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夢の羅列<スピードの終焉>20160930

2016-09-30 23:09:33 | Dreams
夢の羅列<スピードの終焉>20160930

つづき。


「あ、爆ぜた」

私とオヤジが同時につぶやいた。

スクーターで爆発するとしたらエンジンかガソリンタンクだと思うが、
状況を詳しく説明すると
「爆ぜた」のはそのふたつが原因ではないように見えた。

エンジンが爆発するとしたらおそらく他に影響せずエンジンだけが爆発するだろう。
また、タンクが爆発したなら、それはもう火の玉のようになって大惨事である。
しかし目の前で起きたことはそうではなかった。

想像するとたとえばこんなイメージに近いかもしれない。

スクーターのあるゆる箇所、それは取り付け部であったり、接合部分であったり、
そういった箇所のすべてに小さな爆破装置を付けて、同時に爆破させたとしたら
あのように走行途中に一瞬でバラバラになるのではないか。

ブィーンときて「パンッ」と爆ぜて、スクーターは粉々ではなくバラバラになった。

もしもスローモーションで再生したらきっと爆ぜる瞬間には
車体が膨らんだように見えたに違いない。

膨らんだその時すでに車体はバラバラだ。
しかし各部品ごとの爆発がごく小さいため飛び散らずに、
遠目ではまるで車体が膨らんだまま走っているように見える。

そしてそのまま数メートルを移動した後、スピードの亡霊が力尽きたかのごとく
地面に沈むように崩れ落ち、部品の数々を撒き散らす。そしてすべては終わる。
もちろん実際には一連は一瞬のことである。

乗り手はどうしたか。消えた。

つづく。

夢の羅列<スクーター午後の死>20160929

2016-09-29 22:09:38 | Dreams
夢の羅列<スクーター午後の死>20160929

つづき。

背後にバイクの派手な音が聞こえてきた。

オヤジの視線が私の後ろに動いた。つられて私も振り向いた。

バイク。というよりあれか、ビッグスクーターというやつか。
とくに嫌いではないが、乗りたくはないという代物。

おそらく400ccくらいのその代物が西から上り車線を走ってきたのだった。

排気音がひどくうるさい。

乗り手にしてみるとちょうどこのガレージの前あたりは
緩く左にカーブしていて、しかしその曲がりの気持ちよさに
ついスピードを出してしまう箇所であった。

うるさいスクーターがちょうどそのカーブに入った。

速度は60km出ているだろうか。
カーブを抜けて、直線が見え、前に車がいなければおそらく
さらスロットルを開けて加速するだろう。

ジョナサンの前をうまくスルーして、あとは死ぬ気殺す気で走ればきっと
新高円寺の駅前を停まらずに抜けられるはずだ。

私とオヤジが無口で見ている目の前でスクーターはカープを抜けた。
いや、抜けたかに見えた。その時、

「パンッ」

派手でしかも締まりのない音がして、スクーターは爆ぜた。

爆ぜた。まさに爆ぜたのだった。

爆発という重い感じでもなく、燃え上がったというのでもなく、
まるでねずみ花火が最後に「パンッ」と尽きるようにスクーターも爆ぜた。

「あ、爆ぜた」

私とオヤジが同時につぶやいた。

つづく。

夢の羅列<バタフライの向かいのガレージ>

2016-09-28 22:41:44 | Dreams
青梅街道。
夢の中だが、ここは明らかに青梅街道。
新高円寺と南阿佐ヶ谷の間くらいの下り歩道。
NTTの建物があって、その向かいは卓球関係のあれはなんだったか、
ああ、バタフライか。そんなロケーションで、

私が西へと歩いていると、なんだかバイクか車だかの修理屋のような店があった。

いや、修理屋ではなく、もしかすると個人のガレージかもしれない。
ガレージといってもおしゃれ感ゼロで、疲れた佇まいに油の臭いがした。

「こんなところあったかな」

私がふと足を停めて、シャッター全開のガレージの中を見ていると、
奥から胡散臭いオヤジがのっそりと出てきた。

昔のデコトラの運ちゃんのような出で立ち。腹巻に財布を差し込んでいそうな。

実際には夢の中なので財布までは確認できてはいないが、そんな雰囲気だ。

なんか用か。というような目つきで私にゆっくりと向かってきた。

私はわざとオヤジを無視して、ガレージのあちこちに視線を動かした。

「おい、うちは店じゃないぞ」

そんなことはもうわかっている。
ただ、店の奥からオヤジが出てきたからそそくさ退散するという感じがいやなだけだった。

「おい、なんにも売ってないぞ」

他人のガレージをじろじろ見る自分の行為に、
これはまったく失礼なことだなと自分でも思いながらも、
「おい」という言い方に素直にその場を離れることもしたくなかった。

かといって、「おいってなんだよ。」などと言い返すのも、
なんだか古いマンガのセリフのようで、これはこれで寒い。

しかし面倒になってきた。どうしようか。考えがまとまらない。

オヤジは腕を組んでもう何も言わない。
いきなりキレて攻撃をしてくるような気配はない。
いや、いっそのことキレてくれたほうが打開の意味で面白いのだが。

スパナでも持って飛び出してきたら、私に闘う気はまったくないから、
ゲラゲラと笑いながらピューと逃げられるというものなのだが、
どうも場面が膠着してしまった。

その時、背後にバイクの派手な音が聞こえてきた。

つづく。



Diary 20160927

2016-09-27 21:15:33 | Diary
明日は暑いらしい。
明日の暑さを越えたら一気に秋に突入だろうか。
今日も暑かったし。
ネコ来ないし。

死神コーヒー

2016-09-26 19:32:52 | Diary
私はコーヒーは深いローストの方が好きで、
最近はとくに極極深煎り。もう黒を通り越して青くすら見えるような
豆を飲んでいたのだが、やはりそれも飽きがくることがあり、
そんなときのために軽い焙煎の豆も用意してあったが、
本日のところ在庫切れで、今、すっきりしない気持ち。

シティ、フルシティくらいのローストの豆はあるのだが、
それでは今の気持ちをすっきりさせない。
ミディアムくらいの明るい酸味のコーヒーが私を目覚めさせるのだ。

かといって往復15分程度で買えて、まあ飲めるといったら
ドトールの豆くらいなのだが、あそこの店主だかの声が
ひどくかすれていて、なんか死神みたいに聴こえて怖いし。

ウエイトレスが対応してくれればいいけど、
どうも豆を買う時にはあの死神が出てくるんだよな。

そうだ。マテ茶でも飲むか。

映画「悪人」感想

2016-09-24 21:24:49 | Diary
2016/8/8

2016/8/10


CS放送でまたなんとなく観てしまったので、以前の書きかけを思い出した。

上のリンク二つは映画「悪人」を観たことについての感想だが、今日はその続き。

以前までに書いたように、私は原作を読んでいないから、あくまでも映画だけの感想である。



映画では「誰が本当の悪人なのか」というキャッチコピーがついている。

そしてそのコピーを反映させるかのように映画の最後で深津絵里が
「そうよね。世間ではあの人は悪人なのよね」という意味のセリフをつぶやく。

これは深津が乗ったタクシーの運転手(でんでん)が、捕まった祐一を評して何気なく放った「あんな悪い奴はいない」という意味のセリフ━━━、それは当然ながら、世間一般がこの事件を見る角度であり、若い男が痴情の果てに女を殺し棄てて、また別の女を拉致し、逃亡の末に捕まった。という一方向、もしくはメディアが切り取った一断面の切り口だけからの判断と論評━━━に対比させている。

劇中では、殺人者清水祐一(妻夫木聡)の陰で何人もの小悪人たちが登場する。

性格の表裏と虚言癖があり、会うことに金を要求する女、石橋佳乃(満島ひかり)。

佳乃を深夜の峠に蹴り出し置き去りにし、またその死を嗤う学生、増尾圭吾(岡田将生)

催眠商法で房枝(樹木希林)から金を巻き上げる男、堤下(松尾スズキ)

正義と報道の名の下に、ではあるが、本心では「いい画が撮れれば。問題のあるコメントが録れれば」とだけしか頭にない、しかも朝も晩も近所の迷惑も何も考えずに房枝を追いかけ回すレポーターたち。

幼い祐一(妻夫木聡)を棄てたにもかかわらず、祐一を実質的に育てた祐一の祖母、清水房枝 (樹木希林)に一方的に文句をいう祐一の母、清水依子(余貴美子)

キャッチコピーと深津のセリフと何度も描かれる小悪人たちの姿から━━━、たしかに祐一は殺人を犯したけれど、それは単純な衝動的殺人であり、もちろんその罪が重いことは間違いないのだが、しかしこの世には小さな悪が蔓延っている。人を殺すという絶対悪の陰に罪を問うことまでは出来ない小さな悪が無数にあり、対して祐一は人を殺したという以外は非行でもなく、祖父母と暮らし、寝たきりの祖父の世話をし、仕事も真面目にこなし、しかし実の母に棄てられたことによって心の底に空いた穴を持ったままただ灰色に過ぎていってしまう人生に強烈な焦燥を感じていた青年で、彼には結果としての殺人の罪が残った。

なぜ残ったか。理性が足りなかったからである。これをしたらどうなるか、という想像力の欠如からである。なぜ理性が足りず、想像力が欠如していたのか。愛されなかったからである。いや、愛は祖父母によってある程度は満たされてきたかもしれない。しかしどうしても幼少時に母に置き去りにされたという傷は簡単に埋められるほど浅くはなかった。またその傷の原因を本人はそれだとわかっていなかった。そのためにかただ一瞬の愚かさをもって悪人となってしまった青年。優しいのに。けっして汚れてはいないのに。深津演ずる光代は何度もそう思う。しかしそのただ一瞬の愚かさと、そしてやはり運命というものの気まぐれさが彼女には心残りであった。

愚かさはなぜそこにあったのか。いったい誰がその愚かさを彼に与えたのか。引き金を引いたのは祐一ではあったが、引かせたのは誰か。引き金を与えたのは誰か。引き金をそこに置いたのは誰か。━━━そういったことを考えさせられる。しかし社会とはある種の公約数であり、誰かが罪の責任を負わなければならない。

一方、夜の峠で車から佳乃を蹴りおとし棄てた学生、増尾圭吾(岡田将生)の場合はどうだろうか。あの時に蹴り出された佳乃は明らかにガードレールに額を強くぶつけているが、彼女があの衝撃によって、もしくは気絶の末の凍死などで死んだとしたら今度は彼が殺人犯であったわけだ。

しかし佳乃の額は頑丈であった。あれでは死ななかった。だから増尾圭吾は罪に問われることなく、その後の友人の集まりで死んだ佳乃を嗤えるのだった。また祐一があの場に現れず、結果佳乃も死なず、佳乃が蹴り出されたことを訴えたら圭吾は刑事民事ともに敗訴でそれなりの罰を与えられるに違いなかった。しかしいろいろな意味でジョーカーを引いたのは祐一で、しかしそのジョーカーを引いたことによる深い場所でだからこそ彼は何かを知ることになる。

物語は祐一が光代と結ばれることによって愛の手応えを感じ、心の穴が埋められ、その時にやっと自分の罪の重さに気がつく。

愛することと愛されることを知り、愛するものを失うことの重大さを知る。

そのことを佳乃の父(柄本明)が物語の主題を代弁するがごとく絶望の果てに誰に向かってでもなくレストランのドアの前でつぶやくが、あれはわかりやすい反面、善悪を明確にし過ぎて、私は余計だったように思う。

私が年を十分にとったせいか、説明と説教くさいのにはうんざりで、逆に心理描写の積み重ねが足りないのには不満で、さらに正直に書くと、「はっ」とする場面もセリフもそれほど感じられなかった。感情移入があまり出来なくて、覚めたまま見終わった。それなりに面白かったことはあるが、もう一度観たいかというとそうでもない。要するに若さゆえの気持ちがもうわからないということかもしれない。

この映画に関しては、それぞれの俳優の演技を楽しむものと私は理解した。

柄本明も樹木希林もよかった。妻夫木聡もよかった。深津絵里はすごくよかった。

だからこれは深津絵里を鑑賞する映画なのではないだろうか。

同じではないが、殺人者をかばい匿い、結果的に愛してしまうという物語の映画「とらわれて夏(Labor Day)」がケイト・ウインスレットとジュシュ・ブローリンの共演によってあるが、あれは何度も観たいと思わせる。

今日現在に上のトップ画面に貼った動画は「悪人」のエンディング曲です。いい曲ですね。

以上、ざっと書いたので、後でこっそり直す箇所もあるかもしれない。

ネコの家族計画

2016-09-22 20:44:53 | Diary


上から、

サビ茶。(おそらくメス。下段の白茶の子であるか、もしくは姉妹。常にボンヤリ)

白茶。(下2匹の母。気性は激しくかつ荒い。攻撃性能は心技体にして最高レベル)

チビ白茶。(上の白茶の子。母の気性を受け継いだのか、とにかく残酷な子。性別不明)

チビ灰白茶。(白茶の子。少しおっとり型。何をしても少し遅い。性別不明)

下画像は母白茶と父ネコ(推定)。(父ネコ。推定4kg。デカい。風格がある。放浪癖)


ネコの事情

2016-09-21 22:07:01 | Diary
庭に来るネコたちの情勢が変わってきた。

ここでいうネコたちとは全4匹の家族で、
白茶の母ネコ。
そして私がここに来る以前におそらくこの母ネコが産んだと思われるサビ茶の子。
今年の4月に生まれた母そっくりの白茶の子。
同じく生まれた父と母の色と模様を受け継いだ白茶灰縞の子。

全部野良だから母以外の性別はよくわからない。

父に関して「なぜそれが父だとわかるのか」というと、私がそれを目撃したからである。

父は大きく立派なネコで、ごくたまに私の家の庭で寛いでいることもあるが、
ほとんどは放浪に出ている様子である。だから数には入れていない。

まず大きく変わったことは母ネコが庭に来ない。

表の通りに姿を見るから、いないということはないのだが、なぜか来ない。

それまでは毎日必ず、朝と晩に庭に家族で来ていたのだが、母が来なくなった。

チビネコたちは、最近は連れ立って、とくに夕方に来ていたが、
ここ二三日は天気も悪いからか、来ない。

サビ茶の子は、チビたちに遠慮してかあまり仲がよくないのか、
ここしばらくたまにしか姿を見せなかった。
なんとなく他の3匹とは別行動をしているように見えた。

チビたちが生まれる前は、白茶と必ずセットで来ていたのだったが。

それで何がどうなったかというと、他のネコが来なくなったかわりに、
私がふと気がつくと、庭にサビ茶がお決まりのポーズ、少し首をかしげて
独り私を待っていることが多くなってきた。

ネコにもいろいろ事情があるのだろう。


美術書ベビー

2016-09-15 22:16:02 | Diary
今日、新宿の紀伊国屋書店の美術書売り場でうろうろしていたら、
ベビーカーが置いてあり、お母さんは近くで何かを探すのに夢中。

赤ん坊はその中でつかまり立ちしてキョロキョロしている
そして、つい目が合い、
私が思わずニッコリとしてしまったら、それを見た赤ん坊も満面の笑み。

ネコは逃げても、赤ん坊にはウケが良い顔なんだな、これが。

善人、悪人、コヘレト、鬱。

2016-09-13 19:47:06 | Diary
六芒星をテーマにしたZIPPOの制作を受けているが、いろいろ滞っていて、
やっとこれに手をつけられる。

基本的な部分はすでに彫刻をしてあるのだが、
肝心の部分をどうするかずっと考えていた。
それで昨日、聖書の詩編と箴言、コヘレトの言葉までを全部読んだ。

中でもやはりコヘレトが面白い。

  善人が、その善のゆえに滅びることもあり、
  悪人が、その悪のゆえに長らえることもある。

3千年ほど前にこの思想である。

しかも章の冒頭から、

  空しい。空しい。なにもかも空しい。

である。

聖書の中でもコヘレトの章は異質で、
コヘレトはおそらくダビデの子、ソロモンであるといわれているが、
この厭世的な言葉の数々はきっと、ソロモンが鬱の時に書かれたと、
私は以前から思っている。

そう考えると、
私は鬱ではないが、ソロモンに親近感がわくのである。

「私の男」北千住

2016-09-12 18:12:43 | Diary
昨日のつづきというわけでもないが、
映画、原作ともに感じている晴れない部分について、仕事の合間などに考えている、考えさせられている、わけだが、少し思い出した場面について。

派遣OLの花が少し酔い加減で、花を誘った尾崎美郎に自宅へ送られる。

たしか銀座あたりでタクシーに乗ってから、美郎は自宅の場所を花に訊く。

花は「川の向こう。北千住」と答える。

タクシーは走り出し、実際には北千住ではなく、その川向こう。東京拘置所の正門前、つまり小菅で花と美郎は降りる。外は粉雪。降りたところである男の亡霊が独り言をつぶやきながら通り過ぎ悪い予感を残し消える。もう花は気づいているその気配に。街頭の下に黒いコートの男が立っている。父淳悟である。

別に感想はない。書きたかっただけ。この場面は原作にしかない。

「私の男」映画、および原作について。

2016-09-11 19:57:06 | Diary
知り合いが園子温の監督作品が面白いというので、映画「恋の罪」を観たら冒頭からグロい映像が続き、しかも女がヒステリックに叫ぶのが私は超がつくほど苦手だから、これはまいったと思い、あれは苦手だったよと報告すると、それじゃあ「冷たい熱帯魚」がいいかもしれないと知り合いが言うので、今度はそれを観たら、これが一層のことひどい血みどろの映画で、前から書いているように私にエロはあってもグロはないので、「ボディを透明にする」とかもう勘弁してくれよ。と、まあそれでも最後まで観たわけだが、それについてはまた後日に。

それで口直しではないが、目についたグロい残像を洗い流すために何か切なく儚く、そして出来れば最後は小さくともハッピーな結末の映画を観ようという気持ちになって、探したら、先日観てすごくよかった「海炭市叙景」の熊切監督の「私の男」がどうも良さそうだ。と私は予感して、それを見始めた。

小さな女の子が出てくるだけで私の涙腺は緩むように出来ている。ああこれは震災と津波によって身寄りのなくなった少女をまだ若い親戚の男(浅野忠信)が引き取り男気と男手で育て上げる話だな、とすぐにわかった。北の最果ての町を舞台に涙あり人情ありで、どちらにしても一波乱も二波乱もあるのだが、やがて成長した少女花(二階堂ふみ)の結婚式がクライマックスで、なにしろ大団円。みんな幸せ。オレも涙をもう止めようともしない。きっとそうだろう。そんな見通しで観ていたわけだが、ある朝のシーンで、制服に着替えてからパンにジャムを塗る花(二階堂ふみ)の横にきた浅野忠信が何を狂ったのか不吉に微笑みつつ花の胸を揉み始めたではないか。「おいおいおいおい。ダメだろ、そんなことしたら」私は心の声を上げたが、浅野の手の力はより強まり、私の期待とは逆の方向に走り始めた物語はもう止まることもなく転がり落ちてゆくのだった。

それで最後まで観たのだが、しかし焦点が合わない気持ちが残り、それは映画ならではの説明不足に起因するのかと原作を注文し読んだ。たしかに映画だけではわかりづらい部分が多かった。でもまだ咀嚼が足りないのかフォーカスしない。「だから何?」という後味がどうにも晴れないのだ。所詮、エキセントリックなシークエンスをいくつか盛り合わせたに過ぎないのではないかという感じが今のところは半分くらいある。互いが相手を希求する理由に絶対性を見出せないのだ。血は水よりも濃い、というところに答えがあるらしいのだが、そんなもんかね、という気分。いや面白いことは面白いし、俳優たちの演技も素晴らしく、キャスティングについても文句なしで、とくに映像の空気感は「海炭市叙景」もそうだったが、すごく良い。気持ちが晴れたらまた続きを書きたい。

本が届いたが。

2016-09-10 19:50:22 | Diary
夕方、郵便局員が配達にきて、荷物を置いていった。

仕事が滞っているというのに、なぜか小説ばかり8冊も届いてしまった。

8冊の小説を見ると、なんだこれは、面白そうな本ばかりじゃないか。
まるで私のツボを心得たかのような絶妙な選択に思わずうなった。

いつ頼んだのだろうか。メールを開くと注文の履歴があるではないか。
ならば頼んだのはやはり私だった。

仕事をしなくちゃいけないのにィ。
私は私に迷惑をかける私に少し文句を言いたかった。
しかし滲み出る笑顔は隠せなかった。

ふと一冊の最初のページをめくってみた。そして気がつくともう十分な夜になっていた。

コーヒーを淹れようかな。でも眠れなくなってしまうしな。などと、
子供みたいなことを考えながらまた本に戻った。

今日は夕を過ぎるともう暑くない。

窓の外で「ポリポリ」と小さな音がする。

ネコが来ているのだ。エサを食べている。

最近、この子たちを産んだ母ネコだけが立ち寄らなくなった。

そんなことより、コーヒーをどうしようか。

そうだ。あと1時間、この本を読んでから考えよう。

映画「恋の罪」感想

2016-09-04 22:10:12 | Diary
園子温監督の映画を知人が面白いというので「恋の罪」を観た。

最近の邦画をあまり観ないし、園子温の監督作品を観るのは初めてだった。
だいたい園子温という人を私はよく知らなかった。名前だけは知っている程度。
調べてみると、ああ「東京ガガガ」の人か。
しかしその「東京ガガガ」も名前だけで、実際はなんだか知らない。

「恋の罪」は、東電OL殺人事件を下敷きに換骨奪胎という感じで描かれた作品。

しかし見始めて少し後悔した。
なぜなら私の思想の背景にはエロはあってもグロはないので、
あからさまな狂気と演出過剰気味の映像に、
昼の定食屋でずいぶんと間違ったものを頼んだような微妙な気分になった。

日常に潜む狂気、そして狂気の果てに見い出す、または
見い出そうとしたかった真実、もしくは何かの手応え、
といったことが描かれている気がしたが、

リアリティのない映像が最初から最後まで続き、一篇の詩をもって
物語の特殊構造をそこに収束させようとした手法は面白いのかもしれないが、
だいぶ観念的であるなと個人的には感じた。

途中からあまり気を入れて観ていなかったせいか、二人の女、いや三人か、
彼女らが壊れていく、逆に言えば目覚めて行く過程の心理描写の積み重ねが
どうにも少なく思えて、随所に唐突な印象を残した。

演出のことをひとつだけ書くと、
殺人現場の部屋の壁に血文字のような書きなぐりがあるのだが、
あれは効果的なのだろうか。疑問である。はっきり言って苦手だ。

たしかに脚本も演技も全編で現実離れしているから、
あのように、さもありそうな演出はわかり易いのかもしれないが、
「ほら怖いだろう。ほら狂っているだろう」と非日常、または
半社会的なものを見せたくて仕方がないといったふうで、苦手だ。

好き嫌いでいえば「隠しても隠しきれない狂気」の方が、好みである。

映画監督が日常のさりげない物語を撮ったつもりで、
完成したらつい柔らかなそして確実な狂気が画面から滲み出てしまった。
というようなのが好きである。

だから、この園子温という監督は、きっとすごくまともな人なんだろうな。
そんな気がした。もちろん良い意味で。

この東電OL殺人のルポルタージュをだいぶ以前に読んだことがあるが、
まあ、実際の事件の方が闇が深くて怖かったかな。

Rythem & Coffee

2016-09-03 23:28:08 | コーヒー
夏が終わりつつあるこの季節はとくにラテン系の音楽が聴きたくなる。

真夏の暑さと喧騒がまだ残っている気持ちの中にふと忍び込む秋の気配。

そんな夕暮れにラテンジャズやヴォーカルものを聴きながらコーヒーを飲むのだが、
このコーヒーという飲み物も、10回淹れれば、だいたい3回はあまり美味くない。

それで10回のうち5回ほどはまあまあ普通に美味くて、
さらに「おっ、これは」という感じが1回。

この9回に含まれる感想がコーヒーの全てであれば、
それほどコーヒーにこだわることもないのだが、残りの、
10回のうち、たった1回がまさに突き抜けるほどに美味いことがあり、
もう大声を出してそこらを走り回りたいくらいに美味いのだが、

それもまあ出来ないので、目をつぶって、電気も消して音楽も消して、
その一杯の味わいと余韻に短くない時間を浸って過ごす。

もうね。そんな一杯には他の一切が邪魔に思えてね。

そして余韻が黄昏の彼方に去りつつある頃にまたプレーヤーのスイッチをオンにして、
小さめの音量で聴くスローテンポのラテンジャズの切なさ。

そんな時、窓の外に「トンッ」と小さな足音が聞こえて、
ネコたちがエサをねだりにくるのがわかる。

私が庭に出るとネコは「遅いよ」という顔で私を迎える。

最高のコーヒーの余韻で優しい気持ちの私はネコの頭を撫でてやろうと手を伸ばす。

しかしネコはあっさりと私の手を避けて1メートルほどさがる。

4匹が四方に散って誰も触らせてくれない。
エサは食ってもねだっても、触らせてくれない。

たとえ野良であっても時にはこの優しさを受け止める「優しさ」があってもいいと思う。

そして寂しくリビングに戻ればラテンのリズムとまだ鮮やかなコーヒーの甘い残り香。