀吉がどうしたという歴史ものはこの頃読まず、戦国以前の細かな話を図書館で拾うようにしています。戦国時代までは守護大名(県知事)の下に国衆という現在の市長レベルがいて、その下に土豪がいました。大名は国衆をまとめないと両国経営ができません。住んでいる千葉県は安房、上総、下総の三国がありますが、守護大名はいなくて相模、武蔵を根城とする北条氏を巨魁とし、下総の千葉氏、上総の武田氏(甲斐武田の一族)、安房の里見氏が領地を安堵してもらったり、背後についてもらったりしていました。ただ里見氏は北条氏とやりあう仲でしたね。一口に千葉氏と言っても、頼朝の頃の千葉氏からどんどん庶流が出て、千葉氏と名乗らないケースもあり、誰だどうだかわからなくなります(名前に胤が付くとそうかなと思います)。専門家は古文書を掘り出して系図を作り、発給文書から流れを掴むのですが、今読み始めたのは戦国の房総と北条氏という本。地味な本で店頭では手に入りません。アマゾンかネットで直買いです。

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【5月30日】

2025-05-29 | 選書

最近は新聞もテレビのニュースも見ず、情報はSNSからという人が多くなっています。いわゆるオールドメディアは、かつては真実の報道ということに使命を感じていたはずですが(現場は今でもそうかもしれませんが)、下から上へ原稿が上がる段階で取捨選択され、色付けされているので、SNSのほうが素の情報という感じも受けます。でもSNSはフェイクも多く、受け取る側のリテラシーが求められます。特に災害時は情報が混乱することから、SNSを拠り所にする人も多いので、ここにデマ情報が流されると一気に広がってしまいます。デマは人類の発展と共に存在していたはずで、古代も現代も同じです。人間心理を突いているのですね。「本当のSOS」を埋もれさせないために何ができるのかという観点で、NHKのキャスターから転身し、自らの報道チャネルを運営している氏の活躍がわかる本です。

「災害とデマ」堀潤 インターナショナル新書

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【5月29日】

2025-05-29 | 選書

文化庁が3・11を機に歴史の中の復興の記録を残すということに本腰を入れ、民俗知保存に力を入れるべく活動しているますが、2016年の江戸博物館での講演会を記録した本で副題が遺跡に刻まれた復興の歴史ということです。古代も近世(江戸時代)の人たちも、田が洪水にあったり、噴火にあったりしても、直ぐに逃げださず(程度によりますが)、復興を目指していたことは遺跡発掘をするとわかるのだそうです。日本列島は自然災害の巣ですから、日本民族はそれとの戦いの歴史でもあったわけです。次の(巨)大地震地震がどこで起こるのかは全くわかりませんが、災害を防災ではなく減災にすることが必要かと思います。

「日本人は大災害をどう乗り越えたのか」文化庁編 朝日選書

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【5月28日】

2025-05-28 | 選書

日本列島に住んでいる限りは災害から逃れることはできません。大陸の東端に位置し、4枚のプレートがぶつかっているところということで、気象災害や地震・火山は世界的に見て多いところです。でも3万8千年前に日本人がここで暮らし始めたときは火山以外には災害に遭うことは少なかったのではないでしょうか。狩猟採取の生活では、いつでも住居を動かして危険から逃れることができました。定住を始めて、田畑や集落を持つと、そこで水害や地震の影響を受けるようになり、それを災害というのです。日本中の遺跡から災害の遺構が数多く見つかり、日本人がどうやって復興してきたということを2016年にえどはくカルチャーとして講演があり、それをまとめたのが日本人は大災害をどう乗り越えたのかという本で、苦難の歴史がわかる本です。

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【5月27日】

2025-05-27 | 選書

日本の中世というのは圧倒的に管理されていない社会なのだそうです。強い者には自由度が高いのですが、弱い者は顧みられないということ。朝廷(公家)は日本を統治しているように見えて、実はその意志に欠けていて、貴族社会の継続が全てであり、幕府(武家)は御家人との関係が全てであったのです。歴史の表舞台に出てくる(名前のある)人は強者であり、摂関政治が終わり院政が始まると、皇室も公卿たちもかなり自由にお楽しみをしたので、ご落胤のような人が多数いました。皇室では親王・内親王宣下(ようは認知ですね)がされないと皇室の一員と認められないので、それ以外のお子達は名前もなく逼塞していたのです。もっとも色々な事件とかが重なって皇統が怪しくなるとこういう子たちに出番が来ることがり、改めて宣下がされたりします。現代日本では皇室の行く末がどうなるのか危ぶまれますが、当時は探すと意外に血筋がいたりして皇統は守られていた、知らず知らずにセーフティーネットがあったということなのですね。裏舞台に生きた人のことが書いてあって面白い本を読みました。

「怪しきものたちの中世」本郷恵子 角川選書

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【5月18日】

2025-05-18 | 選書

頼朝が自分自身の武家の棟梁としての地位を確立るための努力と鎌倉の地位向上の努力を知ることのできた本でした。富士の巻き狩りというと、曽我兄弟の仇討ちとか長男頼家が鹿を仕留めたとかで有名ですが、実は信濃の三原野(みはらの)と那須でも巻き狩りを行っており、腹心のみを周りにそえて東山道の通り道である上野と下野の御家人にしっかりとアピールしたりしていました。同じ源氏の足利と新田にアピールする狙いがあったようです。富士の巻き狩りは腹心以外の参加も認めたので仇討ちが起きてしまいました。と、まあ大河ドラマではわからない幕府の地盤作りがわかった本でした。

「頼朝と街道」木村茂光 吉川歴史文化ライブラリー

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【5月17日】

2025-05-17 | 選書

頼朝と街道の二日目です。富士川の合戦は平家対源氏の有名な戦いで、水鳥の羽音に平家が驚いて逃げたというものですが、事実はちょっと違っていて、富士川の戦いの前に同じような場所で甲斐源氏の武田と戦って、平家が殆ど敗戦だったのだそうです。富士川の戦いは実はこの前哨戦で事実上終わっていてました。頼朝はやる気満々でしたからそのまま富士川の先を目指そうとして、千葉氏や上総氏、三浦氏に諫められ鎌倉の背後の常陸佐竹氏を討つべしと言われ、富士川で引き返したということになっていますが、頼朝は戦いの主人公が甲斐源氏だったので、存在感を示すために常陸討伐に向かったというのが真相だということです。吾妻鏡や平家物語ではそうは言ってませんが。

 

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【5月16日】

2025-05-16 | 選書

NHKの大河、鎌倉殿の13人がやっていた間は鎌倉時代の本をけっこう読んだのですが、最近はご無沙汰で。それでも図書館で頼朝と街道という本を借りてきまして、鎌倉政権の東国支配という副題のものです。頼朝が石橋山の合戦で敗れたあと、房総半島をぐるっと回って再び勢力を挽回し鎌倉に拠点を作るにあたって、政治的な動きというよりも、どうやって街づくりをしたか、物流を考えたかという見地から書かれたものです。鎌倉に居を構えた当時は東北の平泉という大経済圏があって、都と平泉は東山道から関東北部(上野、下野)を抜けて奥大道(おくのおおみち)を使ってつながっていました。鎌倉は全く外れたところにあったわけです。家康が関東入府した時ですら大湿地の南関東ですから、鎌倉は東海道のどん詰まりだったわけですね。頼朝が平泉を討伐したのは、義経よりも(本音)その経済を欲したところだったのだということらしいです。

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【3月3日】

2025-03-03 | 選書

宇宙からいかにヒトは生まれたかを読了。宇宙開闢から人類の未来までが一冊に書かれています。新書でこのテーマで書くととても足りないと思うのですが、選書だからできたことでしょう。宇宙は(原子は)いかに出来上がったか、太陽系はどうか、地球はどうか、生命はどうかと追って書かれています。偶然と必然の138億年史というサブタイトルのままの内容となっています。数式はなく、図版は選書にしては豊富なので面白く読めました。宇宙・地球の通史をこの一冊で済ませることができます。

「宇宙からいかにヒトは生まれたか」更科功 新潮選書

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